今回の新型コロナウイルス・パンデミックでは、メディアやSNSを舞台に、医師や科学者たちの様々な議論が飛び交い、現在もマスクやPCRについての議論が続いている。しかし、この議論から本当に新しいコンセンサスが生まれるかどうかは疑問で、例えばBMJ Global Health に発表された南カリフォルニア大学からの論文では、CNNを贔屓にするアメリカ人は、Foxニュースを贔屓にするアメリカ人よりマスクを着用し、手洗いも頻回にすることが示されている。すなわちこれらの問題に関する考え方が、米国の大統領選挙では政治的立場の象徴として国民を二分している。
私個人の意見を問われれば、最終的に何が正しいかどうかきめるためには、皆が合意できる科学的エビデンスが必要だが、それがはっきりしない以上、原理的に良いと思われることはその効果に限界があっても、なんでもやればいいと思っている。例えばウイルス感染は確率問題で、それぞれの地域に存在するウイルスの流通量により、感染確率や感染時のウイルス暴露量が影響される。とすると、自分の感染は予防できなくとも、他の人にうつさないという点で、私の飛沫の一滴でもマスクで吸収できれば(実際にはもっと多く吸収できる)流通ウイルス量の減少に貢献できると思っている。PCRも同じで、連日検査を受けていた(実際には簡易検査だったようだが)トランプが感染してしまったとしても、確定診断の方法がない以上、希望者にはいつでも検査ができるようにするしかないと思う。要するに、いいと思えることはなんでもやればいい。
同じことは、政策レベルの判断でも言える。よく言及されるのが、スウェーデンと他のヨーロッパ諸国の比較だろう。最新号のScienceにコレスポンデントの一人Gretchen Vogelが「Sweden’s Gamble」という記事を発表した。
皆さんもご存知のように、スウェーデンは新型コロナに対して、他のヨーロッパ諸国のようにロックダウンなどの過激な感染防御措置をとらずに、個人の自主性に任せる政策を貫いた。図はSTATISTAと呼ばれるサイトから転載したスウェーデンの感染者数の変移だが(https://www.statista.com/statistics/1102193/coronavirus-cases-development-in-sweden/)
ロックダウンなど厳しい措置を取ったヨーロッパ各国と比べて、感染者が一方的に増えたわけではなく、第一波、第二波と同じような経過をとっている。強いていえば我が国のパターンに近い。ある意味でロックダウン政策の無力を示すことになるが、この政策は本当に成功したと言っていいのかと、Vogelさんはスウェーデンでこの政策に反対の声を上げ続けた科学者を紹介しながら、疑問を投げかけている。
この記事でも、スウェーデンの最初のピークで多くの死者、特に高齢者の死亡例が発生したことは、反省されるべきではと指摘している。そして、ここに書かれた実態をより詳しく分析した研究が先週Nature Communicationにオープンアクセス論文として発表された。
スウェーデンは医療記録がしっかりしており、今回のパンデミックで死亡した各個人のデータが保存されている。この研究では、スウェーデンでの第一波のピーク時、5月7日までにCovid-19で亡くなった全症例を詳しく調べ、年齢、性別、そして様々な社会的階層の指標との相関を調べている。これまで指摘されていたように80歳以上の死亡率が42.5%と高い。しかしこれほどではないにしても我が国の80歳以上の死亡率は28.5%で、医療制度などの違いで高齢者の致死率が高いという一般傾向がすこし拡大したと考えてもいい。
この論文の最大の驚きは以下の図に凝縮されている。
図右は高齢者の死亡率で、Covid-19と他の理由による死亡を比べると、経済格差や教育格差との相関にそれほどの違いはなく、老後のケアは貧富の差なく行き届いていることを示している。
ところが現役世代で見ると(左図)、教育格差、経済格差が高い死亡リスクに直結しており、今回の新型コロナ感染がスウェーデン社会の問題を浮き彫りにしていることがわかる。すなわち、現役世代ほど格差が激しい。同様に、世代を問わず、移民の死亡リスクが高いことは、移民が本当の意味でスウェーデン社会に溶け込めていないことを示している。
以上のように、一つ一つの政策には必ず光と影があり、感染状況を把握するパラメータが限られている以上、感染機会をできるだけ減らすことを目標にしてその時その時の政策を決める以外に方法がない。従って現時点で一番重要なことは、できるだけ多くの記録を残して、この論文のように後から評価できるようにすることだと思う。是非新型コロナウイルスがあぶり出す我が国の社会問題を冷静に分析してほしいと思う。