1月27日 アリとライオン:エコロジーの視点が明らかにする意外な因果関係(1月26日号 Science 掲載論文)
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1月27日 アリとライオン:エコロジーの視点が明らかにする意外な因果関係(1月26日号 Science 掲載論文)

2024年1月27日
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「風が吹けば桶屋が儲かる」は、意外な因果の連鎖を表現した言葉で、風が吹く、土ぼこりが舞い上がる、目に入ると視力障害が増える、三味線弾きで生計を立てざるを得なくなる、三味線の材料に猫の皮が使われる、猫が減る、ネズミが増える、ネズミは桶をかじる、桶屋が儲かるという因果関係だが、江戸時代でもこの因果性を証明するのは難しいと思う。しかし、生態系を形成する動物間の相互作用は複雑で、因果の鎖は無数に存在するため、生態学では納得のいく因果性を示す必要がある。

今日紹介するワイオミング大学からの論文はアフリカサバンナで「大アリが増えるとシマウマが喜ぶ」という因果性を明らかにした研究で、1月26日号のScienceに掲載された。タイトルは「Disruption of an ant-plant mutualism shapes interactions between lions and their primary prey(アリと植物の相互関係が壊れるとライオンと主な獲物の関係が変わる)」だ。

写真はアフリカ旅行の際に撮影できたワンショットで、雌ライオンがバッファローに襲いかかっている。今日の論文を紹介する気になったのも、この写真をついでに紹介したいと思った下心もあった。

さて本題に戻ろう。東アフリカのサバンナに見られるほとんどの木はアカキア・トレパノロビウムと呼ばれるアカシアの一種で、サバンナ独特の風景を形成している(写真は私たちの研究室に在籍し現在スイスETHの教授、Tim Schroederからプレゼントされた:彼は研究者にするのが惜しいぐらいの写真家だ)。

全く知らなかったが、この木はアカシアアリと共生し、象が嫌うように仕向けて木を守っているらしい。ところが、アカシアアリはオオアリと競合関係にあり、オオアリが侵入してくると、駆逐される(実際これが東アジアのサバンナで進行している)。この結果、アカキアは象が食べ尽くしてしまい、サバンナからほとんど消滅する。オオアリの侵入によりほとんど木のないサバンナの写真が論文でも示されているが、オオアリの侵入の影響がよくわかる。その結果、サバンナの見通しがほぼ3倍に上昇する。

この研究ではオオアリ侵入地域と侵入していない地域でGPSを装着したライオンを追いかけ、犠牲になるシマウマの数をカウントしている。というのもアカシアが減って見通しがきくとライオンの襲撃を警戒しやすくなる。

見通しと犠牲になるシマウマの数は、完全に反比例し、このことが証明される。その上で、オオアリ侵入地域と非侵入地域でシマウマがライオンの獲物になる確率を計算すると、なんと1/3に減少している。

以上の結果から、オオアリが侵入するとシマウマが喜ぶという因果関係は証明されたが、ではライオンは絶滅の危機にあるのか。幸い、バッファローは見通しとは関係ないようで、シマウマの代わりにライオンのエサになっている。

オオアリの侵入した東アフリカ地域では2000年から急速に灌木が消滅している。これに呼応して、確かにライオンの獲物がシマウマからバッファローに変化していることも示している。

私は2018年にケニアを旅行したが、まさにこの因果の結果を写真で捉えたことになる。

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1月26日 画期的細胞系譜研究システムの確立(1月24日 Nature オンライン掲載論文)

2024年1月26日
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血液発生の研究では、幹細胞から分化細胞までの細胞系譜とその間の細胞動態は極めて重要なテーマで、このために様々な細胞系譜追跡法が開発されてきた。特に最近ではバーコードを細胞に導入したり、あるいは細胞内に導入した標識遺伝子に変異を蓄積させて分化を調べるイベント記録法などが開発されている。

しかし、遺伝子導入が必要な方法はヒトでは使えない。そこに single cell テクノロジーが登場し、単一細胞レベルでゲノムに積み重なった変異をマーカーとして利用する方法が開発された。ただ単一細胞からのDNAに存在する変異を安定的に検出することは簡単でない。

今日紹介するハーバード大学からの論文は、一つの細胞に数百から1000個近く存在するミトコンドリアゲノムに注目し、この変異のパターンを用いて細胞系譜を追跡する方法を開発した研究で、これが普及するとヒトの発生や、幹細胞システムの系譜や動態、そして老化の理解が大きく進むと期待できる画期的研究で、1月24日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Deciphering cell states and genealogies of human hematopoiesis(ヒト造血系の細胞の状態と系譜)」だ。

