2021年5月24日
昨日に続いて、単一神経細胞の記録が難しいため、人間の研究が遅れていた分野の論文を紹介する。
ノーベル生理学賞に輝いた英国の脳科学者、オキーフさんの業績は、海馬や嗅内野にナビゲーションに関わる場所細胞を見つけたと紹介されるが、本当の凄さは、外界についての記憶成立を、単一神経と領域の活動のズレから考えようとしたことで、昨日の「カテゴリーと個別」問題と同じで、脳ネットワークの特性を知るために極めて重要な貢献だと思う。
実際には、空間を動き回るときに活性化される領域が刻む比較的サイクルの遅いθリズムと、個々の場所細胞の興奮を記録し、該当する場所に近づいてくると細胞の興奮サイクルがθリズムから外れて早くなるという現象、Phase Precessionを発見した貢献だ。
オキーフさんは海馬の場所細胞の研究でこのphase precessionを発見したが、その後の研究でphase precessionは様々な場所で、様々な状況で起こることがわかってきている。しかし、電極による単一細胞の記録が必要なため、人間でphase precessionを特定するのは難しかった。
今日紹介するコロンビア大学からの論文は昨日と同じでてんかんの発生源を特定するために脳内に設置するクラスター電極を利用して、ナビゲーションゲーム中での場所細胞を特定、人間でもphase precessionが起こるかどうかを調べた研究で6月10日号のCellに掲載予定だ。タイトルは「Phase precession in the human hippocampus and entorhinal cortex(人間の海馬と嗅内野でのphase precession)だ。
実験はマウスと同じで、実際に動く代わりに、ゴールを目指すテレビゲームで、画面上の様々な場所を確認しながらゴールに到達するまでの過程を、実際に通った軌跡記録と、その間の領域活動リズム、電極で記録できる各神経細胞の興奮記録を集め、まず人間にも単一電極で記録される場所細胞があるか、場所に近づくとき、場所細胞の興奮はその領域のθリズムに対してPhase precessionが見られるかを調べている。
ラットと違ってθリズム自体のサイクルが遅く、また強さが揃っていないという問題があり、それをなんとか克服して各細胞の興奮とθリズムの関係を調べると、ラットと同じように、人間の海馬や嗅内野には明確な場所細胞があり、その興奮は場所に近づくにつれphase precessionを示すことを明らかにしている。
幸い人間の場合広い領域に電極が留置されており、海馬や嗅内野だけでなく、扁桃体や前帯状皮質でも数は少ないが、場所に反応する神経が存在し、phase precessionが起こることを示している。
その上で、全体で記録した中から、場所とは別に、何かに反応してphase precessionが見られないか調べ、特定のゴールを目指すときに、必ずphase precessionが起こる神経細胞が存在すること、またこれらの神経は、嗅内野にはほとんど見られず、代わりに前帯状皮質、眼窩前頭野、扁桃体などに散財していることを明らかにしている。
個人的な意見だが、ゴール達成という、感情の関与が必要な脳内領域がより多く関与しているのは面白い。
結果は以上で、人間でも場所細胞がしっかり存在し、それが領域内で刻まれているリズムと齟齬を生じることが、、特定の神経細胞の興奮を浮き上がらせて記憶につなげる過程が人間でも起こっていることがよくわかった。また、この仕組みは様々な行動で使われていることは間違いないこともよくわかった。
例えば音楽を聞いたり演奏したりするとき、phase precessionが存在するのかなど、人間でしかわからないことは多い。てんかん患者さんの協力が得られれば、もっともっと複雑な記憶や行動を、クラスター電極で研究して欲しいと思う。
2021年5月23日
以前生命科学の目で読む哲学書でプラトンを取り上げたとき、プラトンの著書は劇場仕立てでわかりやすく書かれているのだが、その背景にある論理を追おうとすると、馬鹿らしくなってやめたくなる。しかし、現代の脳科学の知識で彼の言葉を読み直すと、妙に納得できることを書いた(https://aasj.jp/news/philosophy/10423 )。
中でも、プラトンの形相(イデア)の概念はその典型だろう。もちろんプラトンの時代には、形相が質量より先に実在しているかどうかが問題になるのだが、例えば個別の椅子や机をなぜ椅子として認識しているのかというと、脳科学には、椅子のカテゴリーに反応する神経が存在しており、実際に感受している神経活動を統合するとき参照にするトップダウンの「形相」を与えていると説明できる。
