ヒトES細胞はヒト胚から誘導する必要があり、生殖補助医療の過程で作成された胚を提供してもらわなければならない。我が国ではこの研究に関する指針の見直しが行われるまで、すべての計画を文科省の専門委員会で審査していた。そこにヒト胚を使わない山中iPSが登場し、多能性幹細胞を指針による審査を経ずに自由に研究することが可能になった。しかし私が座長をしていた当時の委員の多くが懸念したのが、ヒトiPSから精子や卵子が作成され、試験管の中で体細胞から胚が作成されることだ。特に我が国では京大の斎藤さんを始め、この分野に世界をリードする研究者が多い。しかし、彼らの研究の進展を阻害しないよう考えることも重要だ。結局、基本的には研究の進展を注意深く見守ることになったが、もう一度議論を始める節目としては、始原生殖細胞が試験管内で誘導された時点だろうと考えた。今日紹介するケンブリッジ大学Surani研究室からの論文は、ついにヒト多能性幹細胞から始原生殖細胞を誘導する方法が開発できたことを報告している。タイトルは、「Sox17 is a critical specifier of human primordiall germ cell fate(Sox17はヒト始原生殖細胞への運命決定に決定的な役割を果たす)」だ。筆頭著者はNaoko Irieとあるので、ひょっとしたら慶応の松尾さんのところで研究していた入江さんかもしれない。研究ではNanosと呼ばれる遺伝子を標識し、始原生殖細胞(PGC)の出現をモニターできるようにしてPGCの誘導条件を調べている。結局わかったのは、普通のES細胞からは誘導が難しいが、昨年ここでも紹介したJacob Hanaの方法を使って培養した多能性細胞(http://aasj.jp/news/watch/664)を使うと培養4−5日目をピークにNanos養成細胞が誘導できる点だ。この研究の半分は、この培養法を開発できたところで完成したと思う。あとは、本当にPGCか?誘導に必要な分子メカニズムは?に関する実験が着々と進められている。胎児生殖臓器にある生殖細胞や、精巣がんなどとの比較から、十分PGCと結論できそうだが、ここは慎重にPGC様細胞と名付けている。この論文では、この分化課程を追求するとき、CD38と呼ばれる表面抗原が特異的マーカーとして利用できることを示しており、これは重要な発見だ。このおかげで、どの研究室でもアルカリフォスファターゼとCD38を用いて、PGC誘導をモニターできる。最後に分化誘導メカニズムだが、これは正直驚きの結果だった。マウスで内胚葉誘導に関わることが知られているSox17が、ヒトでは多能性幹細胞段階からPGCへの初期運命決定にかかわっているという予想もつかなかった発見が示されている。この分子がBLIMP1と呼ばれる生殖細胞を他の系列から分ける転写因子の上流で働いていることも、遺伝子ノックアウトES細胞を用いた実験で明らかにしている。このように最初の段階が、その鍵となる分子も含めて明らかになることで、おそらくこの分野は大きく進展するだろう。この研究のおかげで、マウスとヒトでは使われる分子のレパートリーが大きく違うこともよくわかった。マウスで研究を行えばいいという暴論はもう出ないだろう。次は、実際の生殖細胞の誘導だが、我が国の特定胚・ヒトES細胞研究小委員会の議論はどの方向に進むのか、明らかに重要な節目に差し掛かったと思う。しかし、Suraniさんは今も優秀な日本人研究者を育ててくれているようだ。
12月28日:ヒトES細胞から始原生殖細胞を誘導する(1月15日号Cell誌掲載論文)
12月27日:ゲノム解析によるガンの予測(EbioMedicine誌オンライン版掲載論文)
先日MYCODEの遺伝子診断の結果が返ってきた。気になるガンについてリスクを調べると、基底細胞癌リスクが2倍以上と高値だ。あとは、ユーイング腫瘍と、慢性リンパ性白血病が平均より高いリスクだった。この3腫瘍のうちでユーイング腫瘍は遥か昔に発生年齢を超えているし、皮膚ガンの方もまあ命に関わるほどではない。最後の慢性リンパ性白血病は私たちの世代に多い疾患なので少しは気になる。一方私自身はバレット症候群とすでに診断されているが、遺伝子診断からの食道がんリスクは正常集団に入っている。当然のことだが、ガン体質をゲノムだけから予測するのはそう簡単ではない。さらに、私のように65を越えると、生活習慣からくるエピジェネティックな影響が大きいため、遺伝子検査の意味が薄まってしまっている。