2025年6月13日
Gender gap(男女差)がいつ、どのように生じるのかは、社会学だけでなく脳科学の観点からも極めて重要な課題だ。特に学業における gender gap の原因を探ることは、社会学、行動学、心理学、脳科学といった分野を横断する総合的な研究課題と言える。
今日紹介するのは、フランス・パリ=サクレー大学からの論文で、フランス全土で実施されている学力テストのデータを解析した研究だ。算数における gender gap が、学校に通い始めることそのものによって生じるという驚くべき結果を示しており、6月11日付の Nature オンライン版に掲載された。タイトルは 「Rapid emergence of a maths gender gap in first grade”(算数の gender gap は小学一年生から急速に現れる) 」だ。
日本では全国学力テストが小学校6年生を対象に行われ、毎年どの県の学力が高いかが話題になるが、朝日新聞によると2022年のテストでは正答率に男女差はほとんど見られなかったようだ。それでも、理数系科目を「好き」と答える割合において男性の方が高いという gender gap は依然として問題視されている。
一方、フランスの学力テストでは、小学校入学時(9月)、第2学期開始時(1月)、さらに2年目の開始時(翌9月)という3回にわたって、言語能力(ここでは「国語」と捉えてよいだろう)と算数能力を多角的に評価する、非常に丁寧なテストが行われている。
点数のランキングをプロットすると、入学直後からトップ10%に占める男子の割合がやや高めではあるものの、統計的に有意な差とまでは言えない。しかし第2学期の開始頃から男子のトップ層への比率が高まり、1年の終わりには明確な算数における gender gap が出現していることが確認された。
このテストは2018年以降、年4回にわたって実施されており、全ての年度で同様の傾向が再現されている。さらに、学校の種類(私立、公立、特別支援学校)に関係なく、この傾向は一貫して観察された。予想通り、平均点そのものは私立校で高く、特別支援校で低いが、gender gap の出現パターンはどのタイプの学校でも変わらなかった。つまり、入学から1年以内に gender gap が明確に形成されている。
Gender gap は一般に社会環境の影響とされるが、女性差別の強いイスラム圏出身の移民が多いフランスでも、社会的ステータス(親の学歴・収入等)ごとに分析しても、学校に通い始めることで gender gap が形成される傾向は変わらなかった。日本とは異なり、フランスには海外県が存在するが、全く異なる社会環境にある海外県でも同様の傾向が見られた。さらに興味深いことに、社会階層が高い家庭の子どもの方が、このギャップはより大きくなる傾向も確認された。つまり、高学歴・高収入層の家庭が私立学校に子どもを通わせても、gender gap は避けられなかった。
入学時には gender gap が無かったこと、また同学年内でも12ヶ月もの年齢差があるにもかかわらず、このギャップが実年齢とは相関しないことから、gender gap は学校に通うプロセスの中で形成されていると結論づけざるを得ない。
以上が主な結果だが、次に問うべきは、この gender gap がなぜ生じるのか、その原因を突き止め、可能であれば解消する方策を見つけることだ。しかしこれは容易ではなさそうだ。
論文では gender gap の原因としていくつかの可能性を検討している。もちろん男女間に生得的な行動差や心理的特性差が存在することは知られている。例えば女性の方がテストに対する不安が強い傾向があり、これが同じ能力でもパフォーマンスに差を生じさせる可能性はある。ただし、入学初期には男女差が無かったことから、この要因だけでは説明できない。
様々な可能性を慎重に排除していった結果、論文は「学校に通い始めた後、教師や家族が性別による先入観を無意識のうちに子どもに伝えてしまう」ことが gender gap の形成に大きく寄与していると結論している。例えば「女の子は算数が苦手」といったステレオタイプ的な見方が、意図せず子どもの意欲や自己評価に影響を与えてしまうと考えられる。ただしこれは教師個人の問題ではなく、学校という場を媒介とした家庭での子どもへの接し方の変化も重要な要因だろう。
興味深いことに、コロナ禍で学校教育が正常に行われなかった年には gender gap の程度が低かったという事実は、学校という社会システムの影響力の大きさを改めて示唆している。
2025年6月12日
