2017年5月23日
21世紀に入って急速に進展した分野が染色体構造の構造解読研究だろう。2mにも及ぶDNAが小さな核の中に折りたたまれ、折りたたむ方向と核内の位置が決められ、さらにそのパターンが細胞分裂のたびに再現されることは驚き以外の何物でもない。このゲノム構造化の鍵を担うのが、CTCFとコヒーシンだが、あまりに当然すぎて、この分子が急に欠損したらどうなるなどあまり考えたことがなかった。
今日紹介する米国サンフランシスコ・グラッドストーン研究所からの論文はCTCFが消えたらクロマチンはどうなるのかという極めて素朴な疑問にチャレンジした研究で5月18日号Cellに掲載された。タイトルは「Targeted degradation of CTCF decouples local insulation of chromosome domains from genomic compartmentalization(CTCFの分解は染色体ドメインのインシュレーションをゲノムのコンパートメント化から切り離す)」だ。
もちろんこれまでもCTCFの翻訳を様々な方法でoffにする試みは行われてきた。しかし、いったん翻訳されたCTCFは残存し、たんぱく質の除去の程度は限界があった。これに対し、この研究では植物ホルモン・オーキシンによってAID領域を持つタンパク質を分解するシステムを用いて、細胞に存在するCTCFを完全に分解してしまう方法を使っている。方法自体は私が現役の時に我が国で開発された方法で、動物細胞にはシステムそのものがないので、ES細胞のCTCFをAIDで標識したCTCFに置き換え、加えてオーキシンに反応するTir1分子を加えることで特定のタンパクを細胞内で任意の時点に分解することができる。
CTCFが分解したら細胞はすぐ死ぬのではと思って読み始めたが、オーキシン添加により増殖速度は低下するものの、2日間ぐらいはほとんどの細胞が生き残り、増殖する。これにより、CTCFの機能をかなり正確に調べることが可能になっている。
結果だが、CTCFがなくても生き残るのは、on/offを決める大きな染色体構造自体はCTCFが除去されても維持されることが明らかになっている。また、ヒストンのメチル化による染色体の広い範囲にわたるクロマチン凝縮もCTCFなしに維持できる。最初、いったん構造ができると、かすがいが外れても、構造は維持されるのかと思ったが、オーキシン添加後2日だと、細胞はすでに細胞周期を終えており、クロマチンの再構成自体が可能であることを示している。一方、TADとよばれるゲノム領域内に転写活性を止めておくインシュレーター機能は完全に破壊されている。
他にも様々な検討を行っているが、これらの結果からコヒーシンを中心とする複合体がゲノムに結合してゲノムのルーピングを進めるが、その時CTCFはこの複合体をそれ以上進めないで止める働きがあることが明らかになった。
この結果、では転写では何が起こるかも調べており、半分の遺伝子の転写が抑制され、半分が上昇する。この検討から、CTCFが確かにエンハンサーの作用範囲を制限していることがわかるが、TAD境界が失われた状態での変化は極めてランダムで、説明自体は難しいと思う。
今後、コヒーシンをロードするたんぱく質など同じ様な方法で分解する実験を組み合わせることで、CTCFとコヒーシンの役割がさらに明らかになるだろう。
これまでなんとなく頭の中でわかったつもりになっていても、最も確実な方法で実験を行うことが重要だと納得した。
2017年5月22日
医師になりたての頃一番困ったのは、原因がはっきりしない痛みや疲れを訴える患者さんだ。最初患者さんの訴えに合わせて詳しく調べようとすると「いくらかかると思うの?」と先輩から諭された。特に痛みになると、個人差が大きい。当時は鎮痛剤も多くなく、また痛みに対する麻薬の使用も厳しく制限されていたため、「考えすぎ、他の人は我慢できている」などと真正面から取り組むことはなかった。
その後、多くの鎮痛剤が開発され、また麻薬の使用の制限が緩んでくると、今度は患者さんのリクエストに答えすぎておこる麻薬の過剰使用が問題になっている。
医学部で様々な病気について学び始めると、深刻な病気の症状が自分にも当てはまるのではと心配する病気恐怖症になる学生がいる。私自身も、多かれ少なかれその傾向はあったが、実際に診療に携わり、病気の頻度を実感すると、そう簡単に病気にならないこともわかってきて、病気恐怖症は消える。この様に、医者は平均値で考えるため、患者さんからみると私の痛みが理解してもらえないと常に不満の原因になることが多い。
