今日は論文の内容より、この内容を伝える著者の立ち位置に抱いた違和感について述べてみたい。
コペンハーゲン大学が Human Genetics and Genomics Advances にオンライン発表した論文で、グリーンランドの住人のなんと30%がLDL受容体のアミノ酸変異を伴う変異を有しているという話だ。タイトルは「An LDLR missense variant poses high risk of familial hypercholesterolemia in 30% of Greenlanders and offers potential of early cardiovascular disease intervention(グリーンランド人の30%に家族性の高コレステロール血症につながるLDL受容体(LDLR)のミスセンス変異が存在し、早期の治療で循環器疾患を予防できる可能性がある)だ。
LDL受容体は、脂肪やコレステロールが詰まったリポタンパク質を細胞内に取り込み、代謝するための必須の分子で、血中コレステロールと代謝を決める重要な因子の一つで、家族性高コレステロール血症につながる様々な変異がこれまで特定されてきた。
この研究はその変異の一つで、137番目のグルタミン酸がセリンに置き換わった変異で、LDLRのLDLへの結合活性が60%に低下することが知られている。
この研究ではまず、原住民イヌイットとヨーロッパ人のゲノムが混じり合ったグリーンランド人約2000人を対象に、この変異の頻度を調べ、なんと29.5%のグリーンランド人がこのアレルを有していることを突き止めている。
この結果を見たとき、おそらくほとんどの生物学者はなぜ30%もの人に、機能低下につながるアレルが維持されているのか不思議に思うはずだ。タイトルにわざわざ30%とまで書いてあるので、その議論があるに違いないと思うはずだ。
しかし、期待は見事に裏切られ、論文ではこの変異によりLDL、特に粒子径の小さいLDLが上昇していること、リポタンパク質粒子を形成するApoAも上昇していることを示し、おそらく血中でリポタンパク質粒子のクリアランスが低下する結果、相対的にLDL、ApoAが上昇していることを示している。
そして、動脈硬化による虚血性心疾患の頻度が1.5倍にまで高まっているにもかかわらず、多くの人が未治療で、今後遺伝子診断+早期治療で病気発症を防げると結論している。
医師の目線としては特に問題ない書きようで、多くのゲノム研究論文と同じだろう。とはいえこれで終わっていいのかには異論がある。実際、なぜ極地で暮らしてきたイヌイットがこの変異を維持し続け、ヨーロッパ人と混血が始まった後も、3割の人がこの変異を有しているほうが、生物学者にとってはずっと面白い。
血中のLDL上昇が問題になるのは、最終的にそれが細胞に取り込まれるからで、逆に取り込みにくいということは、LDLRの機能が低下することで体を守っている可能性は高い。動脈硬化の主役マクロファージではLDLRだけでなく、酸化されたLSLを取り込む多くの受容体が働くため、この変異の副作用として動脈硬化はしかたがない。しかし、これを補っても余りあるベネフィットがどこかにあるのではと考えてしまう。
例えば脂の多い食事のため、細胞への取り込みが抑えられたほうが、コレステロールの毒性から守られるのか、あるいはもっと他のベネフィットがあるのか。
実際この論文のタイトルを見たとき、以前紹介したシロクマの進化論文を思い出した(https://aasj.jp/news/watch/1531 )。この研究では、ヒグマとシロクマのゲノムを比較し、ApoBやLDLなど動脈硬化で問題になる遺伝子が多くリストされることが明らかになった。すなわち、動脈硬化メカニズムを積極的に利用して、血液を寒さから守っている可能性すらある。
イヌイットから何が飛び出すか、興味は尽きない。
集中紹介2回目は、3月10日「論文ウォッチ」で既に紹介している論文だが(https://aasj.jp/news/watch/19224 )、遺伝的に起こった自閉症スペクトラム(ASD)症状を、行動学的に克服する方法にチャレンジしている点で、もう一度取り上げ、できるだけわかりやすく解説したい。