ミトコンドリアは細胞内で独立して分裂し、除去されることから、その過程で変異が起こっても、それを細胞系譜と対応させるのは難しいと考えれて来た。しかし、全の変異は統計学的過程だと考えると、数百個あるミトコンドリアに重なった変異を把握できれば、変異の統計学的分布を細胞系譜の標識として使えることは間違いない。

とは言っても技術的には大変で、一個の細胞にバーコードをつけた後、ミトコンドリア、ゲノム、RNAライブラリーを個別に作成し、それぞれを、ミトコンドリア変異、クロマチンの状態解析、そして遺伝子発現解析に使うのだから、細胞処理から配列けってまでの実験だけでなく、情報処理技術の開発も必要で、多くの困難を乗り越えて結実した研究だ。

方法を検証するために骨髄中のCD34陽性細胞を7000個ほど調べると、全体で4831個の異なる変異を特定できており、十分細胞系譜カバーできることが明らかになった。

時間とともに蓄積してきた変異を調べ直して細胞系譜を正確に追跡できるとなると、人間の発生、成長、老化、そして疾患解析と、その活用は無限に拡がる。そんな未来を示すために、この研究では人間の造血に関する従来の疑問を見事に解き明かしている。

いろいろ実験が行われているが、ここでは私たちの骨髄ではどのぐらいの数の幹細胞が働き、また幹細胞間の多様性はあるのかについての結果を照会する。

1)2人の若者の骨髄から幹細胞を純化し、それぞれ5000個程度の細胞でミトコンドリアの変異を調べると、若者では多くの幹細胞クローンが働いて、分化した細胞を作り続けていることを明らかにしている。

2)このように造血は維持には多くのクローンが働いているが、各細胞の転写因子発現を調べると幹細胞間の多様性を認めることが出来る。そのうえでそれぞれの幹細胞から分化細胞への系譜を追いかけると、分化する方向にバイアスが見られる幹細胞と、平等にほとんどの細胞を分化させる幹細胞に分かれることが示されている。おそらく、クロマチン構造の細胞ごとの小さな変化が、分化のバイアスを決めている可能性が高い。

3)骨髄で働く幹細胞クローンの減少、さらにはY染色体喪失が老化による造血変化として着目されているが、最後に76歳、78歳の高齢者の骨髄を調べている。高齢者の骨髄でも数多くのクローンが働いていることは確かだが、その中にクローンサイズが大きく拡大した数個の優性クローンが目立つことが明らかになった。これらの遺伝子発現を調べると、骨髄造血での適応性が高いクローンが急速に拡大していることがわかる。一方、Y染色体欠損を調べると、優勢になったクローンで欠失の確率が高い。ただ、それ以外のクローンでも見られることから、Y染色体は骨髄肝細胞増殖にはネガティブに働き、これを失ったクローンがより増殖して優勢なクローンになることがわかる。このように、これまでの方法では見つからなかった老化による優性クローンの出現をほとんどの高齢者で追跡できることがわかった。

かなり省略して面白い結果だけ紹介したが、標識遺伝子を導入せずにこれだけ精密な細胞のクローン解析、系譜解析が可能になったことが重要で、今後様々な組織へと研究は進むと思うし、特に発ガン領域での利用が期待できる画期的方法だと思う。

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1月25日 細胞表面の糖修飾RNAは接着因子として働く(1月22日 Cell オンライン掲載論文)

2024年1月25日
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細胞膜上で機能している蛋白質や脂質、さらに糖鎖修飾を受けた様々な分子の機能を学ぶことは、医学や生物学を学ぶ学生の必須科目といえるが、さすがにRNAのような核酸が細胞膜分子の一つとして働いているとは考えたこともなかった。しかし、表面上の糖鎖を精製すると、その中にRNAと結合している糖鎖が存在すること、また実際糖鎖修飾を受けたRNAが細胞膜上に発現していることを示す論文が2-3年前から報告されるようになった。

今日紹介するイェール大学からの論文は、ほぼ確実となった細胞表面上の糖鎖修飾RNAの機能とその形成過程を調べた研究で、1月22日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Cell surface RNAs control neutrophil recruitment(細胞膜上のRNAは白血球の遊走をコントロールする)」だ。

