麻酔に使うより少し低い量のケタミンを投与すると、うつ病症状を1週間程度抑えることができ、生理学的研究が進んでいる。このブログでも、2回にわたって紹介しているが、重要なのはケタミンが神経軸索のスパインの数や構造の変化を伴う可塑性に関わっている点だ(https://aasj.jp/news/watch/3687)。
今日紹介するカナダ・マクギル大学からの論文はこの可塑性の変化がなんとmTORCを介する翻訳機構の変化を介して起こっていることを示した研究で、12月16日Natureにオンライン出版された。タイトルは「Antidepressant actions of ketamine engage cell-specific translation via eIF4E (ケタミンの抗うつ作用はeIF4Eを介する細胞特異的翻訳に関わる)」だ。
もちろんケタミン自体はNMDA受容体の阻害剤として麻酔効果を及ぼすことは知られているが、抗うつ作用はケタミン由来の代謝物hydroxynorketamin(HK)が低い親和性でNMDA受容体に結合する結果だと考えられる様になっている。さらに、このHKの抗うつ作用がmTORCの阻害剤であるラパマイシンにより阻害することも明らかになり、さらに下流シグナルを探索する研究が進んできた。
この研究では様々なmTORCの作用のうち、もともとシナプス可塑性に関わることが知られていた4E―BPリン酸化制御によるmRNA翻訳開始機構がケタミンの抗うつ作用の標的分子ではないかと構想し、3種類ある4E-BPファミリー分子のうち脳で発現しているBP1とBP2をそれぞれノックアウトしたマウスで、ケタミンの作用を調べている。
結果は予想通りで、マウスの動きが落ちる状況で(これをうつ状態としている)ケタミンを注射すると、動きが回復するが、BP1、BP2いずれをノックアウトしたマウスでもこの回復が見られなくなる。一方、セロトニン阻害剤注射に対しては、正常もノックアウトマウスも全く同じ程度に反応する。
これはケタミンの代わりにHKで刺激した時も同じで、ケタミンの抗うつ効果は、これまで考えられてきた様に、ケタミンの代謝物がNMDA受容体を弱く刺激した結果、mTORCを介してmRNA翻訳を変化させ、この結果シナプスの可塑性が変化する結果であることを示唆している。
この研究では興奮神経細胞、及び抑制性介在神経細胞それぞれでBPをノックアウトする実験も行い、HKの効果には両方の細胞が必要で、これらのシグナルは興奮、抑制両方の神経の代謝変化を誘導することで、長期のシナプス可塑性を高め、うつ状態に抵抗力を与えることが明らかになった。
以上わりと単純な研究だが、病態、生理学、生化学を結合させる重要な研究で、今後これまでとは異なる新しい抗うつ薬を開発するために役立つのではと期待する。もう一つの新しい抗うつ治療、脳の電磁場刺激などと組み合わせて考えるとさらに面白い可能性が生まれるかもしれない。