2024年5月11日
「はじめに線虫ありき」は、分子生物学の祖の一人と言ってもいい故Brennerが、MRCに多細胞動物の発生や生理を研究するための線虫のモデル実験系を確立していく過程を克明にレポートした、大変面白い本だ。詳細はほとんど忘れているが、私の印象に強く残った内容の一つは、モデルが世界的に使われるようになり、このプロジェクトからノーベル賞受賞者が出たのにもかかわらず、Brennerはプロジェクトは不成功に終わったと総括したことだ。彼ならではの皮肉と考えてもいいのだが、自分で見たかったものが見えずに終わったことを率直に述べたのだと思う。
そしてもう一つ印象に残ったのが、プロジェクトの最も重要な目的として線虫内の細胞間の関係を解剖学的に知るという目的で、線虫のスライスを電子顕微鏡で解析し、細胞関係図として再構築しようとしたことだ。ただ、細胞数が1000個程度と言っても、2次元画像を立体的に再構築するのは、コンピュータにパンチカードでインプットしている時代には全く不可能だった。この結果、彼はプロジェクトは失敗したと総括したのだが、彼の夢はコンピュータや AI の発達のおかげで実現している。例えば線虫では、電顕画像をもとに神経発生を再構築した研究がある。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、人間の大脳皮質6層をカバーしている数ミリ単位のブロック(49080個の神経細胞とグリア細胞、8100個の血管細胞が存在し、1億5千万個のシナプスを要する)から、5019セクションを作成し、すべての画像が集められたデータベースを開発した研究で、5月10日号の Science に掲載された。タイトルは「A petavoxel fragment of human cerebral cortex reconstructed at nanoscale resolution(ペタボクセルデータを要するヒト大脳皮質フラグメントをナノスケールレベルで再構築する)」だ。
タイトルにあるようにこのデータベースには2の50乗のボクセルが集められており、これを立体画像にしたり、数値分析するためには様々なアプリケーションの開発が必要で、このグループも3種類のアプリを提供し、データとともに誰もがアクセスし利用できるようにしている。
最終的にどんな画像が得られるのかについては、アクセス可能な論文のアブストラクトに添えられた写真を見てほしい(https://www.science.org/doi/10.1126/science.adk4858 )。神経同士の関係や、一つの軸索に、一つの樹状突起が複数のシナプスを形成している像を見ると、ここまでできるのかと必ず驚くこと間違い無い。
ただ、これが完成するまでは、神経分岐や結合の再構成時の間違いを正す様々な仕掛けが必要になる。通常は全てコンピュータでエラーも検出できるようにするのだが、この研究ではデータを公開し、人間によって画像を追いかける方法も使えるようにしている。要するに、これからこのデータベースを見たいと思う人も含めて、人海戦術でプルーフリーディングを行なっている。
ではこのデータベースから何が新しくわかったのか。形態だけなので新しい発見は難しいかと思いきや、先に示した写真のように、皮質第6層の Triangular neuron が近接している細胞同士で密接な結合を形成していること、また第3層の錐体細胞アクソンにシナプス接合するデンドライトが、ほとんどは一カ所のシナプスで結合するのに対し、写真にあるように何カ所も極めて強固な結合を示す場合があり、分布は確率論的ではなく間違いなく神経活動依存的であることを示している。スパインの形態が変化するのは知っていたが、ここまで複雑な構造が形成されているのを見ると、形態学の重要性がわかる。
2024年5月10日
タンパク質の構造予測だけでなく、核酸から小分子化合物のような様々なバイオモレキュールを予測できる AlphaFold3 が、5月8日 Nature にオンライン掲載された話がメディアを賑わせている。今回の論文は難しいので、研究内容を紹介せず、何ができるかという話だけを書いているようだ。吟味なしに適当に報道するのは日本のメディア報道の典型で、それが如実に表れたのが、小保方さんの論文報道だと思うが、これに加えて今回は少しカチンとくるところがある。すなわち、この論文より1ヶ月前にワシントン大学から同じような内容の RoseTTAFoldAll-Atom が Science に発表された時には、全く報道されておらず、しかも今回の AlphaFold3 紹介時にも、ワシントン大学の論文には全く言及していない点だ。