驚くことに、このカテゴリーに対する反応は、単一神経細胞レベルで観察される。そのため、電極挿入実験がしやすいサルでは研究が進んでいるが、領域単位で脳の反応を見るしかない人間ではなかなか研究が進んでいなかった。
今日紹介するニューヨークにあるDonald&Barbara Zucker医科大学からの論文は、てんかんの発生する場所を特定する目的で脳内に埋め込んだクラスター電極を用いて、人間の顔や、机といった、一般的なカテゴリーに反応する単一神経細胞を特定しようとした研究でJournal of Neuroscienceの4月号に掲載された。タイトルは「Face-Selective Units in Human Ventral Temporal Cortex Reactivate during Free Recall (人間の内側側頭皮質に存在する、顔を見たときおよび想起するときに選択的に反応するユニット)」だ。
サルでの研究は、まだ京大で教授をしていたずいぶん昔から知っていたので、この研究で初めて人間でも同じようなカテゴリーに反応する神経が特定できたと言われてもにわかには信じがたい。しかし、人間で同じ実験を行うと、それぞれのカテゴリーについてはっきり自己申告できるので、結果はクリアになる。
実験では、内側側頭皮質にクラスター電極を埋め込んだてんかん患者さんに、身体、道具、模様、家、そして人間の顔の4つのカテゴリーに対応する、異なる個別の像を見たときの各電極での興奮記録を取り、どの顔でも、顔の写真を見たときに反応する単一ユニットを探索している。
期待通り、この領域には8人調べて、顔というカテゴリーに反応する31個の神経ユニットが確認され、さらに32個の複数の細胞からなるユニットが特定できる。その意味はわかっていないが、面白いことにそれぞれの神経で、顔を見たとき持続的に興奮したり、一過的に反応したりと、反応するパターンが異なっている。
おそらく道具などのカテゴリーに反応する神経もあるはずだが、この領域には家に反応する神経が存在している。そして領域全体の神経活動を主成分分析すると、顔に反応する神経と、家に反応する神経は全く分離することがわかる。すなわち、家に至るまで私たちはカテゴリー化し、それに対応する神経を持っている。
次の問題は、プラトン以来の古い問題で、実像(哲学的には質量)なしに想起するときに、このカテゴリー神経が興奮するかだ。そこで、例えばオバマさんの顔を思い出して、とリクエストして顔を思い出してもらうと、どの名前を告げてもこの神経は2秒間興奮を続けることがわかった。
そして、この反応が、様々な場所からのシグナルの結果ではなく、記録している限られた領域の回路で統合されていることも示している。
結果は以上で、この論文だけを読むとなるほどで終わるが、プラトンの形相を考えながら読んでみると興奮する論文だ。生命科学の目で読む哲学書でももっともっと脳科学の見解を書いていきたいと思っている。
2021年5月22日
アストラゼネカ社やジョンソン&ジョンソン社のアデノウイルスワクチンにより普通では見られない箇所に血栓症が見られることがわかり、現在急速にその原因の研究が続けられている。重要なことは、最初報告されたときから、全例でplatelet factor -4に対する自己抗体が存在することで、これまでHeparin induced thrombosisとして知られていたヘパリンにより、PF4が重合して、それに対して抗体ができ、血小板が活性化されるのと同じメカニズムで血栓ができることが明らかになった。
私が最後に見た論文はThe New England Journal of Medicineでの緊急総説(図)だが、これによると、ヘパリンの代わりにPF4複合体を誘導する原因物質が特定されておらず、発症の頻度は低いが、死亡率が高いことから、多くの国で使用が抑制されており、またメディアによる報道もあって、接種可能な国でも人気が低い。
これらを受けて、2日前診断と治療のためのガイドラインが国連から発表された。
診断アルゴリズムとしては、血栓を疑わせる症状が現れたときは、ワクチン接種歴を聞き、ワクチン接種後4−20日の範囲であれば、ワクチン誘導の血栓症(VIPIT)を疑い、血小板低下、D-dimer上昇、血液像正常(血小板は除く)などが揃ったらVIPITを疑い、可能ならPF4-heparinに対する抗体を調べることが推奨されている。その上で、抗体を薄めるために高濃度免疫グロブリン投与が推奨されている。
今日紹介するウイーン医科大学からの論文は、この治療が成功した症例報告で、極めて稀な症例でも、瞬時に世界中に共有され、適切な治療につながっていることを示した論文だ。症例報告だが、紹介する。タイトルは「Successful treatment of vaccine-induced prothrombotic immune thrombocytopenia (VIPIT)(ワクチンにより誘導された免疫的血小板減少症の治療成功例)」だ。
