2017年6月23日
感染やガン、あるいはアレルギーで、抗原はわかっているのだが、それに対してどのT細胞受容体(TcR)が反応してくるのかを予測することは簡単でない。もともと、ランダムに再構成を遂げたTcRの組み合わせの中から選ばれることを考えると、予想不可能だろうと諦めているところがある。しかし、抗原とTcRの結合は化学的な分子結合であれば、必ず何らかの法則性が存在するはずだ。
今日紹介するメンフィス・セントジュード病院からの論文は、一つの抗原エピトープに対するTcRの遺伝子配列を比べることで、TcR側の法則性が見つからないかという重要な問題に挑戦した論文でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Quantifiable predictive features define epitope specific T cell receptor repertoires(特定の抗原エピトープに対するTcRレパートリーは、定量的に予想可能な性質により決められる)」だ。
研究ではMHCと抗原ペプチドが結合させた複合体に結合するT細胞を取り出し、個々のT細胞が発現しているTcRのDNA配列を4600近いT細胞について調べている。あとはこうして得られたデータから様々な性質を抽出して、抗原によりどのような制約がTcRにかかっているのか調べている。
例えば抗原に結合するCDR3領域の長さ、電荷、疎水性を調べると、抗原によって確かに制約のされ方が異なり、配列にも一定の法則が存在する可能性がうかがわれる。
もちろんV領域やJ領域の、αとβのペアリングによる選択制も検討している。抗原によって違うが、予想どおり抗原ごとに一定のコンビネーションが現れる確率は高い。そして、抗原ごとに反応するTcRのクラスターマップを作ることに成功している。すなわち、全くランダムにTcRは選ばれない。そして、立体構造的にもそれぞれの組み合わせの妥当性が確認できる。
最後に、TcRレパートリーの分類アルゴリズムを作成して、それが反応する抗原を特定することができるかも調べている。
結果はまだまだだが、反応するTcRデータが揃ったエピトープに対しては、かなりの確率で特定のTcRがそのエピトープとどの程度反応するかを予想できることを示している。
この研究は、TcRの配列からエピトープへの反応を特定できるかという重要な問題にチャレンジした点が重要で、ここで開発された様々な情報処理法が洗練されてくると、いつかエピトープに対するTcRを設計する日が来るのではと期待させる。これが可能になれば、ガン抗原に対するT細胞を設計することも可能になる。情報処理法の詳細はほとんど理解していないが、注目したい研究だ。
2017年6月22日
以前は脳神経は一度できると一生増殖しないと思われていたが、現在では成人の脳内でも神経幹細胞が必要に応じて増殖することがわかっている。神経幹細胞は脳室下帯(SVZ)と呼ばれる場所に存在し、ここにその増殖を調節するニッチがあると考えられているが、脳内のすべてのSVZで同じように幹細胞が増殖しているとは思いにくい。
今日紹介するスイスバーゼル・バイオツェントルムからの論文は嗅球の介在神経をリクルートする腹側前方のSVZに存在する神経幹細胞に焦点を当て、この増殖が遠くに存在する神経自体により調節されている可能性を示した論文で6月15日号のScienceに掲載された。タイトルは「Hypothalamic regulation of regionally distinct adult neural stem cells and neurogenesis(脳下垂体は特定の領域にある神経幹細胞による神経新生を調節する)」だ。
この研究ではまず腹側前方部SVZの神経幹細胞を増殖させる化合物をスクリーニングし、なんとオピオイド(エンドルフィン)受容体を刺激する化合物が静止期にある幹細胞を増殖させることを発見する。
静止期幹細胞を刺激する因子がエンドルフィンと特定できたので、次に腹側前方のSVZに存在して、背側には存在しないエンドルフィンを分泌できる神経細胞を探索、ついに視床下部に存在する神経にエンドルフィンを分解して分泌できる細胞が存在し、腹側前方のSVZまで神経端末を伸ばし、場所によっては神経幹細胞と直接接触していることを発見する。