1ヶ月遅れたが、RoseTTAFold All-Atom 論文について紹介する。タイトルは「Generalized biomolecular modeling and design with RoseTTAFold All-Atom(生体分子の汎用モデリングとRoseTTAFold All-Atom(RAAA)のデザイン)」だ。
この論文を読んだとき、タンパク質構造だけでなく、ほぼすべての生体分子や小分子化合物の相互作用を予測できるという話で、是非紹介したいと思った。しかも、Google ではなく、ワシントン大学など、アカデミアでこの様な研究が進んでいることに感銘を受けた。ただノーベル賞級の仕事でどこかで紹介すると思ったのと、大規模言語モデルを超えて、拡散モデルとガウスノイズや、集合データ学習など、私の最も苦手とする数理処理の話が多く書かれていたので、残念ながら紹介を断念していた。しかし、メディアも取り上げず、さらに今回言及もしないというので、理解できていないことを断った上で、私の理解できた内容だけ紹介する。
タンパク質構造予測というと AlphaFold2 になっているが、ほぼ同時に RoseTTA モデルも発表されていた。利用者では間違いなくAlphaFold2 に先を越されたので、タンパク質系統樹のアラインメント比較に基づく方法では達成できない新たの目的にチャレンジしたのがこの研究だ。
素人にとって、Google 論文と比較すると、この論文の方がよりわかりやすく(といっても難しいが)丁寧に説明がされている。これまでの LLM モデルは相同タンパク質を数多く比較してタンパク質進化で生まれた構造的特徴をコンテクストとして拾う方法だった。ただ、これだと小分子化合物やタンパク質と結合する金属イオンなどは扱えない。
そこで、最も近い相同タンパク質との比較だけを行うことでアラインメントによる制限を外し、分子を構成する要素のタイプ、原子結合のタイプ、そして分子のキラリティーのタイプを、それぞれ1D、 2D、3D Trackとしてモデル化して学習させる方法をとっている。
そして、構造のデコーディングには、ランダムな分子配置からノイズを減らす、画像処理に用いられる拡散モデルが使われている。また、学習時にノイズを入れてそれから正解を予測させる、一種のマスク学習のような方法で正解率の高い学習を可能にしている。
モデルの詳細についての私の理解はここまでだが、このモデルに10万を超えるタンパク質と小分子化合物の結合様態、金属イオン結合したタンパク質の構造データ、そして共有結合を起こす分子結合データを学習させ、このモデルに新しく報告された様々なデータをインプットして、構造予測を行い、その精度を調べている。
これまで LLM ではない構造予測モデルが存在しており、小分子化合物との結合様態予測では RFAA が優れていること、またこれまでのモデルでできなかった金属イオンとの結合による構造、さらには結合により共有結合が生じるようなケースの予測も可能であることを示している。ただ、どこまで精度が上がるのか、今後学習を増やせば解決するのかなどは今後の問題になる。
この研究で私が最も驚いたのは、ある特定の化合物に対するタンパク質をデザインできるという事実だ。すなわち、関与するアミノ酸がランダムに配置された中から、ノイズを減らす計算を繰り返すことで、最終的にフィットするタンパク質の構造が設計できる点だ。
実際、ジゴキシジェニンと結合する新しいタンパク質を設計し、合成してそれを確かめている。同じ実験をヘムやビリンと結合するタンパク質についても行っている。
以上が結果で、私の理解では示された方法は Google とほぼ同じモデルで、全バイオモレキュール構造予測のプラットフォームの糸口ができたと言える。いずれにせよ、この論文は昨年10月に投稿され、Google 論文は昨年の12月に投稿されるという競争が行われている。ただ、アカデミアで独自に進められている努力が先に論文発表につながったことは、この分野でアカデミアもまだまだやれることを示している。このように、新しい課題は山ほどある時に、成功例だけ追いかけるような研究助成のあり方を改めることが重要だろう。
2024年5月9日
