2019年8月24日
子供の発達に伴う行動の変化については詳細な記録の蓄積があると思います。またこの蓄積は、育児書などを通して、一般の方も子育ての参考にされていることでしょう。しかし、この過程を、脳の機能発達の過程とつなげるのは、簡単なことではありません。でも発達障害を理解し、治療法を開発するためには避けて通れない重要な課題です。幸い乳児期から脳の機能を調べる様々な方法が開発され、この分野にも少しずつ日が差してきたのが現状ではないでしょうか。
人間を脳の発達の結果として捉えた科学者の中ではフロイトが最も有名だと思います。もちろん、脳機能を調べる方法は皆無と言っていい時代でした。それでも、彼は間違いなく脳の発達の結果として、人間を捉えていたように思います。多くの著書があり、日本語にも訳されていますが、一般の方が読まれる機会はほとんどないと思います。しかし、行動の背景に必ず脳に刻まれた様々な過程があることを、精神の病気を例に説明する迫力には圧倒されます。
最近になってフロイトの文章を読み返していたとき、脳科学の発達した今、彼の文章をそのまま理解するよりは、新しい脳科学の考え方で彼の文章を読むほうが、はるかに納得できることに気付きました。。そんなわけで、フロイトを脳科学的に捉え直してみることを一度大胆にも試みたことがあります。顧問先の生命誌研究館のウェッブサイトに2回に分けて書いています。一般の方は間違いなく難しいと感じられると思いますが、もし興味があれば是非読んでほしいと思い、私の解釈を簡単に紹介したいと思います(フロイトの意識と自己 第1回 、第2回 )。
このブログではフロイトの「自我とエス(中山元訳ちくま学芸文庫)」から引用した一文
「個人の発展の最初期の原始的な口唇段階においては、対象備給と同一化は互いに区別されていなかったに相違ない。のちの段階で性愛的な傾向を欲求として感じるエスから、対象備給が生まれるようになったと想定される。最初はまだ弱々しかった自我は、対象備給についての知識を獲得し、これに黙従するか、抑圧プロセスによってこれから防衛しようとする。・・・・少年の成長について簡略化して記述すると、次のようになる。ごく早い時期に、母に対する対象備給が発展する。これは最初は母の乳房に関わるものであり、委託型対象選択の原型となる。一方で少年は同一化によって父に向かう。この二つの関係はしばらくは並存しているが、母への性的な欲望が強まり、父がこの欲望の障害であることが知覚されると、エディプス・コンプレックスが生まれる。」
を中心に解説しました。
(おそらく、このフロイトの文章を読まれただけで頭が大混乱かもしれません。普段使わない言葉が多すぎるのです。例えばここで備給と訳されているのは、ある対象で心が占拠されることを意味します。ドイツ語ではBesetzungですが、わざわざ普通使わない単語を使うのが我が国の翻訳の重大な問題だと思います。もう一つ一般的哲学書の例を挙げると、understandingを悟性などと訳してしまうことで、古典を読む意欲を削いでしまっていると思います)。
さて、この文章を私なりにまとめてしまうと次のようになります。
「赤ちゃんは最初唇を通してしか外界を感知できないため、最初の自己はこの感触との関係で形成されます。このため、当然母の乳房が世界の全てとして脳内に刻まれるはずです。ただ、脳内のイメージは発達とともに変化していきます。唇から描かれた世界に、手や足、匂い、音を通して新しい世界が開かれ、これによって脳内の外界についてのイメージが変化していきます。そして最後に、遅く発達してくる視覚を通して世界が見えてくるわけです。このような、新しい外界のイメージをそれ以前に形成した自己と統合し、自我を形成する過程の最初が、唇を通した母のイメージで、身体の直接的触れ合いを通して形成されることから、身体的、性的な対象として描かれるのでしょう。そこに、視覚のような高次の感覚からだけ形成される父親のイメージが入ってくるのです(お母さんに依存して生きている子供を急に、匂いも雰囲気も違うお父さんが抱き上げたことを想像してください)。当然、母親を争い合う競争相手としてイメージされるはずです」
少しわかりやすくしすぎましたが、このような脳の発達過程は必ず機能的にも検証できると思っています。
乳児が唇を通して世界を感じていることは、唇に触れたものを追いかける口唇反射を見ると納得できます。これをフロイトは口唇期と呼んでいます。この唇からの感覚に対する脳内の反応について脳波を用いる機能的検査で確かめたワシントン大学からの論文がDevelopmental Scienceに先行出版されたので、最後に紹介します(Meltzoff
et al, Neural representations of the body in 60-day-old human infants(60日齢の子供の脳に形成された身体の表象)Developmental Science
in press,https://doi.org/10.1111/desc.12698 )。
研究は極めて単純で、60日目の乳児の脳波をとりながら、左手、左足、そして上唇をタッチセンサーを兼ねた棒で触り、その時の脳の反応を比較的簡単な脳波計で調べているだけです。結果も簡単で、乳児ではそれぞれの場所を触られた時、だいたい0.2秒ほどで脳の反応が見られますが、反応の強さは唇の刺激が他の刺激と比べて圧倒的に強く、電位差にして2倍以上の反応が記録できるという結果です。さらに、反応する脳の範囲について見ると、唇への反応は脳の大きな領域で見られますが、手足に対する反応は小さな領域にとどまっています。
