カテゴリ:論文ウォッチ
4月13日:人間の抗体を作るマウス(4月8日号アメリカアカデミー紀要掲載論文)
2014年4月13日
レミケード、リツキサン、我が国発のアクテムラと抗体薬の比重はますます高まっている。事実現在200を超える抗体薬が開発途上にあり、我が国の製薬も抗体薬を重点分野として大きな投資を行っている。通常抗体薬は、先ず標的分子を免疫したマウスから、その分子に特異的に結合する抗体だけを大量に作るハイブリドーマと呼ばれる細胞を樹立する事から始まる。標的分子と結合する点ではこのハイブリドーマが作る抗体で十分なのだが、このままではマウスの抗体なので、ヒトに注射すると異物として認識され、抗体活性が抑制されアレルギー反応を起こす。そのため、遺伝子工学を使って抗体の標的と結合する部分以外をほとんど人の抗体と置き換える。この時、どこまでヒトの遺伝子を置き換れば活性が維持できるか試行錯誤が必要だ。この過程をスキップするため、マウスの抗体遺伝子をヒト遺伝子で置き換え、最初からヒトの抗体を作れるマウスを作成しようという試みが世界中で行われた。この競争での我が国企業の存在はかなり大きかったように覚えている。おそらく世界にさきがけて、全ての抗体遺伝子がヒトで置き換わったマウスを作ったはずだ。ただ残念ながら、このマウスは抗体をうまく作る事が出来なかった。抗体反応の主役B細胞の機能が低下していたからだ。これを解決したのが今日紹介する論文で、アメリカのリジェネロンという製薬ベンチャーの研究で、4月8日付けのアメリカアカデミー紀要に掲載された。タイトルは、「Mice with megabase humanization of their immunoglobulin genes generate antibodies as efficiently as normal mice (普通のマウスと同じ効率で抗体を作る事の出来るヒト抗体遺伝子を持つマウス)」だ。この研究が行った工夫は簡単だ。これまでのヒト化マウスは全ての抗体遺伝子をマウスからヒトに置き換えている。一方、今回報告されたマウスは、抗原と結合する可変領域(V領域)遺伝子だけを交換している。抗体はC領域とV領域からで来ており、抗原に結合するのはV領域だ。しかしC領域は抗体の持つ様々な生物活性を担っている。この生物活性の中には、B細胞の分化や生存に関わる機能が含まれている。正常機能を発揮するためには、C領域と細胞内分子との相互作用が必要だが、もしマウス内のC領域がマウスB細胞内のシグナル分子とうまく結合できないとB細胞の分化や生存が阻害される。今回報告されたマウスではC領域遺伝子を残しておく事で、この問題を解決できた。もちろんこのC領域は最後にヒト遺伝子に置き換える必要があるが、これは簡単な事だ。この競争では、誰もが全ての遺伝子をヒトに置き換える技術競争と考えて、それに邁進した。幸いこの競争では我が国がリードした。しかし、ヒトの分子が全てマウスの細胞内で同じように働くと言うのは甘い期待だった。この当たり前の知識を思い起こし、単純な小さな工夫で最後まで粘ったリジェネロンが最終勝利を手にする事になった。もちろん理屈がわかると、我が国で作られたマウスを復活させる方法は私でも思いつく。是非あきらめずチャレンジを続けて欲しい。事実リジェネロンはこのマウスから作った抗体を既に10種類治験へと進めていると言う。抗体薬開発を掲げて柳の下のどじょうを狙うのではなく、独自の技術や材料を開拓する事しか勝利の処方箋はない。
4月12日 より良い抗がん剤を求めて(4月号、Blood誌及びアメリカアカデミー紀要掲載論文)
2014年4月12日