私は医者をやめて長いので現状を知らないが、医師から見て大げさではないかと思える痛みを訴える患者さんにどう向き合えばいいのか、それほど研究は進んでいないのではと思う。
ところが先週Journal of Applied Biobehavoral Researchの「Pain Catastrophizing」特集に目が止まった。
Pain Catastrophizingという言葉に出会ったのは初めてだが、なんとなく痛みを大げさに訴えることかなと見ただけでわかる。読み進めると予想通り、「実際の症状から予想されるより大げさな痛みを訴えるネガティブな気持ち」のことで、2000年以降、特に麻薬の過剰使用の問題の一環として痛み領域では注目を集めている分野になっている様だ。
この特集はイントロダクションとPain Catastrophizingについての歴史的検討に続いて、
1) Catastrophizingのレベルを客観的に調べることが、特に麻薬の過剰使用との関係で重要であることを示した論文、
2) 工場で働く人の誰もが背中の痛みを経験するが、これがcatastrophizingされることで多くの損失につながることから、catastrophizing自体を症状として真剣に取り組むことの重要性を示した論文、
3) 労働時の事故からの回復過程で、catastrophizingの傾向が大きな影響を持つこと、catastrophizing傾向の治療が実際に職場復帰を高めることを示す論文、
4) catastrophizing傾向の検査により、女性の生理痛の程度を予測できること。また、これにより夫の精神状態も大きく影響を受けることを示した論文、
5) カプサイシンクリーム塗布に対する痛み反応が二次痛覚過敏症とともにcatastrophizing傾向と相関することを示した論文、
など、医師の診立てと患者の評価が食い違うことが問題になる多くの状況をカバーするいい特集だと思う。
いずれの論文も結論は、catastrophizingを一つの症状として、痛みとは切り離して治療することの重要性を強調している。
医師の側から見るとこの結論は、痛みなど主観的症状を器質的原因だけでなく、患者の心にまで広げて治療する忍耐強さが求められる。
しかし最も高いハードルは、患者さん自らが自分の症状の一部が「気から」来ていることを認める必要がある点だ。これが可能になるためには、これまでとは全く異なる医者と患者の関係が必要になる。
この特集の最初の論文「Pain catastrophizing: A historical perspective(大げさな痛みの訴え:歴史的視点)」では、catastrophizingの最大の特徴が、痛みのことを考えすぎて、この結果必ず大変なことが起こるのに、誰も助けてくれないと絶望することと規定した上で、
1) 痛みを大げさに訴えることで、恐怖から逃れようとする気持ち、
2) 病気の症状は必ず治るはずだと、徹底的に根治を求める気持ち、
3) 他人の注意を引き付けたいという気持ち、
など、精神的背景が科学的に考察される様になった歴史を説明している。そして、この問題についての科学的な論文が多く発表される様になり、またゲノム研究も進んできて、catastrophizing傾向の精神的背景が理解され、この傾向を早期診断することで、この問題の解決に近づいていることを強調している。
この問題を医者患者が一緒になって考えることで、医師と患者の新しい関係が生まれる予感がする。
2017年5月21日
睡眠の神経回路研究は、光遺伝学によりもっとも進展した領域の一つではないだろうか。これまでこのHPでも何回か紹介してきたが、普通に行動しているマウスをレーザー刺激で起こしたり、眠らせたりする方法は極めて強力で、研究が定性的なレベルから、極めて詳細なレベルへと進んできている印象がある。なかでもカリフォルニア州立大学バークレイ校のグループは論文ウォッチャーとして論文を眺めているだけでもアクティブなのがよくわかる。
今日紹介する論文もこのグループからの論文で睡眠誘導に関わる神経回路が発現する睡眠誘導メディエーターと光遺伝学をつないで、睡眠研究をより新しい段階へ高めようとする試みで5月18日号のNatureに掲載された。タイトルは「Identification of preoptic sleep neurons using retrograde labeling and gene profiling(視索前野の睡眠神経を逆行標識法と遺伝子プロファイルで特定する)」だ。
