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7月12日 人間を対象とした脳ミクログリア入れ替え治療の実施(7月10日 Science 掲載論文)

2025年7月12日
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様々な脳疾患でミクログリアを対象とする治療開発が進んでいる。その究極が、異常ミクログリアを正常ミクログリアに置き換えてしまう移植治療で、2ヶ月前にマウスでリソゾーム病の治療に使えることを示したスタンフォード大学からの論文を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/26716)。そして、今日紹介する上海交通大学医学部からの論文は、CSF-1 受容体変異でミクログリア異常を示す遺伝病の患者さんに対し、組織適合性をマッチさせた骨髄細胞を用いてミクログリア入れ替え治療を行ったという研究で、7月10日 Science に掲載された。タイトルは「Microglia replacement halts the progression of microgliopathy in mice and humans(ヒトとマウスでミクログリア入れ替えによりミクログリア異常症の進行を止めることができる。)」だ。

これまでの研究から、脳内のミクログリアの入れ替えに必要な方法は確立しつつある。特にミクログリアの生存に必要な CSF-1 受容体シグナルを抑制してニッチを開けるというのが定番になる。個人的な話になるが、この CSF-1 には格別の思いがある。熊本大学で初めて教室を持ったとき、オクラホマ大学から教室に参加してくれた林さんが、大学院生の吉田君と一緒に大理石病マウスop/opが CSF-1 の突然変異であることを突き止めた。そのとき、ヒトの大理石病の中には CSF-1 や受容体の変異が見つかると予想したが、残念ながら予想は外れた。しかしその後、leukoencephalopathy と呼ばれる病気が CSF-1 受容体の変異で起こることがわかり、驚いた。

この研究では CSF-1 受容体変異によりミクログリアの維持が低下している leukoencephalopathy の患者さんを移植治療の対象に選んでおり、最初のミクログリア入れ替えとしては最適の症例選びが行われている。

ただ、すぐに患者さんの治療を行ったわけではなく、患者さんと同じ変異を持つマウスモデルを作成し、人間の leukoencephalopathy が再現できるかを徹底的に確かめている。この病気を起こす変異は数多く知られているが、比較的症例の多い794番目のアミノ酸がチロシンに変わった変異を中心に研究をすすめている。

詳細は述べないが、この変異はヒトでは機能喪失変異とされており、この研究でもそう考えているようだが、示されたリン酸化実験では、無刺激での自己リン酸化が高く、また下流のリン酸化カスケードも高まっているので、脳だけでなく他の組織のデータもほしいと思った。マウスの場合、受容体の変異は大理石病を起こすので、病理の解釈についてはもう少し突っ込んでほしかった。

しかし、目的はミクログリア入れ替え治療の前臨床研究なので、機能や病理解析から明らかにした様々な指標をサロゲートマーカーとして、これまで開発されてきた CSF-1 阻害とブスルファン投与を前処置とする骨髄移植で、leukoencephalopathy の病理や機能の低下を防げることを確認している。

そのあと、人間にトランスレートする際にすぐに認可が得られないことを考え、造血抑制後の骨髄移植という広く行われている骨髄移植方法でも、モデルマウスでミクログリア置き換えが可能であることを示している。 CSF-1 受容体が元々抑制されている leukoencephalopathy を最初の患者さんに選んだ理由がよくわかる。

そして最後に8人の患者さんを選び、通常の骨髄抑制処置を行ったあと、組織適合性をマッチさせた骨髄を移植している。もちろんバイオプシーで確かめるわけにはいかないので、マウスで骨髄移植の効果を反映できると確認したグルコースの取り込みを見る FDG ペットで病気の進行が止まっていることを確認したあと、MRI や脳機能検査を行い、治療が病気の進行を抑えたことを確認している。

結果は以上で、脳で本当にミクログリアが回復しているかなどは評価ができないとはいえ、進行性の遺伝疾患の進行が止まったことは、予想通りの入れ替えが起こったと考えていいように思う。マウスの論文を紹介してから2ヶ月もたたない間に人間での治療論文が行われるというめまぐるしさで、今後他の病気にも拡大していく予感がする。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月11日 凝集した Tau 繊維を引きちぎる繊維の設計(7月9日 Nature オンライン掲載論文)

2025年7月11日
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アミロイドβ を標的にするアルツハイマー病 (AD) 治療が一定の成功を収めた今、競争は神経細胞死に直接繋がる Tau を標的にする治療法の開発に移ってきている。もちろんこのブログでも紹介しているように、AD 治療標的候補は数多く存在し、例えば昨年紹介した細胞膜直下の細胞骨格を回復させて細胞内カルシウムを安定化させる方法などはかなり期待できるのではないかと思う (https://aasj.jp/news/watch/24592 )。 しかしアミロイドベータから tau への2段階説はわかりやすく、エビデンスもしっかりしているので、アンチセンスから抗体まで様々な治療方法が研究されている。