ガンの多くはゲノムが不安定で、小さな変異は言うに及ばず、Y染色体が全て失われる (LOY) 変化がしばしば観察される。一方、正常人でも高齢になると骨髄幹細胞でLOYが起こり、これが増えると寿命が短くなることも知られており、LOYはガンだけに特異的な話ではない。
今日紹介する UCLA からの論文は、LOYを示す上皮性のガンの周りにはLOYを示す血液細胞が多いというメカニズムが想像しがたい不思議な研究で、6月4日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Concurrent loss of the Y chromosome in cancer and T cells impacts outcome(ガンとT細胞で同時にY染色体が失われると予後に影響する)」だ。
この研究ではゲノムを直接調べるのではなく、Y染色体から転写される遺伝子の発現量を用いてLOYを推定する方法を開発し、これを用いてガンゲノムデータベースから、LOYの頻度を計算し、LOYのガンへの影響を調べている。これまでも示されていたように、LOYの多いガンでは予後が悪くなる。
LOYによる転写レベルの変化を調べると、細胞周期に関わる遺伝子は言うに及ばず、様々なガン遺伝子により誘導されることが知られる、ガンをガンたらしめる遺伝子の発現が上昇し、免疫から逃れられるために発現するチェックポイント分子が上昇、そして抗原提示など免疫刺激遺伝子は低下することがわかる。すなわち、LOYにより特定の遺伝子が変化するというより、大きなゲノムレベルのリプログラムが起こりこれが予後を悪くしている。
LOYと相関する患者さんの生活習慣を調べると、喫煙やヘルペスウイルス感染がリストされるので、LOY自体は遺伝的に決まるだけでなく、様々な発ガン要因の結果として誘導されていることがわかる。
さて、ここまでは納得するのだが、この研究ではガンのゲノムデータベースから、ガン周囲の血液細胞のLOYについて調べ、なんとLOYを示すガンの周りに浸潤する血液細胞でもLOYの頻度が高まっていることを発見する。一方、同じ患者さんの末梢血ではLOYの頻度は変わっていないので、ガン周囲組織特異的な現象であることがわかる。
この全く予想外の結果を動物実験レベルで確認するため、ガンをマウスに移植する系でガン周囲組織の血液を調べると、LOYを移植したガンの周囲組織でマウスの血液細胞のLOYが上昇していることを発見する。
残念ながら、なぜこのような現象が起こるのかについての実験はここまでで、あとはガンのLOYとともに、周囲組織のT細胞にLOYが同時に認められるときに、最もガンの進展が大きいことをデータベースから確認している。
以上が結果だが、このような不思議な現象が起こる可能性は、LOYによりケモカイン反応性が変わり、LOYのガンがLOYの血液を優先的に呼ぶのか、あるいはLOYのガンから分泌される例えばエクソゾームの中にゲノム不安定性を誘導する何かが含まれているのか、本当ならここまで調べて論文にしてほしかった。
2025年6月11日
現在では食欲調節に関わる神経回路については GLP-1 やグレリンなどいくつかの経路が関わる複雑な系であることがわかっているが、おそらく最初に明らかになったのは、レプチン欠損の obマウスの解析に始まったレプチンが調節する AgRP 、NPY を発現する二種類の神経、そしてそれぞれにより刺激、あるいは抑制されるメラノコルチン受容体4 (MCR4) を発現した食欲抑制神経が関わる回路だと思う。
最近になって肥満を示す様々な遺伝子変異の解析から、視床下部の脳室の壁に接して存在する神経の繊毛形成に関わる遺伝子が変異することで肥満が起こることが知られるようになり、MCR4 を発現する神経の刺激調節に繊毛形成が関わることが明らかになってきていた。
今日紹介するテキサス大学 Southwestern 医学センターからの論文は、繊毛内での MCR4 刺激に関わる新しいG共役型受容体の発見で、6月5日号 Science に掲載された。タイトルは「GPR45 modulates Gα s at primary cilia of the paraventricular hypothalamus to control food intake(視床下部室傍核の GPR45 は摂食を調節する)」だ。
我々の現役時代、ショウジョウバエやゼブラフィッシュで行われたように、マウスでも突然変異をランダムに誘導してその形質のライブラリーを作る大変なプロジェクトが世界で行われ、我が国でも一つプロジェクトが走っていたことがある。この研究は、この前向き遺伝学と呼ばれる方法で肥満に繋がる変異を探す過程で GPR45 変異が肥満を誘導するという発見から始まっている。GPR45 と肥満との関係がこれまで発見されていなかったということは、ゲノムが明らかになりクリスパーで遺伝子変異が容易になった今も、前向き遺伝学が重要であることを示しているのかもしれない。
