山中さんのiPSの登場で議論がほとんど中断したが、ヒトES細胞樹立に向けた倫理的問題を文科省で議論し始めた頃、ヒト胚の尊厳が3胚葉が形成される原腸陥入期に発生するとする考えが欧州にはあることを聞いたのを覚えている。この概念の起源についてはよくわからないが、個体の構造を細胞浮遊液へと解体してから、再構成する時、原腸陥入以降ではほとんど再構成できないので、細胞が個体に属するようになるという意味でこの概念が出たのかと考えていた。
今日紹介するケンブリッジ大学からの論文をは、ES細胞を用いたヒト胚培養で原腸陥入期を超えて体節形成期まで発生を誘導できるという研究だが、胚培養を原腸陥入期を超えて進めてはいけないというルールはヨーロッパでも消失していることがわかった。タイトルは「An in vitro model of early anteroposterior organization during human development(ヒト発生時の前後軸形成の試験管内モデル)」で、6月11日号のNatureに掲載された。
もともとES細胞からembryo body(EB)と呼ばれる凝集塊を形成させ、自発的に発生させる方法はポピュラーで、オルガノイド培養のルーツとして広く行われている。ただ実際のヒト胚と比べると、どうしても細胞分化のバランスが壊れてしまい、三胚葉は形成されても、実際の胚とは程遠い。
この研究ではES細胞をまずWnt刺激化合物Chironで1日処理し、その後細胞を凝集させ、Chironと笹井さんたちが開発したRock阻害剤で24時間培養するという方法を開発し、この方法ではEBがオタマジャクシのような形に伸び、この構造が一種のボディープランを持っていることを発見した。
この発見がこの研究のすべてで、実際マウスでも同じようなボディープランを持ったオルガノイドを形成することは難しい。これは培養に使う分化増殖因子がどうしても発生を捻じ曲げてしまっていたからと考えられるが、それをChironという化合物で置き換えることで、偶然とはいえ乗り越えた。実際、Chironの代わりにWnitを用いてもうまくいかない。もちろんよく使われるBMP4などでもボディープランの発生は観察できない。なぜかChironが持つ様々なシグナル系への副作用が、胚発生の絶妙のバランスを生みだしたことになる。
実際、この発生過程にWnt、BMP、nodalなど、初期発生に必須の分子に対する阻害剤を加えると、発生はうまく進まない。
このEBが伸びて造られる新しい構造では、3胚葉が形成されるだけでなく、細胞の集団の動きが原腸陥入をミミックし、最終的に前後軸を様々な分子マーカーで確認できる構造が形成される。そしてこの構造を前から後ろまで順番に切片として切り出し、それぞれの切片での遺伝子発現を見ると、分子マーカーが前後軸に沿って発現し、ボディープランとともに発現パターンが生まれるHox遺伝子の発現でもこのプランを確認できる。そして、この前後軸の形成を支持するオーガナイザーについても特定できる。
以上詳細を省いて、イメージだけを紹介したが、ES細胞から体の構造を作る試験管内実験系ができたことは重要だと思う。見たところ、前後軸はできても、背腹軸についてはうまくできていないので、次は両方同時に誘導する方法の開発が進められると思う。その結果、どこまで実際に近いヒト胚が形成できるのか、楽しみだ。