ほんとうに下垂体神経により神経幹細胞の増殖に関わるかを調べるため、下垂体でエンドルフィン分解する神経を70%程度除去すると、神経幹細胞も約60%程度低下することが明らかになった。
次は逆にこの細胞のみ刺激できるシステムを用いて刺激すると、複属前方部の神経幹細胞のみ増殖することがわかった。
驚くことに、このエンドルフィン分解能のある下垂体神経細胞は空腹・満腹の調節に関わる重要な神経であることがわかっている。そこで、マウスに十分餌を与えて満腹にした時、空腹にした時、空腹の後餌を与えた時に分けてこの神経の活性を調べると、空腹時で低下し、満腹時で元に戻ること、そして何よりもこれに合わせて神経幹細胞も空腹で減少、餌を食べると増殖することがわかった。さらに、この刺激により嗅球の介在神経数が調節されていることを明らかにしている。
神経幹細胞が、神経の興奮状態により増えたり減ったりすることを示した驚くべき論文だが、同じことが他の領域にも見られるのか重要だと思う。様々な精神疾患で神経幹細胞の増殖が低下することが知られている。この原因が、神経ネットワークの変化で起こるなら、将来対処法も見つかるかもしれない。
2017年6月21日
空腹時食べ物の写真を見ると、グーッとお腹が鳴って食欲が出ることは誰もが経験している。人間の脳イメージングの研究から、空腹時に食べ物の写真を見せると島皮質と呼ばれる脳側面の奥にある領域が活性化することが知られている。すなわち、島皮質が体内感覚と高次感覚機能が出会う場所であることがわかっている。ただ、場所が場所だけに、脳の興奮を発光に変換して領域全体を記録する最新の脳記録方法は利用することができず、島皮質の正確な機能を明らかにできていなかった。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、プリズムを組み合わせた新しい記録方法を開発して島皮質の神経興奮を記録できるようにしてこの問題にチャレンジした研究で6月22日発行のNatureに掲載される。タイトルは「Homeostatic circuits selective gate food cue response in insular cortex(島皮質に見られる食べ物からのシグナルをコントロールするサーキット)」だ。
研究で使われた写真は、美味しい食べ物の写真ではなく、異なる縞模様のパターンで、一つは食べ物、一つは苦い水、そして最後は何も起こらないパターンを意味する写真で、これらのパターンの意味を学習させる。この学習により、空腹時食べ物を意味するパターンを見た時に食べ物を期待する反応が起こる。そして期待通り、島皮質の活性を抑えると、食べ物を期待して舌を動かす反応が消えることを確認している。
島皮質の関与がわかっても、神経興奮を調べるのは難しかったが、著者らはマイクロプリズムを組み合わせた新しい方法を開発し、島皮質全体でここの神経活動を記録できるようにした。この技術開発がこの研究のハイライトになる。
この方法で島皮質を観察すると、期待通り腹が減っている時だけ、食べ物を示すパターンに反応し、食べ物をもらうための行動を起こす過程で興奮が高まりほとんどの神経細胞が興奮するのが記録される。すなわち、視覚認識と空腹感が島皮質で統合されることがはっきりわかる。
次に、空腹のシグナル回路について調べ、摂食や肥満に関わるとして知られているAgRP神経が刺激されると、島皮質に空腹と同じシグナルが入ることを明らかにし、またこのシグナルがどうリレーされるか明らかにしている。
詳細を省いて結論を述べると、
餌が欠乏すると摂食に関わるAgRP神経が興奮し、この興奮は視床傍室領域、扁桃体基底外則核とリレイされて島皮質に到達するまでに、他の様々なシグナルを統合して、視覚などの認識シグナルによる刺激への閾値を変化させることで、空腹時に食べ物の写真に興奮するようになってしまうことを明らかにした。
現在の脳研究の大爆発から考えると、もう驚かなくなったが、それでも身近な問題の脳回路が明らかになるのは面白い。ただ理屈が分かったとはいえ、私の欲望をコントロールするのは難しそうだ。
2017年6月20日
収入の高い人ほど長生きであることは古くから知られている。このことは何十年も前から統計学的に示されており、最近の米国の統計でも収入に比例して寿命が長いことがはっきりわかる。