今月のジャーナルクラブは5月6日に紹介した論文を中心に、最近急速に進展しているガンワクチンについて論文や総説を紹介します。Zoomで開催したあと、すぐにYoutubeにアップロードしますので、是非ご覧ください。直接参加希望の方は、西川まで連絡ください。
2024年5月9日
肝臓は再生能力が高い臓器で、例えば生体肝移植のドナーが 2/3 の肝臓を提供しても、機能を取り戻すことができる。ただ、肝臓障害性の毒物の摂取や、劇症肝炎など急速な損傷が起きると、肝臓細胞の増殖が追いつかないのと、肝臓組織の美しい構築を再生することができず、死に至ることがある。
今日紹介するエジンバラ大学からの論文は、アセトアミノフェン摂取による肝臓障害後の肝臓再生過程を、組織学的、細胞学的に詳細に調べ、損傷部位に集まる特別な肝臓細胞が損傷部位をまず閉じることから肝臓再生が始まるという、新しい概念を示した研究で、5月1日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Multimodal decoding of human liver regeneration(様々な方法を併せて人間の肝臓再生過程を解読する)」だ。
アセトアミノフェンによる肝障害で移植を受けた患者さんの肝臓を、この HP でも紹介し YouTube で説明した最新の網羅的組織ゲノミックステクノロジー(https://www.youtube.com/watch?v=KtjY4JEEjaA )を用いて解析し、肝臓再生の空間時間的過程を解析している。その結果、これまでほとんど指摘されてこなかったアネキシン(細胞移動に関与すると考えられている分子)を発現する集団が再生中の肝臓に現れることを発見する。
組織学的ゲノミックスを用いて調べると、この細胞は中心静脈から広がる壊死部分と正常組織の境界に現れ、遺伝子発現から肝臓細胞由来で、境界部に堤防のように上皮ライニングを形成していることが明らかになった。また、アセトアミノフェン障害だけでなく、肝炎による再生でも現れることが確認された。
次に、このアネキシン2陽性細胞をさらに詳しく調べるため、マウス肝再生モデル実験系を同じように調べると、マウスでも再生誘導後にアネキシン2陽性細胞が壊死細胞と正常組織の境界に現れるのが確認できる。そこでラベル実験を行い、この細胞が肝細胞由来であること、そして壊死細胞との境界に移動してくるが、その間48時間ほどで、細胞の増殖は必要ないことを明らかにする。すなわち、アネキシン2陽性細胞は傷口を塞ぐために現れ、壊死細胞の境界で極性を持った上皮構造を形成して、肝臓実質を外部から守る役割を持つことがわかる。
これらのことを確認するために、生きたマウスの肝実質での細胞動態を観察するシステムを完成させ、アセトアミノフェンによる障害で細胞の移動が誘導されることを観察している。これまで様々な組織のリアルタイムイメージングは見てきたが、肝実質でこれが可能になるとは驚きだ。見て新しいことがわかるかというと難しいと言わざるを得ないが、ともかくシステムを構築し、細胞が分散してくるのを見たことが重要だ。
さらに、肝細胞増殖による再生過程との関係を調べると、まず壊死細胞との境界を定め、それから細胞の増殖が誘導されるという順序が存在することが明らかになった。
最後に、マウス肝再生が進むときにアネキシン2をノックアウトすると、壊死層との境が閉じないことから、アネキシン2陽性細胞が壊死部と正常部の境を形成して、壊死部を閉じる過程にアネキシンが必須であることを示している。
結果は以上で、肝臓のような実質臓器で、皮膚損傷治癒と同じような傷口修復、その後の再生という過程が順序よく進んでいくことを知り、実にうまくできていると感心した。
2024年5月8日
昨年7月、2回にわたって細胞周期の調節メカニズムの見直しが進んでいることを紹介した(https://aasj.jp/news/watch/22329 )、(https://aasj.jp/news/watch/22475 )。ざっくりまとめると、増殖因子により活性化される CDK4/6 が、G1 期を超えて必要とされるという話で、異なるサイクリンがチェックポイントに応じて順々にリン酸化、分解を繰り返すことで、正確な DNA 複製と細胞分裂が進行する、美しいスキームで説明できないことが多くあることを示している。