患者さんは、アストラゼネカワクチン接種後一時発熱したが、アスピリン400mgを服用して軽快、その後は日常生活を送っていたが、8日目に大きな血腫ができていることがわかり、次の日は他の場所にも血腫ができていたので大学病院の救急を訪れている。
コロナPCR陰性、D-dimerの上昇、血小板減少が確認され、「血栓を疑いCTで全身を調べているが、明瞭な血栓は認めていない。そこで、VIPITが疑われ、PF4/heparinに対する抗体を調べると、異常値を示していたのでIVIPITと確定、すぐ治療を行なっている。
当然ヘパリンは絶対に使ってはならないが、凝固を防ぐ必要があり、ダナパロイド、フィブリノーゲンの低下を補うため、フィブリノーゲン、そして濃縮免疫グロブリンを入院後1、2日(ワクチン接種後9、10日目)に投与すると、すぐにD-dimerが低下し、血小板も投与すぐから上昇を始め、1週間で完全に退院できたという症例だ。
この症例は、ガイドラインに示された診断と治療を絵に描いたようなケースで、
ワクチン接種後、4日以降に様々な症状、特に頭痛や血腫などが見られたらVIPITを疑い、すぐに抗凝固剤(絶対ヘパリンは使わない)と濃縮免疫グロブリン(プレドニンとともに投与している)を投与すれば、すぐに回復するというものだ。
以上、我が国では当分は使われないようだが、使われるようになっても用意ができて居れば恐れる必要はないことを示している。ただ、アデノウイルスワクチンは今後も利用されると思うので、この原因についてはできるだけ早く特定されることを望む。
2021年5月21日
私もそうだが、年齢とともに腎臓ではいわゆる硬化と呼ばれる状態が徐々に進行する。老化と考えていいが、この硬化が基礎にあると、様々な急性腎障害により、老化過程がさらに促進される。最近、チロシンキナーゼ阻害剤とケルセチンを組み合わせて、老化細胞を除去するselolysis治療が、腎硬化症にも効果があることが示され、また以前紹介した、東大医科研の中西さん達が開発した、画期的senolysis治療法でも腎硬化症が抑えられることが示され(https://aasj.jp/news/watch/14787 )、senolysis治療は腎硬化症の希望の光になっている。
今日紹介するエジンバラ大学からの論文は、細胞死を抑えているBcl2を阻害するだけで腎臓でのsenolysis治療が可能であることを示した研究で、5月19日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Cellular senescence inhibits renal regeneration after injury in mice, with senolytic treatment promoting repair (マウス腎臓では細胞老化が再生を抑制するので、senolyticな治療法で再生を促すことができる)」だ。
この研究の目的は、実験的に誘導した腎硬化症で蓄積した老化細胞を、Bcl2阻害剤ABT-262で除去し治療する可能性を確かめることだったと思う。
実験としてはほとんどモデル動物での話で、ヒトについては、高齢者の腎臓で老化細胞マーカー(p16,p21など)の発現を調べ、細胞周期が抑制された老化細胞が上昇していること、そして放射線照射で一種の老化を早めたヒト近位尿細管細胞を、Bcl2など細胞死を抑える機構を抑制する薬剤ABT-263で処理すると、老化細胞だけを除去できることを示しているだけだ。あとは、これに近い状態をマウスで誘導し、ABT-263の治療効果を確かめている。
これまでsenolysisの論文を紹介してきたが、Bcl2抑制というのはエアポケットの様に抜けていた。これは、Bcl2が抑制されると、免疫機能や造血への障害が予想できるからだが、なんとこの研究ではマウスをABT-263で処理しても、ほとんど副作用はないとしている。最近、AMLの治療にもBcl阻害剤がアザシチジンと一緒に使われる様になっているので、確かにBcl阻害もsenolysisの方法として考慮する価値はありそうだ。
あとはマウスモデルで、
