視覚や触覚と違って、嗅覚細胞は、一定の期間働いたあと、細胞はアポトーシスで死ぬが、これに伴い幹細胞が活性化して、新たな嗅覚細胞で置き換えられる。神経でも新陳代謝が出来ることはありがたいことだが、嗅覚細胞の問題は、新しい細胞が同じ嗅覚受容体を発現しているとは限らない点だ。嗅覚受容体遺伝子は何百種類もあるが、どれを選ぶかは確率的に決まる。このため、嗅覚の安定性を保つためには、受容体の種類に応じて一時投射場所を決める必要があると考えられ、これを支持する多くの研究が行われた。これに、東大の坂野さんをはじめとして、日本の研究者が大きな貢献をしてきた。
とはいえ、嗅覚受容体(OR)は何百もあるのに、同じ場所に投射できるのはにわかには信じがたいのも確かだ。
今日紹介するコロンビア大学からの論文は、投射の調節機構が、OR(臭覚受容体)とリンクしたER(小胞体)ストレスを積極的に取り込むことで、階層的に進み、最終的にOR依存的シグナルで微調整され完成することを示した面白い研究で、9月26日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「ER stress transforms random olfactory receptor choice into axon targeting precision(ERストレスはランダムな嗅覚受容体の選択を軸索を正確に投射する選択へと変化させる)」だ。
このグループは、OR が折りたたまれるとき ERストレスが発生するが、何百もある OR ごとに ERストレスの強さが異なっており、この差を OR とリンクした転写調節に利用できるのではと考えた。すなわち、OR に応じて ERストレス強度が異なり、この差が神経軸索投射分子の転写の発現パターンを変えているのではと着想した。
これを確認するため、ERストレス直下で転写が高まる分子 Atf5 をリポーターとして、それぞれの OR と Atf5 発現量を調べると、OR の種類に応じて見事に Atf5発現量、すなわち ERストレスの強度が変化することを明らかにした。また、このストレス強度は完全に OR の配列依存性で、OR の分子構造を変えると全く異なるストレス強度が発生することも示している。
次に、ストレス強度の違いで起こる遺伝子発現の差を調べると、これも期待通り、軸索投射をガイドする様々な分子の発現パターンが見事にストレス強度と相関していることを示している。
後は、同じ OR を選んだ細胞で、ストレスシグナル分子の発現が異なるように細工したマウス(OR遺伝子は一細胞一分子なので、対立遺伝子座の片方にノックアウトのための Cre を挿入することで可能になる)、同じ OR を発現していても、同じ場所へ投射できなくなることを示し、ERストレスの差が投射の大きな枠決めに関わることを示している。
後は、single cell RNA sequencing などを用いて、ストレスを軸索投射のための遺伝子発現へと転換する Ddit3 を特定し、これにより嗅球の各領域への大きな方向付けが決まることを明らかにしている。
この頃ほとんどこの分野をフォローしていなかったが、面白い論文で、これまで気になっていた疑問をかなり解消してくれた。しかし、ERストレスをわざわざ取り込むことは、危険も大きい。というのも最終的には細胞死に陥る。例えば、ウイルスが感染してしまうとすぐ細胞が死にやすいのもこのせいかもしれない。いずれにせよ、幹細胞生物学としても面白い課題が生まれたと思う。