光遺伝学の登場で、神経ネットワークの形成と機能についての理解は急速に進んだ。ただ、この実験系では各神経細胞を単純化した素子として扱ってしまって、刺激による細胞レベルの変化はどうしても見落とす。しかし神経活動は、細胞自体の生化学的反応、遺伝子転写、形態変化誘導などを通して、持続する記憶を形成できる。一個の細胞に様々なチャンネルや受容体が発現、それぞれが刺激依存的に調節されるからで、このことをエリック・カンデルは「記憶は神経細胞分化」と表現した。すなわち、ネットワーク解明と同時に、神経細胞文化の研究も進めていく必要がある。
今日紹介する中国中山医科大学と、ニューヨーク大学から発表された論文は、神経細胞が興奮を抑えられたことも長期に記憶できるメカニズムを明らかにした研究で、6月25日号のCellに掲載された。タイトルは「Neuronal Inactivity Co-opts LTP Machinery to Drive Potassium Channel Splicing and Homeostatic Spike Widening (神経細胞の活動停止は長期記憶のメカニズムを利用してカリウムチャンネルのスプライシングと恒常性維持のため興奮スパイクの幅を広げる)」だ。
まず、この研究では光遺伝学などの新しいテクノロジーは全く使われておらず、私が現役時代のテクノロジーのみで研究を行なっているのに驚いた。さらに、研究対象が神経興奮による記憶ではなく、神経興奮の主役ナトリウムチャンネルをフグ毒で抑えた時に形成される記憶に焦点を当てるという、少し天邪鬼な研究である点が面白い。
テトラドトキシン(TTX)で神経の興奮を48時間抑制した後、TTXを取り除き刺激すると、興奮スパイクの持続が長くなること、そしてこの変化がビッグカリウムチャンネル(BK)と呼ばれる分子の一部がスプライシングにより除かれる確率が上昇し、これがBKの特性を変えることで、神経の興奮パターンが変化することを明らかにする。すなわち、興奮の抑制がスプライシングを変化させ、短いBKが多く発現することで興奮パターンの記憶が成立することがわかった。
これがわかると、あとはなぜスプライシングが変化するのか、刺激が抑えられていることがどうして細胞内の変化を誘導できるのかについてメカニズムを明らかにすることになるが、膨大な実験が行われているので、詳細は省いて結果だけをまとめる。
- TTXで興奮が持続的に抑えられると、末端のスパインレベルでのグルタミン酸シグナルを介するカルシウムチャンネルの開く回数が高まり、流入するカルシウムによる様々なCamKK の活性化がおこる。活性化された CamK分子のうち、βCamKKはその後、細胞体の閣内へ移行する。すなわち、ナトリウムチャンネルの活動抑制が、ホメオスターシス維持に関わるカルシウム受容体の刺激を高めることで、神経の恒常性が維持されると同時に、活動抑制が記憶される。
- このCamKKは核内でNova2と呼ばれる分子と結合し、BK遺伝子の29番目のエクソンをスキップした短い分子を合成する。
- この短いタイプのBKは抑制が外れた後の、神経興奮の持続性の変化を誘導し、記憶反応を起こす。
以上がシナリオで、神経活動は興奮スパイクだけでなく、恒常性を維持するためにカリウム、カルシウムチャンネルが相互作用して微妙な調節を行っていることがよくわかる研究だ。驚くのは、興奮による記憶形成では見られなかった、自閉症や統合失調症に関わることが知られている多くのシグナル分子がこの過程に関わっていたことで、スパイクを抑制されたことの記憶の重要性を認識した。