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10月4日: ペーボさんのノーベル賞受賞に思う

2022年10月4日
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昨日、ノーベル医学生理学賞がマックスプランク人類進化学研究所のペーボさんに授与された。個人的面識は全くないが、他人事とは思えないほどうれしい。と言うのも、ペーボさんの研究についてはこのHPでも30回近く紹介しており、紹介した個人としてはダントツの一位で、それだけ論文が面白いと言うことだ。

このように、他人とは思えないので、今回はノーベル賞の解説はやめようと思っている。ただ、何らかの形で、ペーボさんの研究の文明的意義を語り合う機会は設けようと考えている。それまでは少しお待ちいただいて、論文ウォッチで紹介した、彼自身、および彼の研究から花咲いた、古代史研究を読み直していただければと思う。

ちょっと気になるのが、報道や研究者のSNSで、彼の研究が「役に立たない基礎研究」であることが強調されすぎていることだ。「医学生理学賞」にはどうかという意見まであるのを見て、一言述べておこうと思った。

最近「Brahms in context」と言う本を通して、19世紀を考える機会があった。この時代は、ダーウィンやヘルムホルツなど科学が急速に発展し、同時に様々な思想が生まれた結果、個人と権威、また多様な権威同士がもろに衝突した時代だった。クリミア戦争もこのときに起こっている。この不協和を思想的に克服できないか、様々な試みが続いたが、結局20世紀前半まで、多様化し深まる不協和を克服する思想は生まれなかった。そして今に生きる我々も、南北分断が深まり、ウクライナへのロシア侵攻を目の当たりにして、19世紀からの人間の思想的試みに何か大事なものが欠けていることを痛感している。

この欠けているものを探せないと、私たち人類は滅亡するだろう。私は、欠けていたものの一つが、思想的試みをを支える科学ではないかと思っている(だからこそ「生命科学の目で読む哲学書」をまとめようとしている)。その意味で、ペーボさんが古代人ゲノムを現代人と連結させ、歴史を嘘を排して検証できることを明らかにしたことは、滅亡の淵に立つ人類を救う可能性を間違いなく高めたと言える。

と言うのも、私たち現代人の交流の歴史は、古代人のゲノムを比べることでますます明らかになっている。そして、現代ヨーロッパ人のゲノムは、今まさに戦争が行われている地域の古代人との交雑から生まれたことは明らかだ。すなわち、プーチンや民族主義者が何を言っても、結局皆兄弟であることは隠せないのだ。

この意味で、ペーボさんの研究をきっかけに今花開いている古代人ゲノムの研究は、人間と歴史を科学的(すなわち誰もが認め合う形)で理解する可能性を示し、民族主義というやっかいな問題を棚上げにできるる可能性がある。もちろん、南北問題、貧富の差など、思想的に克服すべきことはまだまだ多い。しかし、これもヒトゲノム計画が進展した結果、いくつかの障害を取り除ける可能性も出てくると思う。このように、19世紀にはかなわなかった、思想を発展させるときに必要な科学の寄与が、21世紀に少しづつではあるが可能になってきている。その先駆けが、ペーボさんの研究で、運良く人類が滅亡しなかったとすると、後世の人から人類を救った研究と評価されるのではないかと思う。

10月4日 ダニ唾液のパワー(9月27日 The Journal of Clinical Investigation オンライン掲載論文)

2022年10月4日
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昨年、ダニの唾液内の19成分を抗原としてワクチンを作成すると、ダニに刺される頻度が減り、ダニも早期にその動物から退散するという論文を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/18346)。さらについ先日、ニキビダニがホスト自然免疫システムにより生息場所を制限されていることを示した研究(https://aasj.jp/news/watch/20615)も紹介した。このように、体外にいて内部免疫系の影響を受けないと思われる害虫でも、様々な形で免疫系と相互作用しているのは面白い。

一般にダニに刺されると、かゆみを伴う炎症が起こることから、免疫を高める効果があると思うが、今日紹介するウィーン大学からの論文は、ダニの唾液が局所や全身の免疫を抑えて、スピロヘータの感染を助けることを示した研究で、9月27日 The Journal of Clinical Investigation にオンライン掲載された。タイトルは「Tick feeding modulates the human skin immune landscape to facilitate tick-borne pathogen transmission(ダニ刺されは人間の皮膚の免疫状態を変化させダニの媒介する病原菌の感染を高める)」だ。

このような虫刺されと免疫システムの相互作用の研究は、皮膚組織を調べる必要からなかなか人間では研究できないのだが、この研究の最大の特徴は、全ての実験を人間のバイオプシーサンプルを用いて行った点で、このような研究に応じる人を集めたことだけでも驚く研究だ。

人間の組織を採取するとは言え、4mmのバイオプシーなので、やれることは限られている。また、本当に再現性があるのかなど、懸念も多いが、重要な点をまとめると以下のようになる。

  1. 一人の人から、刺された皮膚と、刺されていない皮膚を採取して、免疫細胞を比べると、マクロファージや自然免疫リンパ球などが低下する一方、B細胞、T細胞が増えていることがわかる。すなわち、ダニの唾液が入ることで局所の免疫細胞の変化が起こる。また、皮膚で炎症に関わるインターフェロン、IL4、IL17 などを持つ細胞が減少する。すなわち、リンパ球は増えるが、炎症や免疫誘導が起こりにくい状態が出来ているのに驚く。
  2. 局所の免疫系が変化するのは、ダニ刺されの症状を考えると納得できるが、なんと末梢血でも好中球が増加し、T細胞、NKT細胞、NK細胞、そして自然免疫細胞が低下するという、全身の変化が起こるのは驚く。
  3. 後はこの効果を調べる実験系が必要になるが、これも腹部手術時に大きな皮膚サンプルを採取し、皮膚全体を用いた実験システムをくみ上げている。おそらくこの皮膚をダニが刺すことはないので、まずダニの唾液腺抽出液がダニ刺されと同じ効果があることを確認した後、採取皮膚組織に抽出液を注射、これにより同じ免疫系の変化が起こること、そしてそのパターンから想像されるように、ダニの媒介するスピロヘータの感染をダニの唾液腺抽出液が助けることを明らかにしている。

以上が結果で、全てを人間でやりきった点が最も大きな特徴だが、この話が正しいとすると、わざわざダニがスピロヘータを助けることになり、人間、ダニ、スピロヘータの複雑な三角関係が何故出来たのか、最終的に納得感の低い論文だった。

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