2025年3月11日
ヘリコバクターを始め様々な細菌がガンの増殖を誘導することが知られている一方、ガン組織の細菌叢を調べる研究が行われた結果、膵臓ガンをはじめとするいくつかのガンで、特に嫌気性菌叢が成立するとガンに対する免疫が誘導されやすく、ガンの予後が改善していることが示され、このブログでも紹介した(https://aasj.jp/news/watch/10700)。「ならば」と、嫌気性腫瘍環境でのみ増殖できる細菌を作成してガン免疫を誘導する研究が行われている。うまくいけば安上がりのガン治療になると期待できる。
今日紹介する深圳先端技術研究所を中心とする中国研究グループからの論文は、腫瘍の嫌気条件だけで増殖できるよう遺伝子改変したサルモネラ菌がガンの増殖を抑えるメカニズムを明らかにした研究で、3月3日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Bacterial immunotherapy leveraging IL-10R hysteresis for both phagocytosis evasion and tumor immunity revitalization(バクテリア免疫療法は、 IL-10受容体のヒステリシスを高め、貪食能と腫瘍免疫の再活性化を誘導する)」だ。
このバクテリアは好気条件では増殖が抑えられる回路を導入されている。驚くのは、静脈注射するだけでガンを移植した嫌気条件に潜り込んでそこで増殖することで、1千万個注射するだけで移植したガンの増殖を強く抑制できる。また、大腸ガン自然発生モデルでもガンの発生を予防できる。この効果がガンに対する免疫誘導であることは、同じガンを他の場所に移植するとすぐに拒絶されるが、他のガンは全く拒絶できない。
期待通り腫瘍組織内のCD8キラー細胞が増加するが、外部からガン組織へのリンパ球流入をブロックしても影響がないので、局所のキラー細胞だけを増殖させている。そして最も驚くのは、この機能が IL-10を抑制することで消失する点だ。IL-10 は抗炎症性のサイトカインで、ガン抑制の逆の作用があると考えられていた。しかし最近になって、キラー細胞の再活性化を強く誘導することが知られるようになり、治験も行われ始めている。その意味で、バクテリア免疫療法が IL-10を介しているという発見は重要だ。
腫瘍組織を調べると、キラーT細胞とマクロファージが IL-10受容体を発現している。さらに、IL-10自体はマクロファージや発見球が発現している。試験管内刺激による研究から、低濃度のIL-10でも、IL-10によって IL-10受容体の発現がさらに誘導されるというサイクルが始まって、キラー細胞やマクロファージが活性化されることがわかった。
そして、腫瘍組織内のマクロファージがバクテリアを貪食した結果 IL-10が誘導され、これがタイトルにあるヒステリシスを誘導し、マクロファージもキラー細胞も活性化サイクルに入ると考えられる。一方で、IL-10 は好中球の腫瘍組織内の活性化を抑え、バクテリアの増殖を維持できるようにしている。
以上が結果で、メカニズムも納得できるので、あとは人間で同じようにガンの抑制が可能か調べるだけになった。人間の場合、原理的には局所注射で十分だと思うが、実現すると安上がりのガンの免疫療法が実現するのではないだろうか。
2025年3月10日
乳児期の細菌叢の形成が、ホストの免疫や代謝に大きな影響を及ぼすことは何度も紹介してきた。このとき、細菌叢からの代謝物によりホスト側の細胞がエピジェネティックに変化して、持続的に反応性を変化させることが示されており、持続的な健康を保障するための細菌叢操作をどうすれば良いのか様々な研究が進んでいる。
今日紹介するユタ大学からの論文は、離乳後固形物を食べるようになるまでの時期に真菌の一種の Candida dubliniensis が腸内に発生すると、膵臓のβ細胞の増殖が高まり、将来の糖尿病発生を防ぐという驚くべき研究で、3月7日 Science に掲載された。タイトルは「Neonatal fungi promote lifelong metabolic health through macrophage-dependent b cell development(新生児期の真菌は一生涯続く代謝的健康をマクロファージ依存的β細胞発生を通して保障する)」だ。
この研究のハイライトは、無菌マウスと通常の実験室マウス(SPFマウス)の膵臓のβ細胞量を、大人になってから比べたという一点にある。今まで行われなかったのが不思議だが、無菌マウスではβ細胞量が半分程度に減っている。
細菌叢の効果がいつ発揮されるのかを調べる目的で、殆どの細菌を殺せる抗生物質を様々な時期に投与してβ細胞量を比べると、マウスで10日から21日まで投与した群でだけβ細胞量が低下した。