そんな中で今日紹介する UCLA からの論文は、凝集によって形成された Tau繊維にまとわりついて、最終的に繊維を引きちぎるという面白い方法の開発で、7月9日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「How short peptides disassemble tau fibrils in Alzheimer’s disease(どのようにして短いペプチドがアルツハイマー病でおこる tau繊維を分解するか?)」だ。

このグループは、細胞内で形成された Tau線維を、自然界には存在しない D型アミノ酸が7つ並んだペプチドが分解できることを報告しており、この論文ではこのメカニズムをさらに詳しく調べ報告している。

最初使われたのは D-TLKIVWC という7つのアミノ酸が並んだペプチドだったので、特に最後のシステインによる S-S 結合の必要性などについて検討し、Tau繊維の分解には S-S 結合は必要無く、一定の疎水性が必要で、システインを他のアミノ酸で置き換えることができることを示している。

また、せっかく D-ペプチドで tau繊維を切断しても、それが新しいシードとして tau凝集を誘導しては元も子もないので、決して新しい凝集のシードにならないことを確認している。

その上で、X線回折やクライオ電顕を用いて、このペプチドが tau繊維と結合する状態を詳しく解析し、ペプチドが tau繊維と結合したあと、tau繊維のねじれに沿ってペプチド自ら繊維構造を形成することを見いだしている。そして、ペプチドからなる線維が一定の長さになると、急に破断しそのときに tau繊維も破断し、分解されることを示している。

即ち、何の操作も必要無く、ペプチドが tau繊維にまとわりついて伸びると、自然に tauごと切断が起こることになる。このときに必要なエネルギーを計算し、最終的に以下のシナリオが提案されている。

ペプチドは D型アミノ酸からできているので、自然では右巻きの線維を形成する。しかし、tau繊維と結合してそれを核にして伸びることで、左巻きで伸びることを強制される。そしてこの左巻きの繊維の伸びが一定の長さに達すると、自然の右巻のねじれを巻き戻そうとするエネルギーがたまり、このエネルギーが tau繊維を切断するというシナリオだ。

ペプチドは脳に移行できれば細胞内にも到達できるので、是非人間の治験へと進んでほしいと思う新しい方法だ。また、tauでなくてもこのようなアミロイド繊維は様々な病気を誘導することがわかっているので、この原理に従って D型ペプチドを設計することで、他の神経疾患の治療法として発展する可能性もあると期待する。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月10日 気になる臨床研究4題(6月30日 Nature Medicine オンライン掲載論文他)

2025年7月10日
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最も気になった臨床研究から始める。

熊本大学医学部で免疫学を担当していたとき、講義の最初に抗体を最初に発見したのは誰か知っているか?と訪ねることにしていた。残念ながら答える学生さんはいなかったが、答えはベーリングと北里で、彼らが抗体の発見者と言われる理由は、破傷風の嫌気性培養に成功し、破傷風の血清療法を開発したからで、抗体を用いて治療が行われたのは、彼らの破傷風やジフテリアの治療が最初になる(von Behring E, Kitasato S. Ueber das Zustandekommender Diphtherie-Immunität und der Tetanus-Immunitätbei Thieren. Deutsche Medicininischen ochenschrift1890;49:1113-4.)。特に北里は熊本県小国村出身ということで、一人ぐらい答えてほしいなといつも期待していたので残念だった。

現在は外傷の状態から破傷風のリスクがあると判断すると、ワクチン接種歴のある人はブースターワクチンを接種して様子を見るが、接種歴が不明だと免疫グロブリン注射が行われる。今最初に紹介する中国から論文は、ヒト免疫グロブリンの代わりにジフテリアトキシンに対するヒトモノクローナル抗体の第三相治験に関する報告で、7月8日 Nature Medicine に掲載された。

治験は中国全国の救急外来から外傷で破傷風のリスクがある患者さんを388名集め、ヒト免疫グロブリンかモノクローナル抗体を投与して、破傷風の予防効果と安全性を見ている。このうち70名はワクチンも接種している。実際の効果については、全例で破傷風が発症しなかったので比較はできない。代わりに、投与後90日目までの血中の中和抗体価を測定し、モノクローナル抗体の方が長期間有効濃度を維持できることを示している。

結果は以上で、わざわざモノクローナル抗体を開発する必要が無いと製薬会社は取り組んでいないのだと思うが、1890年のベーリング・北里論文から135年。感慨が深い。

2番目のフランス リヨンにあるガン研究会からの論文は、2008年から2017年に生まれた人たちが将来胃ガンになる確率を予測した論文で、7月7日 Nature Medicine にオンライン掲載された。