GPR45 を改めてノックアウトして肥満の原因を調べると、基本的には食欲が抑えられずに食べ過ぎることによる肥満であることがわかる。
次に、GPR45 の発現を調べると室傍核神経に発現しており、MCR4 発現神経特異的に GPR45 を欠損させると肥満が生じることから、MCR45 刺激による食欲調節に関わることが明らかになった。
そこで GPR45 遺伝子に蛍光遺伝子を導入して室傍核神経内での局在を調べると、ほとんどが繊毛で発現しており、繊毛へ分子を輸送する TULP3 分子により繊毛膜上に局在していること、そしてこの局在によりGタンパク質共役型受容体に結合する Gαs 分子が GPR45 とともに繊毛内に濃縮されること、その結果繊毛内で Adenylcyclase3 が活性化して、cAMP の濃度が高まることを明らかにしている。
GPR45 と adenylcyclase3 との関係をさらに調べるため、肥満を示す adenylcyclase3 の点突然変異を組み合わせる実験を行い、両方の変異を合わせても単独の変異と同じレベルの変異でとどまることから、GPR45 は Gαs を介して繊毛内の adenylcyclase3 を活性化し、食欲調節に関わることを明らかにした。
とすると GPR45 を刺激する分子は新しい食欲調節分しかと思うが、この研究では GPR45 の役割は繊毛に分布している MC4R に Gαs を供給することが GPR45 の役割であることを様々な実験から結論している
主な結果は以上で、まとめてしまうと GPR45 は TULP3 によって繊毛に運ばれるとき、Gαs を一緒に運ぶことで繊毛内の Gαs 濃度を高め、MCR4 刺激による adenylcyclase 活性化の閾値を上げているという話になる。
発生では shh シグナルを受ける smo が繊毛内に局在することで、シグナルの感度を高めていることが示されているが、食欲中枢に関わる MCR4 も同じような仕組みで繊細な調節をしていることを明らかにした研究だ。しかし、前向き遺伝学が今も使われていたことになんと言っても驚いた。
2025年6月10日
インスリン抵抗性は2型糖尿病へとつながる最も重要な前段階で、同じ量のインスリンに対する身体の反応が低下するため、たとえばインスリンによって血中ブドウ糖が下がりにくくなったり、脂肪酸の放出が増えて肝臓に蓄積したりする状態を指す。インスリン抵抗性が生じると高血糖状態が続き、膵臓のインスリン分泌がさらに亢進するという悪循環が生じ、これが膵臓を疲弊させ、インスリン分泌能が低下した本格的な2型糖尿病へと発展する。
最近、GLP-1受容体作動薬やSGLT2阻害薬といった新しい糖尿病治療薬が登場し、糖尿病治療は大きく変化した。その結果、インスリン抵抗性そのものを治療する薬剤の開発が、次の大きな目標となりつつある。
今日紹介するコペンハーゲン大学からの論文は、インスリン抵抗性の鍵となる骨格筋での変化を、バイオプシーによって得られた筋組織のプロテオーム解析を通じて明らかにした研究で、5月27日付で Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Personalized Molecular Signatures of Insulin Resistance and Type 2 Diabetes(インスリン抵抗性と2型糖尿病の個人別分子レベルの特徴)」だ。
インスリン濃度が上昇すると血糖が低下するが、この反応の大部分は骨格筋におけるGLUT4の細胞膜への動員とそれに伴うグルコース取り込みによるものである。そのため、急性のグルコース応答において骨格筋の役割は非常に大きい。この研究では、2型糖尿病患者34名、健常者12名をリクルートし、インスリン抵抗性を精密に反映する M-value を算出したうえで、空腹時およびインスリンを一定濃度に保った状態(インスリンクランプ法)で骨格筋組織をバイオプシーし、質量分析を用いてリン酸化タンパク質を網羅的に解析した。これにより、インスリン抵抗性の進展に伴い骨格筋で生じる変化を追跡している。
インスリンシグナルはインスリン受容体から始まるリン酸化カスケードによって伝達されるため、プロテオーム解析の重要性は言うまでもない。さらに、試験管内実験ではなく、実際の体内の筋組織での反応を解析したことで、これまで見落とされていた新たな治療標的が見えてくる可能性がある。
結果は膨大であるが、特に興味深い点を以下に箇条書きする。