とはいえ、集団の中の自分の位置がわかること、また65を超えていたとしても、リスクが高いと指摘された疾患を気にとめるようになるのは悪いことではない。次はぜひ全ゲノムを調べてみようと考えている。しかし、全ゲノムとなるとそこに何が書かれているか理解することの方が問題だ。現時点でゲノムデータからどの程度のことが言えるのか?この問題を調べたのが今日紹介するテキサス大学内科からの論文で、フリーアクセス可能なEbioMedicine誌に掲載されている。タイトルは」Whole genome sequencing for diagnosis and discovery in the cancer genetic clinic(ガン遺伝子診療部門での診断とガンの発見に全ゲノム解析は使えるか)」だ。この研究はがん細胞のゲノム解析ではなく、生まれついてのゲノムの解析からガンの危険性についてどれだけ理解できるかを確かめようとしている。研究では家族にガンの患者さんがいるので、自分のガンとの関わりを知りたいと大学のガン遺伝子相談室を訪れた患者さんのうち、乳ガンや卵巣ガンの原因となることがわかっているBRCA1.BRCA2遺伝子に突然変異のある患者さん176名、この2つの遺伝子は正常と診断されたガン患者さん82名の全ゲノム配列を決定し、現時点で遺伝子相談にどの程度使えるかを検討している。将来の外来診療というセッティングを考え、塩基配列決定や情報解析はテキサス大学で行わず、基本的に外注している。ただ、予想された通り、データが膨大すぎて結果をまとめるのは簡単でない。塩基配列は全ゲノムについて行っているが、結局この研究ではタンパク質に翻訳されるエクソーム部分に限って調べている。まずわかるのは、現在外注で得られるゲノム解析の精度はまずまずで、すでに確認されているBraca1/2の突然変異をほぼ9割完全に診断している。残りの1割についても、正確な変異の特定には失敗しているが、異常ありと判定できているので、見落としの確率は低そうだ。一方この二つの遺伝子に異常がないとされているグループでも、これまで知られていないBrca遺伝子変異が見つかる。ただ、見つかった変異が機能阻害につながるかどうかは研究が必要だ。次にアミノ酸変化を伴う突然変異となると膨大な数に上り、これまで開発された様々な解析ソフトを使っても、それぞれの意味を解析することは現時点では不可能に近い。したがって遺伝子相談で説明するには、これまでの研究でガンとの関係が明らかにされている遺伝子に解析を絞るしかないことがわかる。それでも、平均6−7個の遺伝子で変異が見つかる。そしてそれぞれの変異の持つ意味については患者さんに説明できるほど理解が進んでいない。この意味で、今後外来レベルでアラートが出るようなユーザーに優しい解析ソフトの開発が急がれる。最後に、ガンの発生には遺伝子の活性が上昇する突然変異を伴うことが多いが、活性化につながることがわかっている突然変異は限られている。一方、乳ガンを引き起こすBrca遺伝子変異は機能欠損型だが、機能の失われる突然変異は診断がつけやすい。このため、患者さんに正しい情報を伝えるという点からは、機能が失われる突然変異に絞って説明する方が良いことも示唆している。実際一人当たり2個弱の遺伝子変異については臨床的に理解可能で、指導に利用できる。他にも、ガンだけでなく他の病気に関わる変異が約10%の人に見られる。これも遺伝子相談にとっては重要なデータになる。結局、現時点で全ゲノム配列を調べても、ガンのリスクを予想するには私たちの知識が足りないことを示す結果になっているが、かといってゲノムを調べても意味がないという結果でもない中途半端な結論に終わっている。コストにもよるが、私自身は自分を知るという点でゲノムは欠かすことのないデータだと思っている。もちろんこれまでも、これからもゲノム研究は私たちの健康や病気の理解・診断・治療に役に立つ。しかし、21世紀は「役に立つ」を超えたところにゲノムを位置付けることから始めるべきだと確信している。
12月26日:タッチスクリーン操作による脳変化(1月5日発行Current Biology掲載論文)