老化マウス腎臓では老化細胞が蓄積しているため、血流を障害して起こす急性腎障害で、強い腎硬化症が誘導されるが、まずABT-263を投与して老化細胞を除去しておくと、急性腎障害による腎硬化症を抑えることができる。 ABT-263処理により、老化マーカーを発現する細胞が減少させるとともに、急性腎障害による繊維化をおさえ、さらに尿細管細胞の再生増殖が高まる。すなわち、老化細胞の存在が、繊維化を高め再生を抑えていることを示し、senolysis治療の重要性を示唆している。 この結果、腎機能の改善も見られる。 老化マウスでの結果をさらに確かめる目的で、若いマウスに放射線照射して老化を誘導し、これに急性腎障害を加える実験系で、ABT-263で老化マーカーを発現する細胞を除去できること、そしてその結果繊維化による腎硬化症を抑えることができ、さらに尿細管の再生も促すことができる。
を示している。結果は以上で、実験としては繰り返しが多く、また全て尿細管の話で、例えば糸球体の喪失も同じ様に防げるのかなどは今後の課題だろう。しかし、ある程度腎機能が改善していることから、腎硬化症に対するsenolysis誘導治療薬を使ってみる可能性はある様に思える。いずれにせよ、senolysisの重要性は疑う人はいない。その意味で、使える薬剤は多様なほどよい。
2021年5月20日
チェックポイント治療など、ガンに対する免疫治療導入により、ガン治療の標的が、必ずしもガン細胞自体の増殖や転移に必須の分子だけではなく、ガンを異物と認識するのに役立つ分子へと拡大したことで、一つのガンに対して使える可能性の薬剤が増えると期待できる。
今日紹介するハーバード大学からの論文はこの典型で、ガンが免疫システムから逃れるために必須の分子を特定して、それを標的にした治療法を開発しようとした研究で5月5日Natureにオンライン掲載された)。タイトルは「Epigenetic silencing by SETDB1 suppresses tumour intrinsic immunogenicity (SETDB1によるエピジェネティックな遺伝子発現抑制はガンの免疫原性を抑える)」だ。
この論文は最初からガン細胞がホスト免疫機構から逃れるためのエピジェネティックスに絞って研究を続けている。エピジェネティックスに関わる936種類の遺伝子を標的にしたガイドを用いて、クリスパーで遺伝子機能をノックアウトするシステムを2種類のガン細胞に導入し、ガン細胞をマウスに移植、ノックアウトされると免疫機構にキャッチされる遺伝子リストをまず作成している。
逆にいうと、こうしてリストされる遺伝子はガンが免疫から逃れるために必須で、失うとすぐに免疫機構にキャッチされ、ガン細胞は増殖できなくなる。
この方法で2種類のガン両方でリストトップに躍り出たのがSETDB1で、抑制方のヒストンコードH3K9のメチル化に関わることが知られている分子だ。すなわち、この分子によるクロマチン構造変化により抑制される遺伝子セットが、ガン免疫の標的になることがわかる。
このようなドンピシャの分子がこれまで気づかれなかったのかと、ヒトガンの遺伝子データベースを調べてみると、この分子が増幅している細胞ほど、確かにチェックポイント治療の効果が落ちることがわかった。一方、他の抗ガン剤に対する反応性で見ると、この分子の発現はほとんど関係ない。
次にSETDB1によりメチル化されたH3K9により支配されている遺伝子を、クロマチン免疫沈降で調べると、LTR(long terminal repeat)を持つトランスポゾンが特に抑制を受けており、SETDB1ノックアウトで、これらのクロマチンがオープンになり、7割程度の領域ではH3K27のアセチル化も進んでいることがわかった。
SETDB1ノックアウトにより抑制が外れると、理論的に2種類の遺伝子発現が誘導されると考えられる。一つは、トランスポゾンのせいで抑制されていたホストの遺伝子、およびトランスポゾン自体の遺伝子だ。
不思議なことに、トランスポゾン近くに存在したため抑制していた遺伝子には、インターフェロン、NK細胞を活性化するリガンド分子、Fcγ受容体、さらにはMHCIなどガン免疫に関わる分子が多い。
また、予想通りトランスポゾンにコードされているgag, pol, envなどのレトロウイルス分子の転写も起こっていることが確認できる。
以上の結果から、ガン自体が多面的に免疫系に脆弱になることが予想されるが、SETDB1ノックアウトガン細胞の周りには、トランスポゾンによりコードされるペプチドがMHCIとが結合した複合体を認識できるCD8T細胞が出現していることを確認している。
結果は以上で、内在性のトランスポゾンを活性化させてガン免疫を誘導するという話は珍しくないが、SETDB1という明確な標的が見つかったことで、今後新しい治療戦略につながるのではと期待している。
2021年5月20日
梅北二期開発事業の中で、阪急阪神不動産の呼びかけに応じて、「参加型ヘルスケア」プロジェクトを立ち上げ、専門知識を一般の人にどのように伝えればいいか考えてきていますが、今回はリクエストに応じて、新型コロナワクチンの違いについて、メンバーで話し合い、収録しました。西川伸一のジャーナルクラブにもアップロードしたのでご覧ください。