タイトルからわかる様に、この研究では睡眠の生理学を突き詰めるというより、その前段階の必要なツールを揃えることに焦点が置かれている。これまでの研究で睡眠に関わる領域は数多く特定され、そこに存在するGABA作動性の神経細胞が睡眠誘導に関わることが明らかになっている。この研究は、睡眠誘導に関わることがはっきりしている、視索前野(POA)から視床下部後方にある結節乳頭核(TMN)へ投射するGABA作動性神経細胞に焦点を絞って、この神経細胞を、睡眠を誘導することがわかっているペプチドホルモンと相関させるのが目的だ。
POAの神経の中からTMNへ投射している神経だけを操作するため、この研究ではまず神経細胞の軸索を通って逆行性に神経をラベルできるベクターを用いて遺伝子をGABA作動性神経だけに発現させるという方法を用いて、光遺伝学的にスイッチを入れたり切ったりできる様にしている。
POAのGABA作動性神経の全てを興奮させる実験では、マウスは覚醒してしまうことから、様々な機能を持ったGABA作動性ニューロンがPOAに存在することがわかっているが、TMNへ投射する神経だけに焦点を当てると、刺激により睡眠が誘導され、抑制により覚醒することが確認され、この回路を睡眠調節の入り口に使えることが明らかになった。
詳細は省くが、次にPOAの中でTMNへ投射する神経細胞が発現する神経ペプチドを探索し、コルチコトロピン遊離ホルモン、コレシストキニン、タキキニン、麻薬様ペプチドがこの神経細胞に様々な割合で発現していることを突き止める。重要なのは、これら神経ペプチドが全て睡眠作用があることで、睡眠誘導回路とメディエーターをリンクさせるのに成功している。
それぞれのペプチドをコードする遺伝子にチャンネルロドプシンを発現させる実験で、どのペプチドを発現する回路でも睡眠を誘導できるが、最初の2つのペプチドの場合はノンレム、レム両方の睡眠が上昇するが、タキキニン発現神経の刺激ではノンレム睡眠が選択的に上昇することから、同じ回路に存在する神経も細かく分化していて、異なる役割があることが明らかになった。
話はこれだけで、今後こうして細分することができた神経経路を操作して睡眠という複雑な現象が一つづつ解明されるのだろう。
この様な論文を読むと、免疫学や血液学が細胞表面抗原に対する抗体を組み合わせることで細胞を細分して機能と対応させた方向が、神経でも進んでいることがよくわかる。問題は、これにより詳細が明らかになる一方、研究内容が専門外にはどんどん分かりにくくなることで、さらに細分化が進むと私の頭がどこまでついていけるのか少し心配になる。
2017年5月20日
フランスの大統領選挙は我が国でも注目されたが、いつもうらやましく思うのはフランスが続けている完全な政教分離政策だ。これは教育から宗教を完全に排除することから始められたが、一連の動きを推し進めたのがのちに首相になるジュール・フェリー教育相だ。これを実現するためカソリック系の小学校に軍隊を差し向けて教壇にある十字架を外したと読んだことがある。だからこそ、教師が宗教と思想の自由を理由にブルカをまとうのは許されない。
首相や議員が、まだ成熟していない幼稚園児が教育勅語や様々なスローガンを叫んでいるのを見て感激し、宗教政党ですらそれを不思議ともおもわず支持している我が国と比べると、知性の違いを感じざるを得ないが、今日紹介する論文を読んでいて私の感覚の方がこの国ではおかしいのだろうと納得した。
今日紹介するのはロンドン・アルスター社会学研究所からの論文で宗教と知性の問題について述べた一つの意見だが、「Why is intelligence negatively associated with religiousness?(なぜ知性は宗教心と逆相関するのか?)」というタイトルを見ただけで読んでしまった。論文はEvolutionary Psychological Science5月16日号に掲載されている。
ジュール・フェリーが知っていたのかどうかわからないが、おそらく宗教は知性と対立するという強い信念がないと、あそこまで強い政策を取ることはできないだろう。この論文は、ギリシャのユーリピデスの言葉「誰かが天に神がいると言っているなら、実際は神などいない。古い逸話で語りかけるどんなバカにも騙されてはならない」から始めているが、宗教が知性と対立するという考えはヨーロッパでは根強く続いてきたようだ。1920年以降になると宗教心とIQが反比例するという科学的調査が数多く出版される。この論文の目的は、なぜこの様な現象が見られるのか考察することだ。