昨日はiPadを取り上げたので、今日はスマフォを取り上げる。iPhoneが出たばかりの頃、これは日本で普及しないのではと思った。というのも、当時の若い世代が片手でしかもブラインドで、携帯電話の小さなキーボードをあやつり、高速で文字を入力している姿を目の当たりにすると、少なくとも我が国の次世代は、この入力スタイルから離れられないのではと想像したからだ。しかしこれは私の取り越し苦労だった。もはや電車の中で見る高校生の多くには同じ文字入力文化を見ることはできない。今やスピードの差こそあるものの、電車に乗ると周りの半分以上がスマートフォン片手に何かに熱中する姿を見ることができる。今日紹介するスイス・チューリッヒ工科大学からの論文は、この新しい文化が私たちの脳をどう変えているのか検証した研究だ。タイトルは「Use-dependent cortical processing from fingertip in touchscreen phone user(スマートフォンのヘビーユーザーにみられる指先に対応する脳変化)」だ。おそらくこの論文の著者は、タッチスクリーンを親指で熱心に操作するスマフォのユーザーを見て、弦楽器奏者の指の早い動きを想像したのだろう。これまで弦楽器奏者で調べられていた指の訓練による脳皮質の再構成が、スマフォユーザーにも見られるのではと思いついた。そこで、スマフォ利用者37名、携帯電話11名に頼んで脳波図検査を受けてもらい、それぞれの指に2msの刺激を与え、脳の反応を調べている。実験は極めて単純だ。それぞれの被験者には前もって、検査前10日間どの程度のスマフォを使っていたのか申告してもらう。検査前にはスマフォのログからそれ以前の100時間どれだけ頻繁に使っていたのか、最後にスマフォを使っていた時から検査までに経過した時間などを調査し、脳変化との相関を調べている。さて結果だが、予想通り、スマフォを使っていると親指だけでなく、人差し指、中指まで、刺激に対して敏感になっている。ただ、この反応性は何年スマフォを使っていたかより、検査前100時間にスマフォを使っていたかと相関し、検査前最後に使った時からの時間に逆相関することがわかった。また、2本の指に刺激を加えて反応性の鈍化を見る方法で、スマフォユーザーでは親指と人差し指の統合性が高いことも示している。いずれにせよこの研究からの結論は、直近の使い方で指刺激に対する脳の反応性が決まるということで、まだ完全に脳がスマフォ親指に合わせて再構成しているわけではないという結果だ。使い始めてからの長さに相関しないというのは意外だが、スマフォが普及して短いことを考えると、弦楽器奏者のように本当の訓練で脳回路を変化させているのとは全く違うようだ。しかし、今後何年も経って、スマフォ入力チャンピオンなどが出て来れば、この実験もまた違う結果が出るような気がする。いずれにせよ、思いついたことはやって見て論文にするという熱意には感心する。
12月25日:就寝前のiPadは眠りを妨げる(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)
5−6年ほど前からeBook readerを使い出しているが、今はこれ無しの生活は考えられないぐらいだ。まず軽い。私はKindleを使っているが、本より軽いと言っていいだろう。また何百冊もの本を同時に持ち歩ける。気分や場所に応じて違う本を読みたい私のような人間に理想的な読書環境を実現してくれている。また、英和辞書が内蔵されており、英語の本を読むとき辞書を調べる手間が省ける。英語の本でよければレパートリーも広く、古典はほとんど無料でダウンロードできる。新刊でもかなり安価だ。さらに、iPadやPCと比べた時、初代のKindleはバックライトがなく目に優しい。新しいバージョンのKindleはバックライトがあるが、それでも強くはなくちょうどいい加減だ。さらに、字の大きさを変えられるのも年寄りにとっては素晴らしい。書き出せばきりがないが、ブックリーダーは年寄りの友達になること間違い無い。そんな私の気持ちを逆撫でするような論文がアメリカアカデミー紀要に掲載されていたので読んでみた。ハーバード大学からの論文で、タイトルは「Evening use of light-emitting eReader negatively affects sleep, circadian timing, and next-morning alertnesss(光を出すブックリーダーを夜使うと、睡眠、概日リズム、寝起きに悪い影響がある)」だ。私にとってはタイトルを見ただけで不快な気持ちになる。研究では12人のボランティアの若者(おそらく学生だろう)を14日間病院(?)に入ってもらって、決まった環境で生活してもらう。昼は特に管理を受けないが、6時からは4時間毎日iPadか通常の本を読んでもらい、眠りに対する影響を比べている。眠りは主観的な要素が大きく、客観的に調べることは難しいが、この研究では自覚症状に加えて、メラトニン濃度を測って概日リズムを調べ、また睡眠中の脳波を調べて睡眠の質を調べることで客観的な評価を行っている。