今日紹介する米国ジョンズホプキンス大学からの論文も CDK4/6 の G1 期を超えた役割を明らかにした研究で、5月3日号の Science に掲載された。タイトルは「CDK4/6 activity is required during G2 arrest to prevent stress-induced endoreplication( CDK4/6 は G2 停止期にストレスデ誘導される核内倍加を阻止する)」だ。
ガン細胞の多くは分裂を経ずに DNA 複製が核内で起こる染色体倍加が起こっていルことが知られている。この研究は、各細胞周期特異的ドライバー(サイクリン A/CDK1 )の標的分子を蛍光分子と結合させて、それぞれのドライバーの活性をモニターしながら G2 期から細胞分裂に至る過程を追跡することで、G2 期から細胞分裂を経ずに DNA 複製が始まる分子過程を調べている。
細胞周期の研究を理解するには、各ドライバーについての知識が必要で、詳細に踏み込むとますますわかりにくくなるので、かなり省略して紹介すると次のようになる。
これまで核内倍加は p53 の変異が主原因であるとされていたが、正常細胞を用いた実験で p53 とは無関係に、リボゾーム機能阻害、DNA損傷、浸透圧などの様々なストレスで誘導できることを示している。
次に、G2 期から分裂期へのドライバー活性をモニターする系で、ストレスによりリン酸化活性化されるMAP3K を起点とするシグナルが、細胞後期のドライバー Anaphase promoting complex (APC) の活性化を誘導することで、核内倍加が起こることを示している。
そしてストレス存在下で、各ドライバーの活性を精緻にモニターして、このストレスによるシグナルがCDK4/6、CDK2 などを順々に抑制することで、分裂前のG2期停止から解放し、結果早期にDNA合成、そして核内倍加が起こることを示している。
もう少し細胞周期的に説明すると、ストレスによりまず CDK1/CyclinA が阻害されることで、G2 期停止が起こる。このとき分裂前の DNA 合成を抑えるためには CyclinA の標的分子 E2F のリン酸化を維持することが必要で、これができないと DNA 合成が分裂前に始まる。このとき、同じ E2F をリン酸化するCDK4/6/CyclinD の活性が維持されていると、G2 停止期は正常に続き、ストレスがなくなると正常分裂が始まる。すなわち、前回紹介した論文と同じで、G2 から分裂期への離脱時期でも、増殖因子により活性化される CDK4/6 は、細胞周期を維持するために働いていることになる。
以上が結果で、核内倍加が p53 とは無関係に起こりうること、そして CDK4/6 シグナルがこのようなストレスから細胞周期を守る働きをしていることがよくわかる。CDK4/6 は治療に使われており、この結果はストレスの多い条件でこの薬剤を使うともっと効果が高まることを示している。
2024年5月7日
神経伝達速度がアクソンのミエリン化により維持されていることは神経科学のイロハだが、軸索がミエリン鞘と呼ばれる膜で包まれているのを電子顕微鏡写真で見ると、その美しさに感動を覚える。逆に言えば、このような美しい形態を維持することが簡単でないこともよくわかる。事実、神経損傷や多発性硬化症でミエリン鞘が傷害されると、再生には時間がかかる。また、老化により脱髄は進み、痴呆の原因になる。
今日紹介する中国四川大学と、米国シンシナティ子供病院からの論文は、HDAC3 阻害剤として開発されていた化合物 ESI1 がオリゴデンドロサイトの分化を促進してミエリン鞘形成を高め、多発性硬化症治療から老化脳でのミエリン化促進まで多様な効果を持つことを示した研究で、5月2日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Small-molecule-induced epigenetic rejuvenation promotes SREBP condensation and overcomes barriers to CNS myelin regeneration(エピジェネティック若返りを誘導する小分子化合物は SREBP の相分離を誘導し中枢神経でのミエリン化の障害を突破する)」だ。
実に多くのデータが集まった論文なので、詳細は省いてポイントだけを紹介する。