このホームページでも紹介したが、慢性骨髄生白血病はがんの標的薬が大成功をおさめた最初の病気だ。白血病に限らず多くのがんで、細胞の異常増殖を調節する主役の遺伝子異常がある。これをドライバー突然変異と読んでいるが、このドライバーの機能が抑制できると、がんの増殖を止める確率が上がる。ゲノム研究が進んだおかげで多くのがんで働くドライバーが見つかって来たが、残念な事に、重要なドライバーの多くは、その活動を抑制できる薬がまだ発見されていない。最も典型的な例がRASと呼ばれる遺伝子で、直腸がん、肺がん、膵臓がんなど多くのがんのドライバーである事がわかっていても、薬剤の開発には至っていない。もしRAS活性を直接阻害できる薬剤が開発されれば、がんとの戦いは大きく前進する。急性骨髄生白血病(AML)もまだドライバー阻害剤が使えない腫瘍の一つだが、約3割のAMLがFlt3と呼ばれる受容体の突然変異をドライバーとして使っている事がわかっている。この事はずいぶん前から知られていたため、この分子に対する標的薬が開発され、現在第2相の臨床治験が進んでいる。ただこれまでの治験から、現在治験中の薬の問題点が見えて来ている。先ず特異性に問題があり、Flt3以外のキナーゼ分子を抑制してしまい、副作用が出る。また、Flt3遺伝子を活性化させる幾つかの突然変異が知られているが、現在治験中の薬剤は一部にしか効果がないと考えられている。もちろんそれでも大きな前進で、早期に治験が終わり、薬が効くドライバーを持つAMLを選んだ治療が一刻も早く進む事を願う。高齢者のAMLは骨髄移植が困難なだけでなく、薬剤の副作用が出やすいため標的薬の開発は急務だ。もちろん問題があれば、新しい挑戦が始まる。今日紹介する2編の論文は、第一世代の薬剤の治験が進む一方で、より良い薬剤がしっかりと開発されている事を示す論文だ。一編は4月号のBlood誌、もう一編はやはり4月号のアメリカアカデミー紀要に掲載されている。最初はジョンホプキンス大学の研究でタイトルは「TTT-3002 is a novel FLT3 tyrosine kinase inhibitor with activity against FLT3-associated leukemias in vitro and in vivo (TTT-3002は新奇のFLT3チロシンキナーゼ阻害剤で、FLT3と連関する白血病に効果がある)」で、もう一編はカリフォルニア大学からの論文で「Crenolanib is a selective type I pan-Flt3 inhibitor (クレノラニブは特異的1型のFlt3阻害剤で、ほとんどのFLT3突然変異に効果がある)」だ。
これらの研究はまだ実験段階だが、TTT3002とクレノラニブがともに、第二世代のFlt3阻害剤として、これまで開発された薬剤より優れた特徴を持っていると言う結果だ。特異性は極めて高く、安心して高齢者にも使えるのではと期待をいだかせる。更にこれらの研究で調べた全ての異常FLT3及び、正常FLT3にも効果がある事から、FLT3をドライバーとして使う全てのAMLの標的薬になり得る。Flt3自体は全くなくともマウスが生存できる事から、ともかくFLT3なら特異的に阻害する薬はAMLに特異的に聞く可能性が高い。患者さんにとって、がんの治療薬は少しでも高い効果を持ち副作用が低い薬剤が望ましい。第一世代の治験が進む間にも新しい薬が開発されているスピード感には勇気づけられる。日本の製薬も、切り札と呼ばれる薬がどれほど市場に出回ろうと、より良い抗がん剤を求めて果敢にチャレンジして欲しいと願っている。
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4月11日 普遍文法(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載)
2014年4月11日
多くの読者にとって「普遍文法」は聞き慣れない言葉だろう。これはノーム・チョムスキーにより提唱された20世紀後半の言語学をリードした概念で、私たちが頭の中に生まれつき備えている文法構造のことだ。即ち、普遍的文法構造とは、生まれつき脳のネットワークとして存在している「意味を持った形で単語を並べる(統語・文法)能力」と言える。私が読んだ事のある何人かの現代の言語学者はほとんどこの理論の影響を受けている。確かに説得力のある魅力的理論だが、脳科学的に検証するのは簡単ではない。今日紹介する論文はこの難問に地道なチャレンジが進んでいる事を実感させる。イタリア、アメリカ、フランス、チリの国際チームによる論文で、アメリカアカデミー紀要オンライン版に発表されており、タイトルは「Language universals at birth(生下時の普遍言語)」だ。