過去記事一覧
AASJホームページ > 2022年 > 2月 > 3日

2月3日 Covid-19の嗅覚障害の意外な発生メカニズム:染色体構築の崩壊(1月26日 Cell オンライン掲載論文)

2022年2月3日
SNSシェア

約20年前、シンガポールでおそらく何らかのコロナウイルスに感染し、1日発熱した後、3ヶ月程度続く嗅覚障害に見舞われたことがある。幸い1年程度でかなり回復したのだが、食べ物やワインと言った良い匂いは完全に回復しているのに、悪臭と呼ばれている多くの刺激には反応できない。

つねに細胞の自己再生が起こる系で、どうして部分的な嗅覚障害が残るのか不思議なのだが、第5波までのCovid-19でも嗅覚障害がつよく、重大な後遺症になっている。障害の原因として、嗅覚神経細胞にウイルスが直接感染するという考えもあったが、現時点ではこの可能性は低いと考えられており、一番有力なのは鼻粘膜の支持細胞が感染することで、嗅覚神経細胞が間接的に傷害されるという考えだ。

嗅覚細胞は一種の幹細胞システムで、一定期間ごとに置き換わる。従って、細胞が傷害されると、次の細胞に置き換わるまで嗅覚は回復しない。これが、後遺症として症状が長く続く原因になる。ただ、これだと鼻粘膜に感染した場合、ほとんどの患者さんで嗅覚障害が起こって良さそうなものだが、δ株ですら35%程度にとどまっている。また、組織学的にも全ての嗅覚細胞が消失したという状況は見られておらず、支持細胞障害や炎症による、嗅覚細胞の二次的障害というシナリオでは、Covid-19の嗅覚障害を説明し切れていない。

今日紹介するコロンビア大学からの論文は、Covid-19による嗅覚障害を、高い説得力で説明してくれる研究でPre-proof版が1月26日Cellにオンライン掲載された。タイトルは「Non-cell autonomous disruption of nuclear architecture as a potential cause of COVID-19 induced anosmia(外部からの刺激により核内の染色体構築が崩壊することがCovid-19による嗅覚障害の原因)」だ。

この研究は、ハムスターを使った感染実験系を使って、これまで提案されていた仮説を除外するところから始めている。まず、嗅覚神経細胞にウイルスが直接感染して傷害されるという仮説については、 single cell RNAseqを用いてウイルス感染を細胞レベルで調べ、感染しているのはほとんどが支持細胞で、感染後急速に細胞数が低下するが、嗅覚神経では1割以下しか感染が見られないことを確認している。重要なのは、嗅覚神経細胞数はほとんど変化しない点で、細胞が死んでしまう可能性は低い。

次に、鼻粘膜が感染した後の遺伝子発現を調べ、確かに支持細胞では、炎症性反応も含め、ウイルス感染による反応が起こっているが、嗅覚神経数は感染性の変化はなく、2次的な変化と思われることを示している。

以上から、嗅覚障害は嗅覚細胞が感染により起こった外部の変化に反応して起こったこと、嗅覚神経細胞数の減少よりは、その機能的な障害によることがわかる。実際、嗅覚に関わる嗅覚受容体の発現を調べると、ほとんどの受容体の発現が感染後すぐから低下し、10日まで回復が見られない。また、嗅覚神経の投射をコントロールする遺伝子Adcy3の発現も低下している。

そしてこの研究のハイライトとなるデータだ。嗅覚受容体遺伝子の発現低下を調べるために、鼻粘膜上皮の核内の染色体トポロジーを調べるためのHiC実験を行っている。なぜこの実験が行われたのか、嗅覚受容体遺伝子の特殊な発現様式を理解する必要があるのだが、長くなるので割愛する。何百もある嗅覚受容体の発現が一律に低下するためには、核内染色体トポロジーの大きな再編が起こっていると考えるのは不思議ではない。

核内トポロジーについての説明は省くが(興味のある人はhttps://aasj.jp/news/watch/3533 を参照して欲しい)、染色体上に散在する嗅覚受容体遺伝子が接近してできるクラスターを支えるトポロジーが、感染後すぐから崩壊することが分かった。

この変化は、嗅覚細胞外部からの刺激によると考えられる。この誘導因子を特定するため、おそらく様々な因子を鼻粘膜に添加する実験を行ったのだと思うが、特定の分子を同定するには至っていない。結局Covid-19感染ハムスターの血清を添加したとき、同じようにトポロジーの崩壊が起こり、嗅覚受容体遺伝子のクラスターが消失することを発見している。

後は、ハムスターでの結果が、人間にも当てはまるか、感染後死亡した剖検例で調べているが、詳細は省く。

以上、結論としては、Covid-19感染により誘導される様々なサイトカインの作用により、嗅覚受容体遺伝子が核内にクラスターを作るためのTAD(Topology associating domain)が崩壊し、嗅覚受容体発現が低下することが嗅覚障害の原因であると特定している。

このシナリオの魅力は、Covid-19による嗅覚障害の多くを説明できる点だ。まず、嗅覚受容体遺伝子の核内クラスターが崩壊すると、それまで一つの嗅覚受容体遺伝子を発現していた嗅覚細胞が、同じ受容体を発現するための仕組みは完全に壊れる。細胞が生存しておれば、トポロジーは再構成されるが、新たに発現する嗅覚受容体遺伝子が、感染前と同じである確率は低い。一方で、この嗅覚神経は、最初発現していた受容体に応じて、嗅球の特定の領域に投射することで、臭いの脳内イメージを作っている。このため、最初発現していた受容体に応じた投射により形成された神経表象が、新しく発現した嗅覚受容体と矛盾すると、臭い感知と認識が矛盾して混乱をしてしまう可能性がある。すなわち感じても認識できない混乱状況に陥るというわけだ。

さらに、この変化は何らかの分泌サイトカインの作用であるため、この分泌の差が個人差を生み出していると考えられる。このように、大変よく出来たシナリオで、HiC実験でトポロジーを調べたことで、全く新しい可能性が示された。さらに、外部刺激でこれほど見事にトポロジーが崩壊するとしたら、その刺激を特定できると面白い。

カテゴリ:論文ウォッチ
2022年2月
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28