この時期は離乳期から固形食に変化する時期で、細菌叢も大きな変化が起こる。ただ、この研究ではこの変化とともに真菌に着目し、この時期にマウスでは C.dublinensis が増加し、その後消失する一過性のウェーブが見られることを示している。実際、この真菌を無菌マウスに移植するとβ細胞量が増加する。
このメカニズムを探るため C.dublinensi を投与したマウスの膵臓を調べると、C.dublinensi を投与した群でだけマクロファージの数が上昇していることがわかる。ただ、特に活性化されているわけではなく、C.dublinensi により何らかのメカニズムで膵臓へのリクルートメントが高まると考えられる。
膵臓のマクロファージを一時的に除去する実験を通して、C.dublinensi が効果を発揮するためにはこのマクロファージの上昇が必須で、これにより長く持続するβ細胞の増加が見られることがわかる。そして、その結果投与を受け膵臓内のマクロファージが上昇したマウスは血中インシュリンの濃度が高い。
あとは、マクロファージを誘導する C.dublinensi 側の条件を探り、完全に分子を特定したわけではないが、細胞壁抗生物質の変化が重要で、例えばマンナンの量が低下すると、誘導能力が高まること、あるいは菌糸の形態なども誘導能に関わることを示している。とすると、将来細胞壁成分のみで膵臓の増殖を高める可能性がある。
最後に、こうしてβ細胞の増殖を誘導すると糖尿病の発生を遅らせることができるか、1型糖尿病マウスを用いて調べ、最初の時期にβ細胞を増やしておくと、確かに病気の発症が遅れることを示している。さらに驚くのは、薬剤投与でβ細胞を障害して C.dublinensi を投与すると、回復が早まることも示している。
結果は以上で、離乳後固形食に移る食の変化に応じて起こる細菌相変化とともに、特殊な真菌が増えてマクロファージの膵臓へのリクルートを増やし、β細胞を増やしてくれるという面白い話だ。これが人間にも当てはまるなら、1型、2型を問わず将来の糖尿病発症を抑える方法の開発に繋がる重要な発見だと思う。
2025年3月9日
昨年の暮れに、エピジェネティックスの大御所の一人Richard Youngが細胞内のタンパク質分子の動きを測って、この動きが鈍化することが病気の症状の細胞レベルの原因で、この状態を Proteolethargy と呼ぼうと提案した論文を紹介した (https://aasj.jp/news/watch/26318) 。彼は今も多くの論文を発表しているが、研究の焦点がタンパク質の局在、特に相分離と転写調節の関係へと移っているように見えていたので、Proteolethargy の論文を読んで「なるほど」と納得し、新しい領域への飽くなき挑戦をいとわないスピリットを感じていた。
今日紹介する Richard Young と、同じMITの機械学習研究部門からの論文は、相分離やシグナル配列により決定される細胞内局在に特化して作成したタンパク質の言語モデルについての研究で、3月7日 Science に掲載された。タイトルは「Protein codes promote selective subcellular compartmentalization(選択的な細胞内コンパートメント化に関わるタンパク質のコード)」だ。
タンパク質は特定の機能を発揮するために様々要素が集まっている。まず、安定な立体構造をとる必要があり、このタンパク質のコンテクストを予測するのが AlphaFold をはじめとする様々な大規模言語モデルだ。この多次元空間に配置している各タンパク質の記述的な機能を融合させ、例えばリン酸化酵素活性を持つ新しいタンパク質を設計することを試みたのが先日紹介した Evolutionary Scale 研究所のESM3 になる(https://aasj.jp/news/watch/26196)。
相分離などによりタンパク質が様々な細胞内領域に局在化するコンパートメント化に興味を持った Young らは、タンパク質の配列からまずこれを予測する言語モデルが作成できないかと考えた。そのために、タンパク質に表現されるコンテクストと自然言語による記述を融合させられる ESM を選び、細胞内の13カ所のコンパートメントに関する記述を融合させた ProtGPS と名付けた独自のモデルを作っている。
この過程を見て感心したのは、コンパートメント化がはっきりわかっているたかだか5000種類のタンパク質を、800万パラメータの2層からなる小さなニューラルネットに学習させている点だ。すなわち、GPU は必要だが、自分の目的に合わせたパソコンレベルのモデルの利用が始まっている。GPT-4は1750億パラメータで、ずっと小さくて次元圧縮して内部の解析が可能な GPT-2 は17億パラメータだが、今回使われたネットワークは桁違いに小さい。
しかし、5000タンパク質を学習させた ProGPS は、タンパク質のコンパートメント化について極めて高い確率で予測することができる。
