新型コロナウイルス(CoV2)を学んでいると、ウイルスゲノムが驚くほど巧妙に組織化されていることに驚く。ウイルスRNAがホスト細胞への侵入に成功すると、すぐ翻訳が始まる。この時は、ウイルスの3‘側にあるスパイクなどの構造タンパクは後回しにされ、まずウイルスゲノムの複製や、ウイルスゲノムを自然免疫から守るnsp群の翻訳が行われる。ただ、それぞれの分子が別々に翻訳されるのではなく、一本のペプチド(実際には2本)として翻訳されたものを、できたばかりの2種類のタンパク分解酵素で切り出すことで合成される。
このため最初に必要なタンパク分解酵素PLと3CLは、分子の並びの最初の方に位置して、翻訳出来次第ペプチドを切り出せるようになっている。必要な分子から無駄なく高効率に合成できる、まさに合目的な遺伝子の並びの美しさに、進化を感じることができる。
実際には、この最初の翻訳では、同じ一本のゲノムから、nsp10を境にした短いペプチドpp1aと、ウイルス複製分子を含む長いペプチドpp1abを合成されるが、これは長い方の翻訳が、1塩基フレームシフトして戻ってリスタートすることで、そのまま翻訳したらストップコドンにより翻訳が止まるのを避けて、長いpp1abが合成できるようになっている。
なぜ最初から全部作らないのか、不思議だが、このようなフレームシフトはウイルスでは見られても、決して私たちの細胞では起こらない。従って、このフレームシフトを阻害できれば、ウイルス複製酵素をブロックすることが可能になる。
今日紹介するチューリッヒ工科大学からの論文は、このフレームシフトが起こるプロセスを、RNAバイオロジーの粋を集めて解読し、この過程を標的にした薬剤開発が可能であることを示した研究で6月18日号のScienceに掲載された。タイトルは「Structural basis of ribosomal frameshifting during translation of the SARS-CoV-2 RNA genome(SARS-CoV2 ゲノムの翻訳時に起こるリボゾームフレームシフトの構造学的基礎)」だ。
この研究では試験管内のウサギ網状赤血球由来の翻訳系で、翻訳後のRNAがそのままリボゾームにとどまるような細工をした上で、フレームシフトが起こる領域にまで進んだ翻訳複合体がmRNAやtRNAも含めて精製できるようにして、フレームシフト前後の翻訳複合体の状況を観察している。
クライオ電顕を含む高度な手法を用いた解析が行われており、さすがウイルスRNA学のプロと感心するが、詳細は割愛して結論だけをまとめると次のようになる。
- フレームシフトが起こる3‘側に3箇所のステムループ構造からできたpseudoknotと呼ばれる構造が存在し、これがmRNAがリボゾームの翻訳トンネルの中に入るのを阻害する。これにより、翻訳がフレームシフトが起こる場所で一時停止する(実際停止していることは、2個のリボゾームが存在する場所を調べるdisome法を用いて証明している)。
- このpseudoknotはリボゾームに存在するRNAヘリカーゼで最終的には解消され、翻訳が進むが、一時的な停止による構造変化で、tRNAとマッチングするサイトが押されてコドンがずれ、この結果Asnに続いて、翻訳が再開するとき、Glyの代わりにひとつずれたコドンに対応するArg以降、複製酵素を含む長いpp1abが合成される。
- このフレームシフトの効率は、pseudoknotの構造だけでなく、短いpp1aaのストップコドンの位置、および、できてきたペプチドの構造で決まり、全てのコロナウイルスは、このフレームシフトを促すツィンクフィンガーサイトが保存されている。
- この構造変化の強さや時間で、2種類のペプチドが、同時に最も適したバランスで合成される。
- 現在存在する化合物ではまだ薬剤として利用するまでには至らないが、この調節機構を薬剤で変化させ、複製酵素合成を止める可能性がある。
以上、これまでも地道に研究が積み重ねられてきた領域で、フレームシフトの効率を調節するいくつかの要件が明らかになった研究と言ってしまえばおしまいだが、改めてフレームシフト機構の巧妙さを知り、頭の整理ができる素晴らしい論文だった。
ともすれば、インド株、イギリス株など、スパイク上の変異だけで語ることが多いが、実際にはウイルス増殖効率を決めている要件は複雑で、その差が病原性や感染性の差に繋がることも理解して欲しいと思う。