フロイトを読むより、口唇期の行動と脳がよく理解できる論文だと思います。私たち大人でこのような体の感覚の脳地図を作ると、感覚の発達した手や、顔が大きな領域を占める小人が描けますが、大人になっても唇があれほど大きな場所を占め、さらに食欲や性欲といった、重要な機能を今も担っているのは、この感覚から私たちの自己が生まれるからではないでしょうか。
体の感覚が、このような単純なイメージからどう複雑になっていくのか、この発達の経過を脳機能と結びつけて理解することが、必ず発達障害に対する科学的治療開発につながることを確信します。
2019年8月24日
てんかんの発作に対して様々な抗けいれん薬が開発されてはいるが、治療に反応しない「難治性てんかん」と呼ばれる症例が数多く存在する。これまでは手術的にてんかんが起こる場所を取り除く以外方法がなかった難治性てんかん治療に、最近になって新しい治療法が開発され期待されている。一つは、大麻やその成分の使用で、子供にも使えるよう大麻成分を用いた治験が進んでいる。もう一つの方法が、糖質制限を中心にしたいわゆるケトン食による治療で、様々なタイプのてんかんに効くことがわかってきた。
ただ大麻成分を用いる治療と比較した時、ケトン食によるてんかん治療は効果のメカニズムが明らかでなく、また多くの家庭にとっては導入が難しいため、普及が遅れていた。今日紹介するUCLAからの論文はケトン食により腸内細菌の構成が変化することが、ケトン食で神経興奮性を抑制されるメカニズムではないかと着想し、それを確かめた研究だ(Olson et al, The gut microbiota mediates the anti-seizure effects of
ketogenic diet(腸内細菌叢がケトン食の抗けいれん作用を媒介する)Cell 173:https://doi.org/10.1016/j.cell.2018.04.027)。自閉症の中にはてんかんを併発する場合もあるので、紹介することにした。
食を通した治療の効果や副作用はまず腸内細菌叢を疑うのが今の常識になっている。この研究ではまず、ケトン食が効果を示すてんかんモデル系を作成した上で、効果が見られたマウスの腸内細菌叢を調べ、アッカーマンシア(AK)とパラバクテロイデス(PB)と呼ばれる2種類の細菌の割合が著明に上昇していることを発見する。
あとはこれらの細菌が発作の抑制に関わるか因果性を確かめる必要がある。まず細菌叢がケトン食の効果に関わることを調べるため、無菌マウスや抗生物質で腸内細菌を除去したマウスにケトン食を食べさせる実験を行い、ケトン食の効果には細菌叢が必要であることを確認する。
そしていよいよ細菌を移植する実験を行い、最終的にAKとPB両方の細菌を移植すれば、普通食でも神経が興奮しにくくなり、発作の回数を減らせることを発見する。すなわち、ケトン食はこれらの細菌の選択的な増殖を促すことで、発作を起こりにくくしていることになる。
では、なぜこの2種類のバクテリアが多いと、神経の興奮性が抑えられるのか?
細菌が移植された動物の腸内や血清中の代謝物を調べ、ガンマグルタミン酸化されたアミノ酸の低下が最も激しいことを発見する。また、この全身性の変化に対応して、海馬の神経伝達因子のうちGABAの方がグルタミン酸より割合が高まることを突き止めている。この結果は、腸内でのアミノ酸のガンマグルタミン酸化を止めてガンマグルタミン化されたアミノ酸の量が減ることで、抑制性の神経活動が上がり、発作を防げる可能性を示している。
そこで普通食のマウスにガンマグルタミン酸化を阻害する分子を投与すると、発作を減らせることも証明している。マウスの話とはいえ難治性てんかんを抑える新しい切り口が間違いなく示されたようで、個人的には期待している。例えば、AK+Pbを腸内に移植する治療法、さらには腸内細菌にのみ効果があるガンマグルタミン酸化阻害剤など、比較的導入しやすい治療法に思える。
同時にケトン食サプリとして使われるアミノ酸を直接取り込むと、腸内でガンマグルタミン酸化がおこり、逆に興奮性が高まることも示し、ケトン食ならなんでもいいというわけにはいかないことも示している。これまでのケトン食の再検討も含め、新しい治療法が本当に期待ができるのか、是非研究を加速してほしい。
2019年8月24日
先月皮膚の感覚神経が、痛みや温度を感じるだけでなく、刺激されるとCGRPαを分泌して炎症を誘導するという論文を紹介した(http://aasj.jp/date/2019/07/27) 先月皮膚の感覚神経が、痛みや温度を感じるだけでなく、刺激されるとCGRPαを分泌して炎症を誘導するという論文を紹介した。光遺伝学によりこれまで照明が難しかったことが明らかになる例の一つだ。ただ、この時感覚神経は、裸で皮内に端末を投射していると考えていた。
ところが一月も経たないうちに皮膚感覚にかかわる神経にシュワン細胞がぴったりと接着して走り、特に触覚のセンサーとして働いていることを示す論文がスウェーデンのカロリンスカ研究所から8月16日号のScienceに発表された。タイトル「Specialized cutaneous Schwann cells initiate pain sensation (特殊な皮膚シュワン細胞が痛みの感覚の起点になる)」だ。
おそらくこの研究は皮膚のグリア細胞の分布を調べるために始めたと思うが、グリア細胞特異的に蛍光タンパク質が発現するようにしたマウスを調べると、なんと真皮と上皮の間にシュワン細胞が存在して、そこから神経を囲むようにして真皮に伸びていることを発見する。ミエリン鞘こそ形成しないが、まさに感覚神経とセットになっている。
もちろんグリア細胞は神経に栄養を与えたり様々なサポートを提供する細胞だが、この研究ではひょっとしたら感覚にも関わっているのではないかと、チャンネルロドプシンをシュワン細胞特異的に発現させ、光を当てた時の行動や神経の興奮を調べると、シュワン細胞の興奮が感覚として神経に伝わることを発見する。