ただ、生成 AI という観点からはまだまだ万能ではない。蛍光タンパク質の局在を決めるための配列を設計させても、全くうまくいかない。これは設計でできたタンパク質の折りたたみを含むタンパク質としての化学的性質が表現できていないためで、これを改善するため配列設計を既存のタンパク質言語モデル EMS2 に存在する配列に限ること、本来のタンパク質の折りたたみを変化させないこと、目的のコンパートメントに存在するタンパク質が持っている配列であることなどの条件を加えて設計すると、ようやく核内局在で 4/10 で成功するようになる。今後学習するタンパク質を増やしたモデルが形成されると、他のコンパートメントも含め、コンパートメント化を指定できる新しい配列も設計できるようになるだろう。
最後に、形質変化が起こることがわかっている突然変異のうち、細胞内局在を変化させる変異を予測する可能性も調べ、ProGPS 多次元ベクトル空間内での距離から、局在の変化が予測できることも示している。
以上が結果で、まだまだ入り口とはいえ言語モデルの新しい可能性を感じさせる論文だ。何よりも計算機からパソコンへの移行が間違いなく起こることを予感させる。そして、この変化を主導するのは生命科学だといえる。
2025年3月8日
医学教育の最初は人体解剖というのが今も定番だと思うが、血管の走行に関しては、決まったパターンをとるものと個人差が大きいパターンがあることに気づく。ただ、個人差の大きいパターンに関しては、殆ど気にせず様々な条件が重なると当然起こってくる個人差だと考えていた。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、個人差だと思っていた走行の多用性も場合によってはそのメカニズムを特定することができることを示した研究で、3月5日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「CXCL12 drives natural variation in coronary artery anatomy across diverse populations(様々な人種で CXCL12 は冠状動脈走行の自然の多様性の原因となる)」だ。
タイトルにある CXCL12 は最初 SDF-1 と呼ばれており、1993年に本庶研の田代、仲野さんにより、続いて1994年に岸本研の長澤さんにより遺伝子クローニングが行われたケモカインだ。当時私たちは独自に樹立したストローマ細胞株 ST2 と東北歯科大学小玉さんの樹立したストローマ細胞株 PA6 を利用して造血を研究していたが、田代、仲野さんは ST2、長澤さんは PA6 から SDF-1 をクローニングしたので特に印象が深い。実際長澤さんらにより、ストローマ細胞造血に関わることが示されたが、その後 Cyster らによって私たちが研究していたリンパ組織の発生にも関わることが示され、常に注目してきたケモカインだ。ただ、現在では血液やリンパ組織だけでなく、血管や心臓の発生維持に関わることが明らかになり、多彩な作用があることが知られている。
この研究は心臓の裏側を支配する冠状動脈回旋枝が、左右どちらの下降枝から分岐するのかの、いわゆる血管走行の多様性を決める遺伝性調べるため、ゲノム解析二よりマッピングを行い、ヨーロッパ系、アフリカ系ともに CXCL12 の近傍の多型と強く相関することを発見する。
これまで知られている CXCL12 の多型は4種類知られており、そのうち近くに存在する3種類のノンコーディング領域の多型が走行多様性を決めると考えられる。ノンコーディング領域なので遺伝子の発現量を調節していると考えられるが、多様性で終わるような軽微な変化を捉えるのは難しい。
この研究では胎児心臓の single cell レベルのクロマチン構造を調べたデータを読み込ませた AIモデルを作成し、特定した多型がそれぞれ細胞特異的クロマチン構造変化と対応することを確認している。
その上で、心臓の胎児発生時期の CXCL12 とその受容体 CXCR4 の発現を調べ、冠状動脈発生時に CXCL12 が冠状動脈起始部の回りに発現し、CXCR4 が冠状動脈上皮に特異的に発現していることを、組織上の遺伝子発現アッセイから明らかにしている。
以上のことから、発生途上で CXCL12 の微妙な量の変化により、左右どの下降枝から動脈が伸びてくるのかが決まると想定される。とすると、CXCL12 遺伝子が半分のマウスを調べると、起始部の選択が変わるのではないかと着想し、マウスCXCL12 ノックアウト・ヘテロマウスの動脈走行を調べると、通常右下降枝から分岐するケースが多いが、CXCL12(+/-) では、両方の下降枝と大動脈から分岐するケースが多いことがわかった。
結果は以上で、致死的でない遺伝子発現の変化が我々の身体の多様性を作っていることを実感させる面白い仕事だと思う。特にノンコーディング領域の多型を調べるための方法などは、学ぶところは大きい。
2025年3月7日