詳細は知らないが、各国での胃ガン発生率を元に、ATLASというモデルを使って将来の胃ガン発生率を計算している。

世界全体で1600万人の胃ガン患者が発生し、そのうち76%はピロリ菌によると予想できることから、ピロリ菌のスクリーニングと駆除が重要という結論だ。各国の統計の中で、我が国は患者さんが減少している先進国の一つだが、ヨーロッパと比べると数は多い。一方、アフリカでは発症率の増加が続き6倍以上になると予想している。要するに予測統計が示されているだけの論文で、図や表を眺めるための論文だが、論文の主張は胃ガンは子宮頸がんと同じで予防可能なガンなので、我々日本も含めてピロリ菌対策を徹底する事が最も安上がりな公衆衛生策ということになる。

3番目のワシントン大学からの論文は、身体に良くない3大フード、加工肉、甘い飲料、そしてトランス脂肪酸の健康リスクを計算した研究で、7月1日 Nature Medicine に掲載された。

この研究家過去の論文についてのメタアナリシスで、Burden Proof Meta-regression メタ回帰を用いてリスク算定を行っている。結果はこれまで言われているとおりで、加工肉の場合、糖尿病が11%、直腸大腸ガンが7%増加する。砂糖を添加した甘い飲料の場合は8%糖尿病リスクが高まり、虚血性心疾患リスクが2%上昇する。最後にトランス脂肪酸の場合は3%心疾患リスクが高まるという結果だ。2型糖尿病で見ると、加工肉が最も問題のように見えるが、これら3大フードの取り過ぎには警鐘を鳴らし続ける必要がある。

4番目のオレゴン大学からの論文はお風呂、伝統的サウナ、遠赤外サウナの身体への急性効果を調べた研究で、5月7日 American Journal of PhysiologyのRegulatory, Integrative and Comparative Physiology セクションにオンライン掲載された。

研究では20人の男女に、1週間づつのインターバルで、40.5度のお風呂45分、伝統的サウナ10分3回、そして低温赤外サウナ45分を経験してもらい、入浴中も含めて心拍出量、血圧、体温、満足感などを測定するとともに、入浴1時間後の血液検査で炎症指標を調べている。

結果だが、体温上昇、心拍出量、発汗などでは入浴が最も効果がある。しかしIL-6など炎症性のサイトカインも入浴で上昇する。即ち、40.5度でも、入浴が身体に対するストレスとしては最も強いという結論になる。私も十和田温泉で一度ひっくり返って病院のお世話になったが、温泉好きの日本人には気になる研究だ。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月9日 標的を分解する分子糊適用の範囲を広げる(7月3日 Science 掲載論文)

2025年7月9日
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サリドマイドの副作用が、セレブロンと呼ばれるE3ユビキチンリガーゼがサリドマイドにより Fgf8 にリクルートされ、その結果 Fgf8 が分解する結果である事を示したのは、当時の東京工業大学の半田さんたちが Science に発表した論文で、セレブロンを他の分子にリクルートして病気を治療する分子糊研究の始まりと言える画期的論文だ。その後、レナリドミドが IKZFとセブロンを糊付けして分解する治療は骨髄腫の特効薬となった。このように、転写因子などこれまで薬剤開発が難しいとされていた分子をタンパク分解できる方法は、多くの製薬会社の重要なテーマとして研究が続いている。

今日紹介する Monte Rosa Therapeutics 社からの論文は、セブロンをリクルートできる治療標的のレパートリーを拡大するための研究で7月3日号の Science に掲載された。タイトルは「Mining the CRBN target space redefines rules for molecular glueinduced neosubstrate recognition(分子糊に媒介され新しい基質をセレブロンが認識するルールを再定義して標的分子を拡大する)だ。

セレブロンが働くためには両方に結合できる化合物があればいいという単純な話ではなく、標的分子とセレブロンがリガンドを介して直接結合する必要がある。これまでの研究で、標的分子に存在する β-hairpin G-loop 構造がセレブロンと標的分子の接触に直接関わり、セレブロンによる分解に必須であることが明らかになっている。この研究では、β-hairpin G-loop に似た構造を持つ分子をコンピューターで探索することからはじめ、1500近い分子がこの構造を持つことを明らかにしている。そして、いくつかの分子糊化合物を用いて今回リストされた分子の多くが、セレブロンへの結合という点では標的分子の条件を満たすことを確認している。

