2023年2月28日
Covid-19パンデミックでも問題になったが、ダウン症 (DS) の方はウイルス感染が重症化しやすい。その一方で、自己抗体産生を伴う様々な自己免疫現象が DS で高い割合で見られることも知られており、この免疫異常の解析が続けられてきた。
今日紹介するマウントサイナイ・アイカーン医科大学からの論文は現象論だが、自己抗体を作る B細胞に焦点を当てた解析を行った研究で、2月22日 Nature にオンライン掲載されている。タイトルは「Autoimmunity in Down’s syndrome via cytokines, CD4 T cells and CD11c + B cells(ダウン症候群の自己免疫は、サイトカイン、CD4T細胞とCD11cB細胞により起こっている)」だ。
最初、21番目のトリソミーから自己抗体まで、メカニズム解析が示されるのかと思ったが、残念ながら DS の血清や細胞の解析の現象論で終わっている。結局、現象の整理としては免疫異常を、なんとか3本の柱にまとめることが出来た点が評価されたのだと思う。
最初の柱はサイトカイン異常だ。29種類のサイトカインを測定すると、1/3の DS はほぼ全てのサイトカインが著しく上昇している。また、1/3では一部のサイトカインが上昇しており、自己免疫臨床症状はサイトカインレベルと比例している。また、異常は早くから発生し、安定する。ただ、Covid-19 やウイルスに感染しても、サイトカインレベルがさらに高まることはない。わかりやすく言うと、Covid-19 感染で誘導される一種のサイトカインストームが DS では最初から存在する。
次の柱は T細胞だが、これは遺伝的と言うより、サイトカイン、特に IL6 が高まることで Jak、STAT3依存的に、T細胞がナイーブな状態から、記憶T細胞状態に変化している。
そして、最後の柱が B細胞で、IL6、インターフェロン I&γ と、活性化された記憶型T細胞が存在するだけで B細胞が活性化され、自己免疫病で見られる CD11陽性の B細胞へと分化し、このタイプの B細胞が増殖することで、親和性は低いが、様々な自己抗原に反応出来る自己抗体が作られる。
以上が結果で、よく見ると結局元は Covid-19 感染で見られた様なサイトカインストームが DS で発生することがベースになっていることがわかるが、トリソミーによる発現量の異常との関わりが明らかでないため、メカニズム解析としてはフラストレーションが残る。しかし、サイトカインの中でも IL6 が重要な位置を占めていることも明らかにされており、今後岸本先生が開発したアクテムラなどを用いて治療する可能性が生まれたことは重要だ。
2023年2月27日
ES細胞や iPS細胞から膵臓β細胞を誘導して、β細胞が免疫系により傷害されインシュリンが出来なくなる1型糖尿病の細胞治療を実現することが、1997年 Thomson らのヒトES細胞樹立に始まる、ヒト多能性幹細胞研究の一つのゴールだったと思う。そしてこの HP でも紹介した様に、多能性幹細胞から β細胞を誘導するいくつかの方法が開発され、実際の治療にも試験的利用が始まるところまで来ている。
このように臨床に使える純度のβ細胞が誘導できることは間違いないのだが、正常でも異なる経路を通って形成される膵臓と
β細胞の発生経路を少しでもかじったことがある者にとっては、β細胞という結果オーライではなく、正しい経路で β細胞が誘導されたのか、あるいは人為的な経路を強制されたのではないか、などが気になる。
今日紹介するコペンハーゲン大学と、エジンバラ大学からの論文は、様々な培養法、正常の膵臓発生過程を比較しながら、膵臓特異的遺伝子発現ネットワークが形成される過程を網羅的に調べ、幹細胞培養だけでなく、膵臓発生過程のエピジェネティックに迫った研究で、3月号 Nature Cell Biology に掲載予定。タイトルは「Expansion of ventral foregut is linked to changes in the enhancer landscape for organ-specific differentiation(復側前腸の拡大が臓器特異的分化でのエンハンサーネットワークに必要)」だ。