ミトコンドリア機能と糖尿病の関係は以前から議論されてきたが、本研究ではミトコンドリア機能の上昇と糖分解の低下がインスリン抵抗性と強く関連しており、インスリン分泌の低下という糖尿病診断とは切り離して考えるべきことが示された。
意外なことに、インスリン抵抗性が発生すると、インスリンに対する反応性だけでなく、空腹時の骨格筋においても様々なタンパク質のリン酸化状態が変化していた。なかでも、JNK/p38経路のリン酸化は、インスリン抵抗性に伴う自然炎症と強く相関していた。
今回の最大のハイライトは、この自然炎症にも関与する変化の上流に、筋肉特異的に発現するAMPKγ3が位置していることを特定した点である。さらに、この分子が活性化される際にリン酸化されるセリン65番目の部位はヒトにのみ存在し、チンパンジーなどの近縁種には存在しない。この点はヒト特有の糖代謝進化とも関係しており興味深い。加えて、筋肉特異的なリン酸化反応ということで、インスリン抵抗性を標的とする創薬において理想的な分子と考えられる。
当然ながら、糖尿病診断と直接相関するリン酸化タンパク質の変化も発見されている。ただし、インスリンシグナル伝達の中核とされるAKT分子のリン酸化レベルは、インスリン抵抗性が発生した後でも保持されていたという意外な結果が得られた。これは、体内ではさまざまな代償経路が働きシグナルが維持されていることを示唆しており、この代償メカニズム自体が治療標的になり得る。
最後に、男女差についても検討されており、脂肪代謝に関わるタンパク質の変化は女性と男性で大きく異なることが明らかとなった。ただし、これはホルモンや生活習慣の差に起因するものであり、遺伝的な差異によるものではないと考えられる。
以上が主な結果だが、このほかにもこれまでの知見と一致する多くの変化が詳細に記述されている。さすが糖尿病創薬に特化したノボノルディスク社を擁するデンマークならではの、大規模かつ徹底した研究であり、この研究を成し遂げたこと自体に脱帽である。インスリン抵抗性改善に向けた多様な取り組みが進展していることを強く実感させる論文である。
2025年6月9日
ゴリラも含めてほとんどの大型野生動物は見ているが、サイだけは近くで見たことがない。写真は神戸理研時代のスタッフの一人Tim Schroederが撮影したものだが、いつもこの写真を見ながら、彼をうらやましく思っていた。
このみごとな角こそサイのシンボルで、おそらく野生では彼らを守る重要な役割を持っているのだが、この角が漢方薬として解熱や鼻血に利用されていることから、角だけを求める密猟が絶えず、サイを絶滅の危機にさらしている。調べてみると、サイの角の最大の集積地はベトナムらしく、ここから中国やタイへと取引が行われるようだ。
今日紹介する南アフリカ・ネルソンマンデラ大学からの論文は、サイを絶滅から守る切り札として、敢えて角だけを切り取ってしまう方法が有効であることを示した研究で、6月5日号の Science に掲載された。タイトルは「Dehorning reduces rhino poaching(角を切断することでサイの密猟を減らせる)」だ。
この研究は南アフリカ有数のサファリフィールド、クルーガー国立公園で行われた。というのもサイが住む他の地域と比べてクルーガー国立公園では急速にサイの個体数が減っており、2017年と比べると2022年では半数以下に低下していたからだ。
これまではレンジャーやカメラによる取り締まりの強化、厳罰化などで対応し、南アフリカで約100億円近いお金がこれに費やされていたが、効果は限られていた。そこで、苦肉の策として「身を切る改革」ではないが、密猟者が狙っている「角を切る」ことで、サイを守れないか調べたのがこの研究だ。
この目的で、クルーガー全体で短い期間にできるだけ多くのサイの角を切断し(18ヶ月の間にほぼ半数のサイの角を切り取っている)、その間の密猟数をクルーガーの8つの地域で追跡している。
結果は期待通りで、元々生息数の少ない地域では密猟が激減している。一方、生息数が多く密猟コストが少ない地域では、密猟を半分ぐらいにしか抑える効果がなく、残った角のためでも密猟することがわかった。
いずれにせよ、ほとんどの地域で効果は急速にはっきりと確認できたことは、この方法の有効性が示されたと結論している。
もちろん生物学的な問題はあると思うが、サイを守るという点ではこの取り組みを広げて、密猟コストを上げる方策を政府も採用する可能性はある。密猟者を見つけて罰するより、サイを見つけて角を切る方がコストも1/6で済むようだ。とすると、もはや写真のようなサイをアフリカで見ることはなくなるかもしれない。