さらに、光をあてると神経興奮を抑制する逆方向のチャンネルを導入して、どの刺激に対する感覚が抑制されるか実験を行い、熱や寒さには関係ないが、抑えた時のメカノセンサーに関わることを確認する。
最後に直接興奮を記録する方法で、機械刺激に対するシュワン細胞の反応特性を調べると、押す、引くなどポジティブ、ネガティブな刺激に極めて迅速に反応するが、すぐにアダプテーションして持続刺激には反応しなくなることを示している。
皮膚の感覚は極めて繊細で、その異常は持続すると不快感につながるが、このような精密な分業体制があるとすると、今後の薬剤開発も神経だけではなく、シュワン細胞も含めて考える必要があるだろう。高齢者としてすぐ考えるのは、老化した皮膚ではどうかという問題で、ぜひ人間で詳しい研究を進めてほしいと思う。
2019年8月23日
ニーマンピック病はスフィンゴミエリナーゼと呼ばれる酵素が欠損する病気で、最も重いものでは早くから進行性の脳障害をきたす病気だ。酵素活性がある程度残っている患者さんでは、脳は正常だが、スフィンゴミエリンの蓄積によるライソゾーム機能異常により、肝臓脾臓腫大、呼吸機能低下が起こる。最近、この酵素を注射すると体の様々な臓器に取り込まれて、リソゾーム機能が回復することが示され、脳障害のない子供を治療する治験が進んでいる。しかし、酵素は脳に到達できないので、脳症状は遺伝子治療が最も近道と考えられてきた。
実際、モデル動物を用いて脳に直接アデノ随伴ウイルスベクターに組み込んだ遺伝子を注射する研究が行われてきたが、ウイルスベクターが万遍なく脳に広がらないため、局所的にスフィンゴミエリナーゼの発現が高くなりすぎ、その結果スフィンゴミエリンの分解物が強い炎症を引き起こすという問題が立ちはだかっていた。
これに対し、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の研究グループは、この問題をアデノウイルスに組み込んだスフィンゴミエリナーゼ遺伝子を小脳延髄槽に注入することで解決できることを示し、この病気の遺伝子治療を一歩進めることに成功した。(Samaranch et al, Adeno-associated viral vector serotype 9–based gene therapy for Niemann-Pick disease type A Science Translational Medicine 11, eaat3738).
この研究のミソは、向神経性の強いアデノ随伴ウイルスベクター(AAV9)を用いたことと、図に示したように小脳と延髄の間にある脳室にウイルスを注射した点にある。
詳細は全て省くが、私が理解した限り、マウスでは小脳だけでなく、海馬から皮質に至るまで神経細胞とグリア細胞の両方にスフィンゴミエリナーゼを発現させることに成功し、運動機能、記憶機能の回復とともに、通常30週ぐらいで始まる死亡を完全に抑制することに成功している。
もちろん同じプロトコルが人間で有効かどうかはやってみないとわからないが、脳症状については根本的治療方法がない現状で、一刻も早く実際の治験に進んで欲しいと思う。マウスでの前臨床データから見る限り、臨床治験に進むのを躊躇する理由は見当たらない。そして、ぜひ現実的な価格で治療を受けられるようにして欲しいと思う。
2019年8月23日
私たちの体内で発現している多くの遺伝子が日内変動しており、これによって体の様々な調子が調整されていることが知られており、研究も進んでいる。したがって、様々な組織の遺伝子発現についての研究も、対象となる遺伝子が概日リズムを刻んでいるかどうか、その場合は時間を決めて調べる必要がある。
このような事情で、概日リズムの研究は全て生きている時に行う必要があると思っていた。ところが今日紹介するピッツバーグ大学からの論文は、亡くなった統合失調症の患者さんの脳を用いて遺伝子発現の概日リズムを調べた研究でNature Communicationsに掲載された。タイトルは「Diurnal
rhythms in gene expression in the prefrontal cortex in schizophrenia (統合失調症患者さんの前頭前皮質遺伝子発現の概日リズム)」だ。
この研究では病理解剖時に前頭前皮質を採取し、通常通りmRNAの配列を調べただけの研究だが、これに患者さんの死亡時間を調べて、組織が採取された時間を変数として加える一手間かけることで、多くの患者さんをプロットすると自然に遺伝子発現の概日リズムがわかると着想した。
概日リズムがこの方法でわかるか調べるために、おなじ実験をまず精神疾患以外の解剖例で行い、死亡時間を加えて遺伝子発現をプロットすると、期待通りこれまで知られていたのと同じ概日リズムを刻む遺伝子のリスト、そのリズムを抽出することができる。
この基礎データの上に、次に統合失調症の患者さんの解剖例で同じ実験を行うと、コントロールのサンプルで見られた概日リズムがほとんど消え、逆にコントロールでは概日リズムが見られなかった遺伝子が概日リズムを刻むことを発見した。実際にはコントロールで概日リズムを刻んでいた遺伝子のうち424種類の概日リズムが消失し、逆に560の遺伝子が概日リズムをスタートさせている。
面白いことに、新しくリズムを刻む遺伝子の多くはミトコンドリアに関係する遺伝子で、逆にリズムが失われる遺伝子の多くは免疫機能に関係する遺伝子だった。
最後に、これまで統合失調症に特異的としてリストされていた遺伝子を調べると、実際には新しく概日リズムが始まった結果リストされた遺伝子が多いことを明らかにしている。
