1日途切れてしまったが、集中掲載最終回となる第5弾は、自閉症の科学でこれまで何度も紹介してきたゲノム研究を、総合的にまとめてくれたとさえ言える、カリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文を紹介する。タイトルは「A phenotypic spectrum of autism is attributable to the combined effects of rare variants, polygenic risk and sex(自閉症の形質のスペクトラムはレアバリアント、多遺伝子リスク、そして性差に帰せられる)」で、6月2日 Nature Genetics にオンライン掲載された。
これまで「自閉症の科学」でもっとも多く扱ってきた分野は、おそらくゲノム研究分野ではないかと思う。というのも自閉症スペクトラム(ASD)を構成するゲノムの多様性を目の当たりにすると、ASDを単純に正常/異常と分けるのではなく、人間の脳の膨大な多様性のなかの一群としてとらえるべきだという、neurodiversity (神経多様性)の考えをはっきりと実感できるからだ。
このコーナーを読んできていただいた皆さんの頭の中には、レアバリアント、コモンバリアントという言葉が、少なくとも単語としては刻み込まれているのではないだろうか。ここでもう一度簡単に解説しておこう。
私たちのゲノムは30億塩基対からできており、どの場所で変異が起こってもいいが、集団で見ると無秩序に配列変異がおこるわけではない。私たちが生きるためには、約2万個の遺伝子の機能を支えるための決まった配列が存在し、またそれ以外の部分でも、変異が入ると生命に関わる箇所は無数に存在しているため、集団の中でそんな変異が見つかることはほとんどない。このような生命機能に関わる変異をレアバリアントと呼んでいる。
一般的に遺伝子病と呼ばれている変異はほとんどがレアバリアントのことだ。そして、レアバリアントの中には、極めて低い頻度とはいえ集団の中で、ほそぼそと遺伝的に受け継がれている変異と、生殖細胞の発生から個体の発生初期に新しく発生した変異(デノボ変異と呼ばれる)に分かれる。ASDの場合、このようなレアバリアントは脳の発生過程に影響することで、ASD発症に大きな影響力があると考えられている。
一方、生命機能に強い影響はないが、変異により一定の形質変化が起こり、例えば病気のリスクになるような変異がある。レアバリアントと比べると、命に関わる程度が少ないので、集団の中に一定の頻度で遺伝的にい受け継がれ、コモンバリアントと呼ばれている。このようなコモンバリアントは、必ずしも病気のリスクに連結するのではなく、例えば顔貌の違いや、身長、そして性格や身体能力などの差につながっている。この意味で、コモンバリアントは、個人の特異性の源といっていい。
ASDのゲノム研究が始まった当初は、検出の容易なコモンバリアントの探索が行われ、予想を超える数のASDと連関するコモンバリアントが発見された。もちろんどの病気でも、その発症に関わるコモンバリアントは複数個存在する。例えば、コロナウイルス感染重症化についての報告を見ると、20近いコモンバリアントが特定されている。しかし、ASDと相関するコモンバリアントは、200近く存在することが明らかにり、数の上で別格であることがわかった。すなわち、コモンバリアントからASDを眺めると、ASDは極めて多様な、しかし小さな変化の組み合わせからなる、まさに neurodiversity の状態であることがわかる。
その後、解析されたASDの数が万の単位になり、さらにエクソームや全ゲノム配列解析が集まってくると、先に述べたレアバリアントも発見されはじめ、これまで紹介したように、現在ではASDと相関するレアバリアントがリストできている。また、期待通りコモンバリアントと比べると、レアバリアントとASDとの相関は強いことも明らかになってきた。
この研究は、これまで集まった3万人規模のASDとの相関が確認されたレアバリアント、コモンバリアントを集め、レアバリアントもデノボの変異と、それ以外に分けて分類し、それぞれのASD発症への寄与度を計算した研究だ。その意味で、これまでのゲノム研究の一つの集大成と考えられる論文だと言える。
結果は、これまでの研究から想定されていた結論と同じだ。
まず、個々のバリアントについてその寄与度を調べると、どのタイプでもデノボ変異の寄与度は大きい。そしてレアバリアントの中には集団の中で維持出来ているものもあるが、ASDで遺伝性のレアバリアントが関与する程度は低い。すなわちほとんどのレアバリアントが集団内で選択除去されているからだと言える。このことは、ASDの多くでは、遺伝と言うより、個人に特有の新しい変異が寄与していることを示している。例を挙げると、レット症候群やFOPなども、ほとんどがデノボの変異だが、これと同じと考えてもらっていい。
ただ、レット症候群と大きく異なるのは、一つのレアバリアントだけで発症しない点だ。個々のコモンバリアントの寄与度は低いが、集まってくることでASD発症に重要な役割を演じている。トータルで見ると、レアバリアントとコモンバリアントは同じ程度にASDに関与している。すなわち、ASDはコモンバリアントとレアバリアントが組み合わさっていることがわかる。すなわち、一つのコップに2種類の水を注いでいっぱいになった状態と同じだ。このため、レアバリアントの寄与が大きい場合、必要なコモンバリアントの寄与度は減る。
これを裏付けるもっと面白い例が男女差で見られる。女性では必要なレアバリアントも、コモンバリアントの組みあわせも、男性より遙かに多い。すなわち女性を、ASD発症まで満たすために多くの変異が必要なコップに例えることが出来る(変異を多い少ないと表現しているが、単純な数ではなく個々の変異の寄与度の和と考えて欲しい)。
このようにそれぞれの変異を分類しておくと、個々の症状に対するそれぞれの寄与度も計算できる。例えばASDに見られる運動の連携障害はデノボの変異と強く関わっているが、コモンバリアントの寄与はほとんどない。一方、社会性を測るSocial Communication Questionaireテストでは、コモンバリアントの寄与の方がデノボの変異より大きい。
さらに、コモンバリアントと異なり、デノボの変異の寄与度は、出産時の両親の年齢と強く相関していることも、これまで示されてきたとおりで、生殖細胞の形成過程の変異が、ASD発症に大きく関わることが確認された。
残念ながら、これまでの多くの研究をひとまとめにしたと言うだけで、新しい発見があったわけではない。しかし、前回紹介した構造の変異も含めて、ASDをコモンな違いと、レアな違いに分けて考えていく必要性がうまくまとめられており、大変参考になる論文だった。
これまで紹介した論文も含めて、この論文を再度まとめると、
- 自閉症は、性差も含めて様々な遺伝子の多型や変異が集まって形成される。
- この点からASDの遺伝性を説明することは出来るが、それでもASD特異的変化を強く誘導する変異は、個体が生まれる過程で発生したデノボの変異によるところが大きい。
- 男女差と変異の関係から、変異が集まって発症するまでの過程で、それぞれ個人の器のキャパシティーが大きく影響していることがわかる。このことから、このキャパシティーを変化させる方法を開発することが、今後の重要な課題になる。
- 症状に関しても、コモンバリアントの寄与が大きいものと、レアバリアントの寄与が大きいものに分かれるので、この点を考慮した対策も今後の課題になる。
以上、5回にわたって、様々な論文を紹介したが、参考になれば幸いです。