論文と言っても一種の意見で、日系アメリカ人心理学者サトシ・カナザワさんの「サバンナーIQ相互作用説」を少し改変したIntelligence-Mismatch association modelがもっともこの現象を説明できると結論している。このカナザワ説では、人間がサバンナから離れるとき、知性とそれによる新しいものを求める性質が進化に直結する形質として確立する。この結果、以前より新しい行動を取ることがIQと相関する様になる。宗教も最初はIQの高い変わり者の形質として始まるが、これが当たり前になると、IQの高い変わり者は無神論的になるという結論だ(カナザワさんの本は早速購入した)。著者らはこれに基づき、社会も人間もこの集団の中で知性のミスマッチが生じることで多様性を高める方向で進化が進み、その結果として現在宗教心とIQが逆相関していると提案している。
宗教を進化論的に考えるのは当たり前と思っている私にとってはなるほどで終わってしまう論文で、詳しく紹介することは避けるが、この論文で引用されている社会学的調査が面白いのでそれを紹介して終わる。
1) 宗教心とIQを含む様々な方法で測定した知性が逆相関することは多くの調査で示されている。
2) ロシアの様な社会主義国では無神論者のIQは圧倒的に国民平均レベルを凌駕している。
3) 米国では、原理主義的キリスト教信者は一般的に知性が低い。
4) 科学者には宗教信者は少なく、例えば英国科学協会では20年前でもすでに宗教を信じているメンバーは3.3%に過ぎなかった。
5) この傾向に対して、科学を専攻する大学生は人文系の大学生より宗教心が高いことが報告されている。すなわち大学生段階ではIQと宗教心は相関がない。しかし、ポスドクや大学教員になるとこれは逆転し、科学専攻の方が人文系の研究者より宗教心がなく、またIQが高い。
6) 韓国だけはIQと宗教心が相関するが、IQの高い順序は、プロテスタント、カソリック、仏教と続く。(韓国は政教分離が明確な国だと思うが、その意味で我が国との比較は面白い様に思う。残念ながら我が国での研究は引用されておらず、調べてみたいところだ。)
7) コンピュータモデルの計算では、民族主義的思想が最終的にた民族主義を凌駕する。
などなどだ。すべてオリジナルな論文があり、ぜひ目を通してみたいと思う。
ただ、この社会学的結果を眺めていると、我が国の政府や議会を担う人たちは宗教側に偏っており、フランスでは逆になっていることがわかる。科学的に調べれば調べるほど、この民主主義化が抱える問題の出口は見つかりそうもない。
2017年5月19日
きわめて単純化していってしまうと、網膜で形成された視覚情報は視床の外側室状態を通って様々なモジュールに変換され、そのまま後頭部の一次視覚野に入って像を形成する(一次視覚野が障害され、見えているとは自覚していないのに見える盲視に見られる様に、実際の経路は単純でない)。その後、一次視覚野からの情報は記憶されたり、他の情報と統合されたりと、様々な領域に送られるが、見ているものが何かをカテゴリー化するのに関わる経路は腹側側頭皮質野であることがわかっている。すなわち顔を見ているのか、景色を見ているのかを意識するにはこの領域が必須だ。
一方、私たちの認識は大きく視覚に依存しているが、生まれつき目の見えない人は、同じカテゴリーを他の感覚入力から形成する必要がある。この様なカテゴリー化にも、腹側側頭葉が関わっていることが知られている。この領域の活動法則を知ることは、カテゴリー化とは何かを知るために重要な課題だ。
今日紹介するベルギーのルーベン・カソリック大学からの論文は腹側側頭葉でのカテゴリー化が全く視覚情報とは独立して行えるのか、あるいは視覚、聴覚それぞれの感覚は別々にカテゴリー化されるのかを、生まれつき目の見えない人を選んで調べた研究で、米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Development of visual category selectiveity in ventral visual cortex does not require visual experiencee(腹側視覚野での視覚カテゴリーの選択制の発達には視覚経験は必要ない)」だ。
この研究では、発生過程の障害のため、生まれつき目の見えない人を選んで調べることで、視覚刺激が全く存在しないという状況でカテゴリー化を調べている。では、生まれつき目の見えない人に、顔、体、景色、物などのカテゴリーをどの様に認識してもらうかだが、この目的で、顔のカテゴリー化には笑い声や口笛など顔を思い浮かべる音、体のカテゴリー化については手を叩いたり指を鳴らす音、景色のカテゴリーについては波の音、物のカテゴリーについては車や機械の音と、日常自然に存在して、明確にカテゴリー化できる音を聞かせている。
