病気の原因になる遺伝子が特定されても、特徴的な症状が発症するメカニズムが理解できないと、治療法の開発は難しい。結果、自ずと遺伝子編集で遺伝子を元に戻す、あるいは正常遺伝子を補充する、あるいは異常遺伝子を除去するなどの遺伝子治療が、治療法開発のゴールになる。
しかし、どんなに複雑なメカニズムでも、鍵となるプロセスを理解できると、治療法開発が可能になる場合がある。今日紹介するイエール大学からの論文はそんな例で、症状と遺伝子を繋ぐメカニズムがまだまだわかっていないレット症候群の鍵になる一つの過程を特定して、症状を軽減できる薬剤を発見したという研究で、7月2日号のMolecular Cellに掲載された。タイトルは「Dysregulation of BRD4 function underlies the functional abnormalities of MeCP2 mutant neurons (BRD4機能の調節異常がMeCP2変異を持つ神経細胞の機能異常の背景にある)」だ。
レット症候群はX染色体上のMeCP2遺伝子の機能低下をきたす突然変異によって起こることがわかっているが、治療を考える時様々な障害がある。まずMeCP2自体メチル化DNAに結合することはわかっているが、メチル化されたDNAはゲノム上に無数に存在し、多数の遺伝子の発現が変化することから、症状と遺伝子の対応がつきにくい。さらに、この分子が欠損すると致死的なため、男性には見られず、X染色体を2本持つ女児でだけで見られる。通常の遺伝子と異なり、X染色体は一つの細胞で両方が働くのではなく、どちらか一本が不活化されるという特殊な方法で発現が決まる。逆にいうと、ここの細胞ではどちらかのX染色体が働いていることになる。従って、 レット症候群の女児では、正常遺伝子を持つX染色体を使っている細胞と、異常遺伝子をもつX染色体を使っている細胞が混ざって存在していることになる。このため、遺伝子操作も含めて異常を治そうとすると、正常の細胞まで影響を受ける心配がある。いずれにせよ、これらのハードルは発症メカニズムをしっかり理解することなしに克服することはできない。
この研究の一つのポイントは、男性由来のヒトES細胞のMeCP2遺伝子を遺伝子操作により変異させ、この細胞から神経細胞を誘導して使っている点だ。これにより、患者さんの細胞を用いることでは不可能な、全ての細胞が変異を持つという実験系を作っている。
こうして準備したMeCP2変異神経細胞の遺伝子発現を調べると、多くの遺伝子の発現異常が見られる(変化のうち6割は発現が上昇している)。従って、一個一個の遺伝子をしらみつぶしに正常化することは不可能だ。
この研究のもう一つのポイントは、この大きな変化全体を元に戻せる薬剤のスクリーニングを行なった点で、この結果BRD4とよばれる染色体構造調節に関わる最も重要な遺伝子の機能を抑制するJQ1を見つけることができた。そして、このJQ1を道具として利用して、MeCP2はメチル化DNAに結合してBRD4の結合を抑えて神経分化や機能を調節している。ところがレット型MeCP2変異があると、BRD4のゲノムへの結合が上昇し、ゲノム全体にわたる遺伝子発現異常が起こる。従って、MeCP2の変異はそのままでも、BRD4の結合をゆるく抑えることで、遺伝子発現を正常化できる。
詳しく見ると、発現に変化が起こる遺伝子の数は2000個近くで、これらの全てを正常化できるわけではないが、発生や機能に関わる重要な遺伝子の発現を正常化できているので、治療に使える可能性がある。
最後に、レット症候群モデルマウスにJQ1を投与する実験を行なっている。先に述べたが、X染色体遺伝子の発現の特殊性から、マウスの体は正常細胞と異常細胞が混ざって機能している。従って、異常細胞を正常化させることは、正常化細胞が異常になる心配がある。この研究ではそのバランスをとるため、低い濃度のJQ1を投与し続ける実験を行い、完全に正常化は難しいが、寿命を50%のばせること、神経症状をかなり抑えられることを示している。
もちろんこのままヒトにも同じ効果があるかはわからない。しかし、ヒトES細胞を用いた検討から少なくとも試験管内の効果は確かめられていること、さらに紹介は省いたがES細胞由来の脳オルガノイド培養でも効果が確かめられていること、そしてガンに使う量と比べると少ない量で効果があることなどから、治験まで行くのではないかと期待している。