寝ている間に1時間づつ採血したり、脳波計をつけたまま寝て客観的な評価が可能か少し心配だが、そこは眠りと概日リズム研究所のプロだから抜かりはあるまい。そしてタイトルにある通り、寝る前にブックリーダーで本を読むと眠りが妨げられるという結論が、1)メラトニンの血中濃度に反映される概日リズムがずれる、2)REM睡眠時間が低下する、3)自覚的に夜寝付かれず、寝起きが悪い、などの結果をもとに導き出されている。社会的には結構大きな反響を呼ぶ論文だろう。ただ私としては気になる点がいくつかあった。まずブックリーダーという時、普通はKindleなどのバックライトの弱い機器を意味すると思う。よく読んでみるとこの研究ではiPadが使われており、しかも最も明るいセッティングで使わせている。なら、結局夜遅くまでPCを使っているのと同じことだ。私ならタイトルにはっきりとiPadあるいはタブレットと書かせるだろう。他にも、本といってもいろいろある。面白くない本だとすぐ眠くなる。このような研究は社会に向けたメッセージの意味も多い。ならもう少し注意深い実験計画が必要だと思った。いずれにせよ、よく読んでみると、Kindleとは無関係な話だと胸をなで下ろしている。
12月24日:レンズのない顕微鏡(12月17日Science Translational Medicine掲載論文)
最近ピントを合わす必要のないカメラが日本でも発売された。ライトフィールドと呼ばれる技術で、一定の空間範囲の3次元画像を構成し、コンピューター上で後から見たい深度に焦点を合わせ直す仕組みだ。様々な方向からの光を取り入れるセンサーを使うことでこんな離れ業が可能になっている。なんとなくキュビズムを思い出させる。しかしこのカメラでもレンズは必要だ。ところが今日紹介するUCLAからの論文はレンズのない顕微鏡の開発についての話で、12月17日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Wide-field computational imaging of pathology slides using lens-free on-chip microscopy (レンズを使わないオンチップ顕微鏡を使って病理検査を広視野で観察できるコンピューター画像処理)」だ。情報処理工学技術なので完全に理解できているわけではないが、原理をまとめると次のようになる。顕微鏡というからには拡大が必要だが、この顕微鏡はレンズによる拡大はしない。光源とサンプルとセンサーの距離と、PC上でのデジタル拡大を組み合わせている。病理組織をそのままCMOSセンサーに投影するが、100−600μmほどセンサーから離して画像を拾うことで、一種のボケた干渉画像を集める。これをサンプルとセンサーの異なる距離で集め、一種のホログラム画像を合成する手法だ。基本的に、鮮明な画像形成はPC上の計算で行う。したがって、この研究の核心は画像処理のアルゴリズムやアプリケーション開発だ。さらに、染色の色付けも染色方や切片処理方法に個別に合わせたプログラムを用い、全て計算で行う。実際このような計算による焦点合わせなどは市販のカメラにも搭載されているし、CMOSセンサーの画素数などから考えても、十分納得できるアイデアだ。あとは乳がん組織の標本、パパニコロウ染色した子宮ガン診断用細胞スメア、血液塗抹標本が撮影され、病理医によって診断に使えるかどうかテストされている。結論としては遜色なしという結果で、一般病理診断には十分使えることがわかった。このほかにも、センサーの傾きを変えてさらに画像処理精度をあげるアルゴリズムなどを紹介し、この方法の将来性を強調している。市販カメラも含めて現在の画像処理技術の進歩はそのまま専門的な世界にも利用できる。レンズのない顕微鏡というだけで開発者の資質を想像することができる。とはいえ、この方法が現在の顕微鏡に取って代わるかについては、私の頭の中では焦点が合わない。安価であることを強調しているが、画像処理技術も数がでないと結局は高価なままだ。もし市販の高級カメラ並みの価格になれば、発展途上国だけでなく、教育の現場でも応用範囲は広がるだろう。センサーを大きくできるので、大きなサンプルをそのまま撮影することができるが、これは売りになるかもしれない。いずれにせよ、製品として生まれてからが勝負になると思う。
12月23日:迷惑にならない死に方(12月18日号Cell誌掲載論文)