この研究は、多発性硬化症(MS)の脳で、オリゴデンドロサイトは比較的正常に存在するのに、なぜミエリン化がうまくいかないのかという疑問から発している。MS 脳組織を解析した結果、ミエリン化に必要な遺伝子がエピジェネティックにサイレンスされていることを発見する。そして、このエピジェネティック変化を反映して分子マーカーを発現するトランスジェニックマウスを用いて、サイレンシングを解除する化合物をスクリーニングし、ヒストンアセチル化酵素 HDAC3 阻害剤としてインドで開発された化合物 ESL1 を特定する。この化合物は最初老化による認知障害を治療できることが示されていた。
後は発生過程、神経再生過程、そして MS で MSI1 の効果を調べ、オリゴデンドロサイトの分化を促進し、ミエリン形成能を高める結果、神経再生や、MS モデルマウスの再ミエリン化を促進し、症状を抑えることを明らかにしている。
次に培養細胞を用いて ESI1 が確かに HDAC3 を阻害することで、オリゴデンドロサイトをエピジェネティックにプログラムし直し、細胞分化だけでなく、細胞骨格の変化、そして何よりもミエリン形成に必要なコレステロール代謝に関わる酵素群の発現が再活性化されることを示している。
脂肪代謝システム活性化をさらに追求すると、HDAC3 阻害効果だけでなく、コレステロール代謝の核になる転写因子 SREBP 分子の核内での相分離を促進して転写活性を高めることも、ミエリン合成システムの促進に関わることも示している。ただ、この相分離の詳しいメカニズムについてはよくわからないが、スーパーエンハンサー形成と結びついていそうだ。
最後にもう一度生物学的効果の検討に移り、ヒト iPS 由来神経細胞オルガノイドで、ミエリン鞘の長さを延長できること、そしてインドからの論文が示したように、老化による認知機能が改善されるが、この効果が老化脳のミエリン化を再活性化させることによることを示している。
結果は以上で、これまで免疫を抑え、脱髄を抑制することに集中してきた MS 治療に、新しい治療可能性をもたらすとともに、アルツハイマーに並んで認知障害の原因になる白質障害の治療が可能になる可能性が示されたと思う。ESI1 が本当に薬剤として必要な性質を持つのか、他の細胞のエピジェネティックな状態の変化が問題にならないか、など検討項目は大きいが、MS、白質障害の新しい治療可能性が示されたことは極めて重要だと思う。
2024年5月6日
感染防御のためのワクチン開発競争が一段落した今(といっても水面下では熾烈な競争が行われていると思うが)、最近目立つのがガンワクチンの前臨床、臨床研究論文だ。コロナワクチンと同じで様々な方法の開発が進んでいるので、近々ジャーナルクラブで取り上げたいと思っている。
そんな中でも今日紹介するフロリダ大学からの論文は、少し変わった方法で、しかも基礎から第一相臨床治験までデータが示されている mRNA ワクチン研究で、5月1日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「RNA aggregates harness the danger response for potent cancer immunotherapy(RNA凝集塊は強力なガン免疫治療のための danger 反応を制御する)」だ。
この研究では、mRNA ワクチンに使われる脂肪膜粒子を RNA をブリッジとして凝集させ、エクソゾームサイズで多層膜構造を持つ LPA を作成、これを静脈投与するというユニークな方法を開発している。この構造のおかげで、多くの RNA を LPA にロードすることができ、例えばガン細胞の全 mRNA をそのまま使って LPA を作成することも行われる。この出だしの説明を読んで、シュードウリジンが使われていないこと、全身投与であること、サイズが通常のナノパーティクルの数倍であることを知ると、強い炎症反応が出るので大丈夫かなと思うが、RNA と脂肪膜がうまく組み合わさって、ある程度は炎症反応が抑えられているようだ。
まず腫瘍から生成した mRNA をロードした LPA を作成し、腫瘍を移植したマウスに投与すると、容量依存的に強い炎症反応とともに、ガン増殖を抑制することができる。また、200nm以下の LPA だけにすると効果がなくなるので、大き凝集を作ることが重要なこともわかる。もちろん、ガン特異抗原の mRNA を合成して免役することもできるし、驚くことにグリオーマに機能を持ったヒストンメチルか酵素を投与するためにも用いることができる。当然、一つの mRNA だけでなく、ガン抗原と、PD-L1を抑制する siRNA をロードして、免疫反応を高めることも可能になる。