研究では、正常人には、ビデオ画像によるカテゴリー化、音によるカテゴリー化を行ってもらう一方、視覚が欠損した方には音刺激でカテゴリーを思い浮かべてもらい、その過程を帰納的MRIで調べている。
結果だが、正常人が様々なカテゴリーの画像を見た時に活動する腹側視覚野部位は、カテゴリーごとに分離しているが、目の見えない人が画像に対応するカテゴリーを音を聞いて判断している時も、同じ領域が活動する。ただ、この領域がカテゴリーをトップダウンで決める領域でないことは、正常人が音を聞いてカテゴリーを判断する時に活動する領域が異なっていることからわかる。
わかりやすく言うと、視覚刺激の競合がない時だけ、腹側視覚野を使って同じ様に音刺激をカテゴリー化している。この結果に対応し、目の見えない人は、音の刺激から得られるカテゴリーを一次視覚野で区別していることも明らかになった。一方、一次聴覚野でのカテゴリーの分離は正常人でははっきりと見られるが、視覚の欠損した人では、依存性が強くないことも分かった。すなわち、必要に応じて自由に感覚野を使い分けている。なかなか面白い。
素人なりに考えると、視覚野も聴覚野という単純な区別も本当は必要なく、一次感覚野はインプットに応じて自由に再構成できている。実際、目に見えない人が何を感じているのか、正常人もイメージを共有する日が来るのも近い様な気がしてきた。
2017年5月18日
自閉症は遺伝性の強い疾患だが、多くの遺伝子が組み合わさって病気が起こるケースがほとんどだ。しかし、まれに単一の責任遺伝子が明らかになっている場合があり、従って自閉症の場合エクソーム検査などの遺伝子検査は必須の条件だ。
これに対し、治療法がなければ遺伝子検査も意味がないと批判が出るが、やはり病気の原因を確定することからしか病気と向き合うことは難しい。
今日紹介するカナダモントリオール大学からの論文は遺伝子診断により治療可能性が生まれることを教えてくれる研究でNature Mediineオンライン版に掲載された。タイトルは「Metformin ameliorates core deficits in a mouse model of fragile X syndrome(メトフォルミンは脆弱X症候群のマウスモデルの主要な症状を改善する)」だ。
タイトルにある脆弱X症候群 (FXS)は、RNAに結合してその輸送に関わる分子FMR1をコードする遺伝子内のCGG配列の数が増加することで起こる典型的なリピート病で、注意欠陥と多動性などの自閉症症状とともに、様々な発生異常が起こる。自閉症様症状を伴う単一遺伝子疾患としては最も頻度の高い病気で、遺伝子診断の普及とともに患者数も多いことがわかってきた。
これまでのマウスモデル及び患者さんの細胞を用いた研究から、FMR1遺伝子の異常が、mTOR1とERKの過剰活性を引き起こし、翻訳活性が上昇する結果、細胞外のマトリックスを分解する酵素MMP9が過剰に分泌される結果、神経結合の異常が生じるというシナリオが提案されている。事実、FXSモデルマウスをMMP9ノックアウトマウスと掛け合わせると症状が抑えられることから、全てを説明できたわけではないが、この経路が病気発症のメカニズムの核になっていることが示唆される。
この研究では、このシナリオに基づいてmTOR1,ERKからMMP9までの経路に介入できる薬剤を検討し、諸外国では2型糖尿病治療の最初に用いられるメトフォルミンがmTOR1及びERKの活性を抑えることに着目し、メトフォルミン投与でFXSの症状が改善されるのではと着想した。
この研究はこの着想がすべてで、結果は予想通り、
1) マウスモデルにメトフォルミンを投与すると、自閉症様の症状がほとんど消失する(かなり正常に近いところまで改善している)
2) 症状改善に一致して、神経細胞のシナプス結合を反映するスパインの異常(FXSではスパインの数が増えるが一つ一つのスパインは成長していない)がほとんど元に戻る、
3) 神経生理学的に異常な長期神経抑制が正常化する、
4) FXSの特徴である睾丸肥大が改善する、
5) 症状の改善に一致して、生化学的にもERK、翻訳活性、及びMMP9の産生が正常化する、
ことが示された。
メトフォルミンがこれまで10歳以上の糖尿病の患者さんであれば、長期投与されており、また一錠30円程度ときわめて安価なため、がんの予防として飲んでいる人がいることを考えると、この結果はFXSの患者さんにとってきわめて重要な貢献だと思う。もちろんなぜ効果があったのかを、このシナリオですべて説明できるのかはさらに研究が必要だが、安い、比較的安全な薬が、疾患モデルで効果があったことは間違いなさそうだ。そして何よりも、こどもの遺伝子診断の重要性がこれではっきりと認識され、新生児のエクソーム検査などに助成が行われることを期待する。