既に報告があるとは言え、この研究では細胞膜上のRNAを検出する独自の方法を開発し、生きた細胞上でその存在を確かめている。その結果、細胞膜上でも、蛋白質に守られて簡単にRNA分解酵素の作用を受けずに膜上に存在し続けられることを明らかにしている。

次にその機能の探索に移るが、糖鎖修飾を受けていることから白血球では細胞の遊走に関わるのではと仮説を立て、新たに開発した細胞膜上のRNAを分解する方法を用いてRNA分子を除去した細胞をマウスに注射、炎症部位への浸潤を調べている。結果は期待通りで、炎症部位への白血球遊走が強く抑えられる。しかし、骨髄や脾臓への移動は傷害されない。

炎症部位への白血球の遊走は血管内皮との相互作用で決まる。そこで、血管内皮を培養した膜上の白血球が内皮のアピカル側からべーサル側への移動を見る実験系を用いて調べると、RNA分解酵素処理により移動が抑えられること、そしてこの移動は血管内皮のP-selectin分子との接着作用を介していることを明らかにしている。

元々P-selectin分子は糖修飾を受けた脂質や蛋白質と結合することが知られていたが、白血球では膜RNA上の糖鎖が重要な働きをしていることが明らかになった。

このような機能的糖鎖修飾RNAの存在は確認されたが、次にRNAが細胞表面上に発現するメカニズムを検討し、細胞内のRNA輸送分子SDITが欠損した細胞では細胞膜へのRNAの発現がなくなることを示し、膜発現のための明確な機構が存在することを示している。

最後に、膜発現しているRNAを調べ、遺伝子をコードしていないノンコーディングRNAが糖修飾を受けて細胞表面に発現することを明らかにしている。

以上が結果で、面白いことがあるという以上に、元々様々な修飾を受けるRNAの機能多様性を思い知らされる論文だった。特に、特定の配列のRNAではなく、一定の条件を持つRNAであれば使い回せるという事実は、生命誕生前にRNAワールドがあったことを実感させてくれる。

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1月24日 変異RASを抗原に使ったワクチンの治験(1月9日 Nature Medicine オンライン掲載論文)

2024年1月24日
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このブログでもいくつか紹介してきたが、ガン特異的な変異をネオ抗原として個人用ワクチンを作成するガン特異的免疫治療が、実用段階に入ってきた。実際に、大手の製薬会社も治験を行っていると聞く。しかし、頭が古い行政に引きずられてシークエンスベースでのガンゲノム検査が遅れている我が国ゲノム医療の現状を考えると、医療として定着するにはまだまだ時間がかかるだろう。

しかし我が国でもガン特異的免疫療法を比較的早く受けることが出来る可能性が存在する。今日紹介するMDアンダーソンガン研究所とワクチンベンチャー企業 Elicio Therapeutics からの論文は、ガンのドライバー変異RASを抗原として免疫することで、ガン特異的免疫反応を誘導でき、膵臓ガンや直腸ガンの進行を抑えることが出来ることを示した治験研究で、1月9日 Nature Medicine にオンライン掲載された。タイトルは「Lymph-node-targeted, mKRAS-specific amphiphile vaccine in pancreatic and colorectal cancer: the phase 1 AMPLIFY-201 trial(リンパ節に移行する変異RAS特異的両親媒性ワクチンの膵臓ガンと直腸ガンへの効果:1/2相治験)」だ。

このワクチンはアルブミンに結合する脂肪酸にRasの2種類の変異ペプチドをつないだ抗原と、同じ脂肪酸にTol9を刺激するDNAをつないだアジュバントを混合させたワクチンで、皮下注射するとすぐにアルブミンと結合し、リンパ節に選択的に移行し、そこで樹状細胞に取り込まれて免疫反応を誘導するように設計されている。

このワクチンを0.1mgから10mg まで量を変えて膵臓ガン、あるいは直腸ガンの患者さんに投与し、副作用と効果を調べている。効果については、2相観察研究として、ガンマーカー及びリキッドバイオプシーを用いてガンの盛衰をモニターしている。

結果だが、まず問題になる副作用はほとんどない。元々一般の人に投与するワクチンでないので、十分安全なワクチンと言っていいだろう。

効果の方も調べており、ワクチン接種を最後まで受けた患者さんでは、25例中21例でガンの縮小が認められ、6人ではガンの痕跡が検査上なくなっている。ただ、この評価については今後さらに大規模な治験が必要だと思う。

