2022年12月3日
JT生命誌研究館の顧問をしていた時、九州大学から来た奨励研究員の有本さんは、私が知る唯一のアリに魅せられた研究者だが、私のように種にこだわらず過程に興味を持つのと違い、アリの全てを対象にするという強い意志を感じたのを覚えている。ともかくアリに対する深い知識と愛情を感じることが出来る。
今日紹介するロックフェラー大学からの論文は、アリのサナギが分泌する栄養豊富なミルクのような分泌液についての研究で、読みながらずっと有本さんのことを思い浮かべるほどマニアックな研究で、11月30日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「The pupal moulting fluid has evolved social functions in ants(サナギの脱皮液がアリでは社会機能を獲得するよう進化している)」だ。
アリの巣の中には、卵、幼虫、サナギ、成虫と様々なステージが混在している。基本的に成虫は、羽化前の全てのステージのケアに当たるのだが、各ステージでケアは違うはずで、巣全体のケアがどう組織化されているのか、よくわかっていない。
この研究では、巣から取り出したサナギが、メラニンができ始める頃から、体液の分泌が亢進し、お尻に水玉が分泌される現象に着目している。というのも、巣の中にいるサナギでは、このような分泌液の存在はほとんど確認されない。しかし、巣から取り出したサナギでは、この液を除去しないでおくと、感染してサナギは死滅する。一方、毎日この液を拭ってやると、サナギは正常に羽化することが出来る。
以上の結果は、巣内ではこの液が何らかの形で清掃処理されていることを示すが、サナギの液を色素で標識すると、実際、成虫の消化管内に色素が見られることから、貪食されて処理されることに気づいている。
これだけでも素人はなるほどと思うのだが、成虫が食べるだけのためにこの液が使われているようにはプロには思えないようで、巣内でサナギが液を分泌する時期と幼虫が成長する時期とが常に一致することに着目し、この液が幼虫の成長に使われるのではないかと考えた。
まず、分泌液の成分を見ると、サナギが羽化するときに使われる液とほぼ同じ成分で、蛋白質と糖鎖が分解された栄養やホルモンを含んでいる。そこでサナギに色素を注入して分泌液を標識してから巣に戻すと、幼虫の消化管にも色素を確認できることから、幼虫の餌として使われているのではないかと着想している。
そこで、成虫、サナギ、幼虫、そしてエサを組みあわせて行動実験を行うと、成虫は幼虫を常にサナギの方に向ける動作を繰り返し、これにより幼虫は分泌液を得ることが出来る。しかも、エサだけ与える場合と比べると、遙かに成長が早い。
以上の結果は、アリは、巣の中での成長プロセスをうまく同期させることで、エサが必要なくなったサナギの羽化液を進化させ、幼虫のためのミルクとして使っていることがわかった。
最後にこのような羽化液の進化は、多くの社会性を持ったアリに見られることを示している。結果は以上で、ただただその巧妙さに驚くとともに、アリ研究のプロの視点に感心した。
2022年12月2日
ケトン食が様々な影響を持つことについてはこのブログでも紹介し(サーチボックスでケトン食とインプットすると13の論文ウォッチ記事が出てくる)、またてんかん発作を抑える可能性については、以前MECP2重複症の患者さんの家族の方々とYoutubeによる勉強会も行っている(https://www.youtube.com/watch?v=f8En4tBse6o&t=105s0 )。
中でも期待されるのが、ガン治療の補助としての役割だが、代謝への影響、直接的転写誘導、そしてヒストンアセチル化の促進などがそのメカニズムとして知られている。
今日紹介する中国復旦大学からの論文は、中国からの論文の定番と言っていいのかも知れない意外性をついてくる研究で、なんとケトン食が抗ガン治療時の血小板減少を防ぐ可能性を示した研究で、11月30日号 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Dietary ketone body–escalated histone acetylation in megakaryocytes alleviates chemotherapy-induced thrombocytopenia(食事を通して摂取するケトン体は巨核球のヒストンアセチル化を通して化学療法による血小板減少を軽減する)」だ。
化学療法による血小板減少は最も恐ろしい副作用なので、タイトルは全ての医師を惹きつける。ただ読んでみると、なぜこの可能性を着想したのかは全くわからない。