それより、ベトナム、タイ、中国と言ったトレードの根元を取り締まる一方、アフリカでの貧富の差を減少させることが重要だと思う。この現状をもう一度世界に突きつける意味で、この論文の価値は大きい。
2025年6月8日
相分離についてこのブログで初めて紹介したのは2017年だった(https://aasj.jp/news/watch/7045 )が、それ以来細胞内でおこる相分離現象が、様々な機能に必要な分子を局所に濃縮して、生物過程の効率を高めていることについては51回も紹介している。しかし一部の論文を除き、相分離体内での過程を操作するという方法についての論文は発表されていない。
今日紹介するベルリン・マックスプランク分子遺伝学研究所からの論文は、相分離体内での過程を操作する方法の可能性を示した面白い研究で、6月4日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Probing condensate microenvironments with a micropeptide killswitch(相分離体の微小環境をマイクロペプチド・キルスイッチで探査する)」だ。
この研究の始まりはHMGB1分子のC末端にフレームシフトで全く新しい変異が発生し、これが本来核小体に存在しないHMGB1分子を核小体に移動させた結果、主に骨格の発生異常が起こることを示した研究で、このブログでも紹介した(https://aasj.jp/news/watch/21510 )。
その後の研究過程で、フレームシフトで生まれた自然に存在しないペプチド自体が相分離体内の性質を変化させることが異常の原因で、このペプチドを他のタンパク質に結合させて細胞に導入すると相分離体が他の分子をリクルートして維持されるダイナミックスが抑えられることを発見し、このペプチドをキルスイッチ (KS) と名付けている。
この効果を調べるため、最も重要な相分離体の一つ核小体マトリックス分子NPM1と結合するナノボディーにGFPとKSを結合させ、これを細胞に導入すると、ナノボディーによって核小体に移行したKSは、核小体内の分子の動きを強く阻害する(GFPをレーザーでブリーチして蛍光の回復を見ることでわかる。KSが存在すると蛍光回復が抑えられるが、ナノボディーだけでは何も起こらない)。
さらに核小体内分子ダイナミックスの変化を調べるため、核小体内の分子を質量分析器で調べると、NPM1に結合する重要な分子を始め様々な分子が核小体へリクルートできなくなっていることを発見する。この異常は、KSの配列を変化させることで防止できることから、KS自体の作用であることがわかる。
以上の結果に基づき、実際に機能している相分離体の機能を特異的に抑制する実験を行っている。
様々な系を試しているが、ここではNUP98遺伝子とKDM5A遺伝子が点在により核内で相分離して転写を高めることで起こる白血病に対する操作例を紹介する。転座遺伝子をマウスに導入すると白血病が起こるが、白血病発生後この分子と結合するナノボディーにキルスイッチを結合させた分子を発現させると、核内に存在した相分離体の数が減少し、細胞の増殖が抑えあれる。
もう一つの実験として、アデノウイルスが感染したとき53K分子により相分離体が形成されるが、この52KにKSを結合させると、52Kにリクルートされてウイルス粒子の合成に必要な IIIa分子の52K相分離体へのリクルートが抑えられ、ウイルス粒子の産生が90%低下する。このときレーザーでブリーチして相分離体のダイナミックスを調べると、ほとんど分子の移動が抑えられていることが確認される。
以上が結果で、もちろんすぐに臨床応用というわけにはいかないが、相分離体を研究するための極めて重要なツールになるように思える。以前の論文で、相分離体が変化して起こる発生異常が他にも100近く存在することが示されていたが、これらを丹念に調べることでさらに新しいツールが開発できる気がする。面白い研究だと思う。
2025年6月7日
日本の古代史の由来や文化を知るためには中国を中心とした東アジアの先史時代の理解が必須になる。事実、現在はポリネシアなどに強く残っているデニソーワ人も、元はチベット周辺に由来しているのではないかと考えられており、現在探索が続いている。また、中国史として記録に残る、紀元前1600年の殷、周より以前の新石器時代の集落の発掘も進んでおり、ゲノム考古学が進む条件が整っている。その結果、中国のゲノム考古学研究論文をトップジャーナルで目にする機会が増えてきた。
詳しくは紹介しないが、先週出版された Science にも現在のベトナム、カンボジア、タイ、インドなどに広がっている Austroasiatic language を使う民族のルーツを雲南省出土の7500年前の古代人たどる論文が発表されていた(Science 388, DOI: 10.1126/science.adq9792)。