この研究は神戸CDB設立以来、研究所レベルの付き合いをしてきたエジンバラ大学幹細胞研究所の主要メンバーで、現在はコペンハーゲン大学に移っている Joshua Brickman 研究室からの論文で、エジンバラ時代、主にカエルを用いて内胚葉発生を研究していた Joshua が、この20年でヒト内胚葉研究へと進出し、ここまで発展させたのかという感慨を覚える論文だ。
極めて膨大な研究なので、まず結論を先に紹介すると、膵臓への分化過程で復側前腸が増殖するのは単純に細胞数を増やすためだけではなく、時間をかけて膵臓細胞の遺伝子ネットワークを確立するためで、この過程をスキップすると、完全な転写ネットワークが形成できないという結論だ。
Question自体はカエルの正常発生を見てきた Joshua らしい発想だが、これを人間の発生過程で証明するため、主にクロマチンの構造やヒストン修飾など、エピジェネティック過程の網羅的解析手法を用いて、様々な培養方法の比較、培養過程で生成する細胞の比較、そしてそれをヒト膵臓発生過程のエピジェネティックデータと比較し、実際に膵臓の復側前腸で起こっている過程の実態に迫ろうとしている。
勿論 single cell RNA 解析を含む遺伝子発現解析も合わせて行って膨大なデータを扱っていることから、結論へとうまく処理データをまとめたなと言うのが正直な印象で、素人にもわかる様にデータがまとめられ、以下の結論が生まれている。
- 正常発生のデータベース、他の培養方法のデータベースなどと比較して、2012年にフィラデルフィア小児病院で開発された内胚葉前駆細胞3次元培養が正常の復側前腸の発生過程を最も忠実に再現している。
- 復側前腸(VFG)細胞の増殖が膵臓細胞への分化のエピジェネティックネットワークを正確に確立するために必須で、内胚葉前駆細胞特異的ネットワークを閉じ、膵臓特異的ネットワークを開く過程が、増殖している VFG で見ることが出来る。
- この時、増殖に特異的なエピジェネティック過程が、クロマチンに働きかけることで、将来のクロマチン構造形成の用意を行う。
- これまでパイオニア因子と呼ばれてきた FoxA は、HHEX と協調して増殖期のクロマチンに働きかけることで、最終的に必要となるエンハンサーなどが閉じてしまわないよう維持し、分化後のエピジェネティックネットワークが間違いなく確立できる様にしている。
以上が結論で、血液幹細胞や中胚葉分化を調べてきた私にとっても、分化決定過程の増殖の意義を改めて理解することが出来た。また、パイオニア因子の機能についても、イメージが湧き、目的の細胞が出来れば良いという結果オーライの研究ではなく、実際の分化過程を網羅的に調べ尽くすことの重要性を改めて認識できる大事な研究だと思う。
個人的なことだが、この研究の筆頭著者は、私の研究室でエピジェネティックな情報処理を行ってくれた Fung 君で、Joshua のおかげで、私が現役の頃には想像も出来なかった複雑な情報処理の必要な課題を見事にこなしているのを見て、その成長に喜んでいる。
2023年2月26日
乳酸菌の効能をうたうコマーシャルは日本中に溢れているが、利用されている乳酸菌の系統の効能を訴求するため簡単な臨床試験などが行われていると思うが、トップジャーナルに掲載されて多くの科学者の目にとまるケースはほとんどない。本当は食品でもその訴求に見合うだけの徹底的な解析ができるはずで、例えばガン免疫を高める細菌、あるいは神経系を通して社会性に働きかける細菌など、メカニズムを解明する地道な研究が続けられており、この HP でも紹介してきた。
今日紹介するチェコ科学アカデミーとフランスリヨンのエコールノルマーレからの論文は、2016年に彼らが便中から分離した低栄養でも子供の成長を支えることが出来る乳酸菌の作用メカニズムを、マウスで解析した研究で、2月24日号 Science に掲載された。タイトルは「Microbe-mediated intestinal NOD2 stimulation improves linear growth of undernourished infant mice(細菌叢に媒介されたNOD2刺激は幼児期のマウスの低栄養による低成長を改善する)」だ。
このグループは2016年やはり Science に乳酸菌の一種 Lactobacillus plantarum が低栄養(低脂肪低蛋白質)による発達期の体重、身長の成長遅延を大きく改善できることを明らかにしていた。この時から8年、そのメカニズムを明らかにしたのがこの研究だ。