高齢者の増加は我が国だけでなく、21世紀地球の課題だが、これはもっぱら経済力に並行して平均寿命が延びることが一番大きな原因だ。こんな当たり前のことを想定せず、年金や介護を設計してきた政府は大慌てで年金制度や税制の手直しをするがうまくいかない。結局多くの高齢者の一番の希望が、「なんとか家族や社会に迷惑にならないように死にたい」になってしまう。同じような死者と生者の関係は細胞の世界にもある。今日紹介するオーストラリア、ウォルターエリザホール研究所からの論文は、周りに迷惑をかけない細胞の死に方についての論文で12月18日号のCell誌に掲載された。タイトルは「Apoptotic caspases supperss mtDNA-induced STING-mediated type I IFN production(アポプトーシスに関わるカスパーゼはミトコンドリアDNAによってSTINGを介するインターフェロン産生を抑える)」だ。この論文の責任著者Kileさんの率いるチームは細胞死について色々面白い論文を出してきている。2007年には核が全くない血小板の寿命も、核のある細胞の細胞死を誘導する仕組みと同じメカニズムで決められていることを示し、完全であろうとなかろうと生体内で機能を持つ限り、細胞が寿命を持つことの重要性を示した。この研究は、細胞死の際、細胞内分子を分解する機能の欠損したマウスを用いて、細胞死が個体にとってなぜ必要かを調べる目的で始まっている。驚いたことに、カスパーゼ9と呼ばれる分子がないと、血液幹細胞の増殖が促進されることを発見した。細胞死が抑制された結果、長生きして細胞が増えるように見えているのではないかと考え、この細胞を普通のマウスに投与して調べると、この死に損ないの細胞が存在するだけで今度は周りの正常な幹細胞も増えることがわかった。すなわち、カスパーゼが抑制された死に損ないの細胞は他の細胞に働きかける因子を出すことが示された。次に、この分子がインターフェロンβであることを突き止める。あとは、様々なノックアウトマウスや、細胞学的手法を用いてカスパーゼが抑制された細胞がなぜインターフェロンを分泌するのかについての分子機構を解明している。まとめると、寿命などで細胞死が始まると、ミトコンドリアの分解が始まる。その時、ミトコンドリアに存在するチトクロームによりApaf1分子を介してカスパーゼ9が活性化し、これが次に他の分解酵素を活性型にして細胞内の分子を完全に分解する。分かりやすく言うと、細胞は死んだ後なんとか自らを始末できるように作られている。ところが、この始末がうまくいかないと、今度はミトコンドリアのDNAがSTINGという分子を介して細胞のインターフェロン産生を促してしまう。その結果、周りの細胞に働きかけ増殖を促す。すなわち、死に損なうと周りに迷惑をかけてしまうという結果だ。もちろん、このインターフェロン産生機構はウィルス感染の際に周りの細胞の反応を誘導して感染を抑えるための機構だ。しかし現代社会に生きる我々が見ると、「細胞が自ら完全に始末できないときに周りの細胞まで巻き込んで迷惑をかけている」と悲しい視点で見てしまう。静かに死ぬことこそが生命の最終目的なようだ。
12月22日:エボラ治療の症例報告(12月19日号The Lancet掲載論文)
エボラ出血熱という名前が頭にあるため、進行するとあらゆる粘膜から出血がおこり死に至るという説明をなんとなく納得してしまっていた。実際の患者さんの実態を知らないことによる結果だが、専門家ならともかく、私自身もちろん実際の患者さんに触れることはないし、また症例報告を目にすることもそうない。その意味で、今日紹介するフランクフルト大学医学部からの論文は、集中治療に成功した患者さんの症例報告で、私自身にとっても何十年ぶりかで症例報告を読む機会になった。治療過程の緊迫感が伝わってくる報告で、非謹慎とは知りながらもスリリングな読み物だと感心した。論文のタイトルは「Severe Ebola virus disease with vascular leakage and multiorgan failure: treatment of patient in intensive care(血管漏出と多臓器不全の重症エボラ出血熱の症例:集中治療の報告)」だ。患者さんはウガンダ人の医師で、シエラレオーネでエボラ治療センターの責任者として奮闘していた。発熱と下痢に見舞われ、当然エボラ感染を疑い検査が陽性と出た。