2017年5月17日
大脳皮質と視床を含む脳幹部を連結している大脳基底核は、人間の行動を支配する重要な領域で、この領域の中にパーキンソン病で細胞死が起こるドーパミンを作る細胞が存在する黒質やドーパミンに反応する線条体が含まれている。
ドーパミンは人や動物が何かをしようとする動機付けに必須の刺激因子で、その作用は多岐にわたり、大脳基底核内の神経ネットワークにしっかりと組み込まれている。パーキンソン病ではドーパミン分泌が上がると様々な障害が一過性に改善されることから、これに目が奪われ理解した気になるが、実際は大脳基底核内の神経ネットワーク解析が完全でないため、ドーパミン分泌が低下に起因する運動障害のメカニズムを完全に理解するには至っていない。
今日紹介するピッツバーグ大学からの論文は大脳基底核内でドーパミンに反応する線条体のD2(ドーパミン受容体の一つ)細胞の支配を受け、ドーパミンを作る黒質神経細胞の活動を抑制する淡蒼球の活動を短期的に変化させることで、長期に運動障害を取り除くことができることを示した重要な研究でNature Neuroscience オンライン版に掲載された。タイトルは「Cell specific pallidal intervention induces long-lasting motor recovery in dopamine depleted mice (細胞特異的淡蒼球への介入はドーパミンを除去したマウスの運動機能を長期に改善させる)」だ。
これまで淡蒼球は複数の異なる機能を持つ神経細胞からできていることがわかっていた。この研究の目的は、ドーパミンを急に除去することで生じる運動障害を、ドーパミンではなく、淡蒼球神経の活動を制御することで改善できないかを調べることだ。
この研究を理解するために一つ頭に入れておく必要があるのは、線条体にはD1,D2と2種類のドーパミン反応性神経があり、D1は直接黒質細胞と結合、D2は淡蒼球を介して黒質と間接的に結合するネットワークができていることだ。
この研究では光遺伝学を用いて黒質を抑制している淡蒼球神経を全て活性化する実験を行い、淡蒼球全体が刺激されてもドーパミンの運動障害は改善しないことを示している。淡蒼球の神経細胞はparvalbumin(PV)発現細胞とLhx6発現細胞に分かれるので、次にPV細胞だけを刺激する実験を行うと、刺激を繰りかえすうちに、最初は刺激時のみに見られた運動障害改善が、刺激をやめても続くことがわかった。
PV神経を刺激すると、Lhx6神経細胞の活動が低下することに注目し、今度はLhx6神経細胞を抑制すると、同じように長期間持続する運動障害改善が見られる。
すなわち、淡蒼球全体が刺激されると何も変わらないが、PV神経とLhx6神経の活動バランスが変化すると、ドーパミンがなくとも運動機能の調節機構が正常化することがわかった。
解析は完全ではないが、おそらく淡蒼球での神経バランスの変化が、黒質神経細胞の異常興奮を抑制することで、運動機能が改善するのだろうと結論している。すなわち、ちょっと刺激を変化させると、黒質の異常興奮が収まり、あとはそのバランスが自発的に維持されることになる。少なくとも短期の刺激で、長期の効果が得られることを示したこの研究は、深部刺激の新しいあり方を示す重要な貢献だと言える
このモデルが、慢性的な人間のパーキンソン病での神経変化をどこまで反映しているのかはわからない。ただ、パーキンソン病をドーパミンだけで話を終わらすことが間違っていること、さらに今後光遺伝学で示されたような細胞特異的な神経刺激を用いることで、全く新しい治療法の開発が行える可能性のあることはよくわかった。
これと並行して、今回明らかになったサーキットで働く分子を明らかにすることで、パーキンソン病の新しい治療法の開発につなげて欲しいと期待する。
2017年5月16日
抗PD-1抗体によるチェックポイント阻害治療は、がんの根治を可能にすると大きな期待を集めているが、効果が一部の人に限られ、根治に至るまでに再発するケースが多いことなど、治療費の高いことを考えると、まだまだ改善への努力が必要になる。もちろんそのためには、抗体が効かない個体では何が起こっているのかなど、抗体に耐性を持つメカニズムを解明する必要がある。