しかし、飢餓に近い低栄養を、この乳酸菌(Lp)を摂取させるだけでほぼ正常まで、体重、身長ともに戻せることに驚く。すなわち、少ない栄養を無駄なく完全に同化できるよう代謝が調整されていることになる。
この原因を探ると、血中の IGF-1 とインシュリンレベルがいずれも高まっており、これが細胞内の Akt を活性化して代謝だけでなく、骨や筋肉の増殖成長をなんとか支えていることがわかる。
ではなぜ Lp 特異的に IGF やインシュリンの分泌を促す効果があるのか。これを調べるために、生きたLpではなく、様々な成分に分けて効果があるか調べたところ、細胞壁だけで同じ効果があることを発見する。すなわち、細胞壁に反応する仕組みが、この効果を支えていることが示された。
細菌の細胞壁は、自然免疫を刺激できることが知られている。そこで、バクテリアセンサー分子をノックアウトしたマウスで、Lp の効果を調べると、若年性サルコイドーシスやクローン病に関わる分子 NOD2 が欠損したマウスではこの効果が全く見られないことを発見する。
そして、組織特異的に NOD を欠損させたマウスを用いて、小腸での NOD2 が Lp の効果に重要で、肝臓で NOD2 を欠損させても効果は見られないことを明らかにしている。そして、NOD 刺激からインターフェロン分泌が起こることで、この効果が発揮されることも示している。
結果は以上だが、様々な新しい想像を生む研究だ。例えば、細胞壁の代わりに、NOD2 も刺激できるムラニルディペプチドを投与する実験を行い、IGF1の分泌は刺激できるが、インシュリンの分泌を刺激できないことを示しているのは面白い。この研究は当然低栄養の子供達に朗報となるが、同じ効果を高齢者で調べることも面白い気がする。
また NOD2 の機能を理解するためにも重要だ。NOD2 は炎症を刺激するため活性型変異は若年性サルコイドーシスにつながる。ところが、逆に NOD2 機能不全はクローン病につながるという2面性を持つ。1型インターフェロンがこの効果を媒介しているという結果は、炎症がある条件では、ストレスに対して身体を正常化させる役割を持つことを示しており、炎症を新しい目で見るきっかけになるようにも思う。以上、特定の細菌の効果についてはせめてここまで調べて宣伝して欲しい。
2023年2月25日
この頃は細菌叢の研究も、現象だけではトップジャーナルには採択されず、はっきりした因果性を求められる様になっている。また、特定の細菌が現象の原因になるとしても、最終的には分子基盤も求められる。そのため、細菌叢の全ゲノム解析と、代謝物を網羅的に調べるメタボローム解析が重要になりつつある様だ。
今日紹介するハンブルグ大学からの論文では、膵臓ガンの化学療法効果を高める細菌叢の研究からトリプトファン代謝分子 3-IAA による活性酸素がこの効果の原因であることを特定した研究で、2月22日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Microbiota-derived 3-IAA influences chemotherapy efficacy in pancreatic cancer(細菌叢由来 3-IAA は膵臓ガンの化学療法効果に影響する)」だ。
この研究では膵臓ガンの患者さんの半数以上が、スタンダードの化学療法に反応せず、ガンゲノムからこの違いを説明できないことに注目し、この差が細菌叢の違いによる可能性をまず追求している。
化学療法に反応した患者さんと反応しなかった患者さんの便を移植した無菌マウスに腫瘍を移植、化学療法を行うと、明確に反応した患者さんの便を移植したマウスでは化学療法効果が高くなる。
そこで、反応したリスポンダー(R)の血清、及びR便移植を受けたマウスの血清のメタボローム解析を行い、細菌叢によりトリプトファンが indole-3-acetic acid (3-IAA) へと転換されるほど、化学療法の効果が高まることを発見する。そして、3-IAAを作るバクテリア種を特定するとともに、3-IAAを直接投与するだけで、化学療法の効果を高められることを確認する。
あとは3-IAAの効果のメカニズムだが、3-IAA 投与で好中球が急速に低下することに着目し、最終的に 3-IAA が白血球のミエロペルオキシダーゼの作用を受けて毒性の強いmethylene-2-oxindole(MOI)に変化することで、白血球自体を殺すとともに、ガンに作用して抗ガン剤の効果を高めることを明らかにする。