自閉症の科学はすでに50回を越しているが、遺伝的背景を探る論文が多かったように思う。ちょうど病気のゲノム研究が急速に進む時期と重なっており、また結論が出やすいということが、ゲノム研究がトップジャーナルに掲載され易かった要因だと思う。しかし、遺伝的要因があると結論して、後は遺伝子治療に任せると治療を諦めるのでは、本末転倒になる。遺伝的背景を分かった上で、遺伝と行動との間を結ぶメカニズムを解析し、その上で遺伝的背景を克服できる治療法を開発するのが医学の務めのはずだ。
その意味で今回もう一度取り上げるスイスバーゼルにあるミーシャー研究所のグループが5月4日発行のNeuronに発表した論文は(下図)は、動物モデルとはいえ、遺伝的な縛りを克服するための行動学的方法を探ったという点で、大変重要だと思う。
研究では、Shank3と呼ばれる遺伝子が欠損したマウスを用いている。このマウスは、新しい体験に戸惑い、そこから逃避するため自己反復行動を示すという点で、ASDの症状を再現しているとモデルとして、これまで多くの研究に用いられている。
実際の実験は、あまりに専門的になるので、実験の詳細は省いて、結果だけをわかりやすく解説してみる。
繰り返すが、研究の目的は、ASDモデルの行動異常を脳科学的に解析し、この異常を克服できる方法を開発することだ。
まず徹底的に行動解析を行っている。その結果、ASDモデルマウスは、新しい経験からいつも逃避しているのではなく、新しい経験が、前に経験したセッティングに似ている場合のみに、異常行動を示すことを明らかにする。すなわち、新しい経験と記憶された経験が同じかどうか比べられる場合だけ、その差に囚われてしまって、新しい経験を避けて自己反復運動に落ちることを明らかにしている。
例を挙げてさらに説明してみよう。例えば、椅子とベッドがある寝室に初めて入ったとすると、ASDモデルマウスも、正常マウスも行動は変わらない。また、この経験を記憶したあと、次にキッチンに入っても両者の行動に変化はない。ところが、最初の寝室を記憶したあと、寝室にベッドと、椅子の代わりに棚が置かれた部屋に入ると、正常マウスは棚に興味を示すのだが、ASDモデルマウスは、棚を避けて、ベッドの上で自己反復行動に陥る。
このように行動異常が特定できると、次は脳回路の解析になる。今回解明された脳回路について誤解を恐れず、極めて単純化して説明すると次のようになる。
新しい経験についての記憶が成立するとき、前頭葉での記憶回路だけでなく、これがドーパミン回路と連結することで、記憶が安定化し、新たな経験を脳にきざみこむのだが、ASDモデルマウスではこの時分泌されるドーパミンの量が普通より強く、その結果最初の経験の記憶の影響力が高まってしまう。そのため、次の時にそれと似た経験をし、最初の記憶が強く蘇ると、この時の記憶と同じでないことにこだわって、自己反復的な行動に陥ると言う説明だ。
実際、最初の記憶が成立するとき、ドーパミン分泌を抑えてやると、ASDモデルマウスでも行動は正常化し、自己反復行動はなくなる。また新しい経験をするとき、刻み込まれた記憶からドーパミンが分泌される線状体への回路を抑えてやると、同じように行動は正常化する。まだまだわかりにくいかもしれないが、要するに異常に強い記憶が形成されてしまって、それに縛られてしまうことがASDモデルマウスの行動異常の背景にあると言っていいだろう。
薬理的な治療実験で、ドーパミン分泌抑制や、前頭葉から線状体への回路遮断で行動が正常化することが示されたが、このような治療法を人間で行うことは難しい。
この研究の素晴らしさは、薬理的な実験で終わらずに、人間でも実現可能な方法をマウスモデルで探っている点だ。単純な体験の記憶が強く刻み付けられることを防ぐため、新しい体験を複雑で多様なセッテイング(例えば様々な遊具が同じ場所に置かれていて、自由に体験できるような)で行わせ、一つの対象に記憶が固定されないようにすると、行動異常はほぼ解消されることを示している。
他にも、最初の体験時に、馴染みの床敷きの匂いを加えておくだけで、記憶が強まりすぎることを防げることも示している。
これを人間に置き換えると、いつもできるだけ様々な刺激が同時に存在する豊かな環境で育て、そこには常に馴染みの匂いや音がそっと寄り添うようにすることで、新しい体験から逃避する行動を防ぐことができるという方策が示された。
脳は可塑的なので、遺伝的縛りがあっても決して諦めるなと言うことを、見事に動物を使って示した重要な研究だと思う。