2022年3月3日
現在乳ガンの治療は、手術前の化学療法や放射線療法のようなネオアジュバント治療に加えて、手術後も患者さんに恨まれるぐらいの徹底したアジュバント治療を行う。これによって、術後10年ぐらいして急に転移が見つかるという不幸をかなり減らすことが出来る。
しかし今でもネオアジュバントや徹底的なアジュバント治療が行われる前の、あるいは受けられなかった患者さんの中から、転移が見つかるケースは多い。幸い、乳ガンに関しては分子標的薬が充実しており、遺伝子を調べながらこれを組みあわせる治療で、転移ガンにも対応することが出来るが、完全ではない。
そこで登場するのが免疫治療だが、ガンに対する免疫反応が高くないとしてチェックポイント治療などは標準治療から外れているし、固形ガンなのでCAR-T治療もまだ開発できていない。代わりに、2-3割の乳ガンで発現が見られるHer2に対する抗体治療が行われ、化学療法との併用なので一定の効果が見られているが、決定的とはなり得ていない。
これに対し抗体治療とT細胞治療をまとめてやろうとする、片方はHer2、片方はT細胞を刺激するCD3を認識する抗体を用いて、ガンとT細胞の相互作用を高めてやろうとする治療が開発され、乳ガンだけで無く、数多くの治験が進められている。
今日紹介する大手製薬会社Sanofiのボストンにある研究所からの論文は、このbispecificな抗体を、さらにT細胞の共刺激に関わるCD28も認識するtrispecific抗体に変えて、乳ガン治療に使えないか調べた前臨床実験で2月26日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「A trispecific antibody targeting HER2 and T cells inhibits breast cancer growth via CD4 cells( Her2とT細胞刺激分子を認識するtrispecific抗体は主にCD4T細胞を介して乳ガンの増殖を止める)」だ。
この抗体は、Her2とCD3に対するbispecific抗体のCD3に結合する側に、さらにCD28とも結合できる領域を組みあわせるもので、設計を見ていると、様々な可能性を試して最終的に行き着いたという構造になっている。
まず試験管内でテストすると、bispecific抗体と比べてT細胞の活性化作用はつよく、ガンに対するキラー活性も優れている。
この研究で一番驚いた結果は、免疫系が存在しないマウスに、人の乳ガンとともに、ヒトのT細胞を移植して、抗体のキラー活性を調べる実験で、驚くなからCD8陽性のキラー細胞を移植してもガンの増殖をほとんど抑えられていない一方で、CD4陽性T細胞を移植した場合には、ガン増殖が完全に抑制された。
さらに、ガンの方の反応を見てみると、CD4陽性細胞とtrispecific抗体を投与したマウスでは、ガンの細胞周期がG0/G1で停止していることも明らかになっている。
これが乳ガン特異的な話なのか、trispecific抗体特有の話なのか、一般的な話なのか、今後重要な問題になるが、CD4陽性細胞による免疫性炎症の重要性をつよく示す結果だと思う。
最後はサルを用いた安全性試験の結果で、基本的には100㎍/kg投与でもサイトカインストームなどは起こさず安全に使えることを示している。
以上が結果で、乳ガンにも免疫治療を使えるようにするための開発が着々とするんでいることがわかる。気になるとすると、これほど複雑な抗体になるとどうしても血中半減期が短くなっている点で、これが次の課題になるような気がする。いずれにせよ、T細胞とガンを強制的に相互作用させる抗体治療はCAR-Tまで置き換える勢いで進んでいる。
2022年3月2日
我が国の状況は把握していないが、世界規模で見るとメトフォルミンは現在2型糖尿病に対して最も広く処方されている薬だ。腸上皮細胞のGLP-1を誘導してインシュリン分泌を促し、肥満による炎症を抑えインシュリン抵抗性を防ぎ、肝臓の脂肪合成を抑え、さらには代謝を改善して寿命まで延ばしてしまう。これで500mgの錠剤が20円程度となると、夢の薬と言っていい。
AASJでも、この夢の効果の背景についてYouTubeで解説した(https://www.youtube.com/watch?v=FBBh8JsJguQ)。そして、この作用の多くの部分はAMP-activated protein kinase(AMPK)の持つ多様な作用を介しており、AMPKはミトコンドリアの呼吸複合体の中のcomplex1がメトフォルミンに阻害されることで、AMP濃度が上昇して活性化されると解説した。
ところが今日紹介する中国厦門大学からの論文は、complex1を阻害する経路は高いメトフォルミン濃度により誘導される経路で、実際の服用量で到達するメトフォルミン濃度では、この経路では無くリソゾーム膜上のvATPaseを介する系でAMPKが活性化されることを示した、本当なら、通説を変える重要な貢献だ。タイトルは「Low-dose metformin targets the lysosomal AMPK pathway through PEN2(低容量のメトフォルミンはリソゾーム上のAMPK経路をPEN2を介して調節する)」だ。
元々この研究グループは、細胞内のグルコースが低下したときAMPKが活性化される過程を研究しており、この延長でメトフォルミンがこの経路にも影響がないか調べていたのだと思う。