上皮間葉転換 (EMT) は、細胞接着構造で互いに結合していた上皮が細胞同士の結合力の低い間葉系細胞などに転換することを指し、発生過程では胎児上皮からの中胚葉の分化、神経管からの神経堤細胞の分化で見られる極めて重要な過程だ。EMT はその特異的な組織学的特徴からガンでも指摘されており、多くの場合 EMT を起こすと悪性度が高いと考えられてきた。
今日紹介するテキサス MD アンダーソン研究所からの論文は、EMT の役割が強く疑われてきた膵臓ガンに関して EMT 過程をモニターし、また操作できるマウスを用いて、EMT がゲノム不安定性を引き起こしてガンの多様化と悪性化に関わることを示した研究で、3月5日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Evolutionary fingerprints of epithelial-tomesenchymal transition(上皮間葉転換の進化過程の刻印)」だ。
先日タイトルの重要性について述べたが、この論文のタイトルを見て膵臓ガンの研究だとわかった人はほとんどいないのではないだろうか。私もまず進化発生学の論文かと読み始めたぐらいだ。読み始めればすぐに膵臓ガンでの EMT が研究対象であることがすぐわかるが、膵臓ガンに興味のある人は読み始めないのではないかと思う。しかし、ガンの研究者にとっては面白い研究だと思うので、少し残念な気がする。
この研究のハイライトは EMT で発現するビメンチン遺伝子をスイッチとして、EMT を経験した膵臓ガンを追跡したり操作したりできるようにした点で、EMT について議論している膵臓ガン研究論文は多く読んだが、このタイプの試みは初めて見た。難しい方法ではないので、今まで殆ど試みられてこなかったのが不思議なぐらいだ。
ガンの進展途上で EMT が起こったときにスイッチが入って蛍光を発するマウスでは、間葉系形態をとった細胞だけでなく一度間葉系に変化した後、また上皮様に戻る細胞が存在することがわかるが、高い増殖力を示し転移するのは殆どが EMT の後に間葉系形態を保った細胞であることがわかる。また、発ガンの早い時期から EMT が発生しガンの主要成分を占めるようになることがわかる。EMT 細胞の高い増殖性は、ガン細胞のオルガノイド培養や細胞移植でも確認されている。
ここまでならこれまでの研究でも他の方法を用いて示されており、EMT がガンをさらに悪性化させると考える根拠になっているが、この研究では EMT を起こした細胞を薬剤で殺せるようにしたマウスモデルを用い、EMT を殺したときのガンの増殖や転移を調べている。結果は予想通りで、増殖だけでなく、ガンの転移も強く抑制することができ、また生存期間も延びる。おそらくこの実験は、ガンの進展にとって EMT が必須であることを直接示した最初の論文ではないだろうか。
次に、EMT がガンの進展に大きな影響を持つメカニズムについて、染色体の安定性に焦点を絞って調べている。すると、EMTを起こした細胞でだけ大きなゲノム変化が起こりやすくなって、ゲノム不安定状態が起こっているのがわかる。また分裂時に染色体が断裂してしまうクロモスプリシスという状態が EMT 後に起こっていることも明らかにしている。これはマウスモデルだけでなく、人間の膵臓ガンのデータベースを調べると、EMT を起こした刻印を持つ細胞でクロモスプリシスが起こっていることを確認している。
クロモスプリシスは分裂時に紡錘糸が染色体に結合できないために起こるが、このグループが以前開発した single cell レベルで特定の領域のクロマチン構造を調べる方法を用いて紡錘糸の結合するセントロメア付近のクロマチン構造が開いてしまっており、その結果紡錘糸の結合がうまくいかないと結論している。実際、EMT を起こしたガン細胞では、分裂時間が長くかかっている。
結果は以上で、EMT がガンの染色体不安定性と強く相関していること、またクロマチンの変化がさらに大きいクロモスプリシスを誘導する因子になることはわかり、ガンの EMT がガンのゲノム多用性を発生させる大きな要因であることが理解できた。ただ、これが膵臓ガンの難しさの全てかどうかはわからない。とはいえ、single cell レベルの独自の解析技術など、高い力量を示す面白い研究だと思う。
2025年3月6日
GLP-1受容体刺激剤は、私たちの代謝調節が大きく脳に依存していることを再認識させた。全身の代謝調節ホルモンの本家本元のインシュリンは、筋肉、脂肪、肝臓、血管内皮など末梢組織に様々な変化を誘導するが、同じように脳にも直接働いて食欲を調節している。糖尿病へ前段階のインシュリン抵抗性は決して末梢組織だけの問題ではなく、インシュリンによる食欲抑制の低下にも関わっている。
今日紹介するドイツチュービンゲン大学からの論文は、甘くて脂肪の多いスナックを5日間食べ続けるだけで、脳のインシュリン反応性が変化することを明らかにした研究で、2月21日号の Nature Metabolism に掲載された。タイトルは「A short-term, high-caloric diet has prolonged effects on brain insulin action in men(高カロリー食を短期間食べるだけで男性の脳のインシュリン反応の変化が誘導される)」だ。
