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12月25日 アデノ随伴ウイルスベクターはゲノムに挿入される:リスクとベネフィットの自己判断に必要な医学知識(11月16日 Nature Biotechnology オンライン掲載論文)

2020年12月25日
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ガリレオ以降、個人の思いつきでも、捏造を排して、他人とコンセンサスを得るための方法論を確立した科学は、結局最も信頼できる知識の源として社会を支えてきた。といっても、科学自体はフッサールの言う「生活世界」からは独立した世界だが、技術を通して生まれた様々な製品を通して、生活世界とつながっている。ただ、技術化される前の知識が生活世界と共有されることは少なかった。わかりやすく言えばスマートフォンは科学的知識なしに生まれないが、科学的知識がなくてもそれを所有し、恩恵に預かれる。

しかし、医学知識になると状況が少し異なる。あらゆる医学的技術にはリスクとベネフィットがあり、どちらを選ぶかは、本当は個人の決断にかかっている。ただ知識の質量があまりにかけ離れているため、「私ならこちらがいい」と専門家がオーソライズした意見を参考にせざるを得ない。多くのメディアに専門家が現れて、自分の判断を述べているのはこの現れだ。

しかし今回の新型コロナ感染で分かるように、専門の「意見」は、科学的手続きで決着しない限り一つになり得ない。そんな時、一般の人は何を根拠に決断すればいいのか。この時誰でも参考にでき共有できる「医学的知識とは何か?」。この問題になんらかの答えを出したいと思う心が、現在梅田北再開発に伴う街づくり計画の一つ「参加型ヘルスケア」に私たちAASJが全面的に協力した理由だ。

少し前書きが長くなったが、生活世界と共有できる「医学的知識」の必要性を示す一つの研究が11月16日Nature Biotechnologyにペンシルバニア大学からオンライン出版された。タイトルは「A long-term study of AAV gene therapy in dogs with hemophilia A identifies clonal expansions of transduced liver cells  (血友病に対してアデノ随伴ウイルスベクター遺伝子治療を受けた犬の長期経過研究により肝臓細胞の増殖性変化が起こる可能性が明らかになった)」だ。

要するに私の不勉強に過ぎないが、アデノ随伴ウイルスで導入した遺伝子は、ゲノムに組み込まれることはほとんどないと思っていた。ただ、細胞の中で外来DNAがエピゾームの形で長期間存在すれば、組換えが起こると言われても不思議とは思わない。この研究では、血友病の犬の肝臓にアデノ随伴ウイルス(AAV8,AAV9)に組み込んだ第8因子遺伝子を導入し、最長で10年経過を観察した研究で、導入したアデノ随伴ウイルスは長期間間細胞内で働き続け、その結果肝細胞のゲノムにも組み込まれ、組み込まれたウイルスの作用で増殖力が高い肝細胞が発生すると言うものだ。

重要だと思われる結果を要約すると以下のようになる。

  • 遺伝子治療は門脈ルートで一度だけ行っただけなのに、第8因子の血中濃度は正常の1−10%のレベルに保たれ、また血中の第8因子レベルから期待される以上に、血友病による出血などの症状は強く抑えられる。すなわち、組換えタンパク質を投与する治療より、コストも効果も、ベネフィットは大きい。
  • なんと、9匹中2匹では、4年を過ぎたあと、血中第8因子が上昇している。これは予想外の効果で、ヒトでも同じことが起これば、遺伝子治療の勝利と言ってもいいだろう。しかし、この原因を考えると手放しでは喜べない。すなわち、導入された細胞の一部が選択的に増加していることを示している。様々な方法で検討すると、挿入されたアデノウイルスの効果により細胞の増殖力が高まった可能性が大きい。
  • アデノウイルス配列をプライマーとして増幅した断片に含まれるホストゲノム配列から、ゲノムに挿入された可能性を探索すると、調べた全ての肝臓で、ランダムに13ー764カ所の独立した挿入を特定できる。
  • ほとんどの挿入サイトは拡大することはないが、一部は繰り返し検出されることから、挿入された細胞クローンが選択的に増殖している可能性がある。
  • 細胞のクローン性増殖が見られる場合、アデノ随伴ウイルスの一部が細胞増殖に関わる遺伝子に挿入され、その発現が上昇している
  • 10年にわたって肝障害や肝がんの兆候は全くなく、また最後に遺伝子の挿入を調べる目的で安楽死させた犬の肝臓にも異常所見は認められなかった。

効果の持続期間が問題にされているアデノ随伴ウイルスベクターが、低いレベルではあっても10年近く導入遺伝子を作り続けているのは、私の先入観を覆し、この方法の大きなベネフィットとなる。しかし、ゲノムへの挿入がないと思っていたウイルスゲノムの一部が、高い確率で各細胞のゲノムに挿入され、場合によっては細胞の増殖能力を高めることは明らかにリスクといえる。ただ、10年にわたって臨床的には問題なく、治療効果も見られたことは、ゲノムへの挿入があり、細胞の生理に一定の影響があるとは言え、リスクの確率はかなり低いと結論できる。

アデノ随伴ウイルスを用いる治療のベネフィットとリスクは上のようにまとめられるが、この情報は、専門家以外の患者さんが遺伝子治療を受けるための決断には本当に十分だろうか?さらにアデノ随伴ウイルスベクターでゲノム挿入が起こるとすると、チンパンジーアデノウイルスを用いるワクチンでも、同じリスクはある。実際に投与するウイルス量は1万分の1なので、リスクの確率はさらに低くなるが、この論文から考えると決して0にはならない。とすると、今度は患者さんだけでなく、ワクチン接種に際してもリスクとベネフィットを天秤にかける決断が必要になる。

この決断に、専門家がオーソライズされた答えを出すことはできない。このような状況で必要とされる「共有される医学知識」とはなにか、結局患者さんや一般の方と考えていく必要があり、それがうめきた2期街づくり『参加型ヘルスケア』で行っていきたいと考えている。

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