重要なのは、末梢血で調べたT細胞免疫反応テストで、ほとんどの患者さんで10倍以上T細胞の反応が上昇し、またCD8T細胞だけでなくCD4T細胞も反応が見られることだ。さらに特徴的なのは2種類の変異RASに対して免疫が行われたが、12番のアミノ酸の様々な変異に対しても反応が見られる点で、広い範囲のT細胞免疫が誘導されている点だ。しかも、病気のステージや、免疫前の反応性にかかわらずT細胞反応を誘導できている。

以上のことから、少なくともワクチンによって変異RASに対するT細胞反応が誘導され、ガンへの直接傷害性反応とともに、CD4T細胞反応も動員した免疫反応を誘導できることが明らかになった。とすると、どのステージであれ、どのような治療であれ、オンコパネル程度の方法でRas変異が見つかれば、治療前にワクチンを打つことが普及する可能性は大きい。その意味で、我が国でも今すぐ利用できる。

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1月23日 母乳内に含まれる補体は新生児腸炎を防ぐ(1月18日 Cell オンライン掲載論文)

2024年1月23日
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母乳は乳児に栄養を与えるだけでなく、抗体を通して免疫を高め、さらにオリゴ糖など様々な分子で腸内環境を整える。従って、母乳に完全に代わる成分を含んだ人工乳を作るのは簡単でない。

今日紹介するジョンズ・ホプキンス大学からの論文は、母乳の予想外の複雑性を明らかにした面白い論文で、1月18日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Complement in breast milk modifies offspring gut microbiota to promote infant health(母乳中の補体は新生児の腸内細菌叢を変化させて健康を増進する)」だ。

この研究では齧歯類の消化器感染症を引き起こすCitrobacter rodentium(CR菌)感染がC3やC1qのような補体成分が欠損したマウスでは重症化することに興味を持ち、追求している。

新生児特異的なので、育ての母親を代えたりする様々な実験を繰り返し、この現象が母乳から補体成分が供給されるかどうかで決まっていることを発見する。実際、補体成分が欠損した母乳で育った子供は、腸内細菌叢でも正常と比べると大きく違っている。さらに、このように異なる腸内細菌叢を補体成分の欠損した無菌マウスに移植して感染実験を行うと、補体成分欠損母乳で育った細菌叢はCR菌の感染に強い感受性を示す。すなわち、母乳の補体成分なしで育った腸内細菌叢はCR菌感染を防げない。

次にこの細菌叢活性の差を生み出す菌を探索して、ついに子宮内膜炎の原因としても知られるグラム陽性菌 Staphilococcus lentus を特定する。すなわち、母乳に補体が含まれないと、この菌が増加し、細菌叢も変化させCR菌感染への抵抗力が低下する。

最後に補体が Staphilococcus lentus を殺すメカニズムを調べ、抗体の作用ではなく、直接C1qが細菌膜表面で活性化され、膜上に補体成分が集まった孔を形成することで、細菌を殺していることを明らかにする。

以上が結果で、母乳中の補体成分が新生児の消化管感染を防いでいること、しかも抗体の助けを借りず、直接特定の細菌を殺すことで細菌叢の質を上げていることなど、母乳の複雑さを改めて理解する研究だった。

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1月22日 女の涙の神経科学(12月号 PlosBiology 掲載論文)

2024年1月22日
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生命科学の場合、論文だけでなく、使った写真や内容を表紙として掲載したいというのは誰もが願っている。幸い私たちの研究室でも、6回表紙に採択され、そのときの表紙は現役を退いた今も事務所に飾っている。といっても、表紙になるかどうかは編集者の決定事項で、論文の善し悪しとは全く関係ない。実際、山中さんが2007年に iPS の論文を発表したときの Cell の表紙は細胞死の様子を捉えた論文の写真が使われていた。そのため、私が現役の頃は表紙にしたいと思える美しい写真が論文にあるかどうかが重要だったが、最近は内容をわかりやすく伝えるイラストも使われるようになってきた。もう一度時間を戻して、Cell が山中さんの論文を表紙のイラストとして表現するとしたら、どんなイラストになるだろうか。

PlosBiology12月号の表紙。

上に示したのは12月号 PlosBiology の表紙で、今日紹介するイスラエル・ワイズマン研究所からの論文が紹介されている。女性の涙を嗅いだ男性の脳が変化しているのを表現しているイラストで、私もこの表紙に惹かれて読んでみた。タイトルは「A chemical signal in human female tears lowers aggression in males(人間の女性の涙には男性の攻撃性を抑える化学シグナルがある)」だ。