研究は生後2−5日目の赤ちゃんにblif, lbif, bdifなどの音を聞かせ、脳の言語野の反応を流れる血液のヘモグロビンの酸化の程度として測定している。赤ちゃんの頭蓋が薄いおかげで、カメラを用いて血液の色を調べる事が可能で、活動している脳領域ではヘモグロビンが酸化する。聞かせる音だが、ほぼ全ての言語に通用する「sonority sequencing principle (SSP):聞こえ方の配列原理」に従う音節と、従わない音節を使っている。SSPとは音節の中心の音(普通母音)の前は小さい音から始まり、後ろは大きい音を経て終わると言う原理で、blifはこの原理にかなう。一方lbif,bdifは読んでみるとわかるがこの原理に合わない。従って研究で問われたのは、SSPは生後既に存在しているかどうかだ。結果は明瞭で、SSPに合わない音(lbif, bdif)を聞かせると脳の言語野は強く反応し、SSPにあった音(blif)を聞かせると反応は弱いと言う結果だ。即ち、生まれた時には既に聞いた音がSSPに合うかどうかを判断できると言う結果だ。SSPが胎児期の経験により発生したとも疑われるが、胎教説では母国語に特徴的なシラブルの学習が生後1年までかかる事を説明できず、この可能性は低いと考えている。チョムスキーは普遍文法や生成文法理論を脳科学で検証するのをあきらめていた節もあるが、この論文にはどう反応するのだろう。今後は統語理論などの本質的理論にどう迫るのかまだまだチャレンジが必要だ。
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4月10日スポーツで鍛えた骨は長持ちする。(4月8日号アメリカアカデミー紀要掲載論文)
2014年4月10日
先日ニュースで元巨人の桑田投手が投球をしているのを見て、プロを辞めた後も凄い球を投げるなと感心した。そんな感想を裏付ける論文が4月8日付けのアメリカアカデミー紀要に掲載されていたので紹介する。インディアナ大学からの研究でタイトルは「Physical activity when young provides lifelong benefits to cortical bone size and strength in men (若いときの運動は生涯続く皮質骨の大きさと強さをもたらす)」だ。研究はプロ野球の投手の腕の骨をX線などで調べ、大きさ、密度、強さなどを調べている。研究のアイデアは面白い。投手は利き腕を酷使するため、反対側を鍛えていないコントロールの骨として使える。また、野球を辞めると大体現役時代の様な投球を続ける事はないので、運動を辞めた後の影響を見やすい。約100人の引退後様々な年数を経たプロの元投手の上腕骨について調べており結果はわかりやすい。もちろんトレーニングを辞めて時間が立つと、普通の人と同じように皮質骨の量や運動能力は落ちて行く。これは普通考えられているのと同じだ。しかし一定(最盛時の半分程度)のレベルに達すると骨のサイズは運動に関わらず維持されるようになり、また骨の強さも維持されると言う結果だ。これをそのまま解釈すると、若い時に鍛えれば強さはある程度維持できると言う事になる。しかし正直に言うと、論文のレフリーは少し甘いと感じる。プロの選手の鍛え方は尋常ではない。また元々遺伝的に選ばれた人達である可能性も十分ある。私がレフリーなら、アマチュアも含めて対象を拡げろとコメントするだろう。アマチュアの元投手の方も安心するのはまだ早い。
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4月9日:次世代シークエンサーとがんスクリーンング(Nature Medicineオンライン版掲載)
2014年4月9日