この研究ではまずボランティアに通常の食事の他に Snikers、Brownies、ポテトチップスといった、甘くて脂肪の多いスナックを一日1500kcal 摂取させている。コントロールの人は日常の食事を続ければいい。正確に食事をコントロールしていないので、被検者のハードルは低い。ただ、コントロールされていない点を補う目的で、5日後の肝臓脂肪を全身MRIで調べている。驚くなかれ、殆どの被検者で5日間スナックを食べるだけで肝臓の脂肪量の上昇を認められる。一日1500kcal のスナックの威力と言える。一方、この程度では全身のインシュリン感受性などは変化が認められない。
同じ時に脳のMRI検査を行うが、通常の検査ではなく経鼻的にインシュリンを噴霧し、インシュリンの直接効果による脳血流量の増加(おそらくグルコースを取り込み上昇に対応する)を調べると、モチベーションに関わるローランド弁蓋部、また嗅覚や味覚を通した辺縁系機能に関わる島皮質での血流量が大きく増加しているのが認められる。すなわち、これらの領域でインシュリン感受性が上昇している。この時期の脳の情動を調べると、ご褒美回路が低下し、逆に罰に対する感受性が上がっている。おいしいものを食べすぎると満足しなくなった上に食べ過ぎを心配してしまうと言ったところだろうか。
重要なことは、この感情の変化は通常の食事に戻したあと1週間目で調べても持続している。ただ、直後に反応したローランド弁蓋部や島皮質のインシュリン感受性は元に戻り、逆に記憶に関わる海馬や、視覚認識の視床路に属する紡錘状回のインシュリン反応性が低下している。おそらく視覚から得る食べ物に対する記憶に関わる領域のインシュリン抵抗性が発生しているのだと思うが、詳しい意味については検討できていない。いずれにせよ、記憶に関わる脳の一部でインシュリンに対する反応性が、正常食に戻したあとも1週間続いているのには驚く。
同じように正常に戻して1週間目に脳内の神経結合性をMRIで調べると、肥満患者さんで見られるご褒美回路の結合性低下も認めている。
以上が結果で、要するに短期の食の変化だけでも我々の脳を一定期間変化させるのに十分というわけだ。元々おなかを空かせるのが当たり前の野生では、このような脳の変化は生存のために必須だったと思う。しかし飽食の時代も、同じ特性が脈々と維持されているのをみると、改めて欲望を抑える難しさを感じる。
2025年3月5日
「ソロキャンプ」という言葉を聞いたのは最近だが、なんとなく孤独を楽しむ象徴のように感じる。多くの場合、家族も含めて人付き合いの煩わしさから逃れ、自分を取り戻したいという気持ちにさせる社会状況があるのだろう。しかし、動物の場合孤独と危険は表裏一体で、生きるためには他の個体と一緒に行動することが重要になる。とすると、孤独より群れることを好む脳回路が存在しなければならない。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、マウスを他の個体から分離し、一定期間の後もう一度他の個体と再会したときに活動する神経回路を特定して、動物が他の個体と群れたがる本能に関わる神経回路についての研究で、2月26日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「A hypothalamic circuit underlying the dynamic control of social homeostasis(社会的恒常性のダイナミックな調節を支える視床下部脳回路)」だ。
基本的には、他の個体から分離した後の脳反応と再開した後の脳反応を調べ、両者を綱具の迂回路を明らかにするのが目的だが、詳細に至るまでよく考えられた研究だ。他の個体との関係では当然競争関係も存在するので、まずメスの個体のみで研究が行われている。さらに、孤独を感じるインプットをシンプルにするため、正常マウスに加えて、網膜色素変性症で視力が失われたマウスを用いている。
その上で、孤独を経験したあと他の個体と再会したときの行動学的に詳しい分析を行い、再会での興奮程度とその持続を計測している。面白いことに、視力がないマウス系統 (FVB) が最も再開後の興奮が高い。
この興奮度の高いFVBマウスを用いて、孤独にしたとき、そして再会したときの神経活動を視床下部で調べると、孤独に置かれたときに興奮する神経、再会したときに興奮する神経を特定できる。それぞれの神経集団は分布が異なる全く別の集団で、孤独に置かれた神経(孤独神経)の興奮は再会後にすぐにオフになる。逆に他の個体と一緒にいるとき興奮する集団(再会神経)は、孤独に置かれるとオフになる。
孤独神経は興奮性で、再会神経は抑制性神経で、互いに連結があり、また様々な脳の領域に投射している。この回路を分析して最終的に以下の結論を得ている。