また、MOI のガンに対する毒性のメカニズムについても調べ、抗ガン剤が MOI と協調してグルタチオンペルオキシダーゼを抑え、この結果活性酸素が上昇し、これがオートファジーなどストレス反応を抑えて、ガンを死にやすくしていることを明らかにしている。
最後に、膵臓ガンの患者さんの治療反応性と3-IAA濃度の相関を調べ、3-IAA の高い患者さんほど生存期間が長いことを確認し、この発見の臨床応用が可能であることを示している。
以上、面白い研究だが、読んでいて採択までの要求が確実に高まっていることを感じる。
2023年2月24日
慢性脊髄損傷の機能を、脊髄硬膜外に設置した複数の電極をコントロールする事で、歩行するところまで回復させる方法については何回か報告した。このHPの検索ツールで硬膜外と打ち込むと、3つの記事を検索することができる。しかし、この方法は基本的に脳と運動神経を結ぶ方法ではないし、歩けるとしても、歩いている感覚が脳にインプットされるわけではない。
今日紹介するピッツバーグ大学からの論文は、同じような脊髄硬膜外刺激が、卒中後の腕の運動機能回復に大きく貢献できる可能性を示したパイロット研究で、2月20日 Nature Medicine にオンライン掲載された。タイトルは「Epidural stimulation of the cervical spinal cord for post-stroke upper-limb paresis(卒中後の上腕麻痺のための頸部脊髄硬膜外刺激)」だ。
慢性脊髄損傷治療目的では、大脳からの神経投射を受けて、筋肉へ信号を伝える運動神経を硬膜外から刺激するが、今日紹介する方法は、電極を後根に置き、なんと脳へ投射する感覚神経を硬膜外から刺激する方法で、タイトルを見て浮かんだ予想は完全に外れる。
感覚神経を刺激して、どうして運動機能を回復できるのか?読んでみると、これまでサルを用いた研究で、運動野に投射する感覚神経を一定の周波数で持続的に刺激することで、卒中後に残存している運動野の神経が刺激されやすくなり、その結果随意運動がより容易になることがわかっていた。この研究は、この可能性を臨床的に確認することだ。
治療法は脊髄損傷に対する硬膜外刺激のように複雑なものではなく、腕を支配する頚椎3番目から胸椎1番目まで、脊髄後根の前と後ろに硬膜外電極を設置し、これを一定の周波数、一定の強さで刺激し続け、この刺激が患者さんの随意運動を改善することができるかを調べている。従って、リハビリとは全く別物で、設置した時から運動野刺激性が高まり、機能改善が期待できる。
研究では2人の女性患者さんが選ばれ治療を受けている。一人は30代で、視床部の能動静脈異常の出血により運動麻痺が起こり、9年が経過している。もう一人は、中脳動脈が詰まって大きな支配野が失われており、さらに重症の患者さんだ。
もちろん刺激の強さなどは電極設置後調整されるのだが、感覚神経刺激と聞いて心配になる痛みの誘導などの副作用は全くない。したがって、外科的処置が必要だが、副作用はほぼないと考えられる。
さて効果だが、視床出血の患者さんでは、筋力が高まり、腕を上げたり、伸ばしたり、さらに掴んだりする機能が大きく改善する。それも、自分が意図して行う運動が容易になる。一方、より重症の患者さんでは、残っている運動野神経が少ないため、改善の程度は低いが、間違いなく改善していることは確認出来る。
重要なのは予想通り、設置、調整が終わるとすぐに改善が見られること、またリハビリと異なり時間が経過しても効果が変わらないことだ。これらの結果から、卒中後の麻痺に悩む多くの患者さんの運動機能改善に役立つと結論している。おそらくこのまま、上のレベルの治験に進むと思う。
今後のポイントとしては、この方法がリハビリテーションによる回復をさらに促進できるか調べることだろう。時間はかかるが、原理から見て可能性は高い。とすると、さらに大きな機能改善が期待できるのとともに、リハビリに対する意欲も高められるのではないだろうか。期待したい。
2023年2月23日
コロナパンデミックまっただ中の2021年1月30日、なぜコウモリが様々なウイルスのキャリアーになれるのかについての総説を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/14882)。一言で言うと、ウイルスへの自然免疫を維持しつつ、炎症を切り離せたことで、症状の出ないウイルス感染が可能になっていることが、このウイルスの特殊性を支えている。とはいえ、この秘密を完全に理解するにはさらなる細胞学的な研究が必要になり、そのためには様々な組織細胞が自由に得られることが重要になる。
