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9月15日 失読症を電流刺激で改善する(9月8日号 Plos Biology 掲載論文)

2020年9月15日

言葉自体はおそらく5万年ほど前に誕生したと考えられているが、文字になるとずっと遅く、トークンのような原型は別として、4〜5000年前にようやく誕生した(発明されたというのが正しいだろう)。最初から文字を覚えることは簡単ではなく、エジプトやメソポタミアの遺跡に書記の像が多くみられるのも、文字の難しさを物語るのだろう。興味のある方は是非このHPに書いた文字の歴史をお読みいただきたい(https://aasj.jp/news/lifescience-current/11129)。

言葉にせよ文字にせよ、聞いたり読んだりする過程は継時的に並んだ音素の認識から始まる。文字の場合、この並びが平面上の位置に置き換えられているが、それが脳の中で時間に置き換えられ、聞くのと同じように理解していることがわかっている。このことを最も明確に示すのが、失読症の人たちが、聞こえる音素を区別するのが苦手だという現象だ。音素を区別する時に必要な音素と音素の間の時間差は25ms程度だが、面白いことに言葉が聞こえ始めた時から、左聴覚野で、あたかもこの音素間隔に対応するかのように30Hzの脳波(底ガンマ波)が発生することがわかってきた。音素の並びを認識するため脳内の拍子として働いているのではないかと考えられているが(これは総説を読んだ私の理解で間違っているかもしれない)、直接それを証明するのは難しい。ただ間接的な証拠は上がってきており、なかでも音素の区別を聞き取るのが苦手な失読症の方では、この左聴覚野のみにみられる低ガンマ波が低下していることの発見は最も重要な証拠と考えられている。

この意味で今日紹介するジュネーブ大学からの論文は、低ガンマ波の振動が音素の区別に関わることを直接証明した重要な研究で、9月8日号のPlos Biologyに掲載された。タイトルは「Selective enhancement of low-gamma activity by tACS improves phonemic processing and reading accuracy in dyslexia (頭蓋の外から交流電流刺激により底ガンマ波を高めると、失読症のひとの音素の処理と正確に読む能力が高まる)」だ。

この研究では左聴覚野で拍子をとるのに役立っていると考えられる低ガンマ波を、頭皮の外から30Hzの電流を流すことで回復させ、これにより音素の区別能力が改善し、さらに失読症の症状が改善するか調べている。

参加者は、失読症の人15人、正常人15人で、まずこれまで知られていたように、失読症では左聴覚野のみで音素を聴き始めた時に発生する低ガンマ波が低下していることを確認している。

次に、左聴覚野に20分、30Hzの電流を流し、低ガンマ波のレベルを調べると、刺激をやめても30Hzのガンマ波特異的にレベルが戻っている。一方、正常の人では変化は見られない。すなわち、低ガンマ波が低下している場合のみ、電流によりガンマ波の自然発生を回復させられることを示している。

そして、この結果失読症の人の音素を聞き取る能力が回復し、しかも文字を正確に読む能力も回復する。一方、正常人の脳に電流を流しても、能力が高まることは全くない。

以上、短期効果に限って言えば、失読症の人たちの言葉を読んだり聞いたりする能力を高める可能性が示され、これを訓練などと組み合わせる新しい治療法の開発が期待できる。

ただ、このような臨床応用だけでなく、この結果は音を聴き始めた時に脳内の回路から発生する低ガンマ波が、音素の区別に重要であることを直接示した点で、言語や音楽の認識過程を理解する上でも、かなり重要な論文ではないかと思っている。さらに、電流を流して特定の周波数の脳波を変化させる手法の威力にもおどろく。この方法を利用した人間の脳の解析が進むことを期待するが、同時にこのような操作を行うための研究ガイドラインを整備することの必要性も痛感した。

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