このような統計を見ると、収入が高いほど良い医療が受けられるため、寿命が伸びるのではと考えがちだ。我が国のように、国民皆保険が進んだ国は別として、米国をはじめ医療の質が収入によっても左右される国では、特にそう考えられる傾向がある。
しかし、医療に金をかけるほど寿命が本当に伸びるのかについて疑う専門家も多い。特に、米国のように保険のレベルによって高額医療が可能な国では、過剰医療が逆に寿命を縮めるのではという懸念が常に存在する。我が国でもしばしば問題になるが、早期発見を目指したガン検診が、治療の必要のないケースに対する過剰医療をうみ、健康を損なう可能性については現在も議論されている。たとえばイメージングで異常が発見される率は実際のガンの何倍にも上るだろうが、確定診断にはすべての人が医療の対象になってしまう。
今日紹介する米国ダートマス医療政策研究所からの論文は、過剰診断を生みやすいことが知られている乳がん、前立腺癌、甲状腺がん、メラノーマの4種類のガンを選び、ガンの発症率とこの4種類のガンによる死亡率を、平均所得が75000ドル以上の地域と、40000ドル以下の地域に分けて(ちなみに我が国の2016年の国民一人当たりの所得は約39000ドル)、1975年から比べた研究で6月8日号のThe New England Journal of Medicineに掲載されていた。タイトルは「Income and cancer overdiagnosis—when too much care is harmfull(収入とガンの過剰診断:過剰治療が問題になる時)」だ。
この所得の線引きを見ていると、地域の所得格差が2倍近いことが米国では当たり前なのかと驚く。いずれにせよ結果は明瞭で、1975年から一貫して、高所得地域では4種類のガンの発症率が高く、調査が行われた最後の年ではなんと高所得地域の方が2倍に達している。もちろん、生活習慣による差も考えられるが、2倍の差を説明するにはやはり、高所得地域では診断率が上がってきたと考えるのが妥当だろう。
皮肉なのは、この4種類のガンによる死亡率の比較を見ると、高所得地域、低所得地域を問わず、死亡率は確実に下がっており、両者に差がないという結果になる。
この結果をどう解釈するかだが、まず医療は確実に前進しており、これらのガンの死亡率は低下していることは歓迎できる。しかし、診断率が上がったから死亡率が下がることはないということもわかる。以上のことから、著者らは必要のない過剰診断が医療費を上昇させていると結論している。更には、医師の給与の出来高制ではなく、サラリー型に変える可能性まで議論している。
ただ、この統計だけでそこまで議論していいかは疑問が残る。ガン治療の効果判定はあくまで治療による生存期間の延長により判断される。やはり一人一人の生存期間の結果などより詳しい統計がないと、個人としては納得いかない。
医療統計、特に国民医療費議論に関わる医療統計を見ていつも感じるのだが、見せる指標によりいくらでも結論を操作できる。このような論文を読むとそろそろ、社会も個人も双方が納得出来る統計のあり方を議論する必要があるように思った。
2017年6月19日
分裂中の細胞でも、その大部分は核膜がしっかり維持された細胞周期・中間期にあり、この時期ではDNA合成とともに、盛んに転写が行われている。これまでなんども紹介してきたように、転写は核内の染色体の3次元構造に大きく依存している。この構造化がゲノムへの選択圧になって、私たちのゲノムは遺伝子に富む領域と、遺伝子が極めて少ない領域に分離され、異なる染色体構造をとおして転写の効率を上げる仕組みを獲得している。
今日紹介する英国エジンバラ大学からの論文は、転写と染色体構造を仲立ちするSAF-A分子の機能を細胞学的、生化学的に明らかにした研究で6月15日号のCellに掲載された。タイトルは「SAF-A regulate interphase chromosome structure through oligomerization with chromatin-associated RNAs(SAF-Aは染色体と関連したRNAにより重合することで中間期の染色体構造を調節する)」だ。
この分野のプロの仕事という印象を強く持ったが、筆頭著者は日本の方のようで、期待したい。
RNAへの転写が染色体レベルの変化を誘導することは、X染色体不活化や、免疫グロブリンクラススウィッチなど、様々な例が知られているが、この研究ではこれを支える多くの分子の中からSAF-Aと呼ばれる染色体スキャフォールド結合タンパク質に焦点を絞ってその機能について調べている。