さらに、コンピュータ上での比較条件を少し緩くして、β-hairpin G-loop に近い構造を持っている分子を探索すると、helidal-G-loop 構造を持っ分子もセレブロンの標的になり得ることを示すとともに、重要な標的と考えられる LCK や Lynt といったチロシンキナーゼについては分子糊を用いてセレブロンとの結合を確認している。

ただ、今回拡大された標的がセレブロンに結合したあと分解されるかについて調べていくと、セレブロンと接触できても分解されないことがわかる。すなわち、セレブロンと標的分子の表面上での接触に必要な条件が明らかにされている。

このように、G-loop は接触のための導入で、最終的に分子表面の条件が必要になるとすると、分解される標的とセレブロンとの接触面を指標として加えることで分解可能なセレブロンの標的を探索することができる。そこで、分解される分子表面に似た構造を持つ標的を特定するアルゴリズムを開発し、標的としてリストされる候補の中から、Rho 分子の一つで標的として魅力がある VAV1 を選び、セブロンとの接触、それに続く分解誘導が今回利用した化合物の一つで起こることを確認している。

以上が結果で、より特異的な化合物を設計することは必要になるが、セレブロンと標的分子の糊付けに必要な条件をまずコンピュータで確認できるようになったことは重要で、今後こさらに多くの標的が治療の対象になると思う。

このように、化合物探索だけでなく、コンピュータ上での薬剤探索に長けた創薬ベンチャーが生まれているのもボストンならではだ。外野から見ていると、ボストンは間違いなく様々な研究が渦巻くホットスポットだが、将来への投資が嫌いなトランプには逆にこの高い活性が邪魔なのかもしれない。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月8日 自然に尿素が合成される条件(6月26日号 Science 掲載論文)

2025年7月8日
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東大の柏で学ぶ大学院生に今も Abiogenesis について講義させてもらっているが、現役時代で言えば全く専門外だったこの領域は今の私の思考を整理するのに最も重要で、講義のために毎年頭のアップデートを行うのは楽しい。今日は今年の授業にも使いたいと思っている尿素合成に関する論文を紹介することにした。

我々はヴェーラーの尿素合成を有機化学の始まり、即ち生命にしか存在しないと思われる有機化合物も生命なしで合成できる、として習ったが、気になって最近の高校ではどう教えているのかGPT-4で調べてみた。すると、啓林館「化学基礎」では「1828年、ドイツの化学者ヴェーラーが無機化合物から有機化合物の尿素を合成し、生気論に一石を投じた。この発見は有機化学の出発点とされている。」と、生気論まで言及して突っ込んだ記述が行われており驚いた。さらには、単球科目としてユーレイ・ミラーの実験や、アビオジェネシス研究領域まで挙げられており、素晴らしいと感じた。機会が与えられることがあれば、一度高校生とも Abiogenesis について話してみたいと思う。

前置きはこのぐらいにして今日紹介するチューリッヒ工科大学からの論文は、現在も高温高圧下で行われている尿素合成が、アンモニアの小さな液滴に炭酸ガスを加えるだけで可能になるという Abiogenesis を考える上で画期的な研究で、6月26日号の Science に掲載された。タイトルは「Spontaneous formation of urea from carbon dioxide and ammonia in aqueous droplets(二酸化炭素とアンモニアは液滴内では自然に尿素を合成する)」だ。

恥ずかしいことに、Abiogenesis の講義をしていて全く気づかなかったが、最近ミクロンレベルの大きさの水滴は広い表面を有するとともに、内部まで極めて大きな勾配を持っていることから、様々な有機反応が自然の状態で起こることが示されていたようだ。

これにヒントを得て、2ミクロンレベルのアンモニアの液滴に炭酸ガスを通すと、高圧や高温にすることなく尿素が合成できることがわかった。アンモニアや炭酸ガスは生命なしに地球上に存在することを考えるとこんなに簡単に尿素ができてしまったことが驚きだ。リービッヒは尿素合成について「私は今や、尿素の背後には有機自然の秘密が隠れていると確信しかけている」と述べたが、この研究が示した有機と無機の距離の短さを知ると、確信しかけているではなく、確信していると述べただろう。

もちろんこの研究ではなぜこんなに簡単に尿素が合成できるのかについての解析を行っている。炭酸ガスが流れるチェンバーで2ミクロンのアンモニウム水滴を形成し、その上での反応をラマンスペクトラムで調べるシステムを使って、尿素が自然に合成される過程を分析し、pH の低い条件でプロトンが抜けた NH3 が形成され、これが炭酸アンモニウムになり、そこにもう一つ NH3 が加わることで、尿素と重炭酸塩が分離することを確認している。