検査機器や試薬を提供する会社の方と話していると、我が国のトップはPCRが検査方法の中心であると言う発想から抜けられないようだが、血液に流れるがん細胞由来異常DNAをシークエンサーを使う事で高感度に検出可能である事を示すスタンフォード大学からの論文がNature Medicine オンライン版に掲載された、タイトルは「An ultrasensitive method for quantitating circulating tumor DNA with broad patient coverage(広いタイプの患者さんをカバーできる超高感度血中のがんDNA検出方法)」だ。微量だががん細胞のDNAが血中に流れている事はこれまでも知られている。しかしほとんどの方はこの検出にはPCRが必須と言う考えにとらわれている。この研究では、非小細胞性未分化癌をモデルに、先ず血中に流れる異常DNAを濃縮する方法を開発し、後は全てのDNAを次世代シークエンサーで調べている。全くPCRは使っていない。もちろん濃縮方法の開発にはこれまでのがんゲノム研究の進展が背景になっている。また、シークエンスのコストも更に低下する事が期待できる。結果は、ステージII-IVの全てのがんを血液サンプルで診断する事が可能であり、初期のステージIでも50%の診断がつく。またがん由来の異常DNAが、読まれた全配列の中でどの程度の頻度で出現するかは、がんの大きさと比例する。しかもこれまでのゲノム研究から知られる突然変異の96%までカバーできている。現在がんマーカー検査が普及しているが、ゲノムは究極のがんマーカーだ。おそらくゲノムはこの分野に大きな変革をもたらすだろう。もちろん更に方法を改良する事は必要だ。しかし、将来は特定のがんに絞らず、がんがあるかどうかを診断できる普遍的方法へと発展すると予測できる。
しかしこの様な進展を目にすると、日本のゲノム研究、特にこの様な新しい技術の開発を行える人材の欠如に愕然とする。ゲノム分野のこの欠損は、将来情報処理分野全体の欠損へと拡大するのではと心配する。クリステンセンの「イノベーションジレンマ」と言う本があるが、既存の技術のイノベーションにまじめになればなるほど時代に取り残されると言うのがメッセージだ。我が国の現状を見ると将来悪いモデルとして題材になる予感がする。
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4月8日緑茶と記憶(Psychopharmacology誌オンライン版形成)
2014年4月8日
この論文を読むまで気がつかなかったが、既に緑茶の消費が多いほど痴呆の高齢者の数が少ない事が我が国の研究によって示されている。それ以来、外国でも緑茶と記憶に関する研究が進んでいるようだ。機能的MRIを用いた研究も盛んで、作業記憶と呼ばれる短期記憶に関わる前頭葉側頭部の活動が緑茶で高まる事も報告されている。今日紹介する論文はこの可能性、即ち作業記憶誘発時に緑茶を飲むと、実際に前頭葉と側頭葉の神経結合を高めるかを調べた研究で、緑茶国とは言えないスイスからPsychopharmacologyオンライン版に報告された。タイトルは「Green tea extract enhances parieto-frontal connectivity during working memory processing(緑茶抽出物は作業記憶処理過程での側頭葉—前頭葉の結合性を高める)」だ。12人のボランティアを2群にわけ、片方にはお茶のエキスを入れたミルク、もう片方はエキスの入っていないミルクを、少し前に覚えた字を思い出すと言う作業記憶テストを受ける前に飲ませている。ただお茶の味がしないように、わざわざチューブで胃の中に直接注入している。その上でテストを行いながらMRIで検査すると言うプロトコルだ。結果は予想通りで、お茶には機能的MRIで測定される脳の側頭葉と前頭葉の結合性を促進するはっきりとした効果を検出している。ただ、実際の作業記憶テストの成績は小さな改善しか見られていないため、脳領域の結合性の上昇がそのまま記憶の促進につながるかどうかははっきりしないと言う結果だ。なぜこのような効果が見られるのかについてはお茶に含まれるカテキンやポリフェノールが直接アスパラギン酸受容体に働くのではと推測している。他にもカテキンが活性酸素を下げ慢性的な効果がある事も科学的な研究で確かめられているようだ。最近茶カテキンが脂肪を燃やすなどと言った宣伝を耳にするが、そこに短期記憶を促進すると宣伝文句を足しても問題はないと思う。ただこの研究では13gから25gの抽出物が使われているが、1gが大体5gの茶葉に対応するそうだ。とすると100g近くの大量の葉を消費する必要があり、記憶にいいと宣伝するのはやはり簡単ではでなさそうだ。