まず、染色体の中で遺伝子が多い領域と、極めて少ない領域を選んで、SAF-Aが欠損するとそれぞれにどんな変化が起こるか調べ、遺伝子の多い領域だけでSAF-Aが染色体構造リモデリングに関わり、このリモデリングがRNA転写により誘導されることを明らかにしている。
次にこの現象の生化学的メカニズムを調べ、SAF-AのATP-ase活性が転写されたばかりのRNAと結合することで誘導され、ATPとの結合により分子の3次元構造が変化し、SAF-A同士の重合が起こり、ATPaseの働きでATPが分解すると、重合が解消されるサイクルが回ることを明らかにしている。
次に、この生化学的プロセスが細胞の中でも起こっていることを調べるため、詳細は述べないがPLA,FRET及び詳細な細胞内でのSAF-Aの状態の解析など、あらゆる方法を駆使して、新しいRNA転写によりトリガーされるSAF-Aの重合が細胞内で起こっていることを証明している。
最後に、こうして誘導される重合SAF-AがRNAを介してクロマチンに結合し、染色体を緩める効果があること、この結合がないとDNAにストレスがかかり、遺伝子に切れ目が入ったりすることなどを示している。もちろん、紹介を省いたが、SAF-A各ドメインの変異体の研究から、それぞれの分子機能の構造的基盤も明らかにしている。
転写とクロマチンの関係についての研究は今急速に進んでいると感じているが、実際の転写の現場に最も近い分子が見えることで、さらに研究が加速する予感がする。
2017年6月18日
今日2時からニコニコ動画で、3人の脊髄損傷の患者さんと、最近2−3年の脊髄損傷、特に細胞治療の可能性について書かれた総説の読書会を行う予定だ(
http://live.nicovideo.jp/watch/lv299503716)。
私が再生医学の政府プロジェクトに関わってからすでに17年が経つが、幹細胞を用いた脊髄再生を唱えながら10年以上、専門家から見れば少しずつ進展はあるかもしれないが、外野から見た時ほとんど何も変わっていないような気がする。その辺を厳しく検証したい。
今日の論文ウオッチの題材はしかし脊髄損傷ではなく、神経変性疾患に関わるミクログリアの話を選んだ。
ミクログリア細胞は発生初期に脳内に移動した前駆細胞が脳内で自己再生する独立した貪食システムで、通常は脳のホメオスターシスを守るための細胞だが、中枢神経系の慢性炎症では神経細胞変性やシナプスの喪失に関わる負の側面が出てしまうのではと疑われている。
今日紹介するイスラエル・ワイズマン研究所からの論文は、アルツハイマー病のモデルマウスを用いて、アルツハイマー病(AD)特異的ミクログリア細胞を特定した研究で6月15日号のCellに掲載された。タイトルは「A unique microglia type associated with restricting development of Alzheimer’s disease(アルツハイマー病の進展を制限するミクログリアの特異的タイプ)」だ。
脊髄損傷の研究進展を眺めていて苛立ちを覚えるのは、再生に関わる組織や細胞過程についての研究がいい加減な点だ。これに対して、今日紹介する論文は実に丁寧で忍耐強い仕事だと好感を持つ。
研究では人間の遺伝性アルツハイマー病で見られるのと同じ突然変異を導入したADモデルマウスの脳から血液系細胞を取り出し、細胞一個づつ遺伝子発現を網羅的に調べ、ADで特異的に現れるミクログリア細胞を2種類同定している。このタイプは正常では全く見られないが、ALSのような神経変性性疾患には存在している。
病気の経過にしたがって、この2種類の細胞の出現を調べると、通常のミクログリアが時間とともに異なるタイプへと分化しており、最後の段階のミクログリアはADのプラークの周りに集まり、盛んに貪食していることが明らかになった。
以上の研究から、ADによる細胞変性が始まることでミクログリア分化のスウィッチが入り、中間段階を経て、最後はプラークを貪食して、病変の広がりを防ごうとするミクログリアへと分化するという論文だ。
最初に述べたが、何千個にも及ぶ細胞一個一個の遺伝子発現を調べた真面目な研究だ。もちろんこの研究がそのまま人間に当てはまるかどうかもわからないし、これにより新しい治療戦略が開けるものでもない。それでもこの真面目さに感動した。