このとき液滴表面上で発生した水とプロトンが結合したオキソニウムイオンが一種の触媒として働き、尿素合成反応を促進していることを示している。水滴という閉じた世界が、一種の拡散反応系を形成し、これにより形成された表面の特殊な環境が、普通なら不可能な合成を可能にするという美しい世界だ。

今、有機化学の世界は大規模言語モデルを導入して大きく変貌している。まさに言葉で考えたことが、有機化合物として実現される時代が来ているが、これは Abiogenesis 研究にも大きなインパクトがある。最近 Nature machine intelligence に出た総説はこの分野を理解するのに役立つと思うので一度読んでみてほしい(下図)

カテゴリ:論文ウォッチ

7月7日 エンハンサーが遠く離れたプロモーターを調節する機構(7月2日 Nature オンライン掲載論文)

2025年7月7日
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七夕だから選んだわけではないが、今日はゲノム上で遠く離れたプロモーターからの転写を調節するエンハンサーについての論文を紹介する。

私がエンハンサーという言葉を聞いたのは、留学していたケルン大学遺伝学研究所のスプリングミーティングで、Chambon や Schafner の講演を聴いたときだった。ほとんど理解できていなかったと思うが、エンハンサー研究はトランスジェニック解析が可能になり、特に発生での役割が急速に進んだ。この方向の研究というと、一緒に神戸のCDB設立に走り回った相沢さんが頭に浮かんでくる。その後染色体とスーパーエンハンサー概念の確立が大きなエポックとして思い出されるが、これはなんと言ってもこのブログで何度も紹介した Richard Young だろう。現役を退いてからでは、なんと言っても核内での領域の3D構造を決める研究が面白かった。そして現在では single cell レベルでのエンハンサー解析研究が進むが、この領域では京大の村川さんに期待している。このように、私自身が1980年留学を契機に基礎医学を目指してから現在まで、私自身は門外漢だったが、この分野に注目してきた。

今日紹介するカリフォルニア大学アーバイン校からの論文は、エンハンサー研究の中で、どうしてこんなことが発見されずにいたのか不思議なぐらい面白い研究で、7月2日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Range extender mediates long-distance enhancer activity( Range extender は遠く離れたエンハンサー活性を媒介する)」だ。

この研究は1990年代からトランスジェニック解析を用いて発生に関わるエンハンサーを特定する研究の延長にあると言える。すなわち、指の数と形を決めるオーガナイザーに発現する shh の発現を調節しているエンハンサー (shh-E) が、1Mb 近い離れた距離のプロモーターを調節できるのかという昔からの疑問を再検討している。ただ、これまでのように shh-E 自体を調べるのではなく、発生の同じ時期にほぼ同じ場所で働くことがトランスジェニック解析でよくわかっている他のエンハンサーと shh-E を置き換えることで、活性が見られるかというダイナミックな発想で実験を行っている。即ち同じ時期、領域、細胞で発現を調節できるエンハンサーなら、shh-E と置き換えても、染色体の折りたたみやクロマチン構造などの条件が揃っておれば、エンハンサーとして働くはずだと考えられる。

結果は予想に反して、調べた全てが shh-E と置き換えると全く機能せずに、指の形成も全く誘導できないことがわかった。即ち、これまで知られている遠くのプロモーターに働くエンハンサーの条件がすべて存在しても、エンハンサーとして働かないことを示している。一方そのうちの一つ HS72エンハンサーを shhプロモーターの近くに挿入すると、同じ時期、同じ場所に shh が発現し、指の形成が誘導される。ただ、発現が強すぎて余分な指ができるが、基本的には shh-E の代わりになる。

すなわち、長い距離で働くときに必要な、これまで知られていない調節領域が存在する可能性が強く示唆されたので、それを探索し、エンハンサー領域で種を超えて保存されている部位を探索、エンハンサーの効果の範囲を広げる領域 (range extender:REX) を発見する。

これを HS72 や MM1492 といった、shh-E と置き換えることができなかったエンハンサーに結合させて shh-E と置き換えると、今度は見事にタイムリーな発現が起こり、指の形成も誘導できることがわかった。

さらに、この領域の配列モチーフ解析、そしてそのモチーフの除去によるエンハンサー活性解析から、リムホメオボックス遺伝子 (LHX) 結合部位が REX に必須であることを明らかにしている。

他にも同じ領域が、長い距離を超えて働くエンハンサー部位に見つかることから、REX の機能は他の遺伝子でも見られることを示唆しているが、LHX 結合配列の具体的な機能や、extender としてのメカニズムについては解析できていない。とはいえ、私が現役時代の手法を駆使して、新しい問題が提示された。今後の発展が楽しみだ。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月6日 血管性痴呆の治療を目指して(6月30日 Cell オンライン掲載論文)

