新型コロナウイルス禍の結果、コロナウイルスやワクチンだけでなく、多くの専門的な情報がわかりやすく紹介されたと思っている。エピジェネティックメモリーもその中に含まれている。例えば、感染が深刻になり始めた最初のころ、BCG注射でウイルス感染の進行を抑えられるという研究が一般でも大きく取り上げられたが、自然免疫系の細胞が炎症により教育されるエピジェネティックメモリーに他ならない。
今日紹介するロックフェラー大学のFuchs研究室からの論文は、毛根のケラチノサイト幹細胞が、皮膚の損傷治癒を経験した後、修復後の毛根のない皮膚で上皮型の幹細胞に転換したとき、この複雑な歴史がどのようにエピジェネティックメモリーとして記録されているかを調べた面白い研究で、11月26日号のScienceに掲載された。タイトルは「Stem cells expand potency and alter tissue fitness by accumulating diverse epigenetic memories(幹細胞は分化能力と環境への適応を様々なエピジェネティックメモリーを集めることで達成している)」だ。
単一細胞レベルでエピジェネティックメモリーを解析することは、ATAC-seqやsingle cell RNA seq、さらにはHiCなどのトポロジーアッセイまで、可能になっている。従って、細胞が様々な経験をしてエピジェネティックメモリーを積み重ねることを可能にする実験システムの構築が一番の問題になる。
この研究ではさすが皮膚のことを知り尽くしたFuchsグループならではと思える実験システムが利用されている。実際には、毛根バルジ領域にある幹細胞(HFSC)だけが損傷治癒に関わる皮膚損傷を与え、HFSCが損傷を経験したあと、最終的に上皮型幹細胞(EpSC)に転換する実験系を用いて、各段階でのエピジェネティックな変化を追跡できるようにしている。
この結果、HFSCは、バルジ環境、皮膚損傷環境、EpSC維持環境と順々に経験する。もちろん、それぞれの場所に合わせて遺伝子発現は変化し、その意味でエピジェネティック状態も大きく変化していく。実際、HFSCが最終的にEpSCに転換し、毛根のない皮膚の維持に関わる幹細胞として働くようになると、この機能だけでなく、single cell RNAseqで読み取られる遺伝子発現上では、本来のEpSCと全く変わらなくなる。
しかし、ATAC-seqで染色体構造を調べてみると、HFSCは本来のEpHCとは染色体構造が変化したまま維持されている。すなわちエピジェネティックメモリーが蓄積している。
後はこのエピジェネティックに変化した領域を調べ、元々HFSCとして形成されたメモリー、炎症によって誘導されるメモリー、細胞の移動により誘導されるメモリー、そして新しくEpSCに変化することで形成されたメモリーが、集まっていることを発見する(具体的分子については全て省く)。
そして、この変化が決してATAC-seqによって発見される変化だけではなく、実際の機能でもメモリーとして残っていることを示している。すなわち、新しい損傷に対して迅速に治癒が起こるし、細胞移動のスピードが上昇しているし、さらに普通は毛根の再構成に関われないEpSCと違い、HFSCから転換したEpiSCは、HSFCと同じで毛根形成に関わることができる。
以上が結果で、エピジェネティックメモリーが環境により誘導され、維持されること自体は新しいことではないが、同じことを幹細胞で見事に示したというのは、さすがFuchs研究室と思わせる面白い論文だった。しかも、毛根再生法開発にも重要な結果だと思う。