「様々な組織細胞が自由に得られる」という目的にiPS細胞が今やスタンダードとなっているのは周知の事実だが、コウモリではまだ出来ていなかったようだ。今日紹介するニューヨーク、マウントサイナイ・Icahn医科大学からの論文は、コウモリのiPS細胞樹立に成功したところ、多能性幹細胞自体がウイルスのインキュベーターのような特徴を備えていたという驚くべき論文で、2月21日 Cell にオンライン掲載されている。タイトルは「Bat pluripotent stem cells reveal unusual entanglement between host and viruses(コウモリの多能性幹細胞はホストとウイルスの異常なもつれを明らかにした)」だ。
タイトルにある entanglement という単語もそうだが、イントロダクションを読み始めて、書き様の印象がかなり普通とは違うので、著者を見るとラストオーサーの Thomas Zawaka を見て納得した。初めて会ったとき、彼はヒトES細胞樹立で有名な Thomson研究室からちょうど独立した頃で、様々な分野についての広い知識が話の端々に現れて強い印象を受けたことを覚えている。
その懐かしい彼が、様々なウイルスインキュベーターだけでなく、身体機能でみても心拍数が1000にもなるコウモリに注目して、iPS細胞作成を試みたのはよくわかる。ただ、山中4因子を導入すればそれでおしまいと言うほど簡単ではなかった様で、Sendaiウイルスベクターを用いた遺伝子導入に加えて、特別な培養条件を工夫することで、ヒトES細胞と同じような速度で増殖を続けるiPS細胞の樹立に成功している。
後は、分化能、マウスに移植したときの腫瘍形成、多能性ネットワークの遺伝子発現やエピジェネティック解析による確認などを行い、この細胞をiPS細胞と定義してもいいこと、また同じ条件で他の種のコウモリからもiPS細胞を樹立することが出来ることを確認している。
しかし、山中さんのノーベル賞から10年がたっている今、コウモリからiPS細胞を樹立しても、Cellに論文は到底通らない。
この論文の売りは、コウモリiPS細胞の独自性を調べるため、他の種の多能性幹細胞と遺伝子発現を比べたとき、最も大きな違いとして、内因性のウイルスやウイルスに対応する様々な細胞側の遺伝子の発現がコウモリiPS細胞特異的に見られたことを発見したことだ。
例えばレトロウイルスでみると、リプログラム前の線維芽細胞ではほとんど転写されない数多くの内因性のレトロウイルスの転写、翻訳が起こっている。もともと、コウモリはウイルスのインキュベーターになるだけあって、ゲノム上に多くのウイルスゲノムが組み込まれている。これはレトロウイルスだけでなく、通常はゲノムに統合できないとされているコロナウイルスの様なRNAウイルスでも同じで、様々なコロナウイルスの断片が組み込まれたゲノムから、転写、そして翻訳が起こっていることがわかった。
驚くことに、ほとんどのコロナウイルスをカバーする抗体で細胞を染めると、コウモリiPS細胞の細胞質に粒子状の染色が認められ、二重鎖RNAの存在まで確認できることを示している。
以上が結果で、コウモリiPS細胞ではエピジェネティックな変化が整い、内因性のウイルスが転写翻訳されること、そして細胞内ウイルス増殖に耐性を持っているため、転写されたウイルスやウイルス断片の増産を許すインキュベーターとして細胞が働いていることを示している。この、ウイルス耐性の条件についてはこれからの問題になるが、iPS細胞を樹立するだけで、コウモリとウイルスとの絡み合いを検出する手段が出来た点は重要だ。
さらに、以前 Jaenish研究室から発表された、コロナウイルスも状況次第でゲノムに組み込まれる可能性を示す研究も、コウモリが数多くの内因性コロナウイルス断片をゲノム上に組み込んでいるのを見ると不思議でなくなる。
以上、コウモリがウイルスのキャリアー以上の面白さを持つ動物で、コウモリiPS細胞は面白い研究分野を開き、結構ブレークする予感がする。
2023年2月22日
今でこそ細胞表面上のCDマーカーを用いてリンパ球を分画することが当たり前になっているが、私が免疫学を始めた頃は、そんな便利な物は全くなかった。しかし、モノクローナル抗体の技術が導入されると、個々の分子マーカーが定義できるようになり、まず T細胞、B細胞を分けて使えるようになった。その最初の頃に使われた抗原の一つが Ly1、現在の CD5 で、最初は T細胞のマーカーとして使われた。