驚いたのは、ガンで高発現が認められ CAR-T の標的として用いられる CD70mRNA をロードして LPA を作り、これを全身投与すると CAR-T の効果が格段に高められることだ。わざわざ CAR-T の標的を全身に投与して正常の細胞を殺すのかと心配するが、実際にはガンへのアクセシビリティーが低いため免疫が成立できていない状況を、全身に CD70 が発現して抗原として利用されることで、正常細胞もある程度は殺されるが、CAR-T を全身で活性化してガンの方に振り向けられるということになる。
全身に投与して何が起こるか詳しく調べており、ほとんどの LPA は全身の間質細胞が取り込み、特に取り込みの多い脾臓などのリンパ組織で強い免疫を誘導すると同時に、末梢での炎症反応を誘導して、免疫細胞の移動を促すと解釈している。さらに、グリオーマではガン周囲の環境も白血球やリンパ球が浸潤しやすい環境へプログラムし直せることも示している。
このように動物実験では理屈はともかく、うまくいっていることから、犬に自然発生したグリオーマの治療、そして人間の臨床研究へと移行している。
10匹の末期グリオーマ犬が用いられ、バイオプシー標本の mRNA をロードした LPA 投与群と、バイオプシー前に免疫を変化させるサイトメガロウイルス分子を投与した後、ガン mRNA を投与する群に分けて効果を調べている。結果は上々で、通常1−2ヶ月で死ぬ犬が、平均で150日、5ヶ月生存できている。また、投与すぐから炎症性サイトカインが血中に放出される。
そして、ヒトでの治験に進んでいる。サイトメガロウイルス pp65mRNA と、グリオーマで活性化されている自己抗原セットをロードして、パイロットで許容性などを調べた上で、第一相試験を行っている。放射線や化学療法を終えた後で、LPA を投与する治験で、期待通り投与初期から強いサイトカイン反応が誘導されるが、これはなんとか乗り越えられているようだ。さらに、ガン特異的抗原に対するT細胞反応も誘導でき、2例ではバイオプシーでガンを検出できず、平均の生存が9ヶ月を超し、5−8ヶ月よりは延命できることがわかった。
結果は以上で、要するに様々な mRNA をロードできる LPA の開発で、臨床治験まで進んでいるが、まだまだ基礎研究も必要な面白いワクチンモダリティーだと思う。
2024年5月5日
京大の再生医学研究所、そしてミレニアムプロジェクトの神戸の発生再生科学総合研究センターの設立と、立て続けに大きな研究所構想の実現に奔走した思い出は今も生き生きとよみがえるエキサイティングな経験だった。これら研究所の設立時、研究所が目指すべき最も大きなゴールとして考えたのが自己ES細胞作成による再生医療だったが、これは設立時には予想しなかった山中さんのiPS細胞により実現している。そして、もう一つ再生医学臨床応用の象徴が血管内皮移植による虚血障害の治療だった。当時まだ米国在住の浅原さんを始め、多くの研究者がしのぎを削っており、ミレニアムプロジェクトでもこの方向の研究を重視した。あれから20年以上が経ち、血管移植療法はどうなっているのか?実は全くフォローしていなかったが、私が今目を通しているジャーナルにはあまり現れてこないし、それほど華々しい話も聞いていない。
今日紹介するハーバード大学からの論文を読んで、血管内皮移植がうまく進んでいない理由を知るとともに、この問題の解決にミトコンドリア移植による内皮ミトファジー活性化が切り札になる可能性を理解した。タイトルは「Mitochondrial transfer mediates endothelial cell engraftment through mitophagy(ミトコンドリア移植はミトファジーを通して内皮細胞を支持する)」だ。
まず前書きを読んで、血管内皮移植では内皮細胞の生着が低く、臨床結果が安定しないこと、間質幹細胞と同時移植はこれを改善できる可能性があるが、複雑な移植で同じ条件での臨床応用が難しいことからまだ普及していないことを知った。