涙の効果についての研究は特に動物で行われており、いわゆるフェロモンを通した行動制御に関わることが知られていたらしい。ただ、人間には鋤鼻器官が存在せず、視覚を通して涙に動かされることはあっても、涙中の化学物質が直接作用することはないと考えられてきた。

この研究では、20代の女性の涙を大量に集め、涙を浸ませた布を嗅いだときに起こる感情変化を調べている。動物実験から、涙物質は攻撃性を抑えることがわかっているので、これを人間でも調べる方法をまず開発している。実際には、男の被験者がゲームの中でお金をだまし取られる状況をつくり、その相手にどれだけ復讐をするか調べることで、攻撃性を測定、復讐回数を攻撃性に換算している。

さて結果だが、本当かと目を疑うほど驚く。ゲームでの話だが、涙を嗅いだときは、食塩水を嗅いだときと比べて、攻撃性が明らかに抑制されている。一方、それぞれの臭いの感知については差はない。

繰り返すが、本当かと思うほど驚く結果でおもしろいが、ここで論文を終わっていたら、奇をてらった論文で終わってしまう。幸い、この研究ではさらに脳の興奮レベルに追及を進め、この差を客観的に調べようとしている。

まず涙物質を感知するシステムが存在するのか調べるため、64種類の嗅覚受容体をそれぞれ発現させた細胞を用いて、涙物質による刺激実験を行い、4種類の嗅覚受容体が涙物質に反応することを確認している。人間には400種類の嗅覚受容体が存在し、ここで調べたのはその1/5だが、それでも大変な実験だ。この結果は涙の中に確かに臭いを特異的に刺激する物質が含まれていることを示している。

その上で、攻撃性を誘導したときの脳の反応を機能的MRIでモニターして攻撃性とともに上昇する数カ所の脳領域を特定している。この中には攻撃性に関わる領域として知られている前頭全皮質や島皮質等が含まれており、これらの領域の興奮が涙を嗅ぐことで抑制されることを明らかにしている。

最後に、これらの領域と機能的に結合している脳領域を調べ、涙を嗅ぐことによって左島皮質と扁桃体の結合が高まることも示している。すなわち、涙は脳のネットワーク結合を変化させることが出来る。

結果は以上で、涙物質が実際に存在することを嗅覚受容体を用いて明らかにした実験などから、ただ面白いだけでなく、体系的に研究が行われているのはわかる。ただ、女性の涙とそれを感知する男性という組み合わせでしか研究が行われていない点など、まだまだ研究としては甘いように思う。

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1月21日 リキッドバイオプシーの感度を上げるためにリポソームやDNAに対する抗体をあらかじめ注射する(1月19日号 Science 掲載論文)

2024年1月21日
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リキッドバイオプシーとは、末梢血・血清中に存在するDNAの中から、体内に存在するガン細胞などの痕跡を捕まえようとする技術で、検査自体が簡単なので診断や経過観察などで大きな期待を集めてきた。開発からずいぶん時間が経っているが、普及は進んでいない。その最大の理由は感度の問題で、ステージ1のガンを見つける確率は40%程度で、進行ガンでも診断できないケースが多くある。また、経過観察中にネガティブと診断しても、75%が再発したという報告もある。したがって、この検査の普及のためには、感度を上げることが必須だが、現在のところは決め手がない。

今日紹介するハーバード大学からの論文は、検査の感度を上げるという従来の考え方から発想を変えて、血中に放出されたDNAの分解や処理を抑えて血中の半減期を伸ばすことで感度を上げる可能性を追求した研究で、1月19日 Science に掲載された。タイトルは「Priming agents transiently reduce the clearance of cell-free DNA to improve liquid biopsies(細胞から遊離したDNAの除去を一時的に抑える因子はリキッドバイオプシーの感度を改善する)」だ。

この研究の発想は、極めてストレートだ。血中のDNAが除去されるのは、肝臓の貪食細胞と結成中のDNA分解酵素なので、この機能を体内で阻害すれば血中のDNA濃度が一過性に上がるはずだと考えた。

肝臓の貪食細胞の機能をブロックする方法としてリポソームのナノ粒子を使う方法をマクロファージ細胞株で検討し、DNAが含まれるヌクレオソーム断片は貪食される一方、バクテリアなどの貪食能には影響ないことを明らかにする。