このような民族のルーツを探すゲノム考古学に加えて、今最も面白いのはゲノムから当時の文化を解明する方向で、ヨーロッパについてはこれまでも何度も紹介してきた。今日紹介する北京大学考古学研究大学からの論文は、我が国の登呂遺跡のような考古学公園として公開されている山東省大汶口文化遺跡に属する Fujia 地区の2つの墓に埋葬されていた古代人ゲノムの解析で、6月4日 Nature にオンライン掲載されている。タイトルは「Ancient DNA reveals a two-clanned matrilineal community in Neolithic China(古代DNAによって中国新石器時代の2つの母系氏族社会が明らかになった)」だ。
これまでヨーロッパの新石器時代や青銅器時代の同様の研究を紹介してきたが、基本的には男系社会で、女性は外の村に嫁いでいたことが明らかになっている。この研究では2750年から250年、6世代以上が埋葬されているゲノムを解析し、この領域では新石器時代から徹底した母系社会が形成されていたことを明らかにした。
まず、埋葬されている骨の3割程度が二次葬で、他の場所からもう一度運ばれて埋葬されているため、一部の骨が欠損したりしている。
最も大きな驚きは、母方から受け継がれるミトコンドリアのハプロタイプが、墓1では100%、墓2では96.5%一致していることで、埋葬されている男性女性ほぼ全てが特定の母親を祖先として持っていることがわかった。2つの墓で祖先を示すミトコンドリアは異なるハプロタイプなので、それぞれは異なる氏族の墓であることがわかる。この二つが近接して存在することは、氏族形成過程では異なるハプロタイプを持つ二人の女性が同じ村で異なる氏族を形成したことになる
一方男性型を示すY染色体は極めて多様で7種類以上が確認されており、またそれぞれの氏族でもオーバーラップしていることから、少なくとも埋葬という行為では完全に女系ルールが守られていることがわかる。さらに驚くのは、特に夫婦兄弟であるからと言うような埋葬の仕方が行われているのではなく、同じ氏族が同じ場所に埋葬されていること、そして二次葬が存在するということは、他の場所で埋葬されていた骨も、同じ氏族であれば同じ墓に運んでこられたという点だ。
とはいえ、男性が村を去るというようなことはほとんど無かったようで、埋葬されたゲノムには近親相姦ではないが、4-6親等の近縁結婚が行われていた証拠が存在することから、小さな村で男性は他の母系氏族に加わり、死後はもう一度元の氏族の墓に埋葬し直されたと考えられる。
アイソトープから推察される食物についても、ほぼ全てが栽培されたアワと、それで飼育されたブタ、そして貝などの海産物という極めて限られた食材で生きていたことがわかり、人間の長い距離の移動はなかったと考えられる。
以上が結果で、新石器時代に明確な女系社会が存在していた重要な証拠が出たと思う。とはいえ、母系集団埋葬とも言える埋葬形式が徹底しているため、実際の家族社会がどうだったのかは今後の課題になるだろう。我が国で同じような研究がもっと進むことを期待したい。
2025年6月6日
6月4日 Nature にオンライン掲載された論文の中に、機械的刺激による脳脊髄液流回復、および塞栓除去による血流再開というトランスレーショナル研究が掲載されていたのでまとめて紹介することにした
最初の論文は韓国生物科学研究所 (KAIST) からの論文で、独自に特定した脳脊髄液灌流システムを刺激して脳脊髄液のクリアランスを高める方法の開発研究だ。タイトルは「Increased CSF drainage by non-invasive manipulation of cervical lymphatics(頸部リンパ節を非観血的に操作することで脳脊髄液の灌流を高められる)」だ。
この研究は血管生物学のトップサイエンティストの一人 Koh さんの研究室からで、2019年 (Nature, Vol 572, 62) 、2024年(Nature, vol 625, 768)と Koh さんたちが独自に特定してきた脳脊髄液がリンパ管へと灌流する流路についての研究の続きになる。Glymphatics は最近の大きなトピックスだが、Koh さんたちの仕事は最終的にリンパ管へとドレーンされる経路を明らかにした点が高く評価されている。