VIDEO
2021年5月19日
ガンは遺伝子変異の蓄積が基盤にあるが、エピジェネティックな機構の関与もはっきりしている。例えば、同じガンでも、ガンの幹細胞と呼ばれる細胞集団が存在しているということは、ゲノム変化ではなく、遺伝子のオン/オフを調節するクロマチンの構造の違いで、ガン内に多様性が生じていることを示す。このことから、エピジェネティック機構に介入する抗ガン剤の開発も現在進んでいる。
そこで、今日から2回に分けて、ガンのエピジェネティックスを扱った論文を紹介する。全てマウスを用いたモデル研究だが、ヒトでも同じことは十分起こっていると思う。最初のテキサス・ベーラー医科大学からの論文は乳ガン細胞が骨髄でリプログラムされ、多臓器転移のハブになるという研究で4月29日号のCellに掲載された。タイトルは「The bone microenvironment invigorates metastatic seeds for further dissemination (骨髄に転移した細胞は骨髄微小環境により活性化され他臓器に転移する)だ。
このグループは以前、エストロジェン受容体(ER)陽性の乳ガンも、骨髄に転移するとERの発現が低下、薬剤が効かなくなることを示していた(Developmental Cell 56:1100)。すなわち、骨髄により乳ガン細胞がリプログラムされることが示された。
これまで乳ガンについては、まず骨髄に転移した後、そこから多臓器に転移が進むと考える人も多かった。このグループも、骨髄の環境により、転移しやすい細胞へとリプログラムされるのではと着想し、研究を始めている。
結構マニアックな仕事で、まず骨髄に選択的に転移させる方法として、血管支配回腸動脈へのガン細胞注射、先に全身に回る回腸静脈注射を使い分けている。さらに、骨髄へ直接ガンを注射する実験も組み合わせて、全身転移が骨髄を経由しているのか、原発巣から直接他臓器に転移するのかを調べ、乳ガンが骨髄に転移すると、ここでリプログラムされ、他臓器へ転移する能力が高まる可能性が高いことを示している。面白いことに、骨髄転移した細胞はもう一度元のガン組織に侵入するが、乳ガンの原発巣が骨髄に転移する頻度はそれほど高くないことを示している。
以上のことから、乳ガンが転移しやすいのは、骨髄転移がおこったとき、リプログラムされ、新たな細胞に変化するからという可能性を示唆している。これを確かめるため、クリスパーとガイドRNAをコードする遺伝子を発現させ、導入したガイドに隣接するPAM配列自体に突然変異を導入して細胞を標識し、異なるタイミングで何度も何度も変異標識を加えながら転移を追いかけることで、原発、骨髄、他臓器転移でのクローンの多様性を調べている(詳細は省くの興味がある場合は以下の論文を読んでほしい。簡単で面白い方法だ)。
この結果、転移がゲノムの変異に基づく、クローンレベルの現象ではなく、多くのクローンがリプログラムの結果、他臓器へと転移するモデルが正しいことを示している。
最後に、リプログラミングのメカニズムを検討し、ポリコム因子EZH2が誘導され、ガンの幹細胞が発現するALDH1やCD44の発現を始め、転移に必要な遺伝子の発現が誘導される結果であることを示している。
これを確かめるため、EZH2ノックアウトガン細胞を作成し、同じように移植、転移を調べると、原発巣の増殖には影響がないが、転移は強く抑制できることを示している。
実際に同じことが人で言えるのかどうかは検討が必要だが、乳ガンでは初期から末梢血のガン細胞の数が多いなど、乳ガンの転移しやすさの原因が、検出不可能な骨髄転移が早くから起こっているため、末梢血に入りやすいと考えることもできる。だとすると、乳ガンの他の臓器への転移も、骨髄を介して起こっている可能性はある。乳ガン手術の際に、骨髄も採取して転移を探索するなど、今後の研究が待たれる。
2021年5月18日
5月14日、文字を手書きするときの脳内表象を解読して文字をPCに書かせる技術( https://aasj.jp/news/watch/15671 ) 、15日の経口投与できるアンチセンスRNA( https://aasj.jp/news/watch/15675 )など、私が現役の頃には考えがつかなかった様々な技術が開発されているが、山中さんのiPS以来少し落ち着いていたように見えた全能性や多能性細胞の培養法も、最近様々な動きが出てきた。Austin SmithとKinoshita らが示したgerm cellとsomatic cellへの培養が高効率に誘導できるFormative Stem Cellの概念はその典型だろう。