結果は以上で、人間の解剖サンプルによる遺伝子発現を調べる時に、常に死亡時間を頭に入れて考えることの重要性を示した面白い研究だと思う。しかし、本当にこの方法で正確な遺伝子発現の概日リズムが測定できるのか、また統合失調症でこれほど大きな変化が起こっているのかについては、追試が必要だと思う。
またなぜこんなことが起こるのかも面白い。概日リズムが消える遺伝子の多くが免疫関係だということは、逆に統合失調症ではこれを上回る免疫反応が起こっているのかもしれない。薬の影響も知る必要がある。いずれにせよ、重要な指摘が行われたと思っている。
2019年8月22日
シモンズ財団
自閉症スペクトラム(ASD)に関する論文を読んでいて、研究の多くがSimons Foundation (写真は会長のMarilyn Simmons)の助成を受けていることに気づきました。この財団のことは全く知りませんでしたが、Webで調べると、数学者で天才ディーラーと呼ばれたJames Simonsとその妻Marilynにより1994年に設立された財団で、Simons氏の専門だった数学やコンピューターサイエンスを中心に基礎科学を支援している財団のようです。2015年の支出が4.3億ドルという規模は、東大の全収入約2000億円と比べて、かなり大きな財団であることがわかります。
中でもASD研究はこの財団が焦点を当てている分野の3本の柱の一つになっています。おかげで、財団のホームページの論文のリストを見るだけで、ASDの基礎研究の現状がよく分かるようになっており大変重宝です。この財団が助成する活動の中で最も注目したいのが、SPARKと名付けられた新しい発想のコホート研究です。これについては2月号のNeuronに現状報告が掲載されているので、今日はそれを紹介します(SPARK: A US cohort of 50,000 families to accelerate autism research
(SPARK: 自閉症研究を加速するための50000家族のコホート研究), Neuron 97:488, 2018)。
このレポートはSPARKプロジェクトのコンソーシアムから発表されており、SPARKの目的や現状、そして解決すべき困難などが率直に述べられています。読み通してみるとよく練られた計画で、このような計画が民間財団のサポートで実現するところが米国の活力だと感銘を受けました。
コホート研究の困難
コホート研究とは、特定の集団を長期にわたって追跡する研究で、例えば肥満の児童は将来心臓発作を起こしやすいかなどを調べるとき、児童の時期に対象を選び、成人になるまで心臓発作の発症を追いかけるような研究です。私が読んだ最も長いコホート研究は、スコットランドで始められた2ヶ国語環境で育つと認知症になりにくいかという研究で、スタートしたのが1936年、調査が行われたのが2010年という80年近い追跡研究でした。
ただこのようなコホート研究は、対象に呼びかけ、登録してもらい、さらにコホート期間中に様々なデータを提供してもらう事が大変で、膨大な労力とコストがかかります。我が国では、研究のほとんどが公的な資金で行われるため、本当に長期の研究を支え続けるのが難しくなっています。
SPARKの概要
SPARK研究は、コホート研究の困難に、様々な新しい方法を用いて挑戦しようとする斬新な取り組みだと思います。何よりも、私的な財団支援することで、例えば政策変更で研究が中断する心配がありません。この安定した助成を基盤として目指しているのが、遺伝と症状の詳細な相関関係を明らかにする事です。
ASDは多様な脳の状態(neurodiversity)として捉えられるようになっています。というのも、400-1000もの遺伝子が関連する複雑な状態で、一つとして同じ状態はないのです。ただ、こう割り切ってしまうと話が終わってしまいます。Neurodiversityを認めた上で重要なのが、本人と家族の詳しいゲノム検査に、症状や生活についてのできるだけ詳しい情報を関連づける作業です。極めて多様な状態がありますから、このような関連づけが可能になるためには最低5万家族以上のデータが必要になります。しかし言うは易く行うは難しで、コホート研究について少しでも知識があると、とてつもないプロジェクトだと尻込みしてしまいます。
SPARKも困難を理解した上で、21世紀に進む個人と個人が直接つながる(ピア・ツー・ピア)ネットワークを利用して、患者さん、主治医、研究者をつなぐことでより少ない労力でこれを実現する様々な工夫を凝らしています。
まず感心するのが、最適な構築を最初から決めることは不可能で、様々な試行錯誤を繰り返しながら発展させるしかないと割り切っている点です。多くのコホート研究では、科学性を盾に最初から計画しすぎて、計画倒れに終わることが多いように思いますが、SPARKではともかくASDの子供、家族および主治医をSPARKとネットで双方的につないでデータを蓄積するとともに、SPARKをハブとして、外部のすべての研究者とネットで結合する構造の構築を進めているようです。
次に感心するのが、このネットワークを構築するため、当然のようにゲノム検査の結果を参加者に戻すことを決めていることです。児童に関わるゲノムデータを本人や家族に戻すことは、我が国でも議論になっていると思いますが、詳しい理由は述べませんが、私はこれなしに双方向性のネット構築はないと思っています。