ところが、Herzenberg 研のメンバーだった、早川さんとHardyが Ly1を発現する B細胞が存在することを発見してから、話はややこしくなった。ここから Ly1 をやめて CD5 と呼ぶことにするが、CD5 は B細胞を B1とB2 に分けるために用いられても、T細胞や他の細胞を分けるマーカーとしてはあまり利用されていないと思う。また、その機能についても、よくわかっていない。
今日紹介するワシントン大学からの論文は、人間とマウスで、CD5 は樹状細胞にも発現し、樹状細胞上の CD5 がT細胞上の CD5 と反応し合うことがガン免疫に重要であることを示した、Ly1時代からこの分子を見てきた年寄りには感慨が深い論文で2月17日号の Science に掲載された。タイトルは「CD5 expression by dendritic cells directs T cell immunity and sustains immunotherapy responses(樹状細胞上の CD5 が T細胞免疫を指揮して免疫治療の反応性を維持する)」だ。
この研究は、ガン周囲リンパ節で、ガンの浸潤があると CD5陽性樹状細胞が低下していること、さらに腫瘍内の CD5mRNAレベルが高い場合メラノーマの予後が良いという、樹状細胞上の CD5 がガン免疫に関わっている可能性を示す臨床研究から始まっている。
この結果は、腫瘍免疫で樹状細胞上 CD5 が何らかの機能を持つことを示しているので、次に CD5陽性及び陰性の樹状細胞で試験管内 T細胞刺激実験を行うと、CD5陽性細胞の方が強い免疫誘導脳があることがわかった。さらに CD5陰性樹状細胞の CD5発現を人工的に高めてやると、それだけでもある程度免疫誘導能が高まり、CD5自体に免疫を高める作用があることを確認している。
その上で、今度はマウスを用いてメカニズムの研究を行い、
- 樹状細胞特異的に CD5発現を低下させたマウスでは、ガン免疫が成立しにくく、チェックポイント治療による免疫増強が起こらない。
- CD5 が低下したマウスでは、反応するT細胞の CD5 も低下している。
- T細胞特異的に CD5 を欠損させるても、同じように腫瘍免疫能が低下する。
という実験結果から、樹状細胞とT細胞はそれぞれの CD5分子を介して、互いに刺激し合うことで、強い抗腫瘍免疫を誘導すること、また腫瘍の環境では、何らかのメカニズムで樹状細胞の CD5 を抑制して、免疫からすり抜けようとしていること、そしてチェックポイント治療がサイトカインの誘導などを介して、樹状細胞の CD5 を維持し、免疫を持続させることを明らかにしている。
以上が結果で、私のような老人にとっては、長い道のりを経て、最初 T細胞マーカーとして使われた Ly1 が、樹状細胞上で相互作用し、ガン免疫を高めていることがわかったという結果は感慨が深い。
しかし、これまで CD5 はフォスファターゼを介し免疫を抑えると考えられていたこと、また PD1抗体を用いたチェックポイント治療がT細胞にのみ効果があると考えられてきたので、この研究が示した方向をもう一度調べ直すことは重要だと思う。
2023年2月21日
昨年1月、指紋の形を分解、各特徴をゲノムワイド多型と参照して、指紋を決める分子を特定するという上海の復旦大学からの論文を紹介した。なかなか面白いと思ったが、よく考えてみると、指紋形成に関わるかもしれない遺伝子多型のリストはできても、ではどのように指紋ができるのか、それぞれの分子はどう関わっているのか、結局分からずじまいで終わっている。これに対して、今日紹介するエジンバラ大学からの論文は、ヒト胎児、指紋形成期の指の組織を詳しく調べるところから始め、誰もが理解し納得出来る指紋形成のメカニズムを示すのに成功している。タイトルは「The developmental basis of fingerprint pattern formation and variation(指紋形成と多様性の発生学的基盤)」で、2月9日 Cell にオンライン掲載された。