この分野でもう一つ残された大きな問題は、胚盤胞期の内部細胞塊と最も全能の受精卵が卵割して、内部細胞塊とトロフォブラストの両方に分化できる全能性の細胞の培養だ。ESやiPSなどほとんどの細胞は、体の全ての細胞に分化できるとはいえ、胎盤などを形成するトロフォブラストには分化できないことが知られている。そのため、全能性の細胞とは呼べない。現在間違いなく全能性の細胞と呼べる受精卵から4細胞期の細胞をそのままの状態で培養することはむずかしい。
ところが今日紹介する北京大学からの論文は、なんとスプライシングを抑制するだけで、ES細胞が2−4細胞期相当の細胞へ転換できることを示した、この分野では画期的な研究で5月27日号のCellに掲載された。タイトルは「Mouse totipotent stem cells captured and maintained through spliceosomal repression(マウスの全能性幹細胞をスプライソゾーム抑制により把握し維持できる)」だ。
この研究の発端は、受精卵から胚盤胞期まで、RNAスプライシングに関わる遺伝子の発現を調べると、4細胞期から8細胞期でほとんどの分子の発現が急速に増加することの発見だ。この意味を探るため、14種類のスプライシング因子を選んでsiRNAでノックダウンすると、10種類の因子のノックダウンにより発生初期の全能性遺伝子と呼ばれている分子の発現が上昇し、多能性因子とされているOct4、Sox2、Nanogなどの山中因子の発現が低下することを発見する。
この結果を、全能細胞の培養法開発へ進めるため、まずスプライシング複合体SF3B阻害剤pladienolide BをES細胞の培養に加えると、増殖は低下するものの、1週間以内に多能性分子が低下、全能性に関わる分子が上昇し、しかもゆっくりではあるが細胞増殖を維持できることを発見する。
単一細胞のRNA発現解析から、pladienolide Bを加えて培養できる細胞の遺伝子発現プロファイルは、2−4細胞期のプロファイルに対応すること、またメチル化DNA解析、ATAC-seqによるクロマチンの構造解析でも、pladienolide B添加で培養できる細胞は2−4細胞期に相当することを明らかにしている。
つぎは、この細胞を8細胞期の胚に注射し、どの細胞へと分化するかを、試験館内分化、およびマウスに戻して胚発生を行わせて調べている。結果は全能性を証明するもので、内部細胞塊およびトロフォブラスト由来のほぼ全ての臓器に、注射した全能性細胞が寄与していることを証明している。
最後に、スプライシングのような基本的な生命機能を抑制することで、なぜこのようなドラマチックな変化が誘導できるのか、多能性因子および全能性分子のスプライシングについて調べると、全能性因子のみがイントロンが短く、またスプライシングをあまり必要としない構造をとっている一方で、多能性因子はスプライシングが抑制されると機能が失われる構造をとっていることを明らかにする。
以上、ついに全能性と多能性を行ったり来たりできる培養システムが、スプライシング抑制という意外な方法で可能になった。残念ながら、pladienolide Bを添加した現在の培養条件では細胞の増殖に問題があり、クローン化したりするのはい簡単ではないようだ。また、研究ではキメラ個体が生まれて、そこから次世代ができるのかも示されてはいない。また、ヒトES細胞でも同じことが言えるのかも知りたいところだ。とはいえ、この領域も急速に忙しくなってきた。
2021年5月17日
老化研究により、体の全ての細胞でほぼ同じ老化のメカニズムが働いていることがわかってきた。だからといって、体の全ての細胞が同じ様に老いる訳ではない。例えば、皮膚のように紫外線などの照射により、DNA損傷が起こりやすい場所では老化が起こりやすい。
今日紹介するミネソタ大学からの論文はリンパ球などの免疫系細胞の老化は、自身だけでなく、他の臓器の細胞老化を促進するという、ちょっと恐ろしい研究で、5月12日Natureにオンライン出版された。タイトルは「An aged immune system drives senescence and ageing of solid organs(老化した免疫システムは固形臓器の老化と加齢を促進する)」だ。
研究自体は、典型的な遺伝モデルを用いた老化研究で、コケイン症候群の原因遺伝子の一つで、UVやDNA鎖をクロスリンクする様な薬剤によるDNA障害に関わるとされるERCC1遺伝子を血液系で欠損させたマウスを用いて、老化モデルとしている。これまでの研究で、ERCC1が欠損すると、おそらく自然に起こるDNA鎖同士のクロスリンクが修復できないため、p53の活性化が起こることで、細胞周期が阻害され、細胞老化、そして個体全体の老化が進むと考えられている。