その上で、マウスにナノ粒子を静脈注射し、30分後には血中にフリーに存在するDNAの濃度がなんと80倍近く上昇すること、そしてこの影響は5時間でほぼ完全に消滅し、一過性であることを示している。

次に、同じ実験を自己免疫病マウスから樹立したDNAを認識する自己抗体を注射して行うと、期待通り一過性に血中のフリーDNAがDNA分解酵素から守られて増加すること。さらに、Fc受容体と反応できなくした抗体であれば、血中のフリーDNAをさらに上昇させられることを示している。

あとは、移植ガンモデルでそれぞれの方法がガンの検出感度を上げることを示している。また、ガン特異的遺伝子の検出だけでなく、ガンゲノムを血中のフリーDNAから解析する精度が一段と上昇し、ガンゲノムに散財する一塩基変異の検出感度が、100倍以上上昇することも明らかにしている。

それぞれの方法はメカニズムが異なるので、両方同時に使えばさらに感度を上げられるのではと期待するが、不思議なことに両方を組み合わせた実験は行なっていない。

以上が結果で、顕微鏡の解像度を上げるために、組織自体の大きさをゲルで膨らませるという発想に近い。ただ、一過性とはいえリポソームやDNAに対する抗体を、しかもかなりの量検査のために注射することが許容されるためには、かなり時間がかかりそうに思う。

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1月20日 ギランバレー症候群の自己反応性T細胞を徹底的に調べる(1月17日 Nature オンライン掲載論文)

2024年1月20日
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ギランバレー症候群はウイルスや細菌感染の後、下肢の神経から神経炎が始まり、場合によっては炎症が全身に広がる厄介な自己免疫性神経炎で、ほとんどの人は半年から一年で完全に元に戻るが、死亡するケースもある。その原因については、ウイルス感染によって誘導されたT細胞が、末梢神経を包むミエリンと交差反応をする、あるいは自己反応性のT細胞を巻き込んで起こると考えられているが、系統的に自己反応性、特にミエリン反応性T細胞を調べた研究はなかった。

今日紹介するチューリッヒ工科大学からの論文は、ウイルス感染症の後で起こったギランバレー症候群 (GBS) の患者さんのミエリン反応性T細胞を、抗原刺激反応とともに、single cell RNA sequencing を用いて反応する抗原、そして反応する抗原受容体について調べた研究で、1月17日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Autoreactive T cells target peripheral nerves in Guillain–Barré syndrome(ギランバレー症候群では自己反応性T細胞が末梢神経を標的にしている)」だ。

研究ではまずGBSの患者さんの末梢血を三種類のミエリンで刺激し、細胞の増殖を見ている。この患者さんの中には Covid-19 後のGBも含まれているが、他のGB患者さんが全ていずれかのミエリンに対して反応したのに対し、Covid-19後のケースでは5例中2例だけが反応しており、Covid-19後のGBはメカニズムが異なる可能性もある。いずれにせよ、他のGBでは末梢血にミエリンに反応するCD4T細胞が存在し、しかもTh1型の炎症反応の原因になることが、T細胞の遺伝子発現パターンから明らかになった。

次に膨大な数のミエリン反応性のT細胞の抗原受容体、反応するMHCなどについて解析し、ほとんどがHLA-DR反応せいで、しかも特定のクローンに限定されない異なる抗原受容体を持つ多様なクローンが反応しているが、自己抗原反応性を示すCDR3βが短いという特徴を持っていることを明らかにしている。さらに一人の患者さんで、さまざまなミエリンに対して反応が見られる。そして、特にサイトメガロウイルスに関してはウイルスとミエリンの両方に反応するT細胞クローンが確かに確認されることを明らかにし、ウイルス感染とGB発症の明確な関係を明らかにした。

次に何人かの患者さんで、反応するT細胞クローンについて解析を行い、GB患者さんではおそらくウイルス感染で誘導された特定のT細胞クローンが、発症時から回復時にかけて末梢血で増加していることを明らかにしている。また、ミエリン由来ペプチド抗原の多くは、特別のHLA-DRではなくさまざまなタイプのHLA-DRと結合でき、光源として働くことも分かった。これが、これまでGDと特定のHLAとの相関が見つからなかった理由になる。

