神経回路というと、どうしてもスイッチと電線で考えてしまうが、実際の細胞間連絡は複雑で、一本の樹状突起上に多くのシナプス結合を持った、途方もなく複雑な構造をしている。この複雑性により、例えば皮質の様々な領域からの信号が海馬の嗅内野で統合することができる。ただ、このような複雑な回路を通る信号が混乱しないように、連合させる領域間での神経興奮リズムの同調が起こることが知られている。中でも、海馬のγリズムの同調は記憶に必須の過程として知られており、人間の脳内の領域を頭蓋外からの刺激で同調させて記憶を高める効果を謳った機械まで販売されている有様だが、このメカニズムはまだわかっていない。
今日紹介するニューヨーク州立大学からの論文は、ラットのナビゲーション行動、嗅内野領域から海馬歯状回領域への投射回路の活動記録、そして記憶形成過程で発生するγリズムの光遺伝学的阻害を組み合わせた実験により、γリズムの記憶成立時の機能を調べた研究で4月2日号のScienceに掲載された。タイトルは「Gamma rhythm communication between entorhinal cortex and dentate gyrus neuronal assemblies (嗅内野と歯状回の神経集合間のγリズムによるコミュニケーション)」だ。
嗅内野の中央部( MEC)と外側部(LEC)は、それぞれ異なる皮質領域から信号を受け、それぞれ全般的な空間の認識と物の認識とを統合していることが知られている。もちろん空間内の物の認識には両方が統合される。
実際空間の認識、物の認識、空間とものの認識を調べる行動解析で、MECのγリズムを壊すと、空間に関わる記憶が、逆にLECのγリズムを壊すと物の認識が選択的に障害される。物と空間の認識が組み合わさった行動では、どちらの領域のγリズムを壊しても、パーフォーマンスが落ちる。すなわち、それぞれの領域が必要な行動時にそれぞれの領域で発生するγリズムは、それぞれの領域の機能に必須であることがわかる。
これを確認した後、MEC、LECそれぞれの領域が投射する歯状回でのγリズムを調べ、それぞれが異なる層に投射し、MECはgranular cellを中心に、またLECはmossy cellや錐体細胞を中心にγリズムに同調させていることを明らかにしている。すなわち、海馬の異なる層に、行動の種類に応じて、嗅内野からγリズムが送られ同調している。
このγリズム破壊によるパーフォーマンスの低下に対応して、MECγ波破壊では、海馬の空間認識に関わる細胞の興奮が低下し、一方LECγ波破壊では物の認識に関わる神経細胞興奮が低下する。すなわち、行動の記憶に必要な神経興奮の同調と、同じ領域間のγリスムの同調が協同することで、両方のシグナルが歯状回で統合され、ノイズのない神経伝達が可能になっている。
結論としては、神経細胞間のγリズム同調が、嗅内野各領域から歯状回各層への信号伝達の効率を高める役割を持つことを示しただけだが、解剖学的な回路が明らかになることで、神経細胞レベルの解析への道が開けたと思う。
直接の信号と、それを支えるリズムといった複雑な伝達系を併せ持つような回路形成は、すでに情報科学的ニューラルネットでも実現しているのだろうか?血流まで調節しながら、必要な部位間の信号パッケージを、異なるリズムをうまく重ねながら伝達する離れ技を機械が再現できるのはいつになるのか、興味は尽きない。