この研究でも、ヒト血管内皮と間質幹細胞移植で、マウス体内での内皮の定着率が上昇することを確認した上で、間質幹細胞から血管内皮へのミトコンドリア移行が効果の原因ではないかと、間質幹細胞のミトコンドリアをラベルして実験を行い、ミトコンドリアが細胞間ブリッジを通って移行していること、このブリッジ形成を TNF で活性化するとより多くのミトコンドリアが移入されることを明らかにしている。
次に、間質幹細胞からミトコンドリアを抽出し、これを内皮細胞と培養して EC の生着率を調べると、ミトコンドリアを移植した群で生着率が上昇し、虚血モデルで血管新生を高めることができる。
しかしよく調べると、移植されたミトコンドリアの数はたかだか細胞全体の10%にとどまり、しかも一週間以内に消失するのに、ミトコンドリアとして機能しているのかが疑問だ。事実、これまでもミトコンドリア移行が血管内皮を活性化するという話はあったが、外部から移植したミトコンドリアが機能を担えているのか疑問が投げかけられていた。
この研究ではミトコンドリア機能維持に必須のミトコンドリアDNAを除去したミトコンドリアを調整し、これを移植するという離れ業の実験を行い、ミトコンドリア移植の効果にはミトコンドリアDNAは必要なく、当然ミトコンドリアの正常機能は必要ないという驚くべき結果を示す。
そして、移植した機能欠損ミトコンドリアが、ミトコンドリア特異的なオートファジー、すなわちミトファジーを活性化することで血管内皮の増殖や移動機能を高めていることを明らかにしている。
生化学的なメカニズムはすっ飛ばして紹介したが、ミトファジーが活性化していることを確認し、またミトファジーを抑制すると生着できないことを示している。
以上が結果で、本当なら血管内皮移植は大きく進展すると思う。また、ミトコンドリアの死骸を使ってミトファジーが活性化できるなら、他の細胞にも応用できるはずで、再生医学の大きなブレークスルーになる様な気がする。臨床から基礎へ、そして臨床へつなげる素晴らしい研究だと思う。
2024年5月4日
昨日に続いて脳と身体のつながりについての研究を紹介したい。
ご存じのように、私たちの細胞一つ一つは地球の時間に活動を概ね合わせるための概日周期メカニズムが備わっており、研究が進んでいる分野だ。そして、この身体レベルの概日周期を、実際に地球の自転を感じる脳レベルの周期で調節しており、その中心が視交差上核だ。
今日紹介するスペイン・Pompeu Fabra大学からの論文は、老化とともに機能が低下する筋肉に焦点を当て、筋肉と脳との間の概日周期を独自に狂わせたらどうなるかを調べた面白い研究で、5月3日号 Science に掲載された。タイトルは「Brain-muscle communication prevents muscle aging by maintaining daily physiology(脳と筋肉のコミュニケーションにより概日機能が維持され筋肉老化が防がれる)」だ。
我々は老化すると視交差上核と身体の神経ネットワークが変化することが知られており、リズムの振幅が低下する。問題は、この変化が身体レベルの老化の原因にもなっている。実際、概日周期の中心的遺伝子Bmal1 をノックアウトしたマウスでは、身体の老化が早まることも報告されている。
この研究では Bmal1ノックアウトマウスをベースに、筋肉でだけ Bmal1 を回復させた M-Bmal1マウス、脳でだけ回復させた B-Bmal1マウス、そして両方で回復させた MB-Bmal1マウスを作成している。これにより、M-Bmal1 は筋肉レベルの概日周期システムは回復するが、脳による調整ができない。一方 B-Bmal1 では筋肉レベルの概日周期は失われるが、脳の概日周期での調節は起こる。そして MB-Bmal1 では筋肉の概日周期が脳により調節されるようになるが、ほかの臓器からは完全に孤立化している。
これらのマウスの筋肉での遺伝子発現の概日リズムを調べると、正常と MB-Bmal1、そして M-Bmal1 の 三者は比較的似ており、B-Bmal1 は完全ノックアウトマウスに近い。すなわち、筋肉の概日周期で見たとき、やはり筋肉独自の周期が優勢で、脳のコントロールだけでは組織レベルの周期を回復できない。
しかし、詳しく見ていくと遺伝子によっては脳のコントロールがないと回復しないグループも存在する点で、筋肉の概日周期は筋肉で独立して行われている部分は大きいが、脳のコントロールも厳然と存在する。それどころか、MB-Bmal1 のように脳、筋肉でのコミュニケーションが完成していても、正常マウスと比べると半分の遺伝子発現の周期が完全に戻らないことは、他の組織からの概日リズム調整が筋肉のリズムに影響しており、一つの組織の概日周期が複数の複雑なコントロールを受けていることを示している。