また、ゲノムデータの戻し方もよく計画されています。最初に調べた結果を一回きりで戻すのではなく、メンバーのデータを毎年最新の研究に基づいて解析し直し、そこで何か見つかった場合に関係する家族に連絡するという方法を採用しています。家族とSPARKが長年にわたって対話するという意味では素晴らしい方法だと思います。すでに500家族のパイロットゲノム研究が行われ、5%の家族に結果を知らせることができたようで、計画の検証も着々と行っているようです。
もちろん遺伝子解析だけではこのプロジェクトは完成しません。最も重要なのが遺伝子の違いに関連する行動などの変化を可能な限り集める事です。考えるだけで大変だと思いますが、ネットを利用して、様々な可能性が試されると期待します。事実、問診票の結果や、行動解析などSPARK拠点で集めた個人データは、ほかの人のデータおよびゲノムと関連づけた後、家族に返す仕組みになっています。これもネットワークの活動性を維持するために重要なことだと思います。
とはいえ、行動をデータ化するのは簡単なことではありません。SPARKは最初から高望みはしないという戦略で、データは時間をかけて集めればいいと割り切っているようです。例えばいくつかの決まった質問票で簡単に得られるデータを核にして、そこに主治医からのデータや、米国では患者さんと研究者をつなごうと進んでいるSync for Science のような外部のデータシェアサイトからもデータを集められるオープンな構造にしているようです。Sync for
Scienceについてはこのレポートを読むまで、全く知りませんでしたが、我が国のこの分野の政策に関わる人にどのぐらい周知されているのでしょうか。研究者や医師と患者さんや家族の関係を根本的に見直すチャレンジですから、後追いでも、マネでもいいので、我が国でも進めてもらいたいものです。
できるだけ少ない労力でこうして立ち上げたネットワークを維持する様々な工夫も紹介されています。このために最も重要なことが、参加者に常にコミットしているという気持ちを持ってもらうことだというのは、納得です。そのため例えば、ASDについて学ぶことのできるスマートフォンプログラム、あるいは最近の注目すべき研究成果、そして何よりもSPARKから生まれた成果をスマートフォンやPCで知らせることを重視しています。
まだスタートしたばかりだと思いますが検証の目的で様々な研究を進めているようです。たとえば、ASDと診断された子供を妊娠していた時の環境暴露についてアンケート調査がすでに行われています。実際2000人近い対象に回答をお願いしたところ、なんと60%ものお母さんが妊娠時に暴露された様々な物質に対する回答を寄せており、現在のところメンバーとSPARKの対話が維持できていることを伺わせます。
現在約2万家族の登録が集まっているようですが、参加者がコミットメントする気持ちを維持するためのノウハウの蓄積も貴重です。例えば、登録の意思はあっても、必要項目を完全に書き入れ、またインフォームドコンセントを終えるのは面倒なものです。どうしても時間がかかっていたこの作業を、ユーモアたっぷりにお願いするSNSのメッセージを流す事で登録が72%まで上昇したこと、あるいは遺伝子検査のサンプル提出を抽選でiPadを提供するというプログラムで、3割から6割にアップさせたことなどが紹介されています。今後新しく計画するウェブを用いたコホート研究には本当に貴重な情報になると思います。
感想
さすが民間助成ならではの、長期的視野を持ちながら柔軟な、未来型のコホート研究だと感銘を受けました。何事も官に頼ってしまう我が国では、願うべくもない取り組みですが、ASD研究に国境はありません。SPARKから生まれる様々な成果が、我が国のASD診療にも生かされることは間違いないと思います。個人的にはシモンズ財団ウォッチを続けて、面白い話があればまた紹介したいと思っています。
2019年8月22日
「目は口ほどに物を言う」と言われているように、瞳孔は私たちに様々な事を教えてくれます。医師が死亡診断を下す時、必ず瞳孔反射を調べるのがその例ですが、実際には私たちが見ているものに興味を持っているかどうか、どのように物を認識しているのかどうかなど、様々な事を知る科学的手段として使われています。例えば、言葉でのコミュニケーションが取れない赤ちゃんの場合、興味を示しているかどうかは瞳孔の大きさで判断します。
とすると、当然外界への関心が低下するASDでも瞳孔の反応に何らかの変化が起こると考えられます。実際そのような研究がこれまでも行われ、ASDの児童や成人では瞳孔反射が遅くなっていることが報告されています。
今日紹介する論文を発表したウプサラ大学のグループも同じようにASDリスクと瞳孔反射の関係に興味を持ち、乳児期という早い段階にASDのリスクを予測する手段として使えないか調べていたようです。そして、2015年に発表した論文で、家族歴からASDのリスクが高いと推定される10ヶ月齢の乳児では、児童や大人とは逆に、光に対する瞳孔反射が早いことを報告しています(Nystrom et al, Molecular Autism, 6:10, 2015 )。
しかしこの論文で調べられた乳児は、あくまでもASDリスクが高いと想定されるだけで、本当にASDが発症するかどうかは追跡しないとわかりません。そこで最初の研究で調べた乳児をASDと診断できる3歳児まで追跡したのが今日紹介したい論文です(Nystrom et
al, Enhanced pupillary light reflex in infancy is associated with autism
diagnosis in toddlerhood (乳児期の瞳孔反射の亢進は幼児期の自閉症診断と相関する)Nature
Communications 9:1678, 2018, DOI: 10.1038/s41467-018-03985-4)。