2017年6月17日
成長期に虐待などのストレスを受けると、成人後にうつ病を始め様々な精神疾患にかかりやすくなることがわかっている。しかし、なぜ一時期の虐待の効果が長期間記憶され大人になってから現れるのかについてはよくわかっていない。
例えばフロイトは乳児期に母に向いた欲動を、積極的に無意識に押し込めたことが、成人後の神経症などの原因になると述べた。このような精神分析的解析は精神医学では下火になっているのではと危惧するが、患者さんが病気を理解するという意味でも重要だ。ただ誤解を恐れず言ってしまうと、成長期で起こる脳の変化の背景には必ず分子と細胞の変化が存在することも確かだ。
今日紹介するニューヨーク・マウントサイナイ医科大学からの論文はマウスを使ってうつ症状につながる幼児期のストレスの分子基盤を調べた研究で6月16日発行のScienceに掲載された。タイトルは「Early life stress confers lifelong stress susceptibility in mice via ventral tegmental area OTX2(初期のストレスは腹側被蓋領域のOtx2を介してストレスに対する感受性を生涯高める)」だ。
研究は脳の分子生物学としてはオーソドックスで、特に新味があるわけではない。定法に従って、授乳期前期(生後2−12日)、後期(10−20日)に母親から一定時間隔離するというストレスを与え、成長してから今度はラットなどマウスから見た社会的強者と同じケージに入れた時の、引きこもりや快感の喪失などいわゆるうつ症状の出方を調べている。結果は、授乳期後期にストレスを与えた時だけ、成長してからのうつ症状が見られることを確認している。
この研究では、成長期のストレスで変化する場所は腹側被蓋領域(VTA)と決めて、VTAで成長期のストレスにより変化する遺伝子をリストしている。
200を超す遺伝子が成長期のストレスで変化するが、この多くがなんとOtx2遺伝子により調節を受けている遺伝子であることを明らかにしている。
専門外の人には、Otx2が出てきても特に驚きはないと思うが、発生学者には馴染みの深い遺伝子で、脳の発生に必須の遺伝子というだけではなく、視覚の可塑性など成長過程にも重要な役割があることが明らかになっている。発生学者からみれば真打登場とでも言えるだろうか。実際Otx2がストレスにより変化するのか調べる目的で、授乳後期にOtx2の発現を一時的に抑えると、成長後のうつ症状が出やすくなる。
話は結局これだけで、残念ながらなぜストレスがOtx2遺伝子変化を誘導できるのか、また一時的なOtx2発現低下が長期間続く効果をVTAで誘導するのかは結局わからないまま終わっている。論文としては真打登場に救われて、Scienceに掲載されたようにも思える。
とはいえ、脳の可塑性を考える時、Otx2が鍵になる分子として、視覚に限らず今後注目されていくような予感がする。
2017年6月16日
最近羽田を利用した際モノレールに乗ると、少し冷えすぎではないかと思うことが多い。私だけでなく、同行するかみさんも同じように感じているので、おそらく節電意識が薄れてきているのだろう。実際、電力会社にとっては、同じ電力料金なら多く使ってもらう方がありがたいはずだ。しかし、自戒も含めて、福島原発災害の後の節電の高まりはどこに行ってしまったのかと思う。
今日紹介するスタンフォード大学政治学教室のWerfelさんの論文は、福島原発災害を経験した我が国民を対象に、当時の節電努力を思い出すことが、政府の節電政策支持とどう相関するかを調べた論文でNature Climate Change オンライン版に掲載された。タイトルは「Household behaviour crowds out support for climate change policy when sufficient progress is perceived(家庭での努力によって温暖化問題が解決できていると実感すると温暖化政策への支持が押しのけられる)」だ。