医師であることから、感染症にも効果があると言われていた抗不整脈剤アミオダロンと抗生物質セフトリアゾンを自分の判断で服用していたが改善せず、発症後6日目に集中治療のため飛行機でフランクフルト大学病院に運ばれてきた。周知のように2次感染を防ぐために最も厳格なP4レベルの隔離が行われる。治療にあたっても手袋を3重に装着しており、脈すら触診ができない状況での治療だ。このようなP4レベル隔離で、症状に対応して集中治療が可能かがこの研究の重要なテーマだ。しかし重症化したとして運ばれてきたときの血液データは、肝機能障害以外はざっと見たところ以外に正常だ。一方、この患者さんの肺機能は低下の一方で、フランクフルトに来たときは起座過呼吸状態で、マスクから3Lの酸素を吸入している。レントゲンや、気管支挿入、心臓モニターのためのPiCCOカテーテル留置が行われるが、一つ一つ感染拡大予防のための様々な注意が必要で、詳しく書かれており、全て参考になる。これらの検査から、最も深刻な症状が血管漏出による肺水腫と、腎不全と診断し、その治療に集中する。ここで使われたのがFX06と呼ばれるオーストリアの企業が開発したフィブリン製剤で血管からの漏出を止める働きが期待される薬剤で11日目から投与が始まった。一方日本で開発されたRNAウィルスRNAポリメレース阻害剤は、胃腸症状が強く2日間服用できただけだったようだ。腎不全に対しては、透析療法が行われている。血液循環動態が安定したのち1回、ウィルスを吸着する膜を使った血液ろ過が行われているが、臨床評価としてあまり効果がなかったと判断している。他にも一般感染に対する抗生剤を投与しており、副作用を考えながらも考えられるあらゆる手段を講じたと言える。患者さんは13日目から回復に向かい、最終的にエボラに対する抗体が作られることで病気が収束している。結局、集中的な対症療法を行えば最悪期を乗り越えることが可能であるという結果だ。この症例報告がなぜLancetに掲載されたかを考えると、11目からFX06を投与したことで、確かに血管漏出が止まりはじめ、13日目から症状が快方に向かったからだろう。緊急状況で一定の安全性があるならおそらくこの論文を見た医師は使用すると思う。とはいえ、ではこの治療が決定打になったかというと、この報告からだけで結論はできないだろう。この論文にも書かれているように、ライプチヒに送られた患者さんはFX06を投与されたが、残念ながら死亡している。この薬もやはりアフリカで治験をしっかり行うしかないように思う。さらにこの報告を読むと、まずアフリカでこの報告にあるのと同じような集中的治療を実施するのは不可能だろう。したがって、より多くの人に使える治療の開発が急務だ。ただ、治療の対象はウィウルスだけでなく、結果起こってくる多くの症状に対する治療法の開発も、この疾患の場合は重要であることがよくわかった。いずれにせよ、今回の治療で一人の強力な戦士がエボラとの戦いに新たに加わったことは間違いない。
12月21日:磁場で遺伝子発現を調節する(Nature Medicineオンライン版掲載論文)
遺伝子の発現を自分の希望する時間と場所で調節する技術は、体の中で特定の遺伝子がどう作用するか確かめるためには必須の技術で、これまで様々な方法が開発されてきた。私自身が使ったことのある方法は、ホルモンや化合物をマウスに投与して遺伝子発現を活性化させる方法だが、この方法だと投与後どうしてもタイムラグがあり、また刺激もすぐに止まらず一定時間続く。したがって、化学刺激の代わりに時間コントロールのしやすい物理的刺激を使って刺激をシャープにするための試みが続いている。ここでも紹介した光遺伝学はその例だが、光は透過性の点でどうしても限界がある。今日紹介するロックフェラー大学からの論文では、熱や力を感じるセンサーを使ってこれを達成しようとしている。タイトルは「Rmemote regulation of glucose homeostasis in mice using genetically encoded nanoparticles(遺伝的に組み込んだナノ粒子を使って糖のホメオスターシスを遠隔操作する)」で、Nature Medicineオンライン版に掲載されている。詳細は割愛して、開発された技術をまとめると次のようになる。まず遠隔操作にはラジオ波を用いている。ラジオ波は医療の現場で体内を局所的に温めるために使われており、ラジオは照射装置はすでに多く開発されている。金属ナノ粒子を使うとこの熱を最も感度よく感知できるが、今度は金属ナノ粒子を目的の細胞内に送る方法が必要になる。代わりに、もともと金属を結合する分子トランスフェリンがこの目的に使えないか調べるのがこの研究の主目的だ。