2021年4月3日
遺伝子組み換え食品に反対する人たちの最も大きな懸念は、人工的生物が生態系を乱す心配で、この問題は解決できているわけではない。一方、組換え食品を忌避する最も強い理由は、組み換えた人工遺伝子が我々のゲノムに組み込まれるのではないかという懸念だが、これについては私もありえないと笑って済ませている。
確かに細菌と共生する昆虫では、細菌からの水平遺伝子伝搬が観察されている。しかし、これらの場合細菌が直接生殖システムに住みつくなど(アブラムシとボルバッキア)、生殖系列のゲノムに遺伝子が伝搬しやすい生態が前提になっている。しかし、消化管で消化した核酸が、生殖系列のゲノムに伝搬されることは、私の頭の中ではありえない可能性だ。ただ、40億年前に無生物から生物が誕生してきたことを考えると、長い進化の中では、確率的にありえないことが起こっても不思議はない。
今日紹介するスイス ヌーシャテル大学と、中国農業科学院からの論文は、少なくとも昆虫では、植物の遺伝子の昆虫ゲノムへの水平遺伝子伝搬が起こりうることを示した研究で、4月1日号のCellに掲載された。タイトルは「Whitefly hijacks a plant detoxification gene that neutralizes plant toxins(コナジラミは植物の解毒遺伝子を取り込んで植物毒素を中和する)」だ。
この研究が対象にした昆虫はBemisia tabaci(シルバーリーフコナジラミ)で北アメリカ原産のアブラムシの仲間だ。我が国では、1989年に初めて存在が確認されたが、トマトをはじめ様々な植物の害虫として日本全体に広がりつつある。害虫としてのこれほど高い能力の理由の一つが、Bemisia tabaciが、食物が出す毒素phenolic glycosides(PG)を解毒でき能力を持つからで、この仕組みを解明するための研究が行われている。
この研究では、Bemisia tabaci のPG解毒分子をゲノムデータから探索し、マロニルトランスフェラーゼ(MT)遺伝子を特定する。そしてこのMT遺伝子を他の種と比べる過程で、なんと植物由来のMT遺伝子と系統的に近縁で、植物のMTが水平伝搬したとしか考えられないことを発見する。もともとMTは植物自身が自分の毒素を解毒するために持っている分子なので、Bemisia tabaciは進化の過程で植物のMTを自分のゲノムに取り込むことで、PGを解毒できる、最強の害虫へと進化したことになる。
あとは、実際にこの遺伝子一つを取り込むことが、PG耐性獲得につながったのかを確かめる実験を行い、
- 解毒できない量のPGはBemisia tabaciに毒性を発揮する、
- RNAiでMTを抑制すると、一部のPGに対する耐性が消失する、
- リコンビナントMTはPGを分解できる、
などを明らかにしている。すなわち、この分子一つでBemisia tabaciが、植物の防御網の一つPGを破れることを示している。
最後に、トマトにMTに対するRNAi配列を挿入した組み換えトマトを作成して、葉っぱを食べたBemisia tabaciのMTを不活化して、PGに対する抵抗力を弱められるか調べ、期待通りRNAiを組み込んだ組み換えトマトはBemisia tabaciを撃退することに成功している。このグループとしては、今世界で問題になっているBemisia tabaciから農産物を守れることを示している。
結果は以上で、水平遺伝子伝搬が起こる過程については全くわからないままだが、生物の世界では何が起こってもおかしくないことが再認識できた。だからといって、体に危険だからを理由に遺伝子組み換え食物を避ける理由にならないと私は確信するが、水平遺伝子伝搬が絶対起こらないと、笑って済ませることはもうできない。
2021年4月2日
新型コロナウイルス(CoV2)の細胞内侵入を阻止する予防目的で利用できるのは、現在のところワクチンと、感染前から投与することができるスパイクに対する抗体だが、ワクチン接種を着実に進める先進各国と比べると、我が国ではまだ医療従事者についても終わっていないという寂しい状況だ。ただ予防には免疫だけではなく、他にも開発段階の様々な方法が存在する。例えば、TMPRSS2阻害剤のナファマモスタットを吸入剤として用いる方法が第一三共で治験段階に入ったと報じられており、スピード感がない様な気もするが個人的には期待している。
直接ACE2とウイルスの結合を標的にする薬剤も開発が進んでいる。中でも論理的で期待できるのがコロナスパイク分子に結合して細胞への感染を防ぐペプチドだ。なんと、50%阻害が50pMレベルのペプチドが開発され、例えばゲルに混ぜて鼻への感染を防ぐ可能性が考えられていることを昨年10月紹介した(https://aasj.jp/news/watch/14170)。
今日紹介するオランダ エラスムス大学と米国 コロンビア大学からの論文は、やはりペプチドを使って感染阻害を目指すが、ポリエチレングリコールやコレステロールを付加して、細胞膜からエンドゾームに取り込まれ、ウイルス粒子と細胞膜との融合を阻害する様工夫を凝らした分子構造になっている。タイトルは「Intranasal fusion inhibitory lipopeptide prevents direct-contact SARS-CoV-2 transmission in ferrets (経鼻的に投与した細胞との融合を阻害するリポペプチドはフェレットモデルでのSARS-CoV-2感染を防ぐ)」だ。
前回紹介した論文ではペプチドをスパイクが結合するACE2を基に設計して、ACE2とスパイクの結合を阻害する戦略をとったが、このグループはウイルスのスパイクタンパク質のHeptad repeat(HR)と呼ばれる領域そのものを用いて、スパイクがACE2に結合してから大きな構造変化を行い、細胞膜同士の融合が起こる過程を阻害するリポペプチドを設計し、用いている。この方法だと、CoV2のみならず、SARSやMERSなど近縁のコロナウイルス全てに効果を示す可能性がある。