このグループも、初めは血液細胞が老化するモデルを作成して研究しようとしていたのだと思う。血液だけでERCC1が欠損すると、5ヶ月でリンパ球を含む白血球数が低下し、様々な血液細胞で細胞周期の抑制を示すp21などの発現が高まり、また抗原に対する細胞性免疫機能や、抗体反応も強く低下することを示している。同じ変化は、2年以上飼育した正常老化マウスでも見られることから、ERCC1欠損により、老化が時間的に強く促進されていることがわかる。
これだけならなんのことはない研究だが、血液系だけで老化が進んでいると考えられるこのマウスの様々な臓器の細胞でのp21やp16の発現を調べると、驚くことに、血液ほどではないにせよ、細胞老化が高まっていることに気づく。老化で上昇する様々なサイトカインのうち、IL-1βやGDF-15、MCP-1などが上昇していることから、おそらく免疫系の細胞老化が、様々なサイトカインを通して、他の臓器の老化を促進するのではと着想した。
そこで、8-10か月齢のERCC1を血液で欠損させたマウス脾臓細胞、あるいは2年齢の正常マウス脾臓を若いマウスに注射すると、どちらの場合も、他の臓器のp16の発現が高まり、実際の寿命も短くなることを示している。この実験の結果、ERCC1欠損血液細胞だけでなく、正常血液細胞も老化すると、移植により他の臓器の老化を誘導できる(実際にはERCC1欠損血液細胞以上の効果がある)が明らかになり、通常の老化でも免疫細胞を若返らせることで、全体の老化を遅らせる可能性が示唆された。
これを確かめるため、今度は全身でERCC1が欠損したマウスに正常脾臓細胞を移植する実験を行い、若い細胞の移植ですぐにp16が正常化する臓器が存在することを示している。すなわち、全てではないが、臓器の一部は、老化した免疫細胞から分泌される様々な因子の影響で細胞周期が阻害され、細胞老化に陥っていることを示している。
最後に、ERCC1欠損による免疫系の機能低下と、老化促進作用は、現在老化抑制に使われているmTOR阻害剤ラパマイシンでかなり改善し、血液のp16,p21の発現が抑制されるとともに、MCP-1やTNFの分泌が抑えられることも示している。
結果は以上で、免疫系の細胞の老化が、体全体の老化を促進する作用があると言う結論は、本当なら、新しいアンチエージング法の開発や、逆に老化が急速に進む腎硬化症などの理解にも重要だ。ただ、正直実験のプロトコルや、結果の示し方が少しわかりにくく、そのためか論文サブミットから掲載までに2年以上かかっている。また、老化には炎症が関わっていることは疑う人はいない事実で、炎症とこの研究とがどう違うのかも明確にする必要があるだろう。今後、モデルマウスではなく、若いマウスと老化マウスとの間で、詰めていく必要があると思う。
2021年5月16日
古代の遺跡から、化石と言っていいのか、糞便が石の様に固まった糞石が得られ、古代人が何を食べていたかについて重要な情報を提供してくれる。当然糞便には細菌叢が存在し、最新の古代DNA分析技術をもってすれば、古代の人間の細菌叢を分析できるかもしれない。とはいえ、骨の中に残る細胞DNAとは異なり、我々の体のほとんどのDNAと同じで、糞便のDNAも環境の分解力により、土に還るのではないかと思っていた。
しかし最近紹介した様に、土に還ることで、場合によっては環境の鉱物に吸着してDNAが守られることもある様で(https://aasj.jp/news/watch/15388 )、ともかく糞石DNAの分析にチャレンジすることは意味がある。そう考えて、2017年ぐらいから、保存のいい古代の糞便遺物を解析する研究が進んでいた様だ。
今日紹介する糖尿病研究で有名なジョスリン研究所からの論文は、2000年前後のアメリカ原住民の糞便遺物(米国とメキシコより出土)からDNAを取り出し、当時の人間の細菌叢を再構成したと言う面白い研究で、どこまでできるのだろうと興味をもって読んでみた。タイトルは「Reconstruction of ancient microbial genomes from the human gut(古代人の腸内細菌叢を再構成する)」だ。
タイトルを見ただけで、だれでも気になるのは、人間の糞便由来の細菌叢であることを、本当に決めることができるかだ。人間自身のDNAなら、ハイブリダイゼーションで濃縮もできるし、古代DNAを現代のDNAから区別することもできる。しかし、細菌となると、無限の可能性から、動物の腸内細菌であること、そして最後に人間の腸内細菌であることを証明する必要がある。こんなこと本当にできるのか?