今日紹介するマサチューセッツ総合病院からの論文は、キラーT細胞に結合した抗PD-1抗体をマクロファージがT細胞からひきはがすことが耐性のメカニズムの一つであることを示した研究で5月10日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「In vivo imaging reveals a tumor associated macrophage mediated resistance pathway in anti-PD-1 therapy(体内イメージング法によりガン組織中のマクロファージが抗PD-1抗体に対する耐性獲得に関わることが明らかになった)」だ。
体内に注射した抗体の寿命は1ヶ月近くあるため、PD-1抗体治療耐性のメカニズムが、抗体の効果が消失する可能性を疑う人はなかった。しかし、この研究グループは、抗体の効果が何らかのメカニズムで消失するかもしれないと疑って、体内でT細胞上の抗PD-1抗体の運命を調べることから始めている。この目的で抗PD-1抗体に明るい蛍光色素を結合させるとともに、腫瘍細胞、そこに集まるT細胞、マクロファージの全てが蛍光で区別できるようにして、腫瘍局所で起こっている抗体と細胞の相互作用をモニターした。結果は予想通りで、最初腫瘍局所のT細胞に結合した抗体が、24時間後にマクロファージの方に移行するのを発見する。すなわち、マクロファージが抗体をT細胞から除去することで、チェックポイント機能が再活性化する結果、治療抵抗性が生まれる可能性が示唆された。
マクロファージがT細胞に結合した抗PD-1抗体を選択的に除去するメカニズムを調べ、抗PD-1抗体がPD-1と結合するとFc部分がマクロファージのFc受容体に認識されるようになり、これを通してマクロファージに抗体が取り込まれること、またこの取り込みでもPD1はT細胞表面上に残ることを示している。予想通り、マクロファージによってチェックポイント抑制が外されていることが明らかになった。
最後にこの可能性を確かめるため、Fc受容体を抑制する抗体と抗PD−1抗体を組み合わせて担ガンマウスに投与すると、PD−1抗体投与だけでは完全に抑制できなかったガンの増殖を完全に抑制、根治に至ることを明らかにしている。また、抗体の糖鎖を変化させることで、Fc受容体との結合を低下させることで、マクロファージによる抗体の引き剝がしを防げることも示している。
抗体が十分体内に存在しても、抗体自体の効果を無効化するメカニズムがあるかもしれないと疑ったのがこの研究の最も重要な点だろう。この結果、根治に向けた新しい治療可能性を示す重要な貢献になるのではと期待される。現在治験も行われているようで、更に期待が高まる。
2017年5月15日
ミトコンドリア病の原因となる遺伝子変異は150種類以上存在し、遺伝子変異に応じて症状も発症時期も多様な病気だが、病気の基本はミトコンドリアの好気呼吸機能の低下が病気の背景になる。
一昨年培養細胞のミトコンドリア機能抑制をバイパスできる遺伝子変異をCRISPR/Cas9で大規模スクリーニングしてVHLと呼ばれる低酸素反応を抑える分子が欠損すると、ミトコンドリア機能異常をある程度回復できることを示した論文を紹介した。この論文の最後で、このグループはこの結果に基づき、ミトコンドリア病の中では最も重篤なリー症候群モデルマウスをなんと低酸素で治療できる可能性を示している。
今日紹介する論文はその続報で、同じリー症候群モデルマウスをより臨床に近い状況で治療する実験を行なった人間への応用のための前臨床実験だ。タイトルは「Hypoxia treatment reverses neurodegenerative disease in a mouse model of Leigh syndrome(リー症候群のマウスモデルで見られる神経変性は低酸素治療で正常化できる)」だ。
リー症候群は脳幹の灰白質が変性し、生後数年以内に呼吸障害で亡くなるミトコンドリア病で、70種類以上の遺伝子変異が特定されているが、このグループではミトコンドリア電子伝達系の主要遺伝子Ndufs4を欠損させたマウスをモデルとして使っている。このモデルでは50日を越す頃からマウスは死亡し始め、75日以上生存できない。このマウス生後30日から11%の酸素濃度で飼うと、平均生存期間が270日と大幅に改善する。重要なのは、脳の病理組織を250日目で調べると、細胞死がほとんど防げ、さらにこれをMRIでも確認できる。ただ、それでも左心室の機能の低下は完全に戻っていないため、20%程度の個体が、心不全に陥る。
では低酸素治療を常に受けなかければならないのか調べるため、1日10時間だけ低酸素にさらすグループを作ると、まったく効果がなくなることがはっきりした。11%の酸素は4000メートル級の高地に対応するので、次に臨床的にも到達可能な17%の酸素濃度で飼育する実験も行っているが、ほとんど治療効果はなかった。また、11%で飼育したマウスをもう一度正常酸素に戻すと、病気は再発するため、常に低酸素にいることが必要なことも分かった。