まず孤独を認識する孤独神経の興奮が起こる。これは脳の様々な領域に投射するが、基本的にはネガティブな行動を誘導し食欲なども低下させる。孤独神経を光遺伝学的に興奮させると、その場所を避けることも確認している。一方、再会神経は孤独神経にも投射して、再会したシグナルで孤独神経を抑制するのに関わるが、同時に被蓋領域のドーパミン神経に投射し、いわゆるご褒美回路を活性化させる。すなわち、興奮することで満足を与える神経になる。まとめると、空腹と満足による食欲回路と同じように、孤独と再会による満足のセットが中核回路を作り、これを感情的な価値に転換するため、様々な脳領域へ投射して、ネガティブな感情を惹起し、また満足によりそれを抑えるとともに、ご褒美感情を惹起する構造になっている。そして、通常他の個体といるときには孤独神経は常に抑えられているが、孤独に置かれると興奮が始まり、ネガティブな感情が芽生える。
最後に孤独感情を認識させるインプットを探している。このために視覚が失われたFVBマウスが用いられているが、様々な事件から、視覚、嗅覚、聴覚は殆ど寄与せず、基本的に他の個体とのボディータッチによる触覚が、再開神経を抑えることで、孤独神経が興奮する構造になっている。また、触覚の質を柔らかい布と固い物質でできたトンネルを通すことで変化させて調べると、期待通り柔らかい感触が重要であることがわかる。
以上、本能としての他の個体との接触が調節され、孤独を嫌うようにできていることがわかる面白い研究だ。さて、人間が孤独を好むようになったのはなぜなのか、面白そうだ。
2025年3月4日
ビタミンC が欠乏すると壊血病になるが、これを予防できる物質としてビタミンC を単離したのがハンガリーの生化学者セント・ジョルジで、このとき壊血病にちなんでア・スコルビン(壊血病がない)と名付けている。すでに忘れ去られているかもしれないがビタミンC の歴史に登場するもう一人のノーベル賞研究者は、量子化学のライナスポーリングで、学生時代教科書でも有名だったが、ビタミンC の大量摂取で風邪を予防したり、ガンの増殖を抑えたりできることを提唱していた。ただ、その後の治験などで、科学的根拠が乏しいとされ、ビタミンC 治療は下火になったが、それでもビタミンC が必須栄養素と言うだけでなく、免疫強化、コラーゲン活性化を通して皮膚の若返りが期待できるとして一般の人には人気の高いサプリメントになっている。
論文を読んでいると、医療現場からは消えたかに見えたビタミンC 療法は、特にガン治療の分野で新しく研究され始めていることがわかる。このブログでもすでに4回紹介したが、最初は点滴で一日60gという、ポーリングも驚く大量を投与する治療で、通常抗酸化剤として知られるビタミンC に活性酸素を発生させてガンを傷害させる治療だった(https://aasj.jp/news/watch/6679)。その後さらに、ビタミンC が補助因子として TET2 活性を高め、ガンで狂った DNA メチル化を元に戻して治療を助けるという論文も発表された(https://aasj.jp/news/watch/7291)。大量点滴療法に関しては、免疫機能が高まることが抗ガン効果に作用しており、チェックポイント治療と組み合わせると高い効果が得られることを示した治験研究も発表されている(https://aasj.jp/news/watch/12465)。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、これまでとは全く異なるメカニズムで、ビタミンC がガン細胞特異的にガン免疫への感受性を高めることを示した重要な研究で、2月28日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Lysine vitcylation is a vitamin C-derived protein modification that enhances STAT1-mediated immune response(リジンのビタミンC 化はビタミンC のタンパク質修飾で STAT1 が媒介する免疫反応を高める)」だ。
この研究は有機化学者の目から始まっている。リジンのサクシニル化反応に必要な反応性ラクトン構造をビタミンC も持っていることに気づき、様々な条件でリジンを含むペプチドにビタミンC を加えてみてリジンと結合するか調べた。すると期待通り、加えたビタミンC の濃度依存的にペプチドのリジン残基だけがビタミンC 化された。
そこで、生きた細胞内でもビタミンC 化が起こっているのか、2種類の細胞株をビタミンC を加えて培養し、細胞内のタンパク質を解析すると、500−1400種類のタンパク質がビタミンC 化されることを明らかにしている。ビタミンC 化されるタンパク質の種類に一定の傾向があること、さらに細胞抽出液を使った実験から、ビタミンC 化が酵素反応に基づくとしているが、酵素特定に関しては今後の課題として残している。
