ヒトの全ゲノム解析が達成できたあと、個人のゲノムを1000人単位で集める目標が掲げられたのはそれほど遠い昔ではない。その後、ゲノム解析コストは下がりに下がり続け、その結果、全ゲノム解析が終わっている個人の数はいまや膨大な数に上っていると思う。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、全ゲノム解析が今や細胞レベルにまで及んできて、個体の中でそれぞれの細胞が経験する変化をゲノムのレベルで読み解ける時代が来たことをひしひしと感じる研究で、3月18日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Contrasting somatic mutation patterns in aging human neurons and oligodendrocytes(高齢者の神経とオリゴデンドロサイトの対立する突然変異パターン)」だ。
この研究では幼児、青年期、40代、そして80代の脳組織からオリゴデンドロサイト(OGL)、グリア、神経細胞を分離、トータルで150個の細胞について全ゲノム解析を行い、特に OGL と神経細胞で突然変異の起こり方を調べている。ヒト全ゲノム解析完成が高々と歌い上げられたのが2004年なので、20年でここまできたかという感慨は深い。
脳内で OGL は増殖を続けミエリン鞘を供給し続ける一方、神経細胞は原則として増殖することはない。この違いを、ゲノムに蓄積する突然変異から調べようとしている。
まず、一塩基変異で見ると、増殖する OGL は増殖しない神経に比べて2倍頻度が高い。しかし、増殖にかかわらずどちらの細胞も年齢を重ねるにつれ突然変異が蓄積する。面白いのは、Indel と呼ばれる挿入や除去といった変化は神経細胞の方が OGL の頻度より高い。ただこれも、年齢とともに増えていく。このように生きている限り、増殖なしでも我々のゲノムは変化し続ける。
突然変異の起こり方は SBS と呼ばれる変異のタイプで分類されている。いずれの細胞も生存に伴う環境からの影響で起こる SBS5 がメジャーな変異で、年齢とともに増加するが、これに加えてそれぞれ独自の変異タイプが見られる。
増殖を続ける OGL では細胞分裂依存的に増加するデアミナーゼ作用による変異が見られるが、神経細胞では全く見られない。そして、これらの変異は腫瘍化したグリオーマと完全に重なっている。
SBS5 は両方の細胞で見られるメジャーな変異タイプだが、OGL ではクロマチンが閉じた転写活性が、低い領域に集まっている。一方、神経細胞ではその逆で、遺伝子発現が活発な領域で起こっている。おそらく、DNA修復の起こりやすい領域が細胞ごとに違うからと考えられるが、単一細胞ゲノム解析から生まれた新しい問題だと思う。
ほかにも、それぞれの細胞は発生過程で様々な変異を蓄積した後、成熟後細胞の状態に会わせた変異が蓄積していく。これを利用して細胞系譜をたどることも可能だ。しかし、OGL は成熟後もほとんど同じペースで変異を蓄積する。これもおそらく、修復機構が変化した結果と考えられる。
外にもいろいろな可能性が示されているが、ゲノムプロジェクトが細胞レベルへと拡大していることが重要だ。発生、成長、老化を新しい視点で眺められる時代が来た。