ともかく、マウスに2種類の処方によるケトン食を摂取させると、正常マウスでも血小板の形態は変化せず、血小板が増加し、また出血時間も短くなることを観察している。一方、赤血球や白血球には何の変化もない。
これがケトン体の影響とすると、細胞内にケトン体を取り込むトランスポーターが必要だが、MCT1が巨核球には高いレベルで発現しており、試験管内で巨核球をケトン体βOHで刺激すると、増殖や血小板文化に関わる遺伝子発現が上昇する。また、MCT1阻害剤ではこの効果がなくなる。
また、ケトン食でなくとも、食事にβOHを加えるだけでも同じ効果がある。ただ、ケトン食やケトン体摂取はグルコース耐性を誘導してしまうので、間欠的にケトン食を与える系で、グルコース耐性が出ないようにして、抗ガン剤による血小板減少への効果を見ると、期待通り血小板減少をつよく抑えることが出来る。
この原因を探っていくと、巨核球分化の主役GATA1やNFE2プロモーターのヒストンをアセチル化することが、血小板増加の引き金になっていることを示している。
そして最後に、人間でもケトン食をボランティアに摂取させ、血小板が中程度に増加すること、さらにケトン食を捕っているガン患者さんと、通常食のガン患者さんで化学療法による血小板数を比較し、ケトン食は血小板減少を抑えることを確認している。
結果は以上で、期待されたトロンボポイエチンが臨床に使えないことを考えると、かなり有効な手段になるかもしれない。この研究に至った経緯は全くわからないが、瓢箪から駒で十分だ。
2022年12月1日
細胞というとどうしても核と細胞質、それにオルガネラからなるステレオタイプなイメージを浮かべてしまうが、実際には形態は細胞ごとに全く異なり、その調節機構はまだまだわかっていない。形態進化の究極が神経細胞で、樹上突起や軸索という究極の形態変化を形成するとともに、樹上突起にはスパインと呼ばれる突起を形成し他の神経とシナプス形成するとともに、スパイン自体も刺激に応じて形態を変化させる。このような、細胞各区画内の違いを、細胞全体の代謝システムだけでコントロールするのは不可能で、極めて特殊なメカニズムが発達していると考えられる。
今日紹介するロンドン・キングスカレッジからの論文は、mTORの活性化調節因子Tsc2ノックアウトを手がかりに、スパイン内での局所翻訳のメカニズムを明らかにした研究で11月25日号 Science に掲載された。タイトルは「Cortical wiring by synapse type–specific control of local protein synthesis(シナプスのタイプ特異的な局所的蛋白合成による皮質回路形成)」だ。
細胞代謝の最も重要なハブ分子が mTOR で、インシュリン受容体からのシグナルも mTOR に収束する。この活性化を調節する因子の一つが Tsc2 で、これが欠損すると mTOR が活性化してしまって、結節性硬化症と呼ばれる遺伝的腫瘍が起こる。
この研究では抑制性神経特異的に Tsc2 を欠損させ、Tsc欠損は確かに全ての抑制性神経で mTOR の活性化を促すが、シナプス興奮を調べると、その影響が抑制性神経のうちPV神経だけにしか見られないという発見から始まっている。実際には、PV神経だけで、Tsc2欠損はスパインの数を増やし、シナプスでの活性が高まる。
次に、PVのみでTsc2欠損の影響が強く出るメカニズムを探索し、PV2神経特異的に発現しているErbB4シグナル経路がTsc2上流にある可能性を突き止め、ErbB4シグナルをPV神経特異的にノックアウトする実験で、ErbB4が興奮神経から刺激を受けて、Tsc2の活動を抑える働きをしていることを明らかにする。
すなわち、興奮神経とシナプス形成が行われると、興奮神経側の Neuregulin3 により ErbB4 が刺激され、シナプス局所で Tsc2 の活性を抑え、mTOR の活動を高めることが明らかになった。
そこで、ErbB4ノックアウトで変化する分子を調べ、これら分子の多くがシナプス局所だけで ErbB4刺激により翻訳されることを明らかにしている。すなわち、ErbB4 の刺激がシナプスに限局されることで、その下流の mTOR 及び翻訳調節の変化をシナプス内にとどめておくことがわかった。
結果は以上だが、抑制性神経のシナプス形成に関わるメカニズムが明らかになったことは、自閉症研究にとっても重要だ。すなわち、自閉症の神経症状は、抑制性神経の発生と深く関わること、またそれによるシナプス伝達の変化に関わることがわかっている。驚くことに、ErbB4欠損により変化する分子の多くは、自閉症との相関が示唆されている異分子で、ErbB4自体は自閉症と関わる証拠はないが、このような局所の翻訳調節は自閉症を考えるためにも重要な要素である可能性がある。少し専門的だが、面白い研究だ。