マウスのガン細胞株でビタミンC 添加により発現が高まる遺伝子の多くが免疫システムに関わっており、特にインターフェロン下流の分子の発現が高まっていることから、あとはインターフェロンシグナル下流に位置する STAT1 に対象を絞り、ビタミンC 化により SATA1 の機能がどう変化するのか、生化学的に調べている。
長い話を簡単にまとめると、STAT1 は298番目のリジンがビタミンC と結合する。この結果、STAT1 二量体の構造が大きく変化し、脱リン酸化酵素との結合が阻害され、リン酸化 STAT1 の寿命が延びる。この結果、インターフェロンシグナルでリン酸化された STAT1 の機能が長続きし、ガン細胞のインターフェロン感受性が上昇する。
特に注目すべきは、ガン免疫の標的になる MHC 及びガン抗原提示に関わる様々な分子の発現が上昇することで、その結果ガン免疫に対する感受性が高まる。
マウスにガンを移植し、ガンに対するキラー細胞及びビタミンC を投与すると、ガンを抑制する効果が見られるが、ガン細胞の STAT1 がビタミンC 化できない変異型にかえるとビタミンC の効果が全くなくなる。しかしこれまでビタミンC 効果の分子経路に関わるとされてきた TET2 や HIF1 をノックアウトしても、ビタミンC の影響は低下せず、この研究で使われた濃度では、ビタミンC と TET2 や HIF1 は関係がないことも示している。
以上が結果の概要で、タンパク質に対する直接修飾としてのビタミンC 化を発見し、一部のタンパク質ではビタミンC 化により、機能が改変されることを示し、ビタミンC 研究の歴史に新たな道を開いたと思う。また、STAT1 ビタミンC 化の結果は、これまでのガン免疫とビタミンC との結果をメカニズムの点からバックアップする重要な発見で、ガンの免疫療法でのビタミンC 投与の可能性を改めてクローズアップしたと思う。今後の鍵は、この反応を媒介する酵素の特定だと思うが、他のビタミンC 化されるタンパク質についての機能も面白そうだ。
セントジョルジがアスコルビン酸を抽出したのが1930年で、ほぼ100年が経過したが、こんな展開が待っていようとは全く想像できなかった。
2025年3月3日
論文を読むときどこから読むかは人それぞれだが、著者に注目しているなどの特別な例を除くと、まず全員タイトルから読み始めると思う。従って、論文を書くときはいつもいいタイトルをと心がけたし、読む側に回っても、手に取るかどうかはタイトルに影響されることが大きい。
今日紹介するハーバード大学からの論文はタイトルに惹かれる典型的な例で、2月27日 Nature Neuroscience に掲載されている。そのタイトルは「Nasal anti-CD3 monoclonal antibody ameliorates traumatic brain injury, enhances microglial phagocytosis and reduces neuroinflammation via IL-10-dependent Treg –microglia crosstalk(経鼻的に投与する抗CD3抗体はIL-10依存的Treg-ミクログリアの相互作用を介して、外傷性脳挫傷でのミクログリア貪食を促進し、神経炎症を抑える)」だ。
おわかりのように、タイトルに全てが書かれており、免疫学をかじっているものなら必ず驚く。まず、経鼻的に抗CD3抗体を投与して抑制性T細胞 (Treg) を活性化する方法に驚くし、さらに免疫疾患とはいえない普通の外傷性脳挫傷を Treg で治療するというアイデアに驚いて、論文を読み通すことになる。
初めて読むと驚くのだが、このグループは抗CD3抗体を経鼻的、あるいは経口投与して Treg を誘導する治療法の開発に長年取り組んでおり、2006年には抗CD3抗体経口投与で Treg を誘導して実験的自己免疫性脳炎を治療できることを示している。経鼻的というタイトルから、脳で Treg を直接活性化しているのかと思ったが、実際にはこの方法で全身の Treg を活性化させようと考えている。実際、2023年には Covid-19 の肺炎を抑える目的で患者さんへの抗CD3抗体経鼻的投与を行っており、一定の効果があることを示している。
では Treg 誘導は外傷性脳挫傷にも効果があるのか?多くの実験が行われており、ややこしすぎるのだが、症状に即した結果だけを見ると、損傷治療後30日目で、
- 抗CD3抗体を経鼻的に投与することで、行動上の脳機能障害が軽減される。
- MRI で認められる損傷領域が縮小する。
- 損傷部位のミクログリアの密度を下げる。
- 様々な血中マーカーで脳損傷低下、炎症の軽減が認められる。
ことを示している。一方で、損傷直後の1週目では殆ど抗CD3抗体の効果は認められないことから、慢性期損傷治癒に関わる過程に効果があることがわかる。
