5−6万年前、ホモサピエンスが中東でネアンデルタール人と交雑しながらも、均衡を保って生活していたのに、その後急速にホモサピエンスがネアンデルタール人の領域に侵入し、4万年前にはほぼ全てのネアンデルタール人が滅びる。この時何がホモサピエンスの優位をもたらせたのか、その違いを明らかにするのにゲノム上でのネアンデルタール人との関係の記録は重要だ。しかし、ホモサピエンスがユーラシアに進出してすぐの人骨がこれまでほとんど解析できていない。
ずいぶん前に紹介したように(https://aasj.jp/news/watch/3635)、ルーマニアで発見された4万年前後のホモサピエンスは、4−6世代前の先祖がネアンデルタールと交雑をした証拠が残っており、ホモサピエンスがユーラシアに進出した当時、ネアンデルタール人との交雑が頻繁に行われていたことを窺わせられるが、これまでヨーロッパで発見された4万年以前のホモサピエンスは、現在のユーラシア人とはゲノム的に全く異なる系統であることが分かっており、おそらくいずれかの時点で絶滅した系統と考えられる。
一方、中国北京近郊の田園洞窟で発見された4万年前のゲノムは、間違いなく現代ユーラシア人の先祖であることがわかっている。このことから、現代人の祖先、田園洞窟人と、ユーラシアに踏み出した時期のホモサピエンスをつなぐゲノムの探索が行われていた。
今日紹介するドイツ・ライプチヒのマックスプランク研究所のペーボさんたちがNatureに発表した論文、
および、同じドイツ・イエナにあるマックスプランク人類歴史科学研究所から˜Nature Ecology & Evolutionに発表された論文、
は、このミッシングリンクに存在する4万年以上前のホモサピエンスのゲノムを解析した研究だ。
ライプチヒ論文はブルガリアのBacho Kiro洞窟から出土した約43-46千年前の歯や骨からDNAを回収、イエナ論文はやはり45千年前の骨の一部からDNAを回収、それぞれの系統を調べるために多型(SNP)がわかっているフラグメントを精製してSNPマップを再構成し、他の人類のデータと比べている。
イエナ論文で調べた骨は1950年に発掘されたもので、保存のための膠など多くの処理が施されていたため、年代測定ができておらず、最新のテクノロジーを駆使した苦労の結果、35千年以上前までしか推定できていない。ただ、その後のゲノムを用いた解析から、おそらく45千年前以上で、ヨーロッパ最古のホモサピエンスの骨ではないかと推論している。
さて結果だが、Bacho Kiro出土のホモサピエンスは、中国との田園洞窟人、そして現代人との関係で見ると、明らかに共通するSNPが多く、田園洞窟人、そして現代ユーラシア人へとつながるミッシングリンクを埋めるホモサピエンスが発見されたことになる。日本人にとっても重要な発見になる。
一方チェコで発見された人骨は、現代人との近縁性は希薄だが、よりヨーロッパ人に近い。おそらくBacho Kiro人も含めこれまで発見された4万年前後のホモサピエンスとは、早く系統が分かれていたことがわかる。
面白いのはネアンデルタール人との交雑記録で、Bacho Kiro人ゲノムには、長いネアンデルタール人ゲノムが保持されており、6世代前には交雑があった証拠が残っており、ユーラシアに進出してから交雑がかなりの頻度で起こっていたことをうかがわせる。これに対して、チェコで発見されたゲノムには、最初の中東で起こった両者の交雑の痕跡以外は見当たらず、ユーラシア進出以降もまだネアンデルタール人との交雑がないグループであることがわかった。
結果は以上で、ホモサピエンスのユーラシア進出が、一つのグループだけで起こったのでは無く、いく波にもわかれて行われていたことを示している。また、それぞれのグループのネアンデルタール人との関係も異なっていたようだ。そしてその中の一つ、ブルガリアで発見されたグループは氷河期を生き延び現代人へつながるグループにつながっていたと結論できるだろう。今後、それぞれのグループの遺物の解析を通して、文化やさらには言語に至るまでわかるようになるかもしれない。
これらの発見については、アフリカでのホモサピエンス形成も含めて、ジャーナルクラブでまとめて見たい。