最後に脳脊髄液や末梢神経に浸潤しているT細胞についても調べ、血液中で見つかった自己反応性クローンが神経に浸潤していることも明らかにしている。

以上のことから、GBの発症メカニズムは多様で、必ずしもT細胞の自己反応だけではないが、少なくともサイトメガロウイルス感染では、ウイルス抗原と交差反応を示すT細胞が、神経系へ浸潤して、そこでミエリンに対して反応し、遊離したミエリンに対してさらに多様なT細胞クローンが、Antigen Spreading で反応していくことで発症することが明らかになった。

また、自己抗体も存在しないし、T細胞の反応が必ずしも見られないCovid-19のように、異なるメカニズムでの発症も考えられることから、多様な病態がまとまった症候群と言える。

この研究はやる気であれば誰でもできると言えるが、これだけの膨大な実験をやり遂げ、一定の結果を出したことがすごいと思う。臨床研究の鏡と言ってもいいように思う。

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1月19日 抗体工場(B細胞)には特別のtRNA修飾システムが備わっている(1月12日号 Science 掲載論文)

2024年1月19日
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塩基の並んだコドン情報をそれに対応するアミノ酸へと解読する過程は、言語と脳活動と同じで、アレキサンダーパースの記号分析で言えば「シンボル」にあたる。この物理世界をシンボル化する過程が生命38億年、そして人類が言語を獲得した後の5万年の地球上での人類繁栄の原動力となった。

コドンとアミノ酸の解読過程は mRNA、リボゾーム、そして tRNAと3種類のRNAによりになわれており、生命誕生前のRNAワールドの名残だが、38億年の歴史の中で、この解読システムも多様化を遂げている。こうした多様化の詳細については完全に理解できているわけではなく、その結果以前紹介したようにシュードウリジンを使った Covid-19ワクチンが、tRNAの相性を変化沙汰結果、フレームがずれた新しいペプチドを作ってしまい、この接種を受けた何億人ものヒトのかなりの割合でペプチドに対するT細胞反応が起きることになってしまった。

注:このフレームのずれで抗体が出来るとどこかのメディアが書いているとの指摘を受けたが、それは書いた人が論文を理解していないか、読み間違ったためで、新しい分子に対する抗体は出来ていないし、T 細胞の反応でとどまっているし、出来たペプチドも我々人間には存在しないので、病気が起こる心配はない。

今日紹介するハーバード大学からの論文は、抗体を大量に合成するためB細胞では新たなコドン解読メカニズムを使っていることを示した論文で、1月12日号 Science に掲載された。タイトルは「Antibody production relies on the tRNA inosine wobble modification to meet biased codon demand(抗体の合成はコドン利用のバイアスに対応するため tRNA の Wobble部位のイノシン修飾に依存している)」だ。

一つのアミノ酸に対して複数数のコドンが対応しているが(例えばタカラバイオのサイト参照:https://catalog.takara-bio.co.jp/product/basic_info.php?unitid=U100003628)、これからわかるようにコドンの最後の塩基は2-4種類存在する。同じアミノ酸でもどのコドンを使うのかには、種によっても差があり、さらに蛋白質ごとに異なる。

この研究では、抗体のように大量の蛋白質を合成するにはコドン利用に秘密があるのではと考え、T細胞受容体と、抗体のコドン利用バイアスを調べると、マウスでもヒトでも抗体定常部位遺伝子では強いバイアスが存在することを発見する。例えばスレオニンで見るとACCが他のコドンより圧倒的に多い。

では、このコドンバイアスに対応するよう tRNAのレパートリーが B細胞で変化しているかを調べると、他の細胞と特に変わらない。tRNAの量が変化しないと、ここで合成のボトルネックが生じて、大量合成は難しいはずで、何らかの方法で解決していることが想像できる。

これを解消する手段として知られているのが、tRNAのアンチコドンの3番目の塩基を修飾する方法で、Wobble位修飾と呼ばれている。調べてみると、抗体を合成している細胞ではアデニンのアミノ基を除去してイノシンに変える修飾が起こった tRNAが多く存在し、これにより元々はC以外のコドンに対応していた tRNAもWobble位のCに対して利用できるようになる。

実際にイノシンへ変化させる修飾が蛋白合成に影響しているかについては、蛍光分子の遺伝子のコドン利用に抗体遺伝子と同じようなバイアスをかけて、B細胞ではコドンバイアスがある分子の翻訳効率が上がることを確認している。

この修飾に関わるデアミナーゼAdat2はB細胞分化で発現が上昇することから、B細胞が抗体を大量に分泌するように変化していくときの必須条件であることがわかる。事実 Adat2が欠損するとB細胞はほとんど消失する。

