生まれたときからPCが存在して、現象の背景にあるルールやアルゴリズムを直感に頼らず調べることに慣れている新しい世代を、本当にうらやましく思う。実際、この新しい世代を前提として、世界中のデータが急速に積み重なってきた。どの分野で仕事をしていても、PCを駆使して自分の疑問を調べることが出来る。
これを助けてくれるデータベースの中でも、UKバイオバンクは、50万人という数以上に、人間について包括的な情報が得られるよう計画されているのに驚く。その中の重要な項目が、脳の構造と領域間の神経結合についてのMRIを用いた計測で、今や測定された個人の数は32488人に達している。
政党支持のような行動に関わる遺伝子多型すら調べられる時代だ(https://www.pnas.org/content/109/21/8026)。これだけ多数の、しかも精細な脳構造の比較データがあれば、当然この構造を決める遺伝背景を決めたくなる。
今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文は、UKバイオバンクをはじめとする様々なデータベースと、様々な解析アプリケーションを用いて、脳各皮質部分の広さと厚さを、ゲノムの多型と相関させた研究で、ここまでのことが出来るようになったのかと感心する論文だ。タイトルは「Discovery of genomic loci of the human cerebral cortex using genetically informed brain atlases(人間の脳皮質を支配する遺伝的領域を遺伝情報を加えた脳アトラスから探索する)」で、2月4日号Scienceに掲載された。
皮質の大きさは、脳機能ユニットであるカラムの数を反映し、皮質の厚さは細胞分化を反映すると考えられている。そこでUKバイオバンクサンプル3万人について、脳各部位の皮質の広さ、厚さを比べ、それぞれの数値と相関する遺伝子変異を探索し、最終的にどれかの形質と相関する234種類の遺伝子多型を特定している。この多型のなんと95%はノンコーディング領域にあり、脳の構造の差が、遺伝子発現の差により決められていることが想像できる。
この研究ではもっぱら構造との関係を調べており、回路形成や細胞構成とは直接関係ない。それでも、全体の皮質領域の広さに相関する遺伝子は、すでに注意障害(ADHD)と相関することが報告されている。また、言語野を含む脳領域の大きさに関わる多型は、自閉症スペクトラムとも相関しており、構造の重要性も示された。
おそらく一番重要な所見は、それぞれの構造に最も重要なインパクトを持つ単独の多型が特定されたことで、これらの多くはWnt, TCF, FGF, hedgehog など、発生に必須のシグナルに関わる分子の発現調節を通して、脳構造を決めていることが分かる。
また、これらの遺伝子多型の進化を調べると、言語野の厚さに関わる多型はホモサピエンス特異的であることも予想される。このような機能的結果は、他の方法で検証する必要があるが、このようなアトラス作成の重要性を示している。
最後に、それぞれの領域に関わる多型領域が機能している細胞との相関も調べており、ニューロンだけで無く、他の細胞もこの構造決定に強く相関していることを示している。
最後に、このような遺伝多型、細胞、構造を相関させて何が分かるのかを示す例として、granulinタンパク質の発現調節と、Frizzle2遺伝子の発現調節によって、前頭皮質の領域の拡大とともに厚さが変化するモデルを提供し、このアトラスの有用性について示している。脳の構造について自分自身の疑問を持っている人たちには確かに役に立ちそうだ。
もちろんアトラスが出来たからと言って全てがクリアになるというものではない。それぞれの研究者が持つ疑問を、このアトラスを手がかりに繰り返し調べることでアトラスは完成している。とはいえ、これだけのことが因フォーマティックスだけで行えるというのは、PC音痴には本当にうらやましい限りだ。