2025年7月6日
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我が国でも認知症の半分以上はアルツハイマー病によるが、次いで多いのが虚血性脳血管障害を原因とする血管性認知症で、特徴的なのは白質、即ち神経細胞の軸索が中心の異常が見られる。血管性痴呆に関しては、虚血が起これば仕方ないだろうと諦めてしまうのか、進行を遅らせるための治療開発も進んでいない。

これに対して今日紹介するUCLAからの論文は、マウスの血管性認知障害モデルを作成し、この病理や分子病態を詳しく解析することで、血管性認知障害の治療標的を見つけようと試みた研究で、6月30日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Deconstructing the intercellular interactome in vascular dementia with focal ischemia for therapeutic applications(局所性虚血による血管性認知症の細胞間相互作用分析を通して治療法を開発する)」だ。

まずマウス頭蓋内に、血管収縮性の化合物 (L-NIO) を投与すると、進行性の認知障害が発生し、記憶力や好奇心の喪失とともに、運動野障害による運動機能低下を誘導できることを明らかにしている。病理学的に調べると、人間の血管性認知障害の特徴をすべて備えており、神経細胞数は維持されていても、反応性が低下している。基本は白質障害なので、要するに領域間の神経連絡が低下していることがわかる。

このように比較的単純な方法で血管性認知症のモデルができたので、虚血によって起こってくる様々なプロセスを明らかにすることで、進行を遅らせられるのではと期待し、細胞ごとの遺伝子発現を中心に詳しく解析している。基本的には全ての細胞成分で遺伝子発現の変化が起こり、虚血で起こる病理にも複雑な背景があることがわかる。調べられた結果をザクッとまとめてしまうと、ほとんどの細胞が老化の方向へ引っ張られると結論できる。

では、細胞全体が老化方向へと引っ張られていく変化を抑える方法はあるのか?このグループは介入可能な過程として、タイトルにある細胞間相互作用に関わる分子に注目し、この大きなトレンドに影響を及ぼすリガンドと受容体を、細胞ごとの遺伝子発現データから解析している。

この解析から見つかってきたのが、血管新生を誘導することが知られている Serpine2 とその受容体 Lrp1 と、細胞表面に存在ししてATPを分解する酵素CD39と、ATPを分解されてできるアデノシンに対する受容体シグナルだ。

Serpine2 はミクログリアやアストロサイトで発現しており、受容体の Lrp1 はオリゴデンドロサイトで発現している。そして、障害を受けた白質でオリゴデンドロサイトがミエリンを形成するのを促進していることがわかった。実際、片方の染色体で Serpine2 が欠損すると、認知症が起こりやすい。従って、将来白質障害を Serpine2 投与、あるいは Lrp1 のアゴニストを使って遅らせる可能性がある。

もう一つのCD39-A3ARシグナル経路は、A3ARのアゴニストで介入が可能で、血管性認知症を誘導したあとA3ARのアゴニスト piclidenoson を投与すると、障害部位が減少し、記憶テストを回復できることを示している。

以上が結果で、血管性認知症は虚血の元を治せないので治療を諦めるしかないと考える一般風潮に、モデル系ではあっても見事に反論した研究で、今後の研究に期待したい。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月5日 人間と同じように意志決定する言語モデル(7月2日 Nature オンライン掲載論文)

2025年7月5日
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自動車の自動運転は機械学習の一つのゴールだが、最近では大規模言語モデルや視覚言語モデルを活用する研究が急速に進んでいるようだ。おそらくLLMの導入の一つの狙いは運転時のベテランドライバーの判断を再現することにあると思うが、そのためには人間の判断や意志決定を正確に再現できるLLMの開発が必要になる。

今日紹介するドイツ ミュンヘン ヘルムホルツセンターからの論文は、人間の意志決定を予測できる、即ち人間の判断を再現できる言語モデルの開発についての研究で、7月2日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「A foundation model to predict and capture human cognition(人間の意志決定を予測できるファウンデーションモデルの作成)」だ。

碁や将棋といった特定のルールの中での判断を競う場合は強化学習の方法が確立しているが、人間はゲームだけしているわけではなく、様々な問題に対して判断していく必要がある。こんな場合は、人間の行動ではないが人間の作成したセンテンスを学習したLLMが向いていると直感的に感じるし、現在皆さんが使っているLLMでも状況に合わせて判断することができる。ただ、このグループはファインチューニングを通して、人間の行動予測により強いLLMが形成できるのではと着想して研究を始めている。

そのためのLLMプラットフォームとしてメタが開発して Llama 7B をダウンロードした一つのGPUを持つPCに実装し、研究に使っている。大きな研究室レベルというより、比較的小さなモデルを目指している。

