振り返ってみると、大学院にも行ったことがない臨床の医者が、そのままドイツで基礎の研究を許されたことが、人生の転機だった。しかし実際にはプラスミドという言葉さえ知らない初心者が、よくまあなんとかやれたと今考えても冷や汗がでる。留学したケルン大学は、Spring Meetingを毎年開いており、当時の最新研究が聞けたのだが、私にとっては知識の欠如を思い知らされる場所だった。最初参加した会議が、DNAのメチル化についてのシンポジウムで、そのときP.シャンボンの講演で初めてエンハンサーという言葉を聞いたことを、今も不思議に覚えている。
その時から考えると、自分の頭もずいぶん進歩できたことを実感する。エンハンサーについても、常に知識のアップデートを繰り返してきた。今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文は、エンハンサーが特定のプロモーターとペアを組むメカニズムについてアップデートしてくれた面白い論文で、5月26日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「Enhancer release and retargeting activates disease-susceptibility genes (エンハンサーの解放と再結合が病気に関わる遺伝子を活性化する)」だ。
エンハンサーとプロモーターの間がルーピングして、両者に結合する分子同士が相互作用して転写が誘導されるという構図は頭の中に入っているし、それがHiCなどの領域間の接触を調べる方法で証明されていることもわかっているが、ではなぜ特定のペアが結合するのかについては、確かに頭の中にもイメージはない。
この研究では、エストロジェンに反応するエンハンサーにより転写のスイッチが入る遺伝子と、そのエンハンサーとトポロジー的に結合する可能性がある、同じトポロジードメイン(TAD)に存在するその他の遺伝子のプロモーターを選んで、それぞれの関係性について調べている。
具体的にはエストロジェンに反応するエンハンサーが通常ペアリングしているプロモーターを欠損させた時、エンハンサーはTAD内の他のプロモーターの転写に影響するかという問いを、細胞レベルで確かめている。なぜこれまでこのような実験が行われなかったのか不思議だが、TADの概念が確立したことで、このような実験が可能になったと思う。
答えは明確で、もともとペアリングしているプロモーターが欠損すると、同じエンハンサーは欠損した遺伝子の代わりに、他のプロモーターに移って、遺伝子転写を誘導することを発見する。すなわち、一つのプロモーターから解放されたエンハンサーは、同じTAD内の他のプロモーターと相互作用するようになる。
このシフトが起こる分子メカニズムを探ると、TAD形成などのルーピングに関わるCTCF分子がプロモーターに結合している場合、エンハンサーの新しい標的になることがわかった。この実験の場合、TFF1という遺伝子のエンハンサー/プロモーターについて調べているが、TFF1プロモーターにはCTCF領域がある。そして、このプロモーターを除去すると、やはりCTCFが結合しているTFF3のプロモーターへ移行し、さらにTFF3のプロモーターも除去すると、CTCFが結合している次のプロモーターに移行するという具合だ。
言い換えると、TCTCFとコヒーシンによりDNAのルーピングが制御されTADが形成されるのと同じメカニズムで、エンハンサーとプロモーターがペアリングする場合があることを示した。
これだけでも十分面白いのだが、この結果は本来ペアリングしているプロモーターのCTCF結合部位に突然変異が入ると、エンハンサーが同じTAD内の他の遺伝子を活性化させてしまう可能性についても検討している。
まず、同じTAD内のガンとは無関係の遺伝子プロモーターの変異により、本来なら作用を受けないガン遺伝子のプロモーターが、本来影響を受けないエンハンサーにより活性化されることを示している。
また、パーキンソン病のリスク遺伝子として知られるRAB7L1の転写が、近くのパーキンソン病とは無関係の遺伝子のプロモーター領域の多型により高められることを示している。
全てのプロモーター/エンハンサーペアが同じメカニズムを使っているわけではないが、病気とは無関係に見える遺伝子の多型も、このメカニズムを介して他の遺伝子の転写に影響するという発見は、遺伝子の変化の意味を知る一つの重要なパイプになると思う。
P.シャンボンの講演以来アップデートを続けてきたエンハンサーの概念をまたアップデートすることができた。