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4月7日:万能薬でも無理な事もある。( 4月2日号 The Lancet掲載論文)
2014年4月7日
おそらく、妊娠、出産、育児の期間は正確な医療情報が最も必要とされるときだろう。巷には多くの情報が溢れており、現在ではソーシャルネットを通した口コミも大きな効果を持っているはずだが、正確でないと混乱の元になる。医療情報について言うと、信頼できるかどうかは統計学を基礎にした科学的検証を受けているかどうかだ。しかし多くの情報が科学的検証を受ける事なく流布している。従って、私たちも病気の方だけでなく、親になる方々にも、科学的検証を受けた情報を出来るだけ集めて提供したいと考えている。今日紹介するのは1−2度流産を経験された方(習慣性の方は除外している)の妊娠、出産に低用量アスピリンが有効かを確かめるための無作為2重盲検法(統計学的には一番厳密な調査法)を用いたアメリカ国立衛生研究所からの論文だ。タイトルは「Preconception low-dose aspirin and pregnancy outcomes:results from the EAGeR randomized trial(妊娠前からの低用量アスピリン服用の妊娠に対する効果:EAGeR無作為化治験)だ。これまで紹介して来たように低用量アスピリンはがんや卒中の予防など多くの疾患を防ぐ効果が科学的に確かめられた万能薬だ。実験的な研究では子宮内膜の増殖を助ける事もわかっており、これまで習慣性流産の患者さんの流産防止に有効であると言う報告もある。今回の研究はより一般的な状況で、1−2回流産を経験して心配し始められた方々が対象だ。約1200人の妊娠を希望されているが20週以内に流産を経験された方々を集め、半分に低用量アスピリンと葉酸、もう半分に偽薬と葉酸を妊娠前から投与して、両群の妊娠、出産を比べている。結論だが、投与群の方が妊娠反応などの診断率が上がると言う結果はあるが、出産数及び、正常・異常児の出産率ともに統計的な差はなかった。逆に、低用量アスピリン服用を続けても生理のサイクルに影響はなく、また胎児の異常を誘導する事もない事は重要だ。現在では若い人達も万能薬としての低用量アスピリン服用を続けている可能性があるが、妊娠したからと言って中止する事もないようだ。しかしどんな事でもしっかり科学的に検証しているのには頭が下がるし、またThe Lancetの様な超一流紙がそれを取り上げる事で、世の中に正確な情報を提供する。悪貨が良貨を駆逐する事がない様、私たちも是非努力を続けたい。
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4月6日:脳の統合データベース(Natureオンライン版掲載)
2014年4月6日
今日紹介する話は一般の人には理解してもらいにくいと思ったが、危機感を持ったので取り上げる事にした。
脳機能、特にヒトの脳機能の解明は21世紀の中心課題だ。その結果各国もこぞって脳研究に巨額の助成金を提供している。私はこの分野は素人だが、1年間論文を読んで来て、ことヒトの脳研究となるとアメリカの力を思い知らされる事が多い。今日紹介する2編の論文からもこの底力を窺い知れる。ともにNatureオンライン版に掲載されたばかりで、両方ともワシントンのアレン脳研究所の研究だ。一つは脳内の神経ネットワークのデータベースを作るための研究で「A mesoscale connectome of the mouse brain(マウス脳の中規模の神経連結マップ)」、もう一方は「Transcriptional landscape of the prenatal human brain(出生前ヒト胎児脳の転写全像)」だ。最初の仕事では、脳の各領域間を結合している神経軸索を可視化する方法と、深い組織を詳しく調べる事の出来る2光子顕微鏡を使って、マウス脳細胞間の連結を調べたと言う研究だ。