乳児が自然に行動している間に瞳孔反射を調べるのは簡単ではありません。この研究ではトビー社の視線追跡装置を用いて、自然状態で反射を繰り返し測定するのに成功しています。
最初の論文では、先に生まれた兄弟がASDと診断されている場合をハイリスク群、全くASDの家族歴がない群を通常群としてデータを比べ、ハイリスク群で瞳孔反射が高まっていることを報告していますが、この研究では147人のハイリスク群の中から3歳時でASDを発症した29人(20%)、ハイリスク群でもASDが発症しなかった118人、そして通常リスクで発症もなかった3群に分けています。
まず10ヶ月時の瞳孔反射をこの3群でプロットし直し、瞳孔反射とASD発症の相関を調べています。結果はシンプルで、ASDを発症した乳児は、ASDを発症しなかったハイリスク群の乳児と比べても瞳孔反射速度が高まっており、通常児と比べるとその差はさらにはっきりし、平均で20%ぐらい反射速度が上がっています。また瞳孔反射の数値は、2種類のASD診断指標を用いた重症度と正の相関を示します。そして、ASDの子供だけ発達に伴い瞳孔反射が大きく変化します。
もちろん他の臨床検査と同じで、実際には通常児とASDの間での検査値のオーバーラップは大きく、傾向は見られても、これだけで診断するとなると、かなりな異常値を示す乳児に限られるように思います。しかし、「瞳孔反射が高めで、次の年に変化が大きい場合は要注意」といった具合に一つの指標として使っていくことは可能だと思います。おそらく、個人差の原因を取り除いた検査の開発ができると、もっと正確な診断が可能になるかもしれません。
いずれにせよこの研究は、1)ASDという複雑な状態が、様々な神経活動の変化が総合された結果であること、2)ASDでは瞳孔反射のような感覚系の変化が強く見られること、3)このような変化は生まれた時には用意されており、発達を通して特徴的な状態が形成されること、を教えてくれます。
今後乳児期のこのような単純な反応がASD発症に関わるという発見を、現在進むMRIなどの脳構造研究と相関させることができると、ASDのメカニズム理解や診断に大きく貢献する予感がします。今後に期待したい研究です。
2019年8月22日
現役を退いてすでに5年を超えたが、分野を問わず論文を読んでいて実感するのが、自閉症スペクトラム(ASD)についての研究の進展だ。私が門外漢であるためより興味を惹かれることもあるが、最新のテクノロジーが集められて研究が進んでいる領域であることは間違いない。ただ、実際の治療に携わる医師や心理士、教育者は、なかなか最新の研究をフォローするだけの余裕がないと思う。そんな人たちにわかりやすく最近の研究を紹介したのが今日紹介する総説だ。もちろん、一般の研究者にとっても、あるいはASDの子供を持つ家族の方にとっても、神経科学から浮き上がってくるASDの輪郭を掴むには良い総説だと思い紹介することにした(Muhle et al, The emerging clinical neuroscience of autism spectrum disorder (新しく現れてきた自閉症スペクトラムの臨床神経科学) JAMA Psychiatry 75:514, 2018)。
ASDは症状も、原因も極めて多様な病気で、その数も米国では1-2%と驚くべき数に達している。重要なのは多様性にもかかわらずASDとしてまとめられる症状を共有していることだ。しかしこのことは、ASDと診断して満足してしまうと、多様性を見失い治療の可能性を失う事すらありうることを意味する。この総説では冒頭に16p11.2欠失症候群とASDの併発している症例を例にあげ、生物学的原因を丹念に調べれば、この遺伝的変化に認可されているリスペリドンやアリピプラゾールによる治療も可能であることを強調し、ASDの生物学についての知識を持つことの重要性を説いている。その上で、1)遺伝要因、2)環境要因、3)脳イメージング、4)疾患モデル、の各項目にわけ、最近の研究状況をまとめている。
1) 遺伝要因
一卵性双生児で発症の一致率が50-80%、兄弟では25%という数字は、ASDが多様であっても特定の遺伝子の組み合わせを反映した状態であることを示している。このため、遺伝的変異をゲノム全体について特定できる新しいゲノムテクノロジー(マイクロアレー、エクソーム解析、全ゲノム解析)に大きな期待が集まり、多くの研究が行われた。
この結果、数多くの神経機能に直接関わる分子や、その分子の発現に関わる分子の変異(点突然変異、欠失、重複)などがASDと相関していることがわかった。しかし、欠失など大きな遺伝子変異が200種類、一塩基レベルの小さな変異に至っては何百もの変異がASDと相関することがわかり、最初の期待は戸惑いに変わってしまった。すなわち、多くの遺伝病のように単純な分子レベルの因果性を構想することができない点だ。
このことは、ASDを遺伝性が高いが、分子メカニズムが多様である状態として理解する必要性を示唆している。すなわち、症状は同じでも、各人の遺伝的条件に応じて、その症状を考え、治療を計画する必要がある。とすると、ASDのゲノム検査の重要性は明らかで、てんかんや知能の低下がある場合はいうに及ばす、ASDの疑いがある場合はほぼ全員にゲノム検査が行われることが必要になる。
2) 環境要因
一卵性双生児の場合ですら必ずしも発症が一致しないことは、生前・生後の環境要因も無視できないことを示している。このすきまに、「はしかワクチンが自閉症を誘発する」というWakefieldの世紀の大捏造が生まれたわけだが、例えば早産でASDのリスクが高まることは統計学的に証明されており、このことは脳発生に影響を及ぼすあらゆる外的要因がASDの誘因になることを意味している。事実、科学的な疫学調査で、早産、低酸素、虚血、母親の肥満、糖尿など内的要因がASDリスクを高める ことが証明されている。
