私たちの感覚は脳に集められて認識へと統合する。従って、この経路を完全に再現することができれば、実際の感覚なしに認識を再現できるはずだ。しかし、これは写真に撮ったコピーを複製するといった話ではない。視覚では視線を動かすことで像の認識が形成されることから、刺激の順番という時間要素も極めて重要だ。
認識の対象となる脳内の感覚表象を実験することは極めて難しいと思っていたら、ニューヨーク大学のグループが、実際の臭い物質刺激を一切用いないで臭いの表象を研究できることを示した論文を6月19日号のScienceに掲載した。タイトルは「Manipulating synthetic optogenetic odors reveals the coding logic of olfactory perception(光遺伝学により合成した臭いによって嗅覚認識の論理が明らかになる)」だ。
この研究ではニオイ物質は全く使わず、嗅覚神経が投射する領域を光遺伝学で刺激することで臭いを嗅いでいる錯覚を形成している。この時、一個の神経を刺激して学習させるのではなく、いくつかの神経を順番に刺激し、一つのパターンを認識記憶させるという実験を行なっている。光遺伝学的に臭い感覚を合成する時も、マウスは鼻をクンクンさせて空気を吸い込む動作をするが、このタイミングも記録している。また、同じ匂いと認識した時、どちらかのノズルを舐めて、水を飲む様訓練し、臭いを認識したか判断している。
実際の臭い実験では、臭い物質を変化させ、認識できるか判断するが、この実験では刺激するスポットを変化させたり、刺激の順番を変えたり、あるいは時間感覚を変えることで、同じと認識される臭いパターンが脳内に合成できているか調べている。
その結果、臭いの表象が興奮する神経細胞の脳内パターンと、興奮するタイミングとして形成されていることが明らかになった。
実際には、興奮する神経のパターンと興奮の順番を記憶させたあと、嗅球内で興奮させる細胞を少しずらせたり、順番を変えたりして、同じ匂いとして認識できているかどうかを、ノズルを舐める行動結果をもとに判断している。例えば、全く違う神経細胞を刺激しても同じ匂いとは認識されない。しかし、一部の刺激細胞をずらせても同じと認識される。このように、刺激する細胞と刺激のタイミングをずらせる実験を繰り返して、嗅い感覚の表象形成ルールを探っている。
結果だが、
- 臭いの表象は興奮細胞のパターンと、興奮の順番として認識される。
- 興奮する細胞が元の細胞からずれるほど、認識されなくなるが、最初に興奮させる細胞をずらせたときに、影響が最も大きい。一方、後になるほど刺激細胞をずらせても認識への影響は少なくなる。
- どの順番で興奮が起こるかが認識には重要だが、このタイミングは決してクンクン嗅ぐ動作と連動するのではなく、純粋にそれぞれの細胞の興奮の絶対的時間間隔により決められている。
以上の結果から、臭いの感覚は、興奮神経のパターンと興奮のタイミングを鋳型として認識され、この鋳型と実際の刺激を継時的に比べていくことで同じ匂いかどうか判断しているというモデルを提案している。
臭いという感覚の特徴を生かして、感覚により脳内に形成される表象に迫った、素人でも楽しめる研究だと思う。