技術はどの研究所でも使っているが、アレン研究所はこの研究を手始めにいくつかの完全な配線図を完成させるための技術や情報処理を進めると言うはっきりとした長期的視野がある。まだまだ入り口だが、立体的配線図が既に示され、将来何が可能になるかについても示してくれている。もう一つの研究は、胎児期の脳の各領域での遺伝子発現をいつでも調べる事が出来るデータベースを作成する目標を立て、マイクロアレイによる各部位の網羅的遺伝子発現解析、in situ hybridizationによる個別の遺伝子解析、組織染色、MRIを統合して、自分が調べたい領域に発現している遺伝子を調べることが出来るようにしている。これもまだスタート段階にあるデータベースだが、脳発生過程でこれまで議論されて来た幾つかの問題について新しいソフトウエアを用いた解析を行い、現段階のデータベースでも様々な疑問に答えられる事を示している。特に自閉症や複雑な精神疾患に関する新しい発見があった時、この様なデータベースがあることが極めて重要になる。自閉症分野などではすぐにこのデータベースから新しい研究が生まれる様な気がした。専門的になるので論文の紹介はこの程度にするが、この論文を読んでいてアメリカの脳研究、そしてアレン研究所恐るべしという思いを強くいだいた。ガリレオの時代から実際の実験が難しい時、数理科学の存在が必要になる。ただ、ゲノムや脳ネットワークでは法則に基づいた数理は使えない。そのため、先ず長期的視野で計画された統合的なデータベースが必要になる。この論文で私はアレン研究所の存在を初めて知ったが、この様なデータベース作成を重点的に行っている研究である事を実感した。データベースは巨額のお金が必要だ。従って誰もが対話できる構造を持ったフレンドリーなデータベースを完成させるため科学者が一致して支える必要があり、足の引っ張り合いをやっているようではまともなデータベースは出来ない。我が国でも統合データベースプロジェクトと言うのがあったと記憶しているが、ここまで統合的なプロジェクトは進んでいるのだろうか?ゲノムもそうだが、これからこの分野には数理を研究する人が必要だ。しかし、肝心のデータが揃ってないと、この様な数理の人材が育つはずはない。一度我が国のデータベースの問題点について調べてみたいと思った。
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4月5日:自分の終末の「事前指示書」の効果(4月2日号The Journal of American Geriatrics Society誌掲載)
2014年4月5日
高齢で病院にかかると、日本の病院でも事前指示書の提出を求められるようになって来た。病気が進んで意思表明が困難になった時を想定して、延命のためだけの治療を拒否する意志を前もって表明するためだ。我が国で事前指示書が使われるようになったのはつい最近の事だが、アメリカでは1980年頃から市民活動が始まり、1990年にPatient Self-Determination Actが制定され、2009年にはオバマ大統領も自分が事前指示書を書いている事を宣言し、多くの人に指示書の準備を呼びかけた。この背景には、延命治療は通常高額で医療費を圧迫すると言う国民的認識がある。この様な運動のおかげでアメリカでは急速に事前指示書が普及しだし、その効果を検証しながら事前指示の内容を改訂している。この様な調査の一つが今日紹介するミシガン大学からの論文で4月2日号のThe Journal of American Geriatrics Society誌に掲載された。タイトルは「Advance directive completion by elderly Americans: a decade of change(高齢アメリカ人の事前指示書準備:10年間の変化)」だ。調査では2000年から2010年に死亡した約6000名について、死亡時の状況、事前指示書の準備の有無などを親族等の代理人から聞き取り調査を行っている。政府の梃入れもあって、2000年に事前指示書を用意していた人は47%だったが、2010年には72%に上昇している。