この研究でも、脳室に蛍光デキストランを注入してそれが Prox1 でラベルされたリンパ管を通って流出する経路を追跡するオーソドックスな手法で、それぞれの流れを特に所属リンパ節との関係で明らかにしたあと、頸部リンパ節を通って半分以上の脳脊髄液が流れること、このときリンパ管の平滑筋による運動が便とともに重要な役割を演じることを確認している。
次に、高齢マウスではリンパ管でのNOSシグナルが低下することで、脳脊髄液の流量が30%低下することを発見する。そして、ここからが発想豊かなハイライトだが、ドレーンするリンパ管が存在する目の周り、鼻の側面、そして頸部を1秒間隔で刺激(ほとんど指圧といった感じ)する機械を開発し、これを30分続ける実験を行い、見事にリンパ流とともに脳脊髄液の流量を高められることを発見している。要するに指圧でリンパ流を戻すという伝統的発想に基づいており、さすが Koh さんならではのアイデアだと感心した。老化だけで無く、アルツハイマー病など様々な疾患で脳脊髄液のドレーンを高める必要が認識されているので、人間でも是非試してほしい。
次はスタンフォード大学からの論文で血管内に流れを発生させて血栓を小さくまとめてから除去する方法の開発だ。タイトルは「Milli-spinner thrombectomy(ミリスピナー血栓除去)」だ。
脳塞栓などは血栓を溶かすTPAのおかげで、発作5時間がたっていなければ治療が可能になってきたが、大きな血栓となると溶かすのは簡単でない。そこで、バイパスを設置したり、カテーテルを挿入して血栓を外科的に剥がしとる方法で治療される。カテーテルを用いる方法は、今でも様々な危険性を伴うので、熟練が必要になる。
この研究グループは、血管内で一種の渦を発生させて血栓をコンパクトにまめることができると、それを吸引除去できるのではと着想し、カテーテルの先にヒレのような突起と、その間には長方形の隙間を入れることで、血栓を外側から圧迫してカテーテルの方向へまとめる力が発生することを確認している。
あとは、この方法で対応できる血栓の種類や、除去までにかかる時間などをモデル実験系で確認したあと、除去が比較的難しい赤血球が30%ぐらい混じった固い血栓を、最初はモデル血管実験系、そして最後はブタの腎動脈、及び外頸動脈に血栓を発生させた動物モデルを用いて、この方法で2分ほどで血栓が除去できることを示している。これだとすぐに人間の治験が可能だとは思うが、先行技術がある以上、どの患者さんから始めるかの選択はかなり難しい気がする。
2025年6月5日
プロトカドヘリンについてはこれまで何回か紹介したと思うが、神経細胞に発現するカドヘリンファミリーの接着分子で同じ分子同士結合するのだが、クラシカルなカドヘリンと異なり、同じカドヘリンと結合すると、細胞膜上でクラスターを形成し、これがアクチンの再活性化を促して神経突起の repulsion を誘導する。このおかげで、同じ細胞に同じ神経突起が結合できないようになっている。このため、一個の神経細胞は一個のプロトカドヘリンだけを発現する必要があるが、最近の研究でこれに染色体3D構造調節が関わることも示されている。
今日紹介するUCLAからの論文は、プロトカドヘリンの一つ γC3 が神経細胞ではなくアストロサイトに強く発現している意味を極めてマニアックな実験で示した研究で、5月29日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Astrocyte morphogenesis requires self-recognition(アストロサイトの形態形成に自己認識が必要)」だ。
これまでプロトカドヘリンというと神経細胞を中心に研究されてきたが、実際にはアストロサイトやミクログリアにも発現が認められることが知られている。この研究では、アストロサイトが γC3 プロトカドヘリンだけを強く発現しているのに注目し、この発現がアストロサイトの機能に必須かどうかを調べるため、まず γC3 遺伝子をノックアウトして調べると、神経発生やアストロサイト同士の関係性にほとんど変化は認められないが、突起を広く伸ばしたアストロサイトの形態が大きく変化し、突起の広がりが減少し、突起間の感覚が減少し、縮こまった感じになることを発見する。
あとは、この変化が γC3 同士の結合、homophilic adhesion によるものかどうかを調べるため、γC3ノックアウトマウスにアストロサイト特異的に様々な構造をもつ γC3 の変異体を導入して、アストロサイトの形態を正常化できるかどうか調べている。
完全ノックアウトマウスのアストロサイトに正常の γC3 を戻すと完全に形態は正常化する。しかし、homophilic adhesion 機能を欠損した γC3 変異体では全く正常化しない。他にも、様々なプロトカドヘリンのドメインを交換して分子構造は異なるが homophilic adhesion は維持されている γC3 を導入する実験を組み合わせて、homophilic adhesion が形態形成に必須であることを示している。