地球温暖化問題への100点の回答は、個人が家庭で節電やリサイクルの努力を尽くし、その上で環境税も含めた温暖化を阻止する政策を支持することだ。この理想的な協調が福島原発災害後の我が国で見られたことは確かだ。しかし、アベノミクス以降金融緩和と消費の需給ギャップを埋めるためのじゃぶじゃぶの財政政策によって借金への罪悪感が麻痺すると同時に、思うように上がらない個人消費を訴える政策により節約へのマインドが薄れ、なんでも消費はよしとする20世紀の古いマインドに戻ってしまった。
この研究では、2011年の大きな節約のうねりを経験した日本人12,000人を対象に、個人が節電努力をすることで、政府による政策的取り組みを支持する気持ちがどう変わるか調べている。
調査は日経新聞のウェッブアンケートを用いて行っている。まず参加者を4グループに分け、第一段階として、第1グループには、2011年各家庭にあてたパンフレットに書かれていた行動3項目を行ったかどうか思い出してチェク、第2グループにはより詳しい10項目についてのチェック、第3グループには節電とは関係のない調査、を行ってもらう。最後の第4グループは第一段階はスキップする。
次の段階で、政府が環境税として各家庭への負担も含めた取り組みを行うことを支持するかどうかを全員に調査する。すなわち、当時の節電努力を思い出すことで、政府の環境対策への支持がどう変化するか見ている。
結果は当時を思い出して、確かに個人的努力をしたと感じることで、政府が環境税を含む対策を推進することを支持しなくなることがわかった。
もう一つの調査では、当時の節電努力の代わりに、今度はいわゆる道徳的な個人行動、例えばこの一週間に誰かを助けたか、あるいはリサイクル運動に参加したかなどを聞いて、やはり環境政策を支持するかどうかを聞いている。結果は、道徳的に振舞おうと努力するほど、個人の努力で十分で、政府の環境対策を支持しないという結果になっている。
要するに我が国では個人的努力をする、あるいは道徳的に行動しようとすると、政府へは期待しなくなるという結果だ。論文では、これが日本だけでなく一般的傾向だと断じているが、例えば環境対策の徹底したドイツや北欧と比較して初めて結論が出る気がする。個人的には、政治への無力感が根っこにあるように思えるし、今の政府は原発推進のためにもあまり節電には熱心でない気がする
2017年6月15日
今週はempathy、すなわち他人の気持ちを理解して共感する心についての論文を2編も読む機会があった。
詳しい紹介は省くが、6月21日号のNeuronに、心を動かす実話を聞かせながらMRIで脳の活動をモニターし、何かしてあげたいという気持ちと、悲痛な気持ちの共感に関わる脳領域を特定した論文だ。この研究が面白いのは、物語を聞いた後実際に寄付をお願いして平均20ドル程度集めている点と、なんと脳の活動から被験者の寄付額を予想している点だ。ともかく既存の観念にとらわれない面白い研究だ。
今日紹介するもう一つの共感についてのケンブリッジ大学からの論文は、この他人の気持ちを理解する心の遺伝的背景を調べる研究で、このための方法に興味を惹かれた。タイトルは「Genome wide meta-analysis of cognitive empathy:heritability, and correlates with sex, neuropsychiatric conditions and cognition(他人への共感の気持ちのGWAS解析:遺伝性と性、精神的状態、認知との関連)」で、Molecular Psychiatryオンライン版に掲載された。
他人への共感の心を調べるためには、通常上に述べたような時間のかかる検査が必要で、その遺伝子背景を調べるために必要な人数を考えると、到底実施できないと思ってしまう。ところがこの研究では、それをほとんど金をかけないでやってしまったところに驚いた。
この研究では共感度を調べるために、オンライン上で様々な目の写真を見せてその目が表現している感情を判断するThe Eye Testを指標に用いている。このテストは公的にも重要な指標として心理や精神医学領域では利用されているようだ。
研究では23&meのゲノム解析を受けた100万人以上の方に連絡し、その中から約9万人のボランティアを募って、このThe Eye Testを受けてもらい、その結果をすでにわかっているゲノムデータと対応させ、The Eye Test指標と相関するゲノム領域を調べている。さらに、遺伝性を確かめるため、ゲノム解析が行われている双子のコホートを利用して、The Eye Test指標の遺伝性を数値化している。いずれにせよ、9万人という数が簡単に揃うことに感心する。