次にトランスフェリンが捕捉した金属の熱や振動を感知するために、カプサイシン受容体を使っている。カプサイシンは唐辛子の成分で、この激しい辛さに対する反応は、カプサイシン受容体によって担われているが、この受容体はもともとイオンを通すチャンネルで、温度刺激に応じて開閉してカルシウムイオン流入させて刺激を伝える。この研究では様々な分子構造を検討して、カプサイシン受容体に直接トランスフェリンを結合させた時に、鉄粒子に捕捉された熱が具合良くカプサイシン受容体に伝わってイオンチャンネルを開くことができることを突き止めている。チャンネルから流入したカルシウムは細胞内でカルシウムに反応して遺伝子発現を誘導するカルシニュウリン、とNFATによってリレーを行い、最終的にインシュリンが発現するようにしている。まとめると、ラジオ波で刺激すると、カプサイシン受容体に結合したトランスフェリンが捕捉している鉄が反応し、カプサイシン受容体の構造を変化させカルシウム流入が起こる。このカルシウムをカルシニュウリンが感知し、NFATをリン酸化し、インシュリン遺伝子をオンにするという複雑な回路を細胞内に構築することに成功している。この分子群を組み込んだビールスベクターマウスに投与すると、期待通りラジオ波に反応してインシュリンを分泌して、血糖を低下させることができる。最後に、鉄が捕捉されているなら強力な磁場でも刺激できないか試み、磁場でも遺伝子発現を誘導できることを示している。言ってみれば、トランスフェリン分子で引っ張られてチャンネルを開けることができるという面白い結果だ。話はここまでで、まず磁場やラジオ波で遺伝子を任意の場所・時間に誘導できることが示された。ラジオ波や磁場は体の深部に到達できることから、新しい遺伝子発現調節法として発展するかもしれない。一方、臨床応用を考えると、私たちが磁場やラジオ波に囲まれて生きているとすると、簡単ではない気がする。しかしいろんなことを考え実現していく人がいる。生命操作という点から見ると、百花繚乱の面白い時代だと感じている。
12月20日:自閉症メカニズム理解の難しさ(12月25日号Nature誌掲載論文)
これまで何度もこのホームページで取り上げてきたが、自閉症は遺伝的背景と環境が複雑に絡んで発症する。とはいえ、成長初期にその病態は固定することから、成長に従って完成していく脳内神経回路、特に扁桃体を中心とした回路の形成異常だと考えられている。一方で、自閉症発症と関連するとして多くの遺伝子が同定されているが、遺伝子と回路形成異常を結びつけるための研究の進展は遅い。今日紹介するニューヨーク州立大学からの論文は、自閉症のはっきりした原因遺伝子についての研究だが、この分子の機能探求を進めると、結局また焦点がぼけてしまい、症状と遺伝子異常の間の距離を縮めるには至らなかったという話だ。しかし、様々なことを考えさせる素晴らしい研究だと思う。論文のタイトルは「An AUTS2-polycomb complex activates gene expression in the CNS(AUTS2-polycomb結合体は中枢神経の遺伝子発現を活性化する)」で、12月25日号のNatureに掲載された。この研究の基本は、これまで自閉症に関連が深い原因遺伝子として知られているAUTS2(自閉症感受性候補遺伝子2)の作用メカニズム解明だ。AUTS2は自閉症だけでなく、知恵遅れなど多くの神経回路発達障害に関わっており、更にはリンパ性白血病から老化までその多様な機能が示唆されてきた。研究の発端は、AUTS2がポリコームと呼ばれる遺伝子複合体に結合していることの発見だ。ポリコーム遺伝子はDNAに結合しているヒストンを修飾して、遺伝子の発現をグローバルに抑制するエピジェネティック遺伝子調節機能を担っている。研究では、AUTS2と結合する分子を明らかにし、一つ一つの機能を追求した結果、次のようなシナリオにたどり着いた。まずAUTS2はCK2と呼ばれる分子をリクルートして、ポリコーム複合体のRING1Bと呼ばれる分子をリン酸化し、RING1Bの持つヒストン・ユビキチン化活性を抑制、これにより結果として遺伝子の活性化を行っている。さらに、AUTS2はp300と呼ばれる分子と結合してヒストンを活性型に変える。もともとポリコーム遺伝子は遺伝子抑制に関わるが、AUTS2によってこの抑制機能が抑制され、結果として遺伝子の発現が上昇するというのが分子メカニズムだ。すなわち脳回路形成には1000近い遺伝子の発現が上昇することが必要なことを示す。