食品や環境に存在する化学物質のような外的要因のリストも膨大になっている。ただ神経細胞の発達に影響を持つことの明らかな薬剤を除くと、内因性の要因と比べて因果性の特定が難しく、細胞や動物レベルの研究で因果性を調べることが必要になる。
3) 脳のイメージング
MRIをはじめ様々な機器を使う脳イメージングのテクノロジーは急速に発展し、これまで測定が難しかった幼児でも検査が可能になっている。この結果、脳内の変化の多くが生まれる前の発達期に起こっていることがわかってきた。このおかげで、場合によっては6ヶ月という速さで診断する可能性も生まれている。
イメージング技術を使って明らかになった最も重要な発見は、ASDの子供は生後6ヶ月から12ヶ月にかけて脳皮質が拡大することで、シナプスの剪定の低下などが議論されているが、解釈のためには研究が必要だ。同じように、2-4歳までの発達期でも、扁桃体をはじめ社会性に関わる様々な脳領域が大きくなる一方、各領域の間の結合性は逆に低下する場合が多い。これとは逆に、皮質下の神経結合は高まっているという報告があり、総合すると脳の局所的な回路が高まる一方、広い領域を統合する回路の結合性が低下するのがASDの特徴ではないかと考えられている。
しかし、これらの検査でASDを他の病気から区別して診断できるかというと、脳の構造の多様性は大きく、イメージングだけで診断するのはまだ難しいことも現実だ。
4) 疾患モデル
コンピュータで病気を再構成するインシリコのバーチャルモデルから試験管内の細胞を用いるモデルまで、様々なASDモデルが開発されてきた。特に遺伝的要因によるASDモデル動物は、脆弱性X、Rett症候群、MECP2重複症など多くが作成され、研究に用いられている。最近では、MECP2欠損のサルのモデルも開発され、より人間に近い動物での研究に期待が集まっている。
もちろんASDを多様な症状の集まりとして考える場合、それぞれの症状に対応する動物モデルはマウスであっても十分役に立つ。特に、薬剤や遺伝子治療の可能性を試すときには動物モデルは必須で、「動物の脳は人の脳とは異なる」と片付けず、地道にモデルを開発する努力が必要だと思う。
もう一つ重要な領域は、情報科学分野を用いた疾患モデル研究で、遺伝子データと、症状や、イメージング、さらにはiPS由来の神経細胞反応性などを統合した人工知能を開発すべく、研究が加速している。
以上がこの総説の内容だが、最終的メッセージは、Kannerが自閉症を定義した時代には考えられなかった、ASDの生物学が急速に進んでいることに尽きる。そして、ゲノム診断や、イメージング解析など、新しい展開に即応した検査を行うことが、将来の治療法開発につながる。
この総説に書かれていることは、自閉症についての個々の論文として、これまでなんども紹介してきたが、この総説は本当によくまとまっているので、この分野に関わる方にぜひ読んでほしい。
2019年8月22日
今日のタイトルを見て、「自閉症と考古学?」と驚かれる読者も多いと思います。私も、Penny Spikinsさんの本や論文を読むまで、考古学と自閉症が関係するなんて考えたこともありませんでした。
Penny Spikinsさんは現在ヨーク大学考古学の講師で、石器時代の遺物から人間の優しさや道徳性といった「美しい心の存在」を読み解くという、大変ユニークな研究にチャレンジしています。私自身は、最初彼女が2015年に出版した「How compassion made us human(どのように思いやりの心が私たちを人間にしたのか?)」という著書を読んで以来、彼女の考えに魅せられました。
最近彼女は、現代の自閉症スペクトラム(ASD)の人たちを、石器時代の遺物を通して考える研究を精力的に行なっています。2016年にTime and Mindに掲載された論文では 、自閉症をneurodiversity(神経の多様性)と捉える現代の主流となった考え方をさらに進めて、自閉症傾向こそ人類の進化に欠かせない重要な性質として積極的に捉えるべきだという主張を展開しています。
これについて紹介した私のブログを引用しておきましょう。
「なぜ社会性に問題があるとされる自閉症が、今も淘汰されず1-2%という高い頻度で存在しているのか?」という問いに対して、「共同的道徳性の誕生が人類進化の必要条件だが、これには多様な人材を擁することが重要になる。自閉症的傾向を持つ人材は、一つのタイプとして社会に必要とされ、また尊敬されたとしても、進化で淘汰されることはなかった」という答えが結論になっている。
Spikinsさんの新しい論文
そのSpikinsさんが年一回発行されるオープンアクセスの雑誌Open Archeologyに、またまた意欲的な論文を発表したので、自閉症の科学7として紹介することにしました(Spikins et
al, How Do We Explain Autistic Traits in European Upper Palaeolithic Art(ヨーロッパの旧石器時代の美術に見られる自閉症的特徴をどう説明すればいいのか)Open Archaeology 4: 262-279,
2018 )。
ほとんど同じ内容が、彼女が最近ウェッブに発表した新しいオンラインブック「Prehistory of Autism(自閉症の先史学)」 にさらに詳しく述べられているので、併せて紹介しておきます
研究の概要