それぞれの調節を受けている遺伝子群の特徴についても面白い。例えばミトコンドリアの分裂を見ると、脳のコントロールの影響が大きい。他にも様々な重要な機能がそれぞれのネットワークにより調節していることが示されているが、ややこしくなるので割愛する。要するに概日リズムは組織の健康にとって必須にできている。
いずれにせよ、脳と筋肉の概日周期レベルの連結が、筋肉のミトコンドリア活性化などの必須とすると、脳の概日レベルの影響が落ちてくる老人はどうすればいいのか。
これについても考えてくれていて、食べる時間と食べない時間をはっきりさせる、Time restricted feeding により脳のリズムによるコントロールを大分取り戻せることを示して、運動などとともに、fasting を行うことで筋肉老化を防げる可能性を示している。
結局マウスの話で、人間でどうか結論はできないし、またすべてノックアウトマウスの現象論なので、そのまま鵜呑みにはできないが、身体全体の時間調整の重要性はマウスも人間も同じだろう。
2024年5月3日
迷走神経は私たちの体と心をつなぐ重要な神経系として、様々な臓器のホメオスターシスを維持しているのは、つい先日食べ物を見るとインシュリン分泌を誘導して、肝臓のミトコンドリアの変化を誘導するという論文で見たばかりだ(https://aasj.jp/news/watch/24397 )。
今日紹介するコロンビア大学からの論文は、特定の臓器だけでなく、体全身の炎症を脳幹の孤束核の細胞が関知し、さらにサイトカインを調節して炎症を抑える役割があることを示した研究で、5月1日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「A body–brain circuit that regulates body inflammatory responses(全身の炎症反応を調節する身体 – 脳回路)」だ。
この研究ではまず LPS を腹腔投与したときの血中サイトカインの動態と、炎症によって刺激される脳幹の細胞を調べている。LPS を投与すると、分単位で IL-6、IL-1、TNFα のような炎症誘導サイトカインとともに、炎症を抑える IL-10 も誘導される。そしてこのとき、孤束核の神経細胞が興奮すること、そしてこれら神経興奮が迷走神経除去で消失することを発見する。
すなわち LPS による炎症反応は迷走神経を通って、脳孤束核の興奮を誘導する。このとき興奮する神経細胞を、興奮により誘導される Fos 遺伝子を遺伝学的にラベルする方法で、特異的に興奮あるいは抑制できるマウスを作成し調べると、抑制すると炎症性のサイトカインの上昇を抑えることができず IL-6 や IL-1 の血中濃度は数倍に上昇する。一方、炎症を抑える IL-10 は発現が抑制される。
逆にこの神経を興奮させると、炎症性サイトカインが抑制され、抗炎症性サイトカインの発現が何倍にも上昇する。実にうまくできている調節系だ。
この反応に関わる細胞を Fos でラベルした後、single cell RNA sequencing を用いて調べると、原則的に興奮神経でドーパミンを合成する DBH 分子を発現する細胞であることを確認する。これに基づいて、DHH を発現する細胞だけを興奮させると、炎症が抑制できることを示している。
次に、迷走神経を刺激する因子について探索し、なんと炎症で誘導される IL-10 に反応する TRPA1 陽性迷走神経システムと、IL-6 などの炎症性サイトカインに反応する CALCA 陽性システムに分かれることを明らかにしている。これも本当かと思うほどうまくできている。
最後にこの炎症を調節する孤束核システムを刺激できるマウスを用いて、致死量の LPS を投与する実験を行い、この経路を独立に刺激することですべてのマウスのサイトカインストームを押さえ、生存ができることを示している。
以上が結果で、孤束核の神経興奮が最終的に炎症調節をおこなうエフェクターメカニズムは不明のままだが、間違いなく脳回路により炎症を抑制することで、我々は炎症が持続しないようバランスをとっていることがわかる、面白い論文だ。もちろんこれらの回路は脳回路だが、意識されることはない。