実にプロトカドヘリンを知り抜いたマニアックなプロの実験だが、紹介はこの程度でいいだろう。要するに、アストロサイトは神経とは異なるプロトカドヘリンを強く発現することで、自分の形態を維持していることになる。
メカニズムや、アストロサイト形態異常が神経機能にどう影響するのかについてはほとんど調べられていないが、神経と同じで homophilic adhesion が突起同士の反発に関わるとすると、自分の突起が自分に結合するのを防ぐというプロトカドヘリンの性質をうまく使って、細胞突起を広く広げるのに使っていることになる。しかし、神経機能に及ぼす影響が気になる。
2025年6月4日
イタリア・ミラノにあるサンラファエロ研究所は遺伝子治療のダイナミックな研究を発表し続けている研究所で、今振り返ってみるとなんと7回も論文を紹介している。論文を読むとき最初は著者は気にしないようにしているので、面白いと引きつける研究が多いのだと思う。
今日紹介する論文は2022年6月に紹介したCXCR4に対する抗体を使って血液幹細胞を末梢に追い出し遺伝子導入した骨髄細胞を定着させるという、患者さんに負担の少ない遺伝子治療開発を目指すプロジェクト(https://aasj.jp/news/watch/19804 )の一つで、今度は直接遺伝子を静脈注射して遺伝子治療を行うための条件を調べた研究だ。5月28日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「In vivo haemopoietic stem cell gene therapy enabled by postnatal trafficking(生後の造血幹細胞の移動が生体内での遺伝子治療を可能にする)」だ。
難しいテクノロジーは全く使わない驚くほどシンプルな研究で、レンチウイルスに導入した蛍光マーカー遺伝子を直接マウスに注射して、造血幹細胞に導入する条件を探索しているだけだ。とはいえ、ベクターを直接注射してもまず遺伝子は導入できない。
この理由を考えると、最も未熟な幹細胞は骨髄では静止期にあることが多い。そのため、骨髄移植には徹底的な幹細胞アブレーションが必要になる。著者らは胎児造血から骨髄造血へと移行する時期は、一度末梢に造血幹細胞が流れたあと骨髄ニッチに定着して増殖を始めるので、この時期を狙えば直接遺伝子導入が可能ではないかと着想する。
そこで、末梢血に血液幹細胞が多く流れる時期を探すと、期待通り新生児期に幹細胞が骨髄へと移動するとき末梢血中の数が上昇することを確認する。この時期にレンチウイルスに組み込んだGFPを静脈注射すると、うまくいった場合20%近い幹細胞に遺伝子導入が可能で、導入した遺伝子の組み込みサイトから、かなりの数の遺伝子導入された幹細胞が長期間造血を続けることを発見する。
あとは、これまでの研究に基づきインターフェロンを阻害したとき、またCD47を強く発現してマクロファージの取り込みを防ぐことで、さらに遺伝子導入の効率を高められることを示している。
このように、新生児期という限られた時期を狙えば、ウイルスベクターを静脈注射するだけで幹細胞への遺伝子導入が可能であることを確認できたので、小児の遺伝性の免疫不全や遺伝子疾患モデルの治療を試みている。Adenosine-deaminase (ADA) 欠損症と、DNA修復異常の Fanconi 貧血をモデルとしているが、Fanconi の方だけ紹介する。
Fanconi 貧血の場合元々造血幹細胞の数は低いが、新生児期にベクターを注射すると、時間とともに白血球数やリンパ球数が正常化するのが見られる。さらに、マウスをマイトマイシンで処理すると、修復異常により貧血を悪化させることができるが、遺伝子導入後にこの処理を行うと、遺伝子導入された幹細胞のより選択的な増殖を観察することができ、貧血もほぼ完全に治療できる。
最後に、人間についても新生児期から18ヶ月まで末梢血の幹細胞数を調べ、マウスと同じように末梢血に幹細胞が流れて、骨髄への移動が見られることを示し、すぐに人間でも臨床治験を行える可能性を示唆している。
他にも、新生児期でなくても、生後の早い時期であればG-CSFを注射して幹細胞をもう一度末梢に動員することでも直接遺伝子導入が可能であることも検討したりしているが、とりあえずは遺伝子疾患を胎児期に特定して、生後すぐに遺伝子を注射という治験が行われると期待している。
単純だが臨床へのトランスレーション意図が明確な研究だと思う。