最後にさらに面白い問題も検討している。すなわち、抗体の定常部位に比して、変異が蓄積する可変部位の遺伝子では、コドンバイアスが解消されてしまうはずで、そうすると今度は逆に可変部分の合成効率が tRNA修飾のため低下することになる。実際に可変部分のコドンバイアスを代えたトランスジェニックマウスを用いて調べると、修飾 tRNAの利用しやすい可変部配列を持った抗体が優勢になることを示している。B細胞は、翻訳された抗体分子を分化のチェックポイントに使うので、分化に応じてAdat2を発現し、バイアスのある抗体遺伝子をより高い確率で利用するよう出来ていることがわかる。

以上が結果で、tRNAの修飾の機能がよくわかる目からうろこの論文で、今年最初の頭の洗濯が出来た面白い論文だった。当然抗体薬を大量合成にも重要な発見であること間違いない。脳だけでなく、デコード過程の進化は面白い。

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1月18日 DNAメチル化阻害による乳ガン増殖抑制メカニズム(1月5日 Nature Structural & Molecular Biology オンライン掲載論文)

2024年1月18日
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エストロゲン受容体(ER)発現が見られる乳ガンでは長期に ER阻害治療が行われるが、その間に腫瘍も薬剤耐性を獲得することが知られている。ER標的遺伝子は多岐にわたるので、耐性の獲得は特定の遺伝子の突然変異より、DNAメチル化などのエピジェネティックな変化によると推定されている。

今日紹介するオーストラリアの Garvan医学研究所からの論文は、DNAメチル化を阻害するデシタビンが ER を発現しているにもかかわらず治療抵抗性を獲得した乳ガン治療に有効である可能性とメカニズムを調べた研究で、1月5日 Nature Structural and Molecular Biology に掲載された。タイトルは「The potential of epigenetic therapy to target the 3D epigenome in endocrine-resistant breast cancer(三次元エピゲノムを標的にするホルモン治療抵抗性乳ガンのエピゲネティック治療の可能性)だ。

この研究ではまず、ER陽性(ERに変異が起こった腫瘍も含む)乳ガンをマウスに移植して、比較的低容量のデシタビンを投与すると、腫瘍の増殖を抑えられること、ガンDNAのメチル化の程度が全体に低下し、特にエンハンサー周りの脱メチル化の結果、活性が上昇することを明らかにする。

効果がよりエンハンサー特異的である理由を調べる目的で、染色体のトポロジーを調べると、DNAメチル化の低下に呼応して全般にクロマチンが緩んでいる。メチル化の程度と3Dトポロジーを比較すると、閉じたクロマチンから開いたクロマチンへと変化している領域で特にメチル化が低下している。すなわち、メチル化自体もトポロジー維持に関わり、これが変化するとトポロジーの維持能が低下する。

その結果、ER陽性ホルモン治療抵抗性ガンでは、エンハンサーとプロモーターの相互作用が高まり、特にER結合領域のエンハンサーがデシタビン処理で活性化されることがわかる。実際、転写される遺伝子饒辺かと対応させてみると、エストロジェン反応性遺伝子や、アンドロジェン反応遺伝子、そしてスーパーエンハンサを形成する Myc反応遺伝子の転写が上昇している。

これを確認するため、クロマチン沈降法を用いて ER結合サイトを調べると、デシタビン処理で300近くの ER結合サイトが解放されることがわかる。

後は、デシタビン処理後の脱メチル化が薬剤をやめることで回復する過程を調べ、ほとんどの領域が再メチル化されるが、一部はメチル化されずに残ることも明らかにしている。

加えて、これまで示されてきたように、脱メチル化によりトランスポゾンが活性化され、腫瘍特異的免疫機能反応が起こりやすくなることも示している。

結果は以上で、デシタビンは選択的な脱メチル化剤ではないが、腫瘍のコンテキストによっては、選択的に働くこともあり、特にER標的がメチル化で失われた乳ガンでは、もう一度ガンをER依存性にしてホルモン治療に感受性を回復させることが出来るという話だ。

加えて、スーパーエンハンサー依存性を高めたり、さらにはトランスポゾンを活性化して免疫治療が使えるように出来る可能性もあり、ホルモン治療が効かなくなった再発患者さんでは是非治験を進めて欲しいと思う。

カテゴリ:論文ウォッチ
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