23&meのデータではすでに、被験者の様々なデータが蓄積されており、まずこれとThe Eye Testスコアの相関を調べると、年齢、性と強く相関することがわかる。また、性格でいうと寛容さと最も相関する。一方、意外なことに自閉症傾向とは強い相関がないが、食思不全症とは強く相関する。したがって、これらを補正してゲノムとの相関を計算する必要がある。
次にゲノムデータと相関させると、高い相関を示す一塩基多型(SNP)がSUMF1と呼ばれるスルファターゼ遺伝子の近くに見つかる。他にもLRRN1,SETMARなどの遺伝子領域にSNPが見られる。双子のコホートを用いた遺伝性の検証からもThe Eye Test指標には確かな遺伝性が見つかる。
以上が結果の全てで、結局他人の心を理解する能力を遺伝子から説明するには程遠いと言える。
しかし、すでに集まったSNPデータをいかに有効活用するかという点では習うべきところの多い研究だと思う。また、現在チンパンジーとボノボを比較する研究などから感情移入についての進化も徐々にわかってくると思う。その意味で、今回の研究も利用価値が高まると期待したい。
2017年6月14日
DNA合成開始から、細胞分裂まで、正確なタイミングで細胞増殖が続くためには、細胞周期の各段階に特異的に働くサイクリンとサイクリン依存性キナーゼが必要だ。この中でDNA合成へと移行するG1期を調節しているのがcyclin D1−3とcdk4とcdk6だが、Rb1のリン酸化部位が異なることはわかっていても、cdk4とcdk6の間の機能的区別については明確でなかった。実際、細胞周期を標的に開発された阻害剤はcdk4/cdk6阻害剤とひとまとめにされている。
今日紹介するボストン・ダナファーバーガン研究所からの論文はcdk6には代謝を調節する別の機能が存在し、これを標的にすることで既存のcdk4/cdk6阻害剤をより効果的に使えることを示した研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「The metabolic function of cyclin D3-CDK6 kinase in cancer cell survival (cyclinD3-cdk6はがん細胞の代謝を調節して細胞の生存に関わる)」だ。
G1サイクリンはガンで発現が高く、cdk4/cdk6の阻害剤はガン治療の目的で開発されているが、これらのキナーゼの標的になっているRb1が欠損したガンでは効果がなくなる。ところが、T細胞白血病(T—ALL)ではcdk4/cdk6阻害剤によりなぜか細胞死が誘導されることが知られていた。
この研究ではRb1を欠損して理論的にはcdk4/cdk6阻害剤の効果がないはずのT-ALLでもcdk4/cdk6阻害剤が細胞死を誘導するという発見から、cyclinD3とT細胞で発現の高いcdk6が、細胞周期とは異なる経路の制御を行っているのではと着想し、T-ALL細胞からcdck6結合タンパク質を精製したところ、なんと糖分解系に関わるフルクトースキナーゼ1(PFK1)とピルビン酸キナーゼ M2(PKM2)がcyclinD3/cdk6によりリン酸化され、酵素活性が低下することを発見する。
この発見により、cyclinD3/cdk6を高発現するがん細胞では、サイクリンにより細胞周期が促進するだけでなく、早い増殖についていけるようにPFK1、PKM2の2種類の酵素活性を抑え、ブドウ糖がペントースフォスフェートと、セリン経路を介してNADPHとグルタチオン合成に利用できるようリプログラムすることで活性酸素を抑え、細胞死を防いでいることが明らかになった。したがって、cyclinD3/cdk6発現の高いガンにcdk4/cdk6阻害剤を使うと、細胞周期を停止するだけでなく、細胞死も同時に誘導することになるため、治療効果が高まるという結論だ。
この可能性が、T-ALLだけでなく、他のガンにも当てはまることをメラノーマについても確認している。
この研究はcyclinD3/cdk6が代謝のリプログラムを誘導するという、比較的当たり前の話だが、ガンの治療という点では、かなり重要な発見ではないかと思う。すでに治験が進んでいる薬剤がいくつか存在するので、ぜひガンに合わせて薬剤が使える体制が出来上がって欲しいと思っている。