多くの自閉症児は社会性が低下しているためどうしても言葉の発達が遅れることが多いのですが、知能は正常な場合が大半です。なかには、以前アスペルガー症候群と診断されていた、様々な分野で高い能力を発揮する人たちもいます。例えば、一度見た景色をはっきりと記憶し、絵として正確に描くことができる人がいます(有名なStephen Wiltshireの絵が紹介されているサイトをご覧ください )。この高い視覚認知能力を持つ子供については多くの研究が行われてきましたが、Drake& WinnerのScientific Americanに発表した論文で紹介されているASDの子供たちの絵を見ると、たしかにこの子供たちは世界を違う目で見る能力を持っているのがよくわかります(Mind Scientific American Special edition, Spring 2017)。
特殊な例の話と思われるかもしれません。しかし、Block designやFigure Disembeddingと呼ばれる(説明は省きます)視覚テストで調べると、明らかに自閉症児のほうが一般児より優れていることを示す報告があります(J.Autism Dev. Disord 44:3245, 2014)。間違いなく、ASDの人たちは、一般人には出来ない世界の見方をしているようです。
さてSpikinsさんの新しい論文では、ASDの人たちが示す特殊な視覚認知能力の背景には、local processing bias (部分的情報処理バイアス:LPB)とよばれる、全体にとらわれることなく細部を表現する能力があると分析しています。この能力は決してASDに限られるわけではないのですが、ASDを多くの遺伝子が関わる一つの状態と捉えると、ASDの人たちにLPBを支える遺伝子プールがより多く集まっていると言っていいでしょう。
ASDの人の絵には一般人にはない高い空間認識能力に基づくリアリズムが現れていることを確認した上で、Spikinsさんは次にフランス・ショーべ洞窟で発見された世界最古の壁画や(冒頭の写真に示した)、ドイツ・シュターデル洞窟で発見されたライオンマン のフィギャーのように、現代から見てもリアリズムの粋と言える作品は、誰が作成したのかと問います。
彼女にとって、答えは明白です。壁画やフィギャーに現れるリアリズム、すなわちlocal processing biasの強い作品は決して旧石器時代の人類一般の特徴ではなく、特殊な能力を支える遺伝子プールを持っていた一部の人に限られいたと考えています。そして、この能力を支える遺伝子プールが、ASDの人たちにより強く受け継がれ、ASDの人たちが示す優れた表現能力に結実しているというわけです。
現代のASDと3万年以上前の石器時代のアートを比べるというとてつもない発想ですが、言われてみると高い説得力があります。そしてこの結果は、人類進化の早い時期から脳に生まれたneurodiversity(多様性)を大事に育む思いやりこそが、人類成功のカギだったことを示しています。
ASDがもつ能力を理解しつつも、社会への適応性の欠如を理由に、アスペルガーやナチスは子供たちを排除しました。それに対しSpikinsさんは、ASDの持つ可能性をもっと発掘し、石器時代の人類が行ったように、ASDの能力を活かせる社会を作ることこそ、21世紀の目指すべき社会だと主張しています。これからも頑張ってほしい研究者だと期待しています。
2019年8月22日
おそらく人類誕生以来、人間は戦争を繰り返してきた。確かに、未開民族の研究では、多くの戦争は相手を殲滅させる全面戦争というより、できるだけ生命の犠牲が少ない形で白黒をつける儀式と考えられているが、数千年前、帝国が誕生し国家間の戦争が始まると、全面戦争が普通になっていったことは、多くの資料が物語っている。
この生存を重視する自制に基づく限定戦争から、全面戦争への転換がいつ起こったのか、それぞれの文化や民族が持つ国家観によるところが大きいが、マヤ文化では9−10世紀の古典時代の終期以前には、集団の間で争っても、全面戦争を防ぐ合意が存在していたと考えられてきた。
ところが最近米国地質学研究所のグループは、マヤ文明でも7世紀にはすでに相手を殲滅する目的の全面戦争が行われていたことを碑文と発掘資料から明らかにしNature Human Behaviourに発表した (Wahl et al, Palaeoenvironmental, epigraphic and archaeological evidence of total warfare among the Classic Maya , Nature Human Behaviour :https://doi.org/10.1038/s41562-019-0671-x )。
全て詳細は省くが、この研究では碑文に書かれた「(西暦に換算して)696年5月21日にがWitznaがPuluuy(燃え尽きた)」という表現が、どの程度の破壊であったのかを、Witzna近くの湖の炭素沈殿物から推察している。
結果は碑文と一致して、400年から650年まで何回か大きな火事が起こったこと、650年に最大の火事が起こって、その後人間の活動がこの地域からほとんど消滅したことを発見している。
この結果は、Puluuyという単語が、単純な火事を指すのではなく、全面戦争という意味を持っており、650年の戦争で、その地域は人間が生活できないところまで完全に破壊されたことを物語っている。
これまでマヤ古代文明では、わが国と同じでその地域の支配者やその一族が犠牲になることで、戦争は終わると考えられてきたが、そうではなかったという結論だ。
これと比較すると、わが国で多くの争いを終わらせた切腹という儀式がいかに人道的なものであったのかよく理解できるが、ひょっとしたらこの背景には、天皇という、独立した国家観が君臨していたおかげかも知れない。