結局指紋を研究したければ、まず人間の指で調べる必要がある。指紋は胎生17週ぐらいで完成するようで、その時期の死亡胎児の指を調べると、上皮の増殖ペースの差によって凹みが生じることが指紋のメカニズムであることがわかる。従って、問題はこの増殖の差をパターンとして定着させるメカニズムになるが、指紋のできる腹側、指紋が形成されない背側の皮膚の細胞を single cell RNAsequencing で解析し、それを組織学的に当てはめることで、背腹それぞれに特徴的な遺伝子発現が存在するか、特に上皮と、それを支える間質細胞について調べている。
すると、両側とも例えば Wntシグナルにより皮膚細胞の増殖に関わるEDARの発現が調節されるといった、皮膚形成に関わる基本的な遺伝子を共通に発現しているが、背側や他の皮膚で見られる SHH の発現がないことや、間質の WNT の発現量が低いこと、そして毛根形成に見られる上皮細胞塊直下の間質凝集が見られないことを明らかにし、
1) 指紋形成が皮膚付属器官と同じメカニズムを使って、上皮の増殖スピードを変化させ皮膚の溝を作ること、
2) この上皮の増殖スピードを指先全体の皮膚で変化させるパターンを形成すること、
を介して指紋が形成されることを明らかにしている。
この時期の皮膚の増殖が TGF受容体ファミリー分子の一つ EDAR のシグナルにより調節されている事から、増殖パターンは、EDAR の発現調節によりコントロールされているが、まずこの調節がWNTシグナルにより調節されていることを示している。さらに、WNTの下流 LEF1分子は BMPシグナルで抑制されることも明らかにしている。この結果を合わせると、WNT皮膚増殖活性分子と BMP皮膚増殖阻害分子が、いわゆるチューリング波を形成し、EDAR のパターンを形成していることが示唆された。
さらに詳しく分子メカニズムを見ていくと、皮膚形成時に WNTシグナルを調節する R-spondin の発現場所が波の起点を決めていることが分かった。実際に R-spondin の発現場所だけで全ての指紋パターンが決まるかどうかはまだ研究が必要だが、チューリングはが生まれる起点を2−3箇所設定してシミュレーションを行うと、見事に様々な指紋が発生することがわかる。
結果は以上で、初めて指紋がどう形成されるのか、しっかり理解することができた。また、どうして指紋が遺伝的に似ている個人の間でも違うのかも理解できた。その上で、昨年紹介した論文と比べると、そこで示された EVI1 や NOTCH といった分子は今回のシナリオに全く登場しない。もちろん全くガセネタとは言えないが、結局そこで示された多型は間接的な相関を見ていたことに過ぎないことになる。
最後に、皮膚付属器官用に生まれたメカニズムを使って、わざわざ指紋のような役にも立たない組織をどうしてできたのかを考えると、おそらく指先に神経を集中させたり、汗腺を形成させたりといった必要の中で生まれたのではないかと思う。いずれにせよ、その進化から、長い間個人特定のために利用されてきた指紋が生まれたことは、進化の壮大さを感じる。
2023年2月20日
パーキンソン病だけでなく、レビー小体型認知症、多系統萎縮症などは、最近では αシヌクレイン症としてまとめられる。これは、神経細胞内で αシヌクレインの不溶性繊維形成が見られ、その結果細胞死が起こるという同じメカニズムが背景にあるからだが、たとえば同じメカニズムがどのような神経変化を誘導するのかは、細胞により異なる可能性が大きい。たとえばミトコンドリアへの局在は黒質細胞でははっきりしているが、小脳や大脳では明確ではない。このようにそれぞれの病気を理解するには、αシヌクレイン症とまとめてわかった気になるのは戒めなければならない。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、シナプスの小胞の輸送に関わるシナプトタグミン11のパルミチル化が回り回って αシヌクレイン症を軽減する可能性を追求した研究で2月14日号 Science Signaling に掲載された。タイトルは「Palmitoylation of the Parkinson’s disease–associated protein synaptotagmin-11 links its turnover to αsynuclein homeostasis(パーキンソン病に関連するシナプトタグミン11の回転がαシヌクレインホメオスターシスとリンクしている)」だ。