ただ結果は予想以上で、細胞内のメトフォルミン濃度が40μM程度では、彼らが期待したとおり、リソゾーム上のv-ATPaseを阻害して、リソゾームが酸性になるのを抑えるとともに、AMPKを活性化する。しかも、AMPレベルは変化していないので、ミトコンドリアを介さずに、メトフォルミンがAMPK活性化を誘導することが出来ることが明らかになった。
この新しいメトフォルミン作用経路を探るため、UV照射でタンパク質と共有結合するメトフォルミンを開発し、メトフォルミン結合タンパク質を特定し、その一つ一つをRNAiによりノックダウンしてメトフォルミン作用が変化するかを調べたところ、PEN2分子をノックダウンしたときだけメトフォルミンによるAMPK活性化が起こらないことを発見する。またPEN2が期待通りリソゾームに局在する分子であることを確認している。さらにPEN2のリソゾーム局在を阻害すると、メトフォルミンの作用は失われるので、メトフォルミンの作用はリソゾーム上でvATPaseを阻害することを介することがわかる。
次にPEN2に結合してメトフォルミンの作用をv-ATPase阻害へと媒介する分子を探索した結果、最終的にATP6AP1分子が特定された。PEN2結合タンパク質は全部で123種類同定されているが、その中でv-ATPaseに直接関わるのはこの分子だけで、通常v-ATPaseのコンポーネントとしてAMPK活性化阻害に関わっているが、PEN2と直接結合することで、v-ATPaseの機能が阻害され、結果AMPK活性化に関わることが示された。
最後に、低い濃度でもメトフォルミンの様々な生体作用が得られること、またこれらはPEN2ノックアウトで消失することなどを示して、低濃度のメトフォルミンで、一部のAMPKを活性化することで、メトフォルミンの重要な機能が十分達成できると結論している。
メトフォルミンの作用をもう一度見直す必要性が示された重要な研究だと思う。
2022年3月1日
免疫チェックポイント治療(ICT)は、ガン抗原特異的な治療ではないが、ガン特異的な抗原に対する免疫反応が存在し、ガンを征圧できることを明らかにした。当然、次の一手はガンのネオ抗原を明らかにし、ガンと戦うT細胞を特定することだ。
ガンのネオ抗原については、ゲノムからガン特異的な変異を特定し、これを抗原として患者さんを免役する治療がメインになると思うが、mRNAワクチンを開発するビオンテックやモデルナに今回巨額の資金が環流したことから、今後の大きな伸展が予測できる。
これに対し、ガン抗原特異的なT細胞を特定することは、簡単でない。ガン細胞と患者さんのT細胞を反応させて、増殖してきた細胞のT細胞受容体(TcR)を含めた様々な性質を調べるのが確実な方法だが、実験室はともかく、臨床応用となるとハードルは高い。
もちろんガン抗原が特定された場合は、患者さんのMHCにペプチドをロードする方法でガン特異的T細胞を特定できるが、これも実際の臨床応用を考えると、現時点ではハードルが高い。
今日紹介する、ガン組織に浸潤するT細胞(TIL)を用いた治療に執念を燃やしている米国NIH Rosenberg研究室からの論文は、転移ガン局所のTILを様々な観点から詳しく解析し、ガンに対して反応している細胞の性質を特定し、これからガン特異的T細胞を特定しようとした研究で、2月25日号Scienceに掲載された。タイトルは「Molecular signatures of antitumor neoantigenreactive T cells from metastatic human cancers(ヒト転移ガン組織から得られたネオ抗原特異的T細胞の分子的特性)」だ。
この研究では、TILに焦点を絞ってsingle cell RNAseq(scRNAseq)を実施し、まず11種類のクラスター(C1からC11)に分解している。次に、RNAseq配列からそれぞれのT細胞と対応させ、まず抗原特異的増殖により分裂しクローン増殖の痕跡を持つT細胞を探し、主に3つの分画にのみクローン増殖が見られることを確認する。
もちろんクローン性増殖が見られるTcRだとしても、ガン特異的ではない。そこで、患者さんの末梢血で同じようにクローン性増殖が見られるTcRを特定し、TILと比べることで、1)クローン性増殖が見られ、2)TILのみに存在するTcRをガン特異的ととりあえず考えて、どの分画にこれが存在するかを確かめると、CD8T細胞もCD4T細胞も、分化が進んで機能が低下した分画(実際にはそれぞれ11種類のうちのC6、C1分画に濃縮されていることを発見する。一方、末梢血にも存在するクローン増殖を示すTcRはメモリーなどに対応している。もちろんこの中にも、ガン特異的TcRも含まれているが、感染などに反応するT細胞や、バイスタンダーT細胞と区別することは難しい。
一方、TILだけに存在するTcRクローンは、ガン抗原との持続的な相互作用により、分化が進み疲弊しているため、機能的にはICTで再活性化しない限り抗ガン活性は失われているが、ガン特異的TcRを特定する目的には役に立つ。即ち、ガン組織が得られた場合、C6、C1分画を調べれば、ガン特異的TcRを特定できる可能性が高い。
そこで実際にこの戦略でガン抗原特異的TcRを特定できるか検証するため、新しいガン組織を解析し、ガン特異的と推定したTcRを持つT細胞を再構成し、ガンに対する反応を調べると、CD8T細胞では60%が、CD8T細胞では30%が患者さんのガン細胞に反応することが確認された。
以上が主な結果で、ガン特異的なTcRを特定する信頼できる方法を探そうとするRosenbergの執念が伝わる力作で、TILを用いるガン治療とともに、TILの新しい利用法だと期待している。