確かにアメリカでは事前指示書が急速に普及が進んでいる。そのうち57%がDPAHCと呼ばれる法的永久委任状で、残りがLiving Willと呼ばれる一種の遺言の様な形で書かれている。いずれにせよ、正式な書類を残す事が普通になっている事はよくわかる。ただ指示書によって医療費のかかる入院が減ると期待されたが、実際には指示書に関わらずほとんどの人は死ぬ2年前に一度は入院しており、病院で死ぬ率も指示書の有無とほとんど相関はなかったと言う結果だ。この結果に基づいて、例えば病院で死にたいのかホスピスがいいのかなどより詳細な事前指示書を用意するとともに、事前の希望をより具体的な計画として示す工夫がないと、入院率を下げる事にはならないと結論している。我が国でも事前指示書を普及させるだけでなく、是非この様な調査を行い、誰もが安心できる指示書のために改訂を重ねる事が必要だと思う。
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4月4日:あらゆるがんに普遍的に効く薬剤の開発は可能か?(Nature オンライン版論文)
2014年4月4日
個別のがんの遺伝子を調べ、増殖に関わる分子を標的にする薬剤の出現はがん治療を大きく変えた。今も多くの研究が分子標的の発見、それに対する薬剤の開発に注がれている。しかしがんと正常細胞を分けるがん特異的性質があってそれを標的にできれば、あらゆるがんに使える薬が開発できる。この目的で研究していた2つのグループ、一つはスウェーデンカロリンスカ大学、もう一つはオーストリア科学アカデミー研究所からMTH1と呼ばれる酸化プリンヌクレチドを分解する酵素が標的としてがん治療に利用できる可能性が発表された。論文のタイトルはそれぞれ、「MTH1 inhibition eradicates cancer by preventing sanitation of the dNTP pool (MTH1阻害はdNTP貯蔵をクリーンに保つプロセスを阻害してがんを消滅させる)」と「Stereospecific targeting of MTH1 by (s)-crizotinib as an anticancer strategy(s−クリゾティニブは立体構造特異的にMTH1を抑制してがん治療に利用できる)」で、同時にNatureオンライン版に発表された。詳細は省くが前者はMTH1を最初から標的にした分子の開発、後者はメカニズムのわからないSCH51344と名付けられた化合物の標的探しからMTH1にたどり着き、この阻害剤としてs−クリゾティニブを同定したと言う仕事だ。MTH1の機能を簡単に言うと、酸化された核酸を元に戻す役割をしていると言える。急速に増殖しているがん細胞は酸化ストレスにさらされており、核酸プールが酸化される。酸化された核酸を遺伝子に取り込むと、遺伝子が切れて細胞は死ぬ。これを防ぐ一つのメカニズムとしてがんではMTH1分子の発現を上昇させて、酸化した核酸を正常に戻している。今回発表された2編の論文は、MTH1誘導現象ががん特異的で、この分子を標的にする薬剤で直腸がんなど幾つかのがんを消滅させる事が出来ると言う結果を報告している。論文からだけではなぜMTH1ががん特異的に上昇するのかなどはまだ不明な点も多い。しかし後者の論文では、多くのがんの原因遺伝子であるRAS分子と関わりがある可能性を考えているようだ。いずれにせよ、マウスを使ったモデル実験では大変有望株に思える。副作用だが、MTH1遺伝子が欠損したマウスは正常に生まれて来て成長する。即ち正常細胞の生存にはこの分子は必要ないと言う事になる。とすると薬剤としては更に有望だ。水をさすとすると、長期に使った時、脳細胞の変性を誘導しないか心配だ。事実九州大学の中別府さん達はこの分子が脳障害を防ぐのに役立つ事を示す論文を発表している。しかし、がんを消失させる方が優先される事もあるだろう。他の抗がん剤と比べると全身の副作用は少ないと期待できる。もちろん短期治療に使う場合はもっと安心できるだろう。是非開発を加速して欲しい薬剤だ。
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