一方、発症前からではなく、脳症状が出る55日目から低酸素治療を行っても生存期間を伸ばすことができ、さらにMRIで見られる灰白質の病変も4週間で跡形もなく消え、病理学的にも死んだ細胞数を劇的に減らすことができることが明らかになった。
以上の結果から、ミトコンドリア病、少なくともリー症候群は持続的低酸素治療で病気の進行をほとんど留められることが分かった。今後、例えば4000メートルの高地に住む民族の調査、持続的低酸素を日常生活で可能にする技術、人間のリー症候群での至適酸素濃度の検討などが必要だが、臨床のセッテティングを予想して行われたこの研究は、患者さんとその家族にとっては大きな前進といえる。
2017年5月14日
一つの薬剤が市場に出るためには長期にわたる開発研究が必要だが、最も時間と金のかかるのが実際の患者さんを使った臨床治験と呼ばれる段階だ。この過程で薬剤の効果が確かめられるのと同時に、重篤な副作用がでないか、またそれに対応する方法はあるのかなどが調べられる。これらの結果をもとに我が国では医薬品医療機器総合機構、米国ではFDAが審査し、市場に出してもいいかどうか判断する。従って、新薬の認可には副作用も含めて審査が行われている。しかし1000人以下の患者さんで、期間を限って行われる通常の治験では見落とされる副作用が必ず存在する。そのために、使用が始まってから常に副作用をモニターして、有害事象が発生した場合我が国では「医薬品安全情報」として、米国では「Safety communications」として情報が公開される。
今日紹介するエール大学内科を中心にしたグループの論文は、2001年から2010年までの10年間にFDAの認可を受けた222種類の新薬が、実際に臨床に使われる中で、当初想定しなかった副作用がどの程度発見されるのかを調べた論文で5月9日号のJAMAに掲載された。タイトルは「Postmarket safety events among novel therapeutics approved by the US Food and Drug Administration between 2001 and 2010(2001年から2010年までにFDA認可を受けた新薬の上市後の安全関連事象)」だ。
このような研究は地味だが、医師や患者さんが、あらゆる新薬には常に新しい安全問題が付きまとうことをしっかり認識する意味で大変重要だと思う。研究では、222種類の新薬を、対象疾患別、および化学化合物か生物製剤かに分類した後、FDAの記録を丹念に調べ、1)市場撤退、2)boxed warning(パッケージや仕様書に黒枠で特別に有害事象の警告が加えられる)、3)safety communicationとしてウェッブサイトに記載される、の3段階に対応した薬剤をリストしている。ただ調査が完全かというと、そうでない点もある。我が国発の薬剤について少し調べたが、例えば第一三共のオルメサルタンについて2011年に出されたsafety communicationは最近それほど心配がないと訂正されており、safety communicationの訂正までは追跡していないようだ。
結果だが、222種類の薬のうち、3剤は市場撤退、61剤はboxed warning、59剤がsafety communications掲載と、新しい有害事象に見舞われている。オーバーラップを引いて計算すると、新薬のなんと32%は予想外の副作用が出る。有害事象の報告は平均で使用後4年で、10年以内に有害事象が報告された新薬は30.8%ののぼっている。
重要なのは向精神薬、および抗体薬やサイトカインなどの生物製剤に有害事象が多いことで、薬剤の開発がどうしても効果に集中するため、他の作用が見落とされやすいことを示している。個人的印象でいうと、生物製剤は特異性が高いため副作用が出にくいと思っていたが、そうではないようだ。すなわち、薬効のメカニズムについて完全にわかっているわけではなさそうだ
また、患者さんの期待が大きく審査をスピードアップした薬剤に、有害事象発生が多いことも分かった。
個々の医師や患者さんにとっては今使っている薬剤が問題になるが、さらに審査を科学的かつ迅速に進めるためには、このような調査によって、全体の傾向がわかるのは極めて重要だ。
ただこのような論文をネガティブにだけ捉えると、薬剤の開発は不可能になる。個人的には市場撤退に追い込まれた薬剤がまだ3剤に止まっていることの方が重要な気がする。しっかりと情報を公開さえすれば、危険を承知で薬剤を正しく使うことが可能なことも、この研究は教えている。