あとはこのグループが長年行ってきた研究に基づき、外傷性脳挫傷でも Treg が活性化することで炎症抑制が起こることを、多くの実験を使って示している。データを見ると、クリアカットではないので、この可能性を証明するのに苦労しているという印象だ。ただ、最終的に一番明確な実験は、脳挫傷のあと抗CD3抗体を投与したマウスから脾臓細胞を精製し、脳挫傷を受けた他の個体に細胞移植する実験で、抗CD3抗体処理を受けた脾臓細胞は、腹腔に注射すると脳に移行し、脳挫傷の症状を軽減させることができる。また、このとき Treg を除くとこの効果は消失する。また、IL-10 に対する抗体を投与すると、この効果は消失する。
他にも様々な実験が行われているが、この結果で言いたいことはわかる。すなわち、抗CD3抗体経鼻投与は全身の Treg を活性化できる。他の細胞より Treg への効果が強いのかは明らかにする必要があると思うが、結果オーライといえる。これは全身で起こり、Treg も脾臓中の細胞を、腹腔に注射するだけで効果があるので、脳局所の反応を誘導しているものではない。
私の印象としては、話がうますぎると警戒してしまうが、様々な疾患で臨床応用が始まっているようで、その結果を見た上で評価すればいいと思う。
2025年3月2日
私たち人間は、乗り物を通して自分の能力以上の移動を行っている。例えば電車に座っているとき、特に歩いていないが窓の外の景色で動きを感じているし、電車の加速や減速に伴い、前庭器官を通しても動きの感覚を得ている。ただ人間の場合、現在電車に乗っているといる認識に基づくトップダウンの調節の寄与は極めて大きいと思う。これは動く歩道を考えてみるといいだろう。腰より下が見えないようにして前に歩いていて急に動く歩道に乗ったら殆どの人は転ぶ。しかし、「動く歩道に乗ることがわかると、同じスピードで歩いたままで、さらに例えば2km/hの速度が追加されても転ばない。
今日紹介するロンドン大学からの論文は、トップダウンの認識を完全に遮断した上で、動物が運動をどのように感じているのか、大がかりな方法で調べた面白い論文で、2月19日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Motor and vestibular signals in the visual cortex permit the separation of self versus externally generated visual motion(運動と前庭シグナルから視覚野へのシグナルが視覚野で感じる運動が自発的か受動的かを区別する)」だ。
トップダウンの調節を排除すると、運動を感じるのは、視覚上の変化、前庭器官による加速度感覚、そして自分の運動についての身体感覚になる。ただ、これら全ての感覚を同時に記録するのは難しい。というのも広い空間を自由に動ける条件で、視覚インプットをコントロールしながら脳記録を行う装置は全くできないというわけではないと思うが、簡単ではない。そこで、トレッドミル上で運動させながら景色をそれに合わせて変化させる装置が用いられる。ただ、これだと前庭からのシグナルは変化しない。従って、頭の向きを急に変えると行った実験以外は3種類のインプットを全て追跡することはできなかった。
これに対し、この研究ではトレッドミル上で視覚インプットを変化させ脳記録を行う装置をなんと1.5m移動して前庭のシグナルを発生させられるステージの上に設置して3種類のインプットを生成している。
これを使うと、真っ暗でトレッドミルも動かない状態でステージだけが動くことで前庭感覚を刺激できるが、実際体が動きを感じると、視覚野神経が興奮する。それもほんの一部ではなく、25%程度の神経が活動することは、前庭の刺激が視覚野にも伝達され、視覚シグナルの調節をしていることがわかる。
実際、じっとしている状態で視覚インプットだけを変化させて起こる視覚野の神経興奮にステージを動かす刺激が加わると倍以上の神経が興奮していることがわかり、前庭からの刺激が視覚野の興奮閾値を大きく変化させていることがわかる。
一方視覚の変化にアジャストさせてトレッドミルを回し、マウスを走らせると、すなわち視覚インプットと運動感覚が合わさると、さらに2倍以上の神経が興奮する。面白いのは、このときステージを移動させても移動させなくても興奮する神経の数は変わらない。すなわち、自発的に運動している場合、前庭加速度センサーからのインプットは抑えられる。
とすると、視覚インプットと運動感覚だけがあれば移動に関する感覚は十分ということになるが、例えば視覚の変化と運動感覚の統一性がなくなるような状況、実験的には運動中に急にステージを動かす状態、そしてマウスの生活から考えると急に滑って移動速度が増したような状態、ではそのときだけ前庭からのシグナルも合わさってさらに多くの神経細胞の興奮が観察される。
この研究では視覚野への影響が研究されたが、実際には他の皮質神経でも、前庭及び運動からのインプットは神経興奮の閾値を変化させていることが示され、空間を移動する感覚が、我々の認識の基礎にあることを示している。
以上が結果だが、この研究の全ては研究装置の設計にあると思う。