研究方法を読んでみると、腸内細菌叢は独自の進化を遂げており、古代の細菌叢ゲノムも、現代人の腸内細菌叢を指標に、他の細菌から選別できると言う仮説に立っている。これにより、現代人細菌叢ゲノムを手本に、人間由来と思われる細菌DNAを選び、最後に現在の家畜に存在する細菌叢も指標として用いて、最終的に人間の腸内細菌叢由来DNAライブラリーを選び出している。この方法が妥当かについては私の知識を超えているので、あまり詮索せず、当時の人間の細菌叢のDNAライブラリーが再構築されたとしておく。
さて結果だが、腸内細菌叢全体の構成、存在した細菌の全ゲノムレベルの再構成、そしてゲノムが再構成できた細菌の進化についての詳しい解析、に分けて示されている。
まず細菌叢の構成については、現代人の細菌叢とほぼ同じ細菌成分が特定できる(これは方法論から考えると当然と思えるが)。さらに、読めた回数からそれぞれの細菌の頻度を計算しており」これを用いて細菌構成を計算すると、古代人の細菌叢は、工業化された地域に住む人たちの細菌叢より、田舎に住む人の細菌叢に似ていることを示している。具体的には、田舎の人に多いFirmicutesは多く、都会の人に多いBacteroidetesは少ないといった具合だが、なんとなく説得されてしまう。 古代人だけで多い細菌種もいくつかある。ただ、なぜこれらの細菌が現在マイノリティーになったのか理解するためには、他の時代の細菌叢を調べ、細菌叢の地理と歴史を再構成する必要があるだろう。 現代の腸内細菌叢をお手本とせず、読めた配列からできるだけ完全な細菌のゲノムを再構成することにもチャレンジし、厳しい条件で配列を選別することで、古代人糞便由来のほぼ完全な細菌ゲノムを181種類決定することに成功している。これらの多くは現代人腸内細菌叢に存在する種に属しており、腸内で独自の進化が続いていたことを示す。 その中の1種類の細菌を用いて、人類進化と腸内細菌進化の関係を調べると、なんと細菌の方も、人類が出アフリカを果たした時に一致して進化をはじめ、またホモサピエンスがアメリカに進出したのと同時に、アメリカ原住民特異的系統が出現している。 一方、再構成できた181種類の細菌ゲノムのうち、61種類は、種レベルでこれまで現代人の解析からは発見されていない古代のみに存在した細菌であることがわかった。すなわち、人間の歴史とともに大きな選択圧にさらされていることも示している。 この様な選択圧を調べるため、機能的見地から古代人の腸内細菌を比べると、例えば抗生物質に対する耐性に関わる遺伝子は古代人細菌叢にはほとんど存在しない。一方、古代人や田舎の人の細菌叢はデンプンを分解する遺伝子が存在しているが、都会人になると減少している。すなわち、人間の様々な歴史的変化により、腸内細菌が強く選択されることを示している。
以上が結果で、2000年と言う古代ゲノム解析からは比較的新しい時代とはいえ、よくまあここまで解析できたなと言う印象だ。ただ、結果は完全に想定内で、細菌叢の進化は、私たち自身の進化の繁栄だとでもまとめておこう。