この研究グループは細胞のパルミチル化を除去する酵素を抑制して、パルミチル化を抑えるとレビー小体形成のような αシヌクレイン異常を抑えることを見つけていた。ただ、αシヌクレインはパルミチル化されていないので、この原因を探ろうと今回の研究が始まっている。
実際には、シナプトタグミン11(syt11)のパルミチル化が αシヌクレイン異常症を抑えることを突き止めており、この研究ではパルミチル化が39番目と40番目のシステインで起こっていること、この部位を変異させてパルミチル化を防ぐことで、細胞内での蛋白質の寿命が8割も短くなることを明らかにしている。
またパルミチル化された syt11 の細胞内小胞の不溶部分への局在から、この性質が syt11 の回転を遅らせて、寿命を延ばしていることを突き止める。
最初に紹介したように αシヌクレインも細胞内小胞に局在するので、syt11 がその過程に影響を及ぼす可能性は高い。まず、パルミチル化される syt11 とされない syt11 を発現させた細胞で αシヌクレインの状態を調べると、パルミチル化される syt11 では細胞内小胞膜への局在が高まり、また正常型 αシヌクレイン4量体の割合が低下することを明らかにしている。
では、なぜ syt11 のパルミチル化が αシヌクレイン異常を誘導できるのか?残念ながら syt11 は直接 αシヌクレインと結合しないことから、明確なメカニズムはわからない。おそらく小胞体による syt11 自身のターンオーバーメカニズムが αシヌクレインを巻き込んだと考えられるが、明確には示されていない。
結果は以上で、αシヌクレインの細胞内動態の複雑性を教えてくれるが、間接的にでもパルミチル化という阻害剤が利用しやすい過程を利用したパーキンソン病の進行予防法が開発できるかも知れない。
2023年2月19日
少し専門的な論文紹介が続いたので、今日は少し息抜きの意味で、皆さんもご存じのレンブラントの大作「夜警」に対して行われた、科学的大調査の論文を紹介する。オランダ、フランス、そしてベルギーの研究期間が共同で行なった論文で化学のトップジャーナル Angewante Chemie 国際版にオンライン掲載されている。タイトルは「Lead(II) Formate in Rembrandt’s Night Watch: Detection and Distribution from the Macro- to the Micro-scale(レンブラント夜警で発見されたLead(II) Formate(ビス蟻酸塩):マクロ及びミクロスケールでみた検出と分布)」だ。
アムステルダムの国立美術館に展示されている夜警は 、2019年大調査が行われた(https://www.youtube.com/watch?v=cLH_ur6IAQ8)。このとき、比較的広い範囲の画材の成分を表面から調べるためのX線解析と、採取したサンプルをミクロレベルで調べるシンクロトロン光を用いた解析が行われ、その結果これまで古典的な絵画では見つかったことのない Lead(II) Formate(LF:ビス蟻酸塩)が検出された。
レンブラントはさまざまな画法を開発したことが知られているので、これが彼の技法なのか、あるいは絵の経年変化なのか、対策はあるのかを明らかにする必要が生まれた。特にLFは侵食や分解で検出されることが多く、この区別は重要になる。絵自体に存在するLF沈殿近くの化合物の解析、そして当時の画材を再現した実験的研究を行い、LFの形成過程を探っている。分析や反応実験の詳細を全て省いて結論を述べると、
LFはおそらく鉛ドライヤー(乾燥剤)として使ったPbOが、絵の具作成時に熱せられた油の中でできた蟻酸と反応した結果で、侵食劣化や対策を必要とする問題ではないと結論している。ひょっとしたら、LFが形成されることで、絵画の安定性が増す可能性もあることも考えられる。
ではなぜ今回初めてLFが発見されたのか?元々LFは通常のX線回折法では画材の深いレベルでの検出が難しく、また形成されたLFは深い部分に沈殿することから、シンクロトロンを用いた解析を組み合わせないと検出できないためで、当時の絵画では調べれば見つかると結論している。
ただ夜警については一度全体のニスが剥がされ、新しく塗られている歴史が記録されているので、この作業による特殊性も考える必要がある。その意味で、今後多くの絵画の同じような解析を進めることが重要になる。
以上が結果で、絵画の化学がこのように進展し、一枚でも世界の財産を守る努力が進められているのを見ると、文化遺産を平然と傷つける戦争の愚かさに怒りを覚える。