一方、AUTS2の発現が低下したり、あるいは突然変異が起こると、ポリコーム遺伝子の作用を抑えることができず、多くの遺伝子の発現が抑制されたままになり、正常な回路形成が進まないというシナリオだ。実際、マウスモデルでAUTS2をノックアウトすると、神経回路を含む多くの発生以上が起こることを示し、このシナリオが体の中で働いていることを証明している。AUTS2の分子メカニズム解明という点では完璧な研究だ。しかし、自閉症発症メカニズムから考えると、一つの遺伝子が結局1000以上の遺伝子の発現抑制に関わっているという結果で、遺伝子異常を神経回路形成と対応させることは現時点で難しいまま残った。遺伝子がわかっても、疾患の理解が進まないという典型だろう。とはいえ、私にとっては学ぶところの多い論文だった。治療の点から言うと、自閉症もキーポイントがあり、そこは治療標的になりうることを示している。これを手掛かりに研究が進展することを願っている。
12月19日:脂肪中毒(12月24日号Cell Reports掲載論文)
十分食べたあとにまだ食欲があるのは、体が欲しているのか、それとも高次神経回路をベースにした情感のせいなのか面白い問題だ。今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は明らかに「体派」だが、「本当?」と言いたくなるような意表をつく話だ。論文はクリスマスイブに発行予定のCell Reportsに発表されたが、クリスマスに食べすぎるなという警告のプレゼントかもしれない。タイトルは「Microblia dictate the impact of saturated fat consumption on hypothalamic inflamation and neuronal function(飽和脂肪酸を消費すると視床下部に炎症が起こり神経機能が変化するのはミクログリアの作用だ)」。まずミクログリアだが、脳内に存在する貪食細胞で、胎児期に脳で形成され、炎症の起点となってサイトカインを分泌したり死んだ神経細胞を掃除したりしている。さて、これまでも短鎖脂肪酸が腸管から直接吸収され、脳内で食欲中枢に働きかけることは知られていた。この時働いている脳部位が視床下部だ。このグループの所属は糖尿病センターとあるので、おそらく短鎖脂肪酸の脳への影響を組織学的に調べていたのだろう。その過程で、短鎖脂肪酸を多く含む人工飼料をマウスに投与すると視床下部にミクログリアが集積することを発見し、これは大変だと研究を始めたようだ。ミクログリアが集まってくる場所での炎症反応を調べると、確かにTNFαやIL6などが上昇している。しかも、炎症は完全に視床下部に限られ、その結果として神経細胞にストレスがかかっていることも確認した。この効果は短鎖脂肪酸をチューブで投与したあと早期に発症するため、肥満、脂肪細胞による全身炎症、間接的な効果ではなく、短鎖脂肪酸が直接下垂体のミクログリアに作用した結果と考えられる。結果を総合して描いたシナリオは、「短鎖脂肪酸がミクログリアを刺激し炎症を起こす。この炎症で神経細胞にストレスがかかり、食欲中枢の興奮を抑えるレプチンに対する感受性が低下し、さらに脂肪を摂取しようと行動する」になる。ここまでくると、では本当にこの下垂体へのミクログリア集積が食欲などに影響しているのか調べるしかない。ただ、ここからの実験は大変なだけでなく、少し危なっかしい。実際には脳内のミクログリアだけをトキシンで除去し、再生を脳内にも届くマクロファージ増殖因子受容体抑制剤で押さえるといった複雑な系を使っている。しかし、これでは脳全体のミクログリアが除去されるはずだが、血流の関係から下垂体の細胞が先にトキシンで障害されると言い逃れをしている。ともあれ、下垂体のミクログリアが除去できたマウスをなんとか作って調べると、もちろん炎症は起こらない。そして期待通り、ミクログリアがないと短鎖脂肪酸を投与すると逆に食欲が落ちることを示し、シナリオを支持する結果が得られたと結論している。1980年ぐらいから、生活習慣病を炎症として見直す動きが拡がっている。この論文はこの流れの極端にあるのだろう。食欲までが炎症によって影響を受ける。さらに炎症があると普通は食欲が落ちるのに、逆に食欲が上昇する。知られているように短鎖脂肪酸発生に腸内細菌が重要だとするなら、私たちは細菌に操られているのかもしれない。そういえば、反芻動物を見るとわざわざ発酵用の体を発達させて、一日中食べ続けている。少しゾッとしてきた。