基礎的な条件検討の結果、最終的に2個のHRをポリエチレングリコールとコレステロールで結合させた分子が、培養細胞へのウイルス感染を抑制する効果が最も高いことを確認し、リポペプチドをその後の研究で用いている。
期待通り、このリポペプチドを用いると、MERSウイルスに対する阻害効果は低下するものの、CoV2であれば、現在問題になっている3種類の変異型全てに効果を発揮する。
次に、この分子をDMSOや蔗糖に溶かして鼻からエアロゾルではなく液滴を点加する方法で投与して、生体内での分布を調べると、24時間経ってもほとんどが肺に止まって、血中にはほとんど入らない。
最後にフェレットを用いて、ウイルスを鼻から感染させる実験、および感染したフェレットと同じケージで同居する実験を行い、このリポペプチドを鼻から投与しておけば、24時間はほぼ感染が防げることを示している。
結果は以上で、今後実際の臨床により即した投与方法などが決まれば臨床治験に進めるのではと期待できる。懸念があるとすると、RNAワクチンと同じポリエチレングリコールが含まれているため、アナフィラキシーが起こるかもしれないこと、ペプチドに対する抗体ができてしまう懸念、そしてコストだが、これらがクリアされれば、街に出る前に、あるいは会食前にスプレーで予防するといった使い方も可能になる。
さらに以前紹介したスパイクとACE2の結合を阻害するデザインペプチドは阻害メカニズムが違うので、併せて使うことも可能だ。
今ワクチンだけが一縷の望みといった状況が生まれてしまっているが、ナファモスタット吸入も含めて、この様な予防薬の開発を、以前紹介した新しい治療薬開発とともに加速させることが重要だ。また、臨床治験のあり方も根本的に考え直してもいいかもしれない。要するに常識に囚われずに、新しい可能性を支援することが求められている。
ちょうど一年前、ワクチンの話が出た時、ワクチン開発には10年もかかるという常識論を専門家すら口にしていた。しかし蓋を開けると、RNA ワクチンでは3相試験までに6ヶ月、実用化が10ヶ月というスピード開発で、今や専門家もワクチン一色に染まっている。有事に際して、常識ほど厄介なものがないことを思い知らされたこの一年だった。
2021年4月1日
このホームページでは、毎日論文を紹介するだけでなく、授業や講演の準備として書きためた文章を残している(https://aasj.jp/lifescience-current.html)。書いた後はアップデートしていないが、40億年前に無生物から生物が誕生する過程を想像した「38億年前地球に生物が誕生した:Abiogenesis研究を覗く(https://aasj.jp/?s=Ventor&x=15&y=3)や、「言葉の誕生」(https://aasj.jp/news/lifescience-current/10954)は、今も十分通用すると思っている。
生命誕生を考えるとき、有機物が無機物から形成され、それが環境から自立した生命へと形成されるための条件を調べる方向の研究と、逆に今ある生物を一度分解して再構成する合成生物学的研究が必要だが、後者の代表がCraig Ventorらにより進められている、マイコプラズマ遺伝子を削ぎ落として最小自立生物(Minimal Cell)に必要な遺伝子を定義、それを合成してマイコプラズマのゲノムと置き換えた人工生命を完成させた(これについてはhttps://aasj.jp/?s=Ventor&x=15&y=3 の後半に詳しく記載している)。
こうして再構成されたminimal cell (MC)は473個の遺伝子を持っているが、ここまで削ぎ落としても、このうち149個の遺伝子は何をしているのかわからないというのは驚きだ。
今日紹介するCraig Ventor研究所からの論文は、MCが自力で分裂するために必要な遺伝子を特定した研究で、4月29日発行予定のCellに掲載されている。タイトルは「Genetic requirements for cell division in a genomically minimal cell(最小ゲノムを持つ細胞分裂に必要な遺伝的条件)」と素っ気ないが、MCの重要性がよくわかる面白い論文だ。
MCはギリギリのところで生きているため、一つ遺伝子を欠損させても生命が維持できないとすると、機能のわからない149個の遺伝子の機能を調べるのは簡単ではない。一方、MCにはできないことを調べるのはまだやさしい。今日紹介する論文では、900個の遺伝子を持つ、最初の世代のMC-V1と現在のMC-V3を機能的に比べて、473個の遺伝子だけでは難しい生命過程を明らかにしている。
まずMCをバイオリアクターの中で物理的ストレスに晒すと、V1では正常に分裂するにもかかわらず、V3ではゲノムの複製は進んでも、細胞質の分裂がうまくいかず、フィラメント状に核が連なった細胞ができる。また、そこから細胞がちぎれてきても、形が多様になることに気づく。
そこでV3確立の過程で作成した、V1から様々な遺伝子を除去した中間段階の性質を調べ、デザインして再構成したRGD6と名付けた76遺伝子を含むセグメントをV1から除去すると同じ分裂異常が現れることを特定する。さらにこれらの遺伝子をもとに戻す実験を行い、最終的に7種類の遺伝子を特定している。
特定された遺伝子の中で最も注目できるのはFtsZ遺伝子で、原核生物として特定された最初の細胞骨格タンパク質で、この量が上昇すると分裂することが知られている。後の3種類は機能が想像できるが、残り3個の遺伝子は全く機能がわからない。
残念ながら、一つの遺伝子でもとに戻るという結果ではないので、今後はこれら遺伝子セットの動態を調べて一つ一つの機能を特定することが必要になる。幸い、全ての遺伝子は他の原核生物に存在しているため、このように見るべき対象さえ明らかになれば、最初の細胞分裂機構にも迫れるように思う。
進展はゆったりしているという印象だが、いつ読んでもワクワクする。