この研究のハイライトは、人間の判断に近づけるためのファインチューニングに、100種類以上の人間の行動心理実験の結果を網羅した大規模データを用いているという着想だ。即ち人間の判断の集まりともいえるこのデータベースを言語化してファインチューニングに用いることで、通常の言語モデル Llama を判断に強いモデルへと変えられると考えた。

小さいマシンなので、GPUメモリを消費しないよう Quantized Low-Rank Adaptation という新しい方法でファインチューニングを行っている。このとき、あとでモデルをテストするため、敢えて全てのデータを学習させず、一部のデータをテスト用にとっている。大変そうだが、実際には5日でファインチューニングが完成しているようだ。

結論は期待通りで、様々な課題を Llama や強化学習モデルに溶かせたときと比べると、かなり高いレベルで人間の行動様式を予測できる。また、通常の行動心理テストに、新たな内容を加えて解かしても、高いパーフォーマンスを示す。そして、全くチューニングに用いなかった論理的行動に関しても、高精度に予測できることから、教えたことをただ繰り返すのではなく、新しいしかも多様な状況に応じた判断を予測できるようになっている。もちろん、データをあたえれば個人レベルの判断傾向も予測することができる。即ち、課題を問わない人間の判断を予測するファウンデーションモデルができた。

この研究のもう一つの面白さは、小さなモデルなので、LLM内での処理についても解釈することができる点で、これを利用して実際の人間が判断を行っているときの fMRI画像(=脳活動)とLLMの処理とを比較することができることを示している。すなわち、人間の脳内での活動をLLMと比べることも可能だ。

最後に、新しい課題に対して適切な判断を繰り返すことで、人間のように仮説に基づいた新しい実験が可能かといった一歩進んだ課題を予測できることも実験的に示しており、現在問題になっているLLMが自分で実験を行い新しい概念を出しうると言う可能性も示唆している。

完全に理解できたわけではないが、極めて面白いチャレンジで、当然自動運転やロボット手術も同じようなモデルが導入されるのではと思う。何よりも、テキストによるファインチューニングで、人間により近づいたのに驚く。

以前も正しいデータだけで学習させることの重要性を示したフライブルグ大学からの論文を紹介したが(https://aasj.jp/news/watch/25974)、ドイツは新しいLLM時代の研究方向に十分適応しているように思える。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月4日 TET変異によるクローン性増殖はアルツハイマー病リスクを下げる(7月2日 Cell Stem Cell オンライン掲載論文)

2025年7月4日
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毎日分化細胞を生産する必要がある幹細胞システムは、当然変異が発生する頻度も高く、その結果他の幹細胞より増殖優位性を獲得するクローンが発生する危険をはらんでいる。このような変化を見つけやすい造血系でクローン性増殖として研究が進んでおり、年齢とともに頻度が増え、動脈硬化などの疾患を促進し、死亡率を高めることがわかっている。

これに対し今日紹介するベイラー医科大学からの論文は、クローン性増殖も悪い話ばかりではなく、アルツハイマー病に関しては進行を抑える可能性を示した研究で、7月2日 Cell Stem Cell にオンライン掲載された。タイトルは「TET2-mutant myeloid cells mitigate Alzheimer’s disease progression via CNS infiltration and enhanced phagocytosis in mice(TET2変異を持つ骨髄細胞は脳に浸潤し貪食を亢進させてアルツハイマー病を抑える)」だ。

この論文を読むまで気がつかなかったのだが、2023年にスタンフォード大学のグループが血液のクローン性増殖とアルツハイマー病 (AD) リスクが逆相関するという論文を Nature Medicine に掲載していた (Vo.29, 1662) 。オッズ比で0.65と低下しているのでかなりの効果だ。

この研究ではこの結果の再検討をUKバイオバンクデータを使って行っている。ところが期待に反し、クローン性造血との相関を見ると、ほとんどリスク低減効果は見られなかった。ただ、UKバイオバンクでは血液細胞のゲノムを解析したグループが存在し、この結果を基にクローン増殖に繋がる遺伝子変異を調べると、6割のクローン性増殖を占めるDNAメチル化酵素 DNMT3a の変異を持つ人の場合はオッズ比で1.11と逆にリスクを高めているが、クローン性増殖の2割で見られる TET2変異を持つ場合は、オッズ比で0.53とリスクが半減することがわかった。

あとはマウスで DNMT3a欠損血液幹細胞と、TET2 欠損血液幹細胞をそれぞれ移植した ADモデルマウスで TET2変異を持つ血液細胞のAD進行を遅らせるメカニズムを探っている。残念ながら、放射線照射マウスへの幹細胞移植、さらには全身炎症を誘導するための LPS投与など、鎖を明確化するための様々な処理が行われているので、完全にヒトのモデルと言っていいかは難しい。

しかし、この条件下で TET2欠損血液はケモカインレベルなど強い炎症活性化状態を示し、脳への浸潤性が高い。しかも脳内で、活性化されたミクログリアと同じような遺伝子発現パターンを示し、その結果貪食活性が高まっており、おそらくアミロイドプラークを除去する活性が高い。一方で DNMT3a が欠損した白血球では LPSで炎症を誘導しても、このような性質は全く示さない。

以上が結果で、少し凝った条件を用いてはいるが、ヒトでの統計的調査を実験的に裏付けた事は間違いないと思う。TET2 は DNAメチル化を外す方向に働くため、これが欠損するとメチル化DNAが増加する。一方 DNMT3a は新たな DNAメチル化に関わる酵素なので、これが欠損すると DNAメチル化は低下する。今後この違いが具体的にどのような機能の違いになっているのかを調べることが必要になるだろう。一方、動脈硬化症などクローン性増殖が関わる様々な疾患も、変異により層別化し直して、ADと比べることも重要だと思う。確かに現象論にとどまる研究だが、将来の治療可能性も示唆するので、是非末梢からのマクロファージで AD は治療できるかという課題として、研究が進むことを願う。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月3日 腸管神経システム機能異常に対する治療法の開発(6月25日 Nature オンライン掲載論文)

2025年7月3日
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腸は第二の脳と呼ばれるほど神経系が張り巡らされている。また、熊本大学時代研究していた腸管のペースメーカー細胞も存在し、速い動きとゆっくりした動きを調整している。このおかげで、食べた食事を上から下へ順番に消化管を通過させ、栄養を吸収したあと残りを排泄することができる。この腸管神経システム (ENS) は様々な種類の神経から形成されるネットワークだが、全ては神経管から発生する神経堤細胞由来で、消化管のほとんどは頸椎 (C4-C7) から発生する神経堤細胞が長い道のりを移動して腸管に分布しネットワークを形成する。肛門部の神経は仙骨神経堤由来で、移動距離は短い。ESN発生異常で最も有名なのはヒルシュプルング病だが、変異遺伝子に応じて到達距離が異なり、ほぼ全ての消化管に異常が見られるケースから下部消化管だけの運動異常まで、様々な現れ方をする。このように、組織を移動してネットワークを形成できる性質を利用して、ENSの前駆細胞を移植して遺伝的な消化管運動異常を治す試みが行われている。

今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、ヒト多能性幹細胞から様々なENS神経細胞を誘導する方法を開発し、それを薬剤スクリーニングや細胞移植治療に使う可能性を示した研究で、6月25日に Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Engrafted nitrergic neurons derived from hPSCs improve gut dysmotility in mice(ヒト多能性幹細胞由来 Nitrergic 神経をマウスに移植すると腸の運動異常を治療できる)」だ。

ヒト多能性幹細胞分化の研究者は数多くいるが、ENSへの分化をの研究者は極めて少なく、責任著者の Fattahi はずいぶん昔からENSに集中して分化誘導方法を開発してきた。

この研究では、これまで10年以上かけて確立してきた培養方法で、ヒトの腸管に見られる様々な種類の神経細胞が形成でき、それらはちゃんと刺激に応じて興奮できる神経細胞であることを確認している。中でも平滑筋をリラックスさせる重要な役割を演じているNOを合成分泌できる Nitrergic 神経細胞に注目し、5種類のNO分泌神経細胞が誘導・維持できることを明らかにしている。

その上で、形成されたENSオルガノイドでのNO産生を指標に小分子化合物をスクリーニングし、ENSシステムの運動を上昇させる化合物を特定している。セロトニン刺激系など様々な経路が確認されているが、それぞれについての詳しい解析は行われていない。

代わりにENSへの分化を促進できる小分子化合物PP121を特定し、この分子を使うことでENSへの分化を高められること、そしてこの機能がPDGFRの阻害を介していることが示されている。以上のように、分化及び成熟後のネットワークを使って腸の動きを正常化する薬剤の開発が可能であることが示された。

そしてこの研究のハイライト、試験管内でほぼ完全に分化したNO産生神経細胞を、NO合成が欠損したマウスの下部腸管にこの細胞を移植し経過を見ると、腸内でのNO産生が高まるとともに、腸管の通過時間が短くなることを示している。また移植された腸管を取り出し、腸の蠕動運動が回復していること、組織の緊張が軽減されていること、など完全に分化した細胞でもNO分泌神経を含んでおれば、腸の運動異常を治せることを示している。

ENS